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以前このサイトで質問したハバーマスの「なぜヨーロッパに憲法が必要なのか。」に再び
挑戦したいと思います。皆さんのお知恵をお貸しください。
①Auch wenn gemeinsame Sprache und Lebensform diesen Prozess der Bewusstseinsbildung
erleichert haben, lässt sich aus dem Umstand, dass sich Demokratie und Nationalstaat
im Gleichschritt entwickelt haben, nicht auf die Priorität des Volkes vor der Republik schließen.
「共通の言語や生活様式がこの意識形成を易しくしたとしても、民主主義と国民国家が同じ
歩幅で発展してきた事情に鑑みると共和国に民族が優先しているとは言えない。」と訳しました。
②Vielmehr handelte es sich um einen Kreisprozess, in dessen Verlauf sich nationales
Bewusstsein und demokratische Staatsbürgerschaft gegenseitig stabilisiert haben.
「むしろその経過において国家意識と民主主義的な国籍が互いに安定した循環プロセスが問題である。」
③Beide zusammen haben erst das neue Phänomen einer staatsbürgerlichen Solidarität
hervorgebracht, die seitdem den Kitt nationaler Gesellschaft bildet.
国家意識と民主主義的な国籍両方が初めて国家市民の団結という新しい現象を生み出し、それは
それ以来国家的な社会の接合剤となっている。
④ Aus dieser Entstehungsgeschichte der europäischen Nationalstaaten lässt sich lernen, dass
die neuen Formen der nationalen Identität einen künstlichen Charakter haben,
der sich nur unter bestimmten historischen Voraussetzungen während eines längeren,
über das ganze 19. Jahrhundert sich erstreckenden Prozesses herausgebildet hat.
この文章の「der sich nur unter bestimmten historischen Voraussetzungen während eines längeren, über das ganze 19. Jahrhundert sich erstreckenden
Prozesses herausgebildet hat.」がいまいちわかりません。「より長い、そして前十九世紀を超えて伸びるプロセスという特定の歴史的前提条件を元に形成された人工的性格」と
訳しましたがいまいちしっくりきません。そもそも何と比較してより長いのでしょうか。この文の
関係代名詞のderの先行詞はeinen künstlichen Charakterですよね。

⑤Die Bedingungen, unter denen das Nationalbewusstsein entstanden ist, erinnern
uns allerdings an die empirischen Voraussetzungen, die erfüllt sein müssen, damit sich eine so
unwahrscheinliche Identitätsinnovation auch über die nationalen Grenzen hinaus erweitern
kann.
「国民国家的意識が生じる条件は、ありえないようなアイデンティティーの革新が国家の国境を越えて拡大するために、とりわけ満たされなければならない経験的な前提条件を我々に思い出させる。」
⑥Diese drei funktionalen Erfordernisse einer demokratisch verfassten Europäischen Union
lassen sich als Bezugspunkte komplexer, aber konvergierender Entwicklungen verstehen.
「Bezugspunkte komplexer, aber konvergierender Entwicklungen」を「より複雑に収斂する発展の基礎点」と訳しましたがこれはそもそも何のことでしょうか。
⑦Diese Prozesse können durch eine Verfassung, die einen gewissermaßen katalysatorischen
Effekt hat, beschleunigt und auf den Konvergenzpunkt hin gelenkt werden.
「auf den Konvergenzpunkt hin gelenkt werden」とはそもそもどういうことでしょうか。中心点に向けさせられる」とはどういうことでしょうか。
⑧Eine europäische Verfassung würde nicht nur die Machtverschiebung, die stillschweigend stattgefunden hat, manifest machen; sie würde neue Machtkonstellationen fördern.
ヨーロッパ憲法は黙って行われてきた権力の移譲を明白にするだけではない。それは新しい権力構造を
促進するだろう。」

A 回答 (3件)

昨日の続きです。





②の文に直結しているので、全部通して訳すときは、
Beide が指す内容、つまり前の回答で訳を直した、
「民族的意識と民主主義的国家所属性」を反復しなくてもよいでしょう。
staatsbürgerlich は Staatsbürger(国民、市民)の形容詞形なので、「国籍」の意味にはなりません。
Staatsbürger + -schaft で初めて「国家に属すること」の意味になります。
Beide zusammen となっているので、「両方そろって初めて」という文意を伝える必要があります。
「国家市民」という言い方が日本語の用語として一般的にあまり使われていないようなので、
とりあえず「国民の」にしておきましょう。
nationaler Gesellschaft の nationaler は、この場合同一民族の共同体ということを言っているので、
「国家的」ではなく「民族的」です。
異なる民族がそれぞれ有する共同体同士をつなぎ合わせる、という意味です。
Kitt は確かに「接着剤」の意味ですが、日本語らしくするのに別の語で意訳してみます。

 両者がそろって初めて、国民的団結という新たな現象を生み、
 以来これが民族的共同体間のかすがいとなっている。


まず文の構造が読み解けていないようです。
Habermas の文体は長い冠飾句を多用する入り組んだものなので、慣れないと迷子になります。
während は「~の間に」という期間を表す前置詞ですが、これが訳されていません。
その直後の eines という不定冠詞は Prozesses に付くものなので、
「一つのプロセスの間に(生じた)」ということになります。
längeren は絶対比較級で、具体的に何かと比較して「より長い」といっているのではなく、
これ単独で「比較的長い、かなり長い」の意味になります。
längere Zeit(比較的長い間)や ältere Menschen(年配の人たち)と同じ用法です。
Längeren のあとのコンマでわかるように、その「かなり長い」がどれくらい長いかをそのあとで具体的に説明しているのが、
über das ganze 19. Jahrhundert sich erstreckenden という冠飾句です。

 このヨーロッパの国民国家の成立史から学び取れることは、
 民族的アイデンティティーの新たなる形というものが、
 19世紀全体に及ぶかなり長いプロセスの間に特定の歴史的前提の元でだけ徐々に生じた、
 人為的性格というような(← einen)ものを有しているということである。


allerdings という語は、前の文の内容を受けて、「ただし~でなければならない」とつながる語です。
auch も訳に入れた方がよいです。
「経験的前提」が複数形で、それの具体的説明がこの文のあとに列挙されているので、
全体を訳す時はそのつながりがわかるようにしてください。

 ただし民族意識がそのもとで生じたような条件は、
 起こりそうにないアイデンティティーの革新が、
 民族の境界を越えてまでも広がっていくために満たされるべき
 (次のような)経験的前提を私たちに呼び起こさせる。


「より複雑に」となっていますが、komplexer は比較級ではなく2格です。
また、「収斂する」との関係からいっても、「複雑」ではなく「複合的」の方がよいですね。

 複合的でありながら、しかし収斂していく発展の基準点(拠り所)と捉えることができる。


この文の訳そのものは前回の質問の 4) でやっていますが、変更点はありません。
Konvergenzpunkt は「中心点」ではなく「収斂点」です。
Diese Prozesse は、その前の段落で erstens… zweitens… drittens…
と具体的に説明されている三つの要求です。
同一民族内でのまとまりの意識と、民族の境界を越えたグローバルな民主主義を両立させるためには、
さまざまな異なる要求があり、それを実現させていくプロセスも当然内容の異なる複合的なものになります。
それらが最終的には一つにまとまらなくては(=収斂しなければ)なりませんが、
その到達点が Konvergenzpunkt(収斂点)です。
そして、それらのプロセスを「接着」させて、加速的に「収斂点」へ導く役割をするのが憲法だという意の文章です。


文意を明確にするために下のように意訳しました。
セミコロン(;)は、nicht nur に対応する sondern の意味に当たる記号として置かれています。

 ヨーロッパ憲法は、暗黙のうちに行われた権力移譲を開示するだけでなく、
 権力が新しい位置関係に置かれる助けになるだろう。
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この回答へのお礼

Tastenkastenさん詳しい回答どうもありがとうございます。このSpiegelの文章はとても難しくて、Tastenkastenさんの助けなしにはとても理解することはできませんでした。感謝感謝です。一つ質問が有ります。Die Bedingungen, unter denen das Nationalbewusstsein entstanden ist, erinnern
uns allerdings an die empirischen Voraussetzungen, die erfüllt sein müssen, damit sich eine so
unwahrscheinliche Identitätsinnovation auch über die nationalen Grenzen hinaus erweitern
kann.のdamit節は、die erfüllt sein müssenに掛っているのでしょうか。そう考えるととてもすっきりするのですが。私は最初damit節がDie Bedingungen, unter denen das Nationalbewusstsein entstanden ist, erinnern
uns allerdings an die empirischen Voraussetzungenに掛っていると考えていたので不自然な訳になっていたと思うのですがどうでしょうか。

お礼日時:2019/11/24 12:02

>私は最初damit節がDie Bedingungen, unter denen das Nationalbewusstsein entstanden ist,


erinnern uns allerdings an die empirischen Voraussetzungenに掛っていると考えていたので
不自然な訳になっていたと思うのですがどうでしょうか。

日本語訳をもう一度拝見すると、確かにそのようです。
damit はここでは従属の接続詞で、前の文を受けて「それによって~(である)」という意味になります。
damit 以下が「副文」なので、「主文」の erinnern uns の方に関連付けたのかもしれませんが、
基本的には副文は、その直前の文に関係すると考えてよいです。
また、話法の助動詞 können と müssen がそこにあるので、
この二つのを意味的に関連させて読めていれば迷わないと思います。
私の日本語訳でも、回りくどくなるので kann は特に訳出しませんでしたが、この部分を全部逐語的に訳すなら、
「民族の境界を越えてまでも広がっていかれるために満たされているべき」です。
広がることが「可能」(kann)になるためには何がされている「べき」(müssen)か、
という論理的な叙述の流れが読み取れれば、erinnern uns につなげるのはおかしいと気づくと思います。
単に「経験的前提」を「呼び起こす、思い起こす」だけで「革新が広がって行かれる」ことはないでしょう。
それが「満たされて」初めて可能になるわけなので、
damit…kann「それによって~が可能になるために」→ sein müssen「であらねばならない」とつながります。

なお、Habermas のこの文章がなかなか読めないからといって気にすることはありません。
Habermas は、冠飾句や副文をたくさん挿入するSchachtelsatz(函入り文)を多用します。
この Schachtelsatz を使いすぎるといわゆる「悪文」になり、ネイティブでも読みにくくなります。
しかも Habermas は、主語以外の品詞や節が文頭に出てくることも多いので、
よほど文法の基礎がしっかりしていてその応用が利かないと、主語と動詞の対応さえすぐには見えなくなります。
このエッセーは、内容的には特に「哲学的」ではないので、そういう意味での難しさは決して多くないのですが、
この Schachtelsatz と固いアカデミックな文体は、決して読みやすいものではありません。
たぶんそれはドイツ人でも同じだろうと思いネットで評価を探してみたところ、
やはりそのように書いてあるものがいくつか見つかりました。下はシュピーゲルの記事です。

Den Lesern allerdings hat er es mit seiner Neigung zum Schachtelsatz
und einer manchmal arg akademischen Diktion nicht immer leichtgemacht.
ただし読者にとってそれは、彼の函入り文の愛用と、
時にひどくアカデミックな文体によってしばしば難しくなった。
(意訳です。)
https://www.spiegel.de/spiegel/print/d-13488653. …
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この回答へのお礼

早速丁寧な返信ありがとうございます。長い間ドイツ語の勉強をしているのにこの文章がなかなか理解できなくて落ち込んでいたのでそう言ってもらえて嬉しいです。
確かにハバーマスの文章はSchachtelsatzが多くて複雑ですね。ドイツ人もそう思って
いるとは......今回はTastenkastenさんのおかげでハバーマスの文章が読めました。一人ではとても理解することはできなかったので、Tastenkastenさんには本当に感謝です。ありがとうございました。

お礼日時:2019/11/24 19:00


前の質問の回答で説明したことをよく消化されているようです。
いろいろと考えて検討した結果、この訳で問題ないと判断しました。


ここはちょっと注意が必要です。
エッセー全体はまだ精読していませんが、最初の方を読んで、
だいたいそのテーマを把握した上でもう一度読み直しています。
御質問に間違いなく回答するには、エッセーの通読が必須と思いました。
断片的に抜き出された文をドイツ語の文法的読解力のみで訳すのは無理です。

特定の民族に属するという意識と、民族の別を超えた民主主義国家の国民であるということがどのように両立できるか、
ということなので、nationales は「民族的」、demokratische Staatsbürgerschaft は、
「民主主義国家の一員であること」というニュアンスが感じられるように訳さないと
エッセーのテーマに則した明快な訳にならないと思います。
そして、この文を読んでみて、前回の Habermas の質問の 5) の回答も間違いだったと気づきました。
sich hervorbringen が再帰動詞だというのは大ボケの回答で、
「互いに生み出しあう」というあなたの最初の訳が正しいです。
どういうことかというと、特定の民族に属しているという意識、
つまり単一民族による共同体という意識と、
民族の別を超えた政治的共同体としての民主主義国家の理念は、
いわばテーゼとアンチテーゼのようなもので、
これを両立させようというのがヨーロッパ共同体の本来の構想でしょう。
民族主義的な意識が高まりすぎると危険なので、
それに対する考え方として民主主義国家という理念が対立的に出てきます。
逆にグローバルな民主主義は、各民族固有の歴史ある言語や文化を衰退させやすいので、
それへの反発として民族的な意識がまた高まったりします。
そういうことが循環的に行われるということなので、
「互いに生み出しあう」「互いに安定させあう」が正しい訳だと思います。
Staatsbürgerschaft という語も、意味自体は「国籍」と同じようなものですが、
この文脈では訳語として使えませんので、
「国家の一員であること」というニュアンスの訳語がほしいと思い、
「国家所属性」という訳語を考えてみたのですが、調べてみると、
「国籍」の同義語としての「国家所属性」という語は、
ドイツの政治に関する日本の書物などでも使われていました。
https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I3957053-00

これは、前回の御質問の 2) の文中でも同じで、「国籍所有の資格」では訳が固すぎるようです。
なお、handelte es sich を「問題である」と訳すと悪いことのように聞こえますが、
文脈から考えて、そういうニュアンスではなさそうです。
とりあえず下のように訳しておきましたが、あとで訂正するかもしれません。

 むしろ、民族的意識と民主主義的国家所属性が互いに安定させあうような循環プロセスの方が重要である。


あわてて全部の質問に一度に回答するとまた間違える恐れがあるので、
今晩はここまでにして、明日以降続きの回答をすることにします。
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