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法隆寺に行って来ましたが、「百済観音像」が法隆寺の最高傑作のようです。この像は日本産の材木で作られていますから、日本で造られたのは確かだが、誰が何時作ったのか?なぜ百済観音と呼ばれているのか?良く分らない。

像を見て思ったのは、この像は横から見た方が良い。特に横顔が良いと思う。しかし現在の展示方法では横顔が分かりにくい。横顔の背景が白くないからです。横顔を見た時の背景を白壁にするべきです。

それに像が高いから、下から見上げる形でしか見えない。横顔を見る為の台を置き、鏡も付けて、図のように横顔を見やすくするべきでしょう。
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「百済観音」という名称

この像の通称として20世紀以降著名になる「百済観音」という呼称はさほど古いものではなく、大正6年(1917年)の『法隆寺大鏡』の解説が初出であるとされている。

百済観音像では側面感はより自然になり、立体的な人体把握が進んでいる。

百済観音像の垂髪はより写実的に表現され、天衣はゆるやかなカーブを描いて前後方向に揺れるように表現されており、天衣のカーブの優美さは側面から見て初めて了解される。

両手も各指が違ったカーブを描き、写実的に表現されている。

日本文化への影響
本像の特異な様式、謎に満ちた伝来などは、多くの人々の関心を呼び、随筆、短歌等でしばしば取り上げられ絶賛されている。

和辻哲郎は、当時は奈良帝室博物館に寄託されていた本像を見た感想を『古寺巡礼』(1919年)で述べている。和辻は百済観音について「形そのものの美を目ざすというよりは、形によって暗示される何か抽象的なものを目ざしている」と言い、「初めて人体に底知れぬ美しさを見だした驚きの心の所産である」と述べている。

また、百済観音の様式について、ガンダーラ仏あるいはインド仏よりも漢代の石刻画を思わせるものであり「この様式こそシナにおける創作と言い得るものであろう」と述べている。

和辻によれば、シナではそれはいくつかの様式のうちの一つであったが、日本ではこの様式がほとんど決定的な力を持つにいたるまでに、百済観音の様式の背後にある体験に日本人は共鳴したとされる。

亀井勝一郎は『大和古寺風物誌』(1943年)においてこの像を「大地から燃えあがった永遠の焔」のような像だと絶賛した。

会津八一、吉野秀雄、吉井勇らは百済観音を題材とした短歌を作っており、その他多くの文筆家によって本像が取り上げられている。

1997年にはパリのルーヴル美術館で百済観音の特別展示が行われた。1997年から1999年にかけて「フランスにおける日本年」および「日本におけるフランス年」という趣旨で、両国において多くの記念行事が行われたが、その際、両国の国宝級美術品1点ずつを相手国で公開することとなり、日本からは百済観音が、フランスからはウジェーヌ・ドラクロワの代表作『民衆を導く自由の女神』が選ばれた。

「法隆寺の百済観音像は横顔を見やすく展示す」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • 1200円も取るんですから、それくらいやったって罰は当たりませんよ。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/02/11 07:57
  • 拝観料を1200円も取るんですから、それくらいやったって罰は当たりませんよ。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/02/11 07:58

A 回答 (3件)

貴重な意見として承り、


今後の検討課題と致します。
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基本仏像ですから



なので写真集を購入したり
想像をめぐらすのが美術品としてはいいとおもいます
土門拳先生のもいいですよ
この回答への補足あり
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中宮寺の弥勒さんを、東京のデパート会場で見たことがあります。

ガラスケースに入って、蛍光灯の光の中、360度どこからでも眺められるようになっていました。が、拝んでいる人は、一人もいませんでした。

法隆寺の百済観音も、美術品としてみるならば、ぐるりと周りを廻れるようにするのが妥当かと思いますが、お寺の中で、拝観する=拝むのであれば、立場は反対です。百済観音さんのおられる、薄暗いお堂の中に、人間が、入り込んで、観音様の足元でありがたさを実感するのであれば、ぼんやりしたお姿を拝見できるだけで十分なのです。

横からのお姿が美しいのには、共感します。
この回答への補足あり
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