マンガでよめる痔のこと・薬のこと

よく、現代作家よりも昔の作家の作品の方がレベルが高いと言われますよね?

現代作家の作品よりも日本の文豪と言われる人達の作品の方が評価が高いというのが定説です。

最近、日本の文豪では、夏目漱石、芥川龍之介、泉鏡花、三島由紀夫、太宰治、坂口安吾、川端康成

などの日本の文豪と言われる人達の作品と並行して、現代人気作家と言われる人達の本を読んでいるのですが、どう見ても現代作家の方が面白いと感じます。

言葉や教養やレトリックは、日本の文豪の方が確かに上です。はるかに上と言っても過言ではない。

ですが、面白さという点では現代作家の方が明らかに上に感じます。

そんなものなのか、それとも私が異色なのか、最近考えています。

みなさんは、どうですか?

質問者からの補足コメント

  • みなさん、ありがとうございます。

    なるほどと思いました。

    ただ、音感に関しては圧倒的に昔の方がいいです。

    やはり感性の違いなんですね。

    現代音楽はほとんどノイズにしか思えませんから。

      補足日時:2020/02/13 05:42

A 回答 (8件)

#1です。

補足拝見しました。

>現代音楽はほとんどノイズにしか思えませんから。

そういう見方もできるのですが、そもそもなぜ現代音楽が「ノイズ」なのかをちょっと説明しておきます。

分かりやすいのはスクラッチでしょうか。
レコードを擦ってキュキュという音を出すやつです。これはある意味すごい革命的な音楽センスで、何がすごいかと言うと「CDという明らかにノイズがない音楽デバイスが登場したことによって、ノイズを『音楽』として認識できるようになった」ことです。

質問者様の年齢は存じませんが、レコード時代やカセット時代に音楽を聞く人は「ノイズ」にかなり神経を使っていました。レコード盤はちょっとした傷でノイズが入りましたし、レコード針もすぐにノイズを拾いますし、カセットテープに至っては、何も音がはいっていなくてもサーーーーというノイズ(ヒスノイズ)が入っていたぐらいです。

だからレコードやカセットで音楽を聞くときに、キュと言う音はエラーであって「邪魔なモノ」でしかなかったのです。
これがCDができて「ノイズが(技術仕様上)まったくない」と言うことが実現したために、逆に「キュと聞こえる音も音楽の一部」と認識できるようになった、ということなのです。

このようなことは芸術でいうところの「限界突破」で、たとえばピカソなどのキュービズムも同じ
キュービズムは、写真という「写実を極限まで突き詰めたコピー方法」ができたために、普通の絵画の意味が無くなり、その代り「人間の目で見た印象そのものを、平面に情報として詰め込むとどうなるか?」という点を追求したものだからです。

絵画もそうですが、音楽は特に20世紀に変化が激しく、電気を使った楽器が登場したことで「歪(ディストーション)」を音楽として聞かせることに成功し、シンセサイザーで生楽器では出せない音を作り出すことに成功し、MIDIなどの自動演奏は「人間が弾ける音符の限界」を超えたのです。

なので特に21世紀にはいってからの音楽界のテーマは「音符の自由度とノイズの共生」になっていて、坂本龍一などもシンセサイザーで「心地よいノイズ」を音楽と融合させる楽曲を数多く作っています。
(心地よいノイズとは、たとえば泡が弾ける音のようなものです)

もちろん好みがあるので「今の音楽はノイズに聞こえる」というのは嗜好性の問題なのですが、19世紀までの音楽環境とは違って、現代は「ノイズですら音楽に出来てしまう時代」であることは知っておいてもいいと思います。

小説もそうなのですが、芸術とか表現と呼ばれるものも技術革新とは無縁ではなく、新しい技術によって今までのやり方よりもよりよいもの、が出来てしまうと、それ以前とそれ以後が同じジャンル(小説とか音楽とか絵画とか)でも、表現方法や利用する技術が全く異なってしまうのです。

ああ、そうそう、小説については80年代から90年代にかけて「ワープロ(パソコン含む)で書くか、ペンで書くか」という論争がありました。今はエディタツールを使って書くのが当たり前で、長い文章でも書いた内容を何度でも精査できますが、そのような機械が無かった時代は「ほぼ一発勝負」で書いていたわけですから、いわゆる文体などに変化があるのは当然でしょうし、最初のほうに沢山伏線をちりばめて、すべて回収して終わるなんてことも割と簡単にできるようになったわけです。

文章であってもそういう技術的な恩恵による「可能性の違い」はそこそこあるので、やはり昔の小説と今の小説は同じ名前だけど、全く別物なのだと思います。
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情報量や物の数、また生活習慣なども


かなり違いますから
現代の方が、様々なシチュエーションを楽しめる点からいえば
面白さはあると思います。

それと描写に関して思い描くものが
経験上ないと難しいのかもしれません。
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面白さという点では現代作家の方が明らかに上に感じます。


 ↑
その通りだと思います。

面白さ、つまり感性は、時代によって
違ってきますからね。

逆に、昔の人に現代作家を読ませたら
面白くない、と言いますよ。


音楽なども同じです。

昔の話ですが、改革開放前の中国人に
ロックを聞かせたら、
雑音にしか聞こえない、と評価していました。
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あなたの書かれた作家以外にも、当時人気のあったたくさんの作家がいましたが、一般に残っていないというだけです



そうなると、名作だけ残りますから、当然評価が高くなります

現代の作家でも100年後、読めるかどうか
いったい何人残るのかの違いです
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古の文豪の名作は時代の荒波に揉まれつつ「遺った」ところに価値があるのです。


文豪の陰に膨大な無名作家が死屍累々と名声を得られるまま消えていきました。
クラシック音楽も似たところがあって、モーツァルトやベートーヴェン等は上澄みの上澄みです。
だから現代の貴殿が楽しんでいる作品もいくつかは「古典」として後生に読み継がれていくでしょう。

というのは前段で、現代作家の現代の読者を想定した作品が、同時代の読者の琴線に触れるのは、ある意味当然でしょう。
それぞれを楽しめば、読書の質が高まってより楽しくなるので、万々歳といったところでしょうか。
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キャンプ場で和気あいあいと楽しむのも良いし 誰も来ない新緑と草原で大地と触れ合うのも良い。


行き着けば また新しい新地が開ける というので 良いのではないかな。
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今の作家さんの方が面白いと


感じて当然だと
思いますよ

面白い作品が書けなければ
今の時代で、作家であり続けるのは
大変ですもんね

昔の作品も
そりゃ~時代を築いて
名前を世に残す
名作ばかりですから

面白くて当然ですよ


今か!
むかしか!
片方だけ選ぶのは

なかなか
( ̄~ ̄;)悩みますもんね

回答は!現代人だから現代の作品を楽しめて当然で、過去の名作と!比べるような話ではないと
思いましたよ
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川端康成の時代を堺にして、時代は映画やテレビの時代に移っていきます。

また漫画なども大人向けのモノが出始めるのがこの辺りです。

今の時代に置いての「小説」とは「映画やテレビ・アニメ・youtubeなどの映像作品よりも面白くしなければ、読むと言うめんどくさいことをしてくれない」という立ち位置にあります。

だから、昔なら「社会の問題提起」も小説で行ったのに対して、テレビができてからは映像ドキュメンタリーが社会の問題提起を行い、読み手(受け手)も映像のほうを好むようになっている、と言う違いがあります。

なので、近年の小説は「映像ではできない表現」を追い求める傾向が強くなっていて、ちょっと古いですが、村上春樹などはそれらの手法をつかって、テレビによって死にかけた小説を生き返らせた80年代ニューウエーブの代表格とされています。

なので、私は1960年代以前と以後の「小説」は言葉は同じでも、全くの別のメディアだと考えています。

だから昔の文豪の小説を好む人もいるでしょうが、殆どの人が現代的な小説のほうが面白いと思うのは当然だと思います
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