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今の皇室はキリスト教を導入しないですね。
しかし、称徳太子は、渡来して来た仏教を優遇しました。
仏教の興隆に貢献をしたようですね。
なぜ、朝廷の伝統から外れて、仏教を優遇したのでしょうか?

A 回答 (6件)

朝廷の宗教である神道には、教義も


経典もなく、国家統治のツールとしては
頼りにならないからです。

小さな部族なら神道でも治めることが
出来ますが、集団が大きくなると神道では
限界があります。

そんなときに仏教が来たので、仏教で
国を治めようとしたのです。


ローマ帝国も、当初はキリスト教を
敵視していましたが、国家が大きくなるにつれ
キリスト教を利用する方向に変えました。

かくて、キリスト教がヨーロッパに広まる
きっかけになったのです。
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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございました。
<朝廷の宗教である神道には、教義も
経典もなく、国家統治のツールとしては
頼りにならないからです。>なのですね。
<仏教で
国を治めようとした>のですね。
<ローマ帝国>はキリスト教を、江戸幕府も仏教を採用(利用)したのですね。

お礼日時:2020/04/12 16:20

太子は、積極的に仏教導入を推進した蘇我氏系の皇子だ。

両親とも蘇我蝦夷の娘が生んだ皇子と姫なのだ。
そして、蝦夷の息子の馬子は崇仏戦争で、廃仏派の巨頭である物部守屋を破った人物で、太子はこの時も四天王寺で戦勝を祈願したうえで、蘇我軍に参加して物部軍と戦っている。

両親は蘇我系だから、小さなころから仏教を学ぶ環境にあったのは当然のことだろう。
崇仏戦争に勝利したために、朝廷も仏教派が主導権を握っていたのだから、太子が深く仏教にさらに傾倒していったのは何の不思議もない。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<太子は、積極的に仏教導入を推進した蘇我氏系の皇子だ。>
<崇仏戦争に勝利したために、朝廷も仏教派が主導権を握っていた>のですね。この時代、朝廷は旧来の神道を放棄しよう、という流れだったのですね。

お礼日時:2020/04/13 16:55

当時のアジアにはキリスト教は無かったですからね。



ただ、キリスト教がローマの国教になったのは4世紀、イスラム教の誕生は7世紀、中国への仏教伝来は1世紀ごろですが、6世紀末の隋になってから国教として採用しています。

この時代の宗教は「国家と政治を強大する能力」があったのです。

日本で仏教が導入されるようになったのは、元々「隋そして唐という統一国家ができ、周辺国家に進攻する恐怖」があったからです。
 

強い国家力の源は「仏教による支配と管理」であることを見抜いた聖徳太子らは、反対する勢力を押し切って仏教を中心とした国家管理体制を作ることに成功したのです。

聖徳太子のエピソードをみると、太子が如何に信心深かったか、ということばかり書いてありますが、実際にはそれよりも仏教と共に伝来した組織運営方法や、科学技術のほうが大切だったのです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
1.<この時代の宗教は「国家と政治を強大する能力」があった>のですね。
いまの宗教は、主に個人の内面の・・・を求めているようですが。
2.<「隋そして唐という統一国家ができ、周辺国家に進攻する恐怖」があった>のですね。
3.聖徳太子らは、仏教を中心とした国家管理体制を作ることに成功したのです。>ね。
4.聖徳太子らは、世評とは異なり、信仰より実務的な<組織運営方法や、科学技術のほうが大切だった>のですね。

お礼日時:2020/04/13 16:49

仏教には神が無く教えありて、神道には神ありて教え(教典)が無い。


キリスト(救世主)教には神がいるので、江戸時代に禁止。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<キリスト(救世主)教には神がいるので、江戸時代に禁止。>ですね。
神が居てほしい場合もあれば、居てほしくない場合もあるのですね。

お礼日時:2020/04/12 19:16

一部の識者によると、古事記(712年)はそれまでの歴史書を処分して、時の支配者の都合の良い


歴史書に置き換えたものとされています。古事記に称徳太子(622年没)は現れていません。8年後の『日本書紀』で現れます。皇族の初代天皇は神武天皇(660年)とされています。
おそらく、仏教は、インド辺りの宗教が今の中国大陸を経由して日本にわたって来た物と考えられます
最初の日本人が仏教徒の渡来人だと格好つかないので、それまでの歴史書を処分して古事記に改ざんした物と思われます。
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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございます。
<最初の日本人が仏教徒の渡来人だと格好つかないので、それまでの歴史書を処分して>、代表として聖徳太子をでっち上げたのですね。

お礼日時:2020/04/15 15:21

なぜ仏教を優遇したのか、ある程度の想像になりますが……



一番大きな理由は当時の中国、隋が仏教を重視し仏教治国策を打ち出していたからでしょう。
当時は中国の勢力というのは東アジアのなかでもずばぬけた先進国でした。
いつの時代でも、先進国の文化というのは周辺諸国があこがれるものなのです。

おそらく聖徳太子(実在しないとの説もありますが)としては中国のような国家にしたかったのでしょう。
その後、実施したという政策はほとんどが中国隋の制度のやきなおしです。

また、新興勢力である蘇我氏と旧勢力の代表物部氏の覇権争いでもあったのでしょうね。
当然、旧勢力である物部氏は日本の神々を信じ、新勢力はあたらしい仏教を信じたのでしょう。
もともと聖徳太子は蘇我氏の親戚筋でもありましたからね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<隋が仏教を重視し仏教治国策を打ち出していたから>なのですね。
<いつの時代でも、先進国の文化というのは周辺諸国があこがれるもの>なのですね。
今の日本は、アメリカに向いているのですね。
<中国隋の制度のやきなおし><覇権争い>もあったのですね。




でしょう

お礼日時:2020/04/12 16:24

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