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宇宙について考えたとき3つの宇宙観があるのではないか。

1.宇宙は無であると捉える般若心経的宇宙観。
  この世の全ては無であり空であると願う東洋的虚無主義がもたらすもの。

2.宇宙は有限であると捉えるビッグバン的有限宇宙観。
  創造神の存在を願う一神教的カルト思想がもたらすもの。

3.宇宙は無限であると捉える定常的無限宇宙観。
  真理の探求という哲学から論理的必然としてもたらされるもの。

さてこれら3つの宇宙観の中で最も真理に近いものはいずれであろうか?

A 回答 (12件中1~10件)

メシア様。


全てがあなたの思うままの結論です。
それをわたくしめにお与えください。
全てがあなたのお言葉であり。
それこそが真理です。
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これは宇宙観と言うよりも 宗教観という感じですねえ



私は普通に3だと思いますが 人それぞれでしょうねえ

クリスチャン達は2だと言うだろうし、仏教徒は1だと言うだろうし

みんな頑固で譲りません。
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2について


ビックバン宇宙論は相対性理論等によって宇宙が動的(膨張あるいは縮小)なのか静的(定常)なのかが議論された頃相対性理論によって構築された数式を用いて出された計算結果と観測結果が一致しかつ明らかに膨張していると言える観測事実(光のドップラー効果)が観測されたことによって正しいとされたている理論です
当然ですがビックバン理論と宗教とは何ら関係有りません
そもそも創造論を展開しているキリスト教に教義に合わないという理由でキリスト教にビックバン理論をみとめていませんでした。
しかしながらビックバン理論が一般に広まっていく中でキリスト教においてもビックバン理論を認めざる負えない状況になっていきました。そうした中ビックバン理論が創造論を否定し得る理論ではないと言言う理由でキリスト教はビックバン理論を認めたのです。 そもそもビックバン宇宙論があってもなくてもそれに関係なく宗教は創造論を展開するので
「創造神の存在を願う一神教的カルト思想」がもたらすとの考え方ははっきり間違っています
3について
その前に
無限⇔有限
動的(膨張あるいは縮小)⇔静的(定常)
となりますので定常宇宙が必ずしも無限とは言い切れません
有限の定常宇宙と言う組み合わせがあります
話を戻して
数多な客観的かつ機械的なかつ多数の者たちによる観測結果より「宇宙が膨張」していると言える観測結果が多数観測されていますよって定常宇宙を科学的に肯定しうる状況では有りません 
そのような状況においては定常宇宙が哲学に理論的必然として持たされるとするならそう言える哲学的な論理的根拠を提示すべきですが質問者さんはそうしていません
それでは定常宇宙はあくまで質問者さんの思い込みであり願望に過ぎないと言わざるを負えません
「真理」について言えば世界中の人々がそれについてのか画一的な見解を持てていません。
要するに人それぞれ真理に対する認識がバラバラです
そのような状況認識あって「真理にもっとも近いものはいずれであろうか?」なんて質問は質問者さん風に言えば〇〇がする事です
要するに質問者さんは〇〇だと言う事です
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下記を踏まえて


1の物理学における「無」について
における「無」とは「無の状態」物理学の事です
物理学に「無の状態」とは「宇宙誕生前の状態」を指します
「無の状態」とは「時空」が存在していない即ちこの宇宙とは違う状態だと言う事で決して「何も存在していない」わけでは無いのです
加えて仮に「宇宙の真の姿」として宇宙に「無」即ち「無の状態」を当てはめるなら「宇宙の真の姿」は「全てが波動の状態」となります
どちらであっても物理学における「無」は決して「虚無」でもなければ「虚無的」でもありません
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質問者さんへ


あなた偏見かつご都合主義によって物事を曲解しています
人様に対して何かを言いたいなら偏見やご都合主義を捨てて物事を曲解せずに正しく理解することです
それを踏まえて
科学は宗教(神)を一切考慮していません。
よって科学における「宇宙論」と宗教における「宇宙観」とは必ずしも一致するわけでは有りません
よって科学・宗教それぞれを正しく理解していない状態で科学における「宇宙論」と宗教における「宇宙観」をごちゃまぜにすることは質問者さんの言葉を借りるなら〇〇の極みでしか無くそうしている質問者さんはまさに〇〇そのものです
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一切全てが無である事を覚知して、全て(全一)を知り、解を得た人は、同時に解空もする。

ある人々はその事によって自由となり、自在となる。
初学の修行者、或いは未熟な修行者は、それが自己の起こした見解であれ、耽溺しやすい。"考え"に染まりやすい傾向がある。そのような人々の中には、無や空と聞いては虚ろな、生気のない、死んだようなものを想起して、道の歩みを途絶してしまうだけでなく、空寂に呑まれてダメになってしまう奴も出てくる。
それでは覚りどころか、通常の人生さえ危ぶまれることとなる。

未熟な間は、それを知るまでは、知らない者は無や空について、無闇に断定を用いて語るべきではないだろう。間違いを流布する事になれば、多くの人を惑わしかねず、他を惑わした分だけ、自分自身が重荷や足枷を負うことになるからである。

ところで、人は、瞑想によって無を覚知し解空するのではない。機縁機会によってそれは起こる。もちろん、真実を求めていたと言う前提はあるが、あからさまなことではおそらく知ることはできないだろう。

人はあからさまなことではなく、まともになろうとすることによって真実(まこと)に近づく。
まとも(真)になること、それに比べれば、無を覚知したり解空したりすることはずっと後回しで良い。

宇宙についてもし考えるならば、まともな考えとはどう言うものか。それは、人類の獲得する世界観が前提となっている事を弁えて、各自が推察するものであると言う認識を持つ事になるだろう。

これまでに人類が獲得した知見によって、地球は球体であり、地平には果てが存在しないことが明らかになった。しかし地球は宇宙空間において有限である。宇宙空間も、人間の未だ得ていない視座からは有限であり、かつ宇宙内の人間にとっては果てが無いのかも知れない。内と外の境界がどの様なものなのか知る由もないが、地上の人にとって地球は球面であった様に、宇宙内の人にとって宇宙は時空であるという事になるのかも知れない。
私自身の世界像を今ここで長く話すことは控えるが、宇宙が無限であると思う感覚は、大昔の人々が、世界の果てを掴めなかった感覚に同じものであるだろうとは思う。
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それぞれが説明する宇宙がちがうものなら


すべての考え方が真理に近い場合もありえます。
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それは「宇宙は存在しないか、無限か有限かである」という前提に立っており、さらに、「宇宙は無限」というにしても時間的に無限なのか、空間的に無限なのか、無限の並行世界があるのか等々、意味がぼかされています。



その3つのうちのいずれかであるなんて結論は演繹からはとても導けないはずです。

しかも真理なるものを考えようとするなら、その真理というのがどういう役割を持つものとして描いているのかも明確にしないといけない気がしますし、ただ哲学チックな文章であるだけで議論のスタートに立てていない感じがします。
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宇宙の語源は「全ての時間と全ての空間」


従って無ではありません
宇宙という単語を使えば、必然的に時間と空間はある

また全ての時空、という事ですから「全て」でなければならない
全てじゃなかったらそもそも宇宙とは言いません
全てなのですから、自動的に有限です
無限を全てと言う筈はない
単純な国語の問題

という事で
様々な混沌状態がある中で、時間と空間の態様を、今は偶然、維持している状態の事を宇宙と言います
当たり前ですが、有限です
「宇宙」と言う単語を使うなら、宇宙は有限
宇宙以外も含めて表現すれば無限の状態もある可能性は否定できません
単に認識も想像もできないというだけの事

宇宙という、単語に、三つの宇宙観などありません
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この回答へのお礼

>てなのですから、自動的に有限です

この時点で既にアウトだな。
一本の数直線は有限か無限か?
これが理解できないやつは救いよーのない〇〇だわな。

お礼日時:2020/04/15 12:54

宇宙とは 世界のことです。

ニュアンスがちがいますが 同じことです。

知覚しうるかぎりで・そして概念として(また 知覚の対象から離れて
観念として)捉えうるかぎりで 存在しています。




世界という存在において さらにその要素・部分が 《有る》とか《い
や 無い》とか言って認識します。あるいは つねなる変化という現象
です。



感性の原野も思考の緑野も――感じるおよび考えるの対象として――
時空間としてあり 相対的で有限なものです。世界は 有限なものです。

ただし この有限なるものが 限りなく・果てしなく伸びる・続くとい
う現象はありえます。

(その無限は 有限世界の中の無限であり 可能無限と呼びます)。



        *



★ 1.宇宙は無であると捉える般若心経的宇宙観。
☆ ものごと(色受想行識)が そのまま空(シューニャ:空っぽ)で
あるという命題は すぐさま空即是色として・つまり 空なるものも仮
りのかたちで=つまり現象として そのままある。と言っています。

おかしなこと・突飛なことはありません。



★ 2.宇宙は有限であると捉えるビッグバン的有限宇宙観。
☆ 時空間は 相対的で有限な世界です。何の奇妙もありません。




★ 3.宇宙は無限であると捉える定常的無限宇宙観。
☆☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・世界は 有限なものです。

ただし この有限なるものが 限りなく・果てしなく伸びる・続くとい
う現象はありえます。

(その無限は 有限世界の中の無限であり 可能無限と呼びます)。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ つまり この[3]における無限は 絶対性としての真無限のこと
ではありません。

経験世界と超自然・超経験とを峻別してくださいませ。
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