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 私の親は過干渉で、私の気持ちには無関心でした。アダルトチルドレンを想像していただければいいです。自分自身の人生を大事に思えず、喜怒哀楽のような感情もほとんど無い状態で生きてきました。世の中への興味も薄く、自分のやりたいことやできることを探すことも出来ませんでした。
 そんな状態で、親が勧めた分野で大学院まで進学しました。意欲が無く、まともな就職活動もできず、バイトや契約社員、請負での仕事などをしてきましたが、もう限界で、この半年は仕事をしていません。今、生活はやむを得ず兄弟に頼っています。私は29歳ですが、もう人生が終わったような気がしています。
 必要なのは自分を育てなおすことだと、この半年いろいろ本を読んだり、人の話を聞いたりしました。その中で、ある分野に興味が湧いてきました。しかしその分野は自分が専攻してきたものではなく、専門学校で学ぶ必要があります。それをするお金はありません。奨学金や借金ももう厳しいです。
 世話になっているカウンセラーと、「あなたの性格は公務員に向いているかも」というやり取りをしました。しかしもう年齢制限です。とくに公務員に興味はないのですが、どんどん選択肢は狭くなります。
 こういったことを考えると、悔しくてたまりません。
親を責めても仕方ないし、自分自身で切り開いていかないといけないということは頭ではわかっています。しかし、親への憎しみが消えません。明らかに親の育て方から、青年期までに私の心は完全にスポイルされました。未来に希望が持てないまま、どんどん状況が悪くなっていっています。この憎しみはどうしたらいいのでしょうか。この状況で自分の未来はどう描いたらいいのでしょうか。

A 回答 (15件中1~10件)

No.11に引き続き再びの投稿になります。

mayu_zです。
chercherさん、お礼の言葉をありがとうございました。
そこに、
>これだけ聞くと論理的じゃないようですが
とありましたので、私が
>ここまで何が私を支えてきたのか
>その一番大きい要因は、やはり自分が将来やりたい事を諦めずに持ち続けてきた事でした。
と言った事に関して、蛇足かもしれませんが、ちょっとした参考までに少々補足をさせていただこうかと思います。
でも、これが論理的なのかどうかは、生憎私にはよくわかりませんが、とにかく少し詳しくお話しさせていただきます。

>私の気持ちには無関心
だった両親に育てられた私には、自尊心というものがやや欠けていました。
本来ならそれは、まず幼少の頃は親や兄弟等、身近な関わりを経て育まれていくはずのものでした。
ですが、その幼少の最初の時期で親(特に母親)に育児をしっかりしてもらえなくてスキンシップも極小で、その後もコミュニケーションがかなり不足してたり、小学生にして親や兄に対しても裏切られたと思うような出来事も起こったりして、おそらくそんなことが重なったため、その後の幼年期青年期と、人間関係に悪影響が出てました。
友達と長続きしなかったり、仕事が長続きしなかったり。
五年くらい引きこもった事もありました。
我ながら、長い反抗期だったと思います。

それで、当時そんなだった自分に「自分のやりたい事」がどんな影響を及ぼしたかというと、まずそれがひとつでもあると、多少嫌な事や悪い事があっても、バネにできます。
たとえば仕事が多少うまく行かなくても、自分のやりたい事の為にお金を稼いでいるんだ、と思えば、なにもないよりは少しは踏んばりが利くようになったりします。
それから、それが本当に自分のやりたい事なら、それをどんどんやっていくうちに、いつのまにか、誰か応援してくれる人が出てきます。または、同じ道を志す仲間に出会う事もあります。
そうしていると、だんだんと、自分の世界が広がって行きます。
もちろんその中では、成功する事も失敗する事もあるでしょう。でも、自尊心が欠けていた自分に大切だったのは、表面的な成功や失敗という事よりは、自分の選んだ選択のその結果によって一喜一憂する事、それ自体だったのです。
自分の手で選んだ失敗だからこそ、本当に悔しくて「次こそは」と思えるし、自分の手で選んだ成功だからこそ、ほんとうに身が踊る程に喜べる。
それは、心が動くということ、つまり「感動」です。
自分に少しでも感動する事が自分にはとても必要だったのです。
そういった経験を積んで行く事で、少しづつ自分がかけがえのない存在だと思えるようになっていきます。
少しづつ、自分の事が好きになっていきます。
失敗しても、成功しても、一生懸命やってる自分が、なにものにもかえがたい、世界にたったひとつしかないものだと感じることが徐々にできてきて、愛おしくなって行きます。
そうして自尊心が少しづつ育まれ、自分の事を愛せるようになってくると、それに伴い人の事も少しづつ愛せるようになってきます。
人、というのは家族であろうと皆人です。
これらを、理屈ではなく、頭ではなく感覚として、ハートで感じていきます。
そしていつのまにか、親の事など考えてるヒマなんか、少しづつなくなっていくのです。
chercherさんの現状では、今は家族、特にご両親にかなり
一点に意識が集中してしまってるように感じますが、以前私もそのような時がありました。
だけど、自分のやりたい事、自分の世界が大きくなればなるほど、意識の比重は当然そちらが重くなってきますから。
それまでご両親に向けられていた意識も、すこしづつ弱くなってきます。
そうして最終的に親から完全に離れられれば、精神的自立、と言う事になるのではないでしょうか。

>バイトでまかなえる額でもないので専門学校自体は諦めざるをえないかもしれませんが、
>自分が興味をもったこととして大切にし、なんらかの形で生かしていこうと思います。

今回は無理でも、また次があります。
人の夢は、ひとつとは限りません。
複数の夢を持ってる人も中にはいます。
それに、今やりたいと思ってた事からどこか別のものに繋がっていて、それが発展する、という事だってあります。
また、「自分が将来やりたい事」と言っても、稼ぎになるような仕事だけがそれに当てはまるわけではありません。
自分の本当にやりたい事なら、それが趣味でもなんでも、自分の精神的支え、ひいては生き甲斐になる可能性だって充分あります。
また、趣味でやり始めた事がいつのまにか仕事になることだってあるかもしれません。

そんなわけなので、自分のほんとうにやりたいことは、自分にかなりの生きるパワーを与えてくれます。
ですから、chercherさんもけっして諦めないで。
もしも諦めて下を向いてしまっていたら、とっさにチャンスがきても、気付くことなく終わってしまいます。
チャンスを見逃さないためにも、けっして目は閉じないでいてください。
少し時間はかかっても、いつか必ずやりたい事に辿り着けるように。
chercherさんが活き活きと暮らせる日がきますように。
心から祈ってます。
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この回答へのお礼

 重ね重ねありがとうございます。
 誤解されていたかもしれないのですが、論理的じゃないというのは、いい意味で使っています。やりたいことを諦めない→親を許すことになる、と直結しないけれど、文章の全体や雰囲気から、ご自分を大切にしてこられたことがひしひしと感じられ、一見論理的じゃなくても本当に信じられるということが言いたかったのです。
 mayu_z様も、成長過程で私と似たような経験をし似たような悩みを抱えていらっしゃったのですね。いや、私より深く長く悩まれたのかも知れません。その中でご自分のやりたいことを慎重に丁寧に大事に大事に育ててきたんだなあと思います。私はまだ自分を大切にすることを始めたばかりですが、mayu_z様がご自分のやりたい道を歩み出してからの、生き生きとした人生が感じられました。うらやましいくらいです。
 私は絶望的なことばかり書いているけど、ああ、やはり希望はあるじゃないか、という気持ちも持てました。ちょっとずつしかできないけれど、毎日自分を大切に自分のやりたいことを少しでも前進させられるように心がけていきたいです。mayu_z様の体験されてきたような世界の広がりを私も体験したいです。まだ私には先の話ですが、成功や失敗の話、応援してくれる人や仲間の話、親への意識の変化の話をよく覚えておこうと思います。
 ありがとうございます。

 
 みなさんこんな私の話につきあってっくれて、本当に感謝しています。お会いできることがあれば直接感謝の気持ちを現せるのになあ、とぼんやり考えています。

お礼日時:2005/01/12 10:22

何度もごめんなさい。


alessandraです。
>だから、alessandra様に、「私の方が終わってる」なんて言ってほしくないなあ・・・。

質問者様に励まされていては本末転倒というものですね。
終わってるという書き方をしたのは、世俗的な言い方をすれば、の話。
うまく説明できないのだけれど、
例えば学校の試験に、ある程度の点数をとらなければ進級できないとして、その点数に達しそうもなければ
「終わった」と感じるかもしれない。
でも、それも、学校という枠組みの中での話しであり、人間の決めた学校制度の中での話であり…
それ自体、もっと広い視野で考えてみれば「終わった」ということにはならない。
精神世界の話を何度もして悪いのだけれど、「シルバーバーチの霊訓」などを読むと、現世的な価値と霊的な価値はまったく違うということが書いてある。例えば、現世的な成功は、何か財産なり地位なりを築くことと思われているが、そのような物質的な価値は、霊的に何の価値もない。
あなたのいう「終わった」という感覚も、まさに現世的な表現のように思う。だから、私は現世的に終わっている、と書いたけれど、そもそも「終わった」という感覚そのものがないと言えるかもしれない。
そのような現世的な価値観に振り回されること、私も例外ではないけれど、でもその価値観に自分が苦しめられているのならば、霊的な視点を知ることでそれらから開放されるということがあるかもしれない。
完全に現世的な価値観を捨てることは難しいのだけれど、でも、「シルバーバーチの霊訓」などを読むことで、時に現世的な苦悩から開放されることもあります。
でも、それを馬鹿げていると思うならそれはそれでけっこうだと思う。もし、興味があれば、スピリチュアルなこと、精神世界について調べてみて下さい。

この回答への補足

他に場所もないので、やむなくこちらの補足に書きます。このあたりで回答を締め切りポイント発行させていただきます。(alessandra様すいません)
ときどきここを読み返して、あの時の自分やみなさんのアドバイスを振り返りながらなんとかやっていこうと思います。みなさん本当にありがとうございました。

補足日時:2005/01/14 17:26
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
 alessandra様が世俗的な価値として相対化した上で「終わった」とおっしゃっていることを知り、安心しました。
 正直、精神世界の本は、今もあるかも知れないけれど昔カルト教団の危険性が世間で騒がれているのを聞いてから、敬遠しています。
 精神世界の本を敬遠している、と言いながら、実はスピリチュアルなものを感じるのは大事だ、と考えています。怪訝な顔をされることも多いので、人に話すことはしないのですが。人間精神の奥深くの霊性とかって、本来何にも増して重要なことかも知れないですよね。科学の分野でも実は見直されてきてますよね。トランスパーソナル心理学とか、脳のクオリア(これは霊性は言ってないけど)とか、その流れな気がします。
 ここまで考えて、何故私は世俗的な価値にいまだに執着しているのだろう、と思います。いや、執着というほどでは無く、私はあくまでもう少しだけ、世俗的によりましな生活をしたということなんだと思います。やっぱり、ホームレスになって汚い公園でひっそり死ぬなんて嫌だよ、信頼できる人と生活を築きたいよ、できれば子どもも残したいよ、という欲求があるみたいです。これらの望みがかなわなくても、それなりに自分を許しながら生きることもできるということも学べたわけですが。
 「シルバーバーチの霊訓」、少し調べてみるとロングセラーというか、名著のようですね。知りませんでした。敬遠して無知なままでは損だし、ちょっとチェックしてみようかな。現世で生きていくために、alessandra様がおっしゃるように、霊的なり別の視点を持つことは悪いことではない気がします。

お礼日時:2005/01/13 09:49

#12です。


レスありがとう。

>お金を無尽蔵に使わせてくれていたら、大企業に親のコネがあったらいい就職ができたのに、将来が約束されるような分野を見つけてくれたら苦労しないのに、っていう無理な話をしているんじゃないのです。

あなたがそんな無謀な要求をしているとは思っていませんよ。お金なんて、所詮お金でしかないから、親に出させてよいと思うの。
だって、あなたが初めて自発的にやりたいことが見つかったのでしょう?そのために必要なお金は、別に今から出してもらったって悪くないと思うの。そのお金が500万円だとするじゃない?そのお金を出さなかったとき、じゃあ、何に使うのかって考えたら、高級車?それとも海外旅行?…たいしたことに使えないと思うの。親にお金がないっていうんならしかたないけれどね。でも、本当は、あなたが、親にお金を出してもらうのが申し訳ないと思っているんじゃないの?違ったらごめんなさい。私はそういうところがあるから、ついそう考えてしまうの。

>alessandra様は、さらりと今の年齢にこだわらなくていいと書いてらっしゃいます。励ましの言葉としてありがたく読んでいます。私はそんなにさらりと強くなれません。その秘訣が知りたいです。誰でも死ぬときは死ぬっていうのは一つのヒントでもあるけれど、どう現実に対応していけるのですか?

ごめんなさい。私も実は人一倍年齢にこだわっている人間でした。それに、あなたより年齢が上ですよ。
29歳って一番年齢に敏感な時期かもしれない。特に女はそうだよ。それで、私はもう、それをすぎてしまったんです。30すぎると、おわりっていうところありますよね。だから、私こそもうおわってます。だって、私の状況ってもう、悲惨だよ。死んだ方がいいんじゃない?って思うよ。まあ、でも、取り返しがつかないよね。私の人生なんて、もうめちゃくちゃだよ。
それから、あなたもいろいろな本を読んできたと思うけれど、精神世界の本を読んだりしたら、少し救われたかな。この人生は短くて、たいしたことできないのかな、て思う。
あなたの親ってどういう親かわからないし、本当のところ、あなたのような状況に陥ったことないから、あなたの気持ちわからないの。
でも、私もまだ親を恨んでいるんだ。就学とかそんなのはもう、どうでもいいの。あと、私は父が味方になってくれたので、今のめちゃくちゃな人生でも、まだ救われているの。でも、母を恨んでいはいるの。もっと私のことを認めてもらいたいし、私を大事にしてほしかったな。あなたのうちにみたいに干渉はないのだけど、無関心だったと思うの。それで、私はダメ人間で、どうしようもない人間だと思われているの。ごくっつぶしだとか言われたこともあるし。
だから、私もあなたに対してアドバイスできる立場じゃあないと思うのだけれどね。でも、無理に親を悪く思ってはいけない、とか思わなくて良いとおもうの。
ひどいことした親を許さなければならない、て言う人はいるけど。許すというのは、許す気になったら、許せばいいのじゃないかな。親は許されなくても良いと思うの。あなたもとことん恨み、憎んだらいいんじゃない?いつか許そうという気になったらそれはそれでいいけどね。憎む気持ちに圧力かけて許すなんて土台無理な話だと思うの。
あなたの力になれればと思ったのだけど、かえって神経を逆なでしてしまったかな?
でも、あなたより、私の方が年齢の点でも終わってることはたしかですから(笑)。
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この回答へのお礼

 また書き込んでくれてありがとうございます。
 望まずして同類相憐れむみたいになってしまいましたね・・・。少し話が平行線をたどるようになってしまいました。でも実を言うと、alessandra様の言う、あまりこだわらなくて良いとか、憎しみを無理に消そうとしないほうが良いとか、無理に親を悪く思ってはいけないとか思わなくて良いとかっていうのはよくわかります。禅なんかで「あるがまま」なんて言いますが、まずは今の自分や自分の周りを自然に見つめるということだと思います。私もそうすることで少しだけ楽になってきました。
 お金のことに関しては、恥ずかしながら、現実問題厳しそうです。そんなに余裕がある家じゃないので・・・。ただおっしゃるように、親に申し訳ないという気持ちが全くないかと自問すると、うーん、怪しいです。気兼ねなく話ができる感じじゃないということもありますが、これだけ「親が悪い」と思っておきながら無理にでも頼みこめないのはやはり腰が引けているってことだと思います。
 いろいろ意見してくださり、最後に「あなたの気持ちわからないの」って書けるってことは、alessandra様は正直な人だなあと思いました。皮肉じゃなく、普通の良い意味です。
 私も、わからないものはわからない、憎いものは憎い、それでいいじゃないか、という考えを少なからず持っています。この点についてalessandra様とは実は気が合うのじゃないかなあと思いました。
 だから、alessandra様に、「私の方が終わってる」なんて言ってほしくないなあ・・・。私はウダウダ言いつつも、なにか自分が歩を進めるヒントがあるんじゃないかと思い、思い切ってここで質問し、疑問に感じたことは聞きなおしたりして、回答者の方に快く思ってもらえなかったことも含めて、自分をさらけ出してきました。実際に多くの方に回答していただき、自分の人生にも応用できそうないろんな具体的な意見をたくさん聞くことができました。それが少しわかっただけでも、前進したと思っています(書き込んでくれた全ての人に本当に感謝しています)。
 alessandra様が「終わっている」と思うのは、私のこの質問とは別の種類のものだと思います。私もalessandra様も、終わっているのかないのか、本当のところはわかるはずもないですが、少しでも未来へつながる考え方が、どこかにきっとあるんじゃないかな・・・。そう信じたい・・・。

お礼日時:2005/01/12 21:34

親が憎いのはわかるけど、どんな風に憎いのかがあまり見えなくて…。

過干渉の親だと、感情がスポイルされるのね。高圧的、強制的な親だったということかな。でも、今はそのスポイルされていた青年期とは違うよう。今、明橋さん(医者)の本を読んでいるのだけれど、、、成長は依存と自立の繰り返し、と書いてあるの。反抗期も自立の芽、というようなことを言っています。あなたの場合は、やっと自分のやりたいこと、自立の芽が出てきたのだけれど、もし、今中学生位だったら、あなたは、今みたいに憎しみを抱かなかったのかな。つまり、もう遅い、せっかく興味のある分野ができたけれど、僕の経済力では夢がかなわないじゃないか!そういう憎しみなの?ずっと、今まで眠れる美女、のように感情を眠らされて(殺されて)いたという、憎しみ?
私が思うに、あまり今の年齢にこだわらなくって良いと思うの。今からでも遅くないと思うの。
そして、そういう風に親があなたに無関心でありながらもあなたの人生を台無しにしてきたのは事実なのだから、そんなにスムーズに自立するというわけにはいかないのかも。だから、どんどん憎しみを表に出せばよいと思う。そういう作業はもうカウンセラーの方といっしょにすすめてきたのかもしれないけれど。
未来は上手に描いたところでその通りに行くなんてこともないと思うの。
映画「学校」でも、文字の読み書きが出来ない中年の男が、とつとつと文字の練習をしていた。それでよいと思うの。これは自分に言い聞かせていることでもある。順風満帆に人生を送ってきた人たちと同じように足並みを揃える必要はない。死ぬまで順調に進めてきた人たちだって死ぬときはただのおいぼれじじい。
若い頃いくら華々しい人生送ったって、死ぬときはみんな一人で死んでいくだけ。
専門学校へ行くお金は自分で捻出しなければならないのですか。親に出してもらえないのかな。親だって悪いのでしょう?
だいたい専攻してきたものがそのまま生かされるなんてのはそんなにない。みんな親に無駄使いさせていると思う。今まだ、やりたい方向が見つからなかったら、逆に親を恨んでいなかったのかもしれない。今、憎しみの感情が出てきたのは、逆に健康的なのかもしれない。憎しみを消そうとしないほうが良いと思う。
気が済むまで憎むと良いと思う。

この回答への補足

ありがとうございます。あえて補足に投稿します。

 憎しみがどういったものなのか、改めて整理して考えようと思います。
 私の苦しみは、親が正しく心を育てていたら、もう少し状況はましだったのではないか、厳しい現実の状況の中にいても強く生きられたのではないか、という葛藤です。

 現実に、数少ない就学のチャンスは(就職とかではなく自分にとって)実りのないものに終わり経済的に取り返しがつかない、自分がどう思うかに関わらず年齢によって状況が悪くなる、などの大きな壁が立ちはだかっています。
 私も、これから感情を育てていこう、やり直そう、という気持ちでやっていますが、社会に適応しようとしたときに、明らかに経済状態や年齢は関係してきます。心理的成長は独立してあるものではなく、現実社会での成長・適応にも深く関わっていると思います。
 お金を無尽蔵に使わせてくれていたら、大企業に親のコネがあったらいい就職ができたのに、将来が約束されるような分野を見つけてくれたら苦労しないのに、っていう無理な話をしているんじゃないのです。せめて、私の存在を認めて接してくれていたら、ここまで状況が悪化することもなかったのじゃないか、悪い状況の中でもしっかりと生きていられたのじゃないのか、と思うと、悔しくてたまらないのです。若いころの貴重な時間は戻らない。生きていこうと思ったとき、私の心はすでに大きく躓いていて、これからの人生そのものに期待が持てないのです。
 眠り姫より浦島太郎に近い?そのギャップが大きくて、折り合いがつかないので葛藤しています。どれだけ譲歩して妥協して考えても、親が悪いと言えてしまう。親が憎くて仕方なくなる。

 alessandra様は、さらりと今の年齢にこだわらなくていいと書いてらっしゃいます。励ましの言葉としてありがたく読んでいます。私はそんなにさらりと強くなれません。その秘訣が知りたいです。誰でも死ぬときは死ぬっていうのは一つのヒントでもあるけれど、どう現実に対応していけるのですか?

補足日時:2005/01/12 09:18
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chercherさん、はじめまして、mayu_zというものです。


ここまでのみなさんとのやりとり、全て読ませていただきました。
それで、私として一番いいのはやはり独立する事だと思うのですが、chercherさんの今の状況からして、それはやはり実行するには難しい事なのでしょうか。

それから、
>その中で、ある分野に興味が湧いてきました。
>しかしその分野は自分が専攻してきたものではなく、専門学校で学ぶ必要があります。
>それをするお金はありません。奨学金や借金ももう厳しいです。
とありますが、そのお金を両親に工面してもらうことは不可能ですか?
私には実際のところchercherさんのご両親がどんな方々なのかわからないので、こんな事を聞いてしまっているのですが。
その両親は、chercherさんにそれだけのことをしてきたのですから、私が思うに、こんな時のお金の工面くらいは(それが実際に可能な状況であるなら)してもいいと思うのですよ。(それが当たり前とまで言うつもりはありませんが)

念のため、私自身、親とはどんな風にして来たかをかいつまんで話しておきますが、私はchercherさんとはまったく反対(過干渉の反対)で、かなり放っておかれて育ったほうです。
子育てすらまともにされてたかどうか、、、私の兄が私の子守りをしていたくらいですから。まぁ、一応食うものだけは食わせてもらってたって感じです。
そんなわけでchercherさんとは方向が違いますが、でも、
>私の気持ちには無関心でした。
と言う部分ではchercherさんとほとんど変わりなかったかもと思います。
そんなわけで、思春期から20代半ばか終わり頃まで、かなりすさんだ感じで育ちました。グレたりはしませんでしたが、特に酷い時は毎日のように「死ね」と影で言ってたし思ってたし、実際に言ってしまった事もありました。
でも、今はなんともありません。
今は私は両親をそれなりに愛していると思います。
何故そうできたのか、ここまで何が私を支えてきたのか
その一番大きい要因は、やはり自分が将来やりたい事を諦めずに持ち続けてきた事でした。
それは今思うと、自分自身を捨てないと言う事とイコールでもあったように思います。
ですから、chercherさんも、やりたいことがあるのなら、それだけは諦めずに大切にして欲しいと思います。
今すぐにはどうにもならないかもしれませんが、簡単なバイトでも少しづつ入学金を貯めるなり、今より少しでも希望の持てる方法を見つけられたらと思います。

もしも、見当違いの事があったらすみません。
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この回答へのお礼

独立になぜ躊躇しているかと言うと、未熟な自分に自信がなく、仕事でも自分を自然に表現できず、仕事への興味も薄く、まともに仕事に向き合えなくなってしまったからです。自信が無い→仕事ができない→親類に頼る→昔を思い出して苦しむ→自信を無くすといった悪循環にはまっています。
実家には資産もないし、親は定年退職したし、実質厳しいです。このことがまた私を無念な気持ちにさせます。

mayu_z様が、親御さんを許せるようになった要因が、ご自身のやりたいことを諦めなかったことだ、というお話は衝撃的です。これだけ聞くと論理的じゃないようですが、本当に信じられます。

バイトでまかなえる額でもないので専門学校自体は諦めざるをえないかもしれませんが、自分が興味をもったこととして大切にし、なんらかの形で生かしていこうと思います。
貴重なアドバイスありがとうございます。

お礼日時:2005/01/12 04:26

<注意>


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あなたの質問に回答する際にはこんな注意書きが出ます。
chercherさんが気になって舞い戻って来ました。
前回はchercherさんと同じころの年のつもりでアドバイスいたしました。

今回は二回り近く年上の親父の立場から言わせてください。当然カウンセリングなどの世界からは隔絶されている普通のサラリーマンです。

最後にアドバイスとして自立をお勧めしました。
私自身親から「勘当」されてしまいましたので物理的に離れざるを得ませんでした。実態は家出したらそのまま勘当されました。経済的には悲惨でしたがとても楽しかったです。結果的にお互いにメリットがありましたのでお勧めしたしだいです。

本論に戻ります。
親としての言い訳させてください。
親になって実感しますが、子供にとって絶対の存在である親は、かなり自信なく親やっています。
少し前の朝日新聞で親と中学生のやり取りが記事として乗っていました。
やんちゃな中学生が「俺初めて中学生やってんだぞー!」と反発したらtootyannが「なに言ってんだ俺だって初めて親なんだー!」
笑ってしまいましたが、ホントに切実なんです。親って。
核家族化が進んでしまいましたからなおさらなんです。
親にとって子育ての先生が近くにいないんです。
手探りで子育てしなければなりません。昔は爺ちゃん婆ちゃんや近所の先輩がおせっかいしたんですが。

親御さんは一生懸命考えて悩んであなたに接したんだと思います。お姉ちゃんとの関係についての反省を改善しながら。
いま私は思春期の長男とはほとんど会話がありません。2人だけになってしまうとどんな話題で座持ちさせるか悩んでしまいます。
裕福なら塾だ習い事だと本人の思惑とは関係ないかもしれませんが、他の親がやりたいことやりそうなこと、金があったらやってあげたいことをやってしまいます。
子供も親の意図することをふまえていい子ぶります。

これでめでたしめでたしになればいいのですが。そうはいかなかったのがchercherさんだったのでしょう。


何が言いたいか。
親ってそんなものなのです。自信がなく子育てせざるを得ない、普通の人間なんです。子捨て虐待は論外ですが…。
あれほど嫌いな親にだんだん似てきます。髪の薄いところ、容貌。性格、生き方(ギャンブル好き)。DNAは確実に襲ってきます。

子供たちに嫌われない親になるために目下奮闘中です。妻にはフンと笑われます。努力不足のようです。tootyannとしてはがんばっているはずなんですが。

あなたの真剣な生き方に素敵な未来がありますように。
決してがんばらないでください。
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この回答へのお礼

 お忙しい中気にしていただいて、二度も書き込んでいただき、本当にありがとうございます。
 私自身、親の立場になって、考えたりします。
完璧な人間などいるわけないし、失敗だってするでしょう。時代の流れも激しいし、マニュアルだってあるわけじゃない。
 でも、少なくとも子どもが存在を否定され萎縮していく様が目の前にいてわからないの?おかしいよ・・・と思っています。目の前にいて自分が否定する立場からこそ、わからないんだろうけれど・・・。子どもは未来そのものなのに、お父さんお母さんは未来に希望をもてないの?という想いにかられます。聖人君子になってなんて言ってない、私の存在を否定しないでくれたらそれだけでいいのに・・・。
 どうしても、その一点が許せないのです。この憎しみは、確かな自分自身の実感です。
 ただの理想論だと知ってあえて書きますが、親が自分の未来を肯定し、子どもの未来を肯定し、いっしょに生きている実感があれば、まずはOKなのではないでしょうか。

私は、おそらくとても青臭いことを書いていると思います。成長できない自分に嫌気がさす瞬間もあります。親の立場で考えることはできても、親の気持ちにはなかなかなれないです。

 いろいろな体験まで書いてくれてありがとうございます。tootyann様が生きてこられた軌跡と今現在をこうして感じることができ、考えや感情ががらっと変わるわけではないですが、いろいろわかったことがあります。tootyann様が「勘当」されたとしても自立は良いことだったと感じられたのはすごくよく伝わってきました。私はまだ自立しきれていないですが、自立することの重要さ、人生において大切なことだということが、実感としてわかった気がします。自立がなかなかできないのはすごく損をしている気さえします。
 またtootyann様がお子さんのことで奮闘されていることも、可笑しくも(失礼)真剣な話としてよくわかりました。自分が親になっても、どれだけもどかしく感じるんだろうかと想像しました。えらそうなことを書いていても、いくら自信があっても、もどかしさは残るだろうなと思いました。

 自分のために、なんとか未来をつくっていこうと思います。本当にありがとうございます。

お礼日時:2005/01/12 03:33

再度の8です。


ACの先輩として再度、投稿させていただきます。

まず前回も投稿してたなんて気がつきませんでした。^^;
私も進歩がないんですね。同じような投稿をしてたんですね。

で、前回ご紹介した本にも書いてあるんですが「怒り」というのも、自分の中にあるんです。

>>そして「わからない」、と言ったのは、良くも悪くもSyo-ya様が宗教的な話で終着してしまっているからだと思いますが、いかがでしょうか。生意気言ってスミマセン。
・・と、あります。

キツイ言い方をしますと「生意気言ってすいません」と、想ってないから言うんです。
だって、心から本当に「悪いな」と想えば、最初から不快感を表明しないんです。
想ってないのに、アエテ「すいません」と言うんです。


これはACの集いの場でも議論してきたことなんですが、
『俺が不愉快になったのは、お前(Syo-ya)のせいだ。
 お前のせいで俺は生意気を言ったんだ。
 その責任はお前にある。
 俺にはその責任はない』という表現に他ならないんです。
攻撃と逃げを同時にやってみせるテクニックなんです。


これは虐待する親(上司etc)のテクニックでもあるんです。
「お母さんを、こんなに不愉快な想いにさせて!
 こんなこと本当は言いたくないんだけど、ごめんよ(お前のせいだよ)」と、言うんです。
これで子供(部下)は完全に親(上司)の支配下に入ります。


でも、本当は違うんです。
怒りの素地は怒る側にこそあるのであって、相手にあるのではないんです。
自分の心にこそ、怒りの素地があるんですから、怒りたいなら普通に怒ればいいんです。
性質が悪いのは、その責任を相手になすりつけることにあるんです。
これは本当に性質が悪いんです。


で、唯識をご存知だということですから、なお良いと想うんですが、
まさに意識の問題なんです。

「怒り」の原因は外部にあるのではなく、こちら側の「心」にこそにあるんです。
「怒り」の原因が外部にあるように思えるのは「色(オトギ話)」にすぎないんです。
本当は、我々の心の中にこそ怒りの素地、原因があるんです。

このことに気がついて「実体は空である。大切なのは心なんだ」と感じても、
根本のところで心ここに在らずといった人間になってしまうようなことはありません。
むしろ逆です。

>>この憎しみはどうしたらいいのでしょうか。
>>この状況で自分の未来はどう描いたらいいのでしょうか。
この質問の答えがこの中にあると想うんです。

坐禅と書きましたが、本当はヴィパッサナー瞑想というのが坐禅のルーツなのでお薦めなんです。
http://homepage2.nifty.com/yokido/10.meditation/ …

ご参考までに。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
少し癇に障る表現をしてしまったようで反省しております。
問いの中に答えがあるというのは禅問答そのものですね。ただ私には解けていません。
繰り返しになってしまうのですが、宗教的な理解からこの問題を解決したくない、と書いた最後のことばが私の立脚点のようです。
私も素人なりにいろいろ悩み、宗教や哲学、心理学の書物を読んだり体験を重ねたりしてきました。しかし、今、私に必要だと思っているのは日常的かつ具体的な行動の方向づけだと思っているのです。それはベタベタで世俗的で普通の、どこに住むかとか就職とか人生設計をどうするとかっていう要素によって構成されるのじゃないかな、と思っています。実際今ほぼ引きこもりですから・・・。
Syo-ya様の回答によって、私が不愉快になったというように思われているようです。とくにそんなことはなかったのですが・・・。私としては、話そのものが平行線上にある気がしました。せっかく毎度何度も丁寧に親身に書いてくださるSyo-ya様の意見を、私の実生活や考え方に生かせなさそうだと思い、申し訳なく思った限りです。

お礼日時:2005/01/10 20:43

私もACを自認してます。


で、長文になりますので要点だけを伝えます。

もし良かったら、養老孟司氏の「唯脳論」を図書館で借りてみてください。
最初の方と最後のエピローグだけ読めば良いんです。

私達は脳が作り出したオトギ話の世界に住んでいるにすぎない。
街も、社会も、しきたりも、何から何まで全て、自然を排除し、人口的に脳が創りあげた世界だ。
・・そんなようなことが、見事な表現で書かれています。

これは仏教に通ずる考え方なんです。

仏教ではこれを「色」と言います。
般若心経の「色即是空、空即是色」ですね。

やれ年齢だ、学齢だ、容姿だ、職歴だ、ACだ、彼女だ、給料だ、ボーナスだ、待遇だ、キャリアアップだ、・・・・・山ほど考えることがあると思いますが、これらは全て、脳が作り出したオトギ話の世界の価値観にすぎないんです。

乱暴な言い方をしますと、仏教では
 ゴチャゴチャ考えるな!
 全ては単なる「色」に過ぎない。
 その実体は「空」であると観ぜよ!
 置きやがれ! ・・と言っているんです。


人間はどうしても成長と供に社会が見えてきますので、自分のポジションに絶望したり、逆に優越感を覚えたりするんですが、それらは単に脳が創りだしているオトギ話の世界にすぎないんです。

そのことに気が付いていないで、脳の世界の価値観にドップリ漬かってしまえば、自分という存在に絶望して自殺だってしてしまうんです。これを悟った人に対して、愚者と言います。

昔キックボクサーに話を聞く機会があったんですが、「痛みなんてこんなものだと悟ってしまえば、どんな相手と戦っても怖くなくなるよ」と言っていました。
「痛み」も結局は脳が作り出したオトギの世界のことなんです。

これは単なる「色」なんだ、実体は「空」である。
と、観じた≪感じた≫ら、きっと強くなれると思います。

坐禅もお薦めですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。以前もSyo-ya様には回答していただいたことがあります。
おっしゃることはわかるようなわからないような感じです。唯脳論は読んだことがあり頷けるものでしたが、基本的に私の考えは全てを生理的な脳に帰着させるのは危険だ、というものです。Syo-ya様のいう仏教としての唯識論の方がむしろ信じられます。
いろいろ自分を省みると、「空」というものを感じたことはないようです。
全てが「オトギ話」で「空」と感じたら人間の実態的な生き方から遊離してしまう気がしています。普段は普通に生活していたとしても根本のところで心ここに在らずといった人間になってしまうと思うのですが、どうでしょうか。
そして「わからない」、と言ったのは、良くも悪くもSyo-ya様が宗教的な話で終着してしまっているからだと思いますが、いかがでしょうか。
生意気言ってスミマセン。宗教的な理解からこの問題を解決したくないと私自身が思っているようです。

お礼日時:2005/01/09 20:58

私もずっと親を憎しみながら生きてきました。



ここは解答欄なので細かく書くのは控えますが、あなたのお気持ちは共有できます。

未熟な親の「育て方」の強制、大人になって気がついた両親との価値観の大きな違い、延々と引きずってきたこの親子関係の心への影響力は絶大で、今もこうして社会的な生活が営めずにいること、怒り、トラウマ等々…。
今は別に暮らしていますが、心は至近距離とでもいったらよいのでしょうか。寝ても夢に、覚めると回顧やフラッシュバックというような苦痛から逃れられません。過去のことが昨日今日起こったように想起されます。もちろん改めて憎しみが起きます。

私だけと思っていたら、このサイトにきてわかったのですが、「両親が憎い」という人はとても多いのですね。ただ私はあなたと違って、親への反抗を繰り返してきたことはよかったと思います。たくさん、数え切れないほど傷つき、ボロボロですが、ふたり揃って彼らがいくら彼らの過った価値観のもとに「躾」「教育」「権威」を振りかざして私を思うままにしようとしたところで、私は思春期ごろまで服従してきましたが、その反動というのか、一度切れて(犯罪に走るという意味ではなく)からは、「本来の自分」を取り戻しました。そこからは長い長い「家族戦争」が始まったのですが、これも処世術、なのでしょうか、ここ数年は表面的には仲の良い問題ない家族を「演じて」いますが、今年からは(笑)、まだ癒されていない本当の自分に向き合い、傷ついた魂を自分の手で癒し(こればかりは誰も助けてくれませんから)、その元凶(つまり肉親たちですね)とも向き合うことと決めました。まあ、これが「今年の抱負」でしょうか(笑)

ただいえるのは、憎しみを感じているのはありのままのあなた、だということです。そのことに対して罪を感じる必要はありません。これから進むべき「道」に迷っている最中であり、きっと現実は険しいかもしれません。仕事については、本当の自分のやりたいことに耳を傾けてください。親に操作された過去は取り返しがつきませんが、その反動で、これからは思いっきり自分の好きなように生きてみましょうよ。自立したあなたを、もう誰も操作することはできません。親にかけられた洗脳に気がついたその「気づき」だけでもし合わせなことです。それを手がかりに、本当の自分、本当に癒すべき自分を模索するチャンスです。

お答えになっていなくて申し訳ないです。でもあえて「がんばれ」とか教育的なことは言いません(というかそのようなことは言えません)。そんなことは無駄なことですから。
でもあなたの他にもここにもこうして共に「これから」をサバイバルする「同志」がいることを告げたかったのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
sunnyaquabloom様は親の束縛を脱しつつ前向きにやっておられるようですね。
親に憎しみをもっている人は案外多いですよね。
サバイバルという表現って当たってますよね。私もたまにそう思います。
ただ、反動で自分の好きなようになかなかできないです。なかなかブレイクスルーしないんですが。どうしてだろう。
とはいえ私もなんとかやっております。お心づかいありがとうございました。

お礼日時:2005/01/09 11:50

No.3のShRoudです。

親への理解について説明を加えさせていただきますね。

私の両親は過保護です。一人っ子で特に父には厳しく育てられ、同じく感情や興味を阻害された感があります。何が何だかわからないまま高校を卒業しました。将来の夢やお金について現実的に考える時期が遅れ、現在も夢はあるものの実際は生活に困窮している家族のため言われるがままにバイト的な仕事をしつつ、就職を目指しています。
具体的な行動としては、幼い頃のことですが父親に包丁を向けられたりちょっと考えられないような罵りを受けたことがあり、しつけはしつけなのですが、どうしても感情に任せてカッとなるようで、あれは親として間違いだろうと今でも思っています。
しかし父もまた自分の母親によって、まだ幼いときから金銭のためにいいように使われたり、人生を振り回されてそのつど、素直な性格のため従ってきたようでした。現在も実家との関係は悪化するばかりです。そういった環境の中で人格が形成され、短期で感情的になる癖のある親となったのだと思います。

つまり親の育った環境を教えてもらったわけですが、これはごく最近知った話で、もし知らなければ中学時代『死んで欲しい』とまで思ったあのときのまま、根底に『愛』があることなど気づきもしなかったかもしれません。
勿論心の傷は癒えません。でも今は親を責めることはしませんし、親からの愛も感じています。就職も自分のためと前向きに考えて真剣に取り組んでいます。また、ああはなるまいと思ったので、短気な性格は心がけで直しました。このように育った自分を受け入れ自分で面倒見てやるしかないからです。

chercher様の親御さんが育った環境はどんなものだったのでしょう。手紙のやり取りでどういったお話をされているかはわかりませんが、チャンスがあったら気にしていることを全部正直に聞いてみると良いのではないでしょうか。
また、お姉様に経済的に助けてもらえているなら少し頼ってでも、精神的なところを安定させていかなければなりませんね。躊躇するのは親御さんとのことで決着がついていないからでしょう。そうでなければ自分の思い通り信じて動いていいと思います。反抗期が今更来たのなら感受性もこれからどうにでもなります。

どうやっても行き場がなくなった時には、私の場合相談相手がいないので文章を書くことで昇華しています。書きなぐって読み返すと冷静になれます。
親が死ねば解決するでしょうか。余計いやな気分が引きずられはしないでしょうか…あなたの親は今ある親だけです。後悔しないように親のことについて聞き出せるだけのことを聞き出すことはできないでしょうか。

しかし参考にするにはわかりにくい回答かもしれませんね…しかも再度の長文申し訳ありません。少しでも好転することを祈っております。
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この回答へのお礼

二度にわたりお返事くださりありがとうございます。
ShRoud様もご苦労されてますね。私などと同じにされたくないと思いますが、現実的に考えるのが遅れたという点についてはかなり似ているように感じます。
 親との手紙のやりとりでいろんなことを書き連ねていますが、いまだShRoud様のおっしゃるような、根底にある「愛」を感じたり、親の心そのものを感じ取れません。
 それは親が腹を割ってないのかも知れないし、私がそれを感じ取れないだけかも知れません。
 親がどう育ったかも多少聞いており、多少の同情・理解もあります。しかし親から子へ感情が連鎖するということを、私やShRoud様のように気づく人も大勢いる中、気づかない人も大勢います。何も考えずに感情を露出し当り散らすのが許せないというか、気づかないというのはある意味人生や子育てに対して怠慢なのではないかと思っています。
 できれば親に親自身のことをもう少し突っ込んで聞いてようかと思います。

お礼日時:2005/01/08 23:19

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