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日本語を勉強中の中国人です。相手と関係のない、自分の動作のみを表す時に、「お〜します/いたします」を使ったらおかしいでしょうか。たとえば、「私はタクシーにお乗りいたします」は自然な敬語でしょうか。

また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それもご教示いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (22件中1~10件)

あまりにも微妙な問題なので、説明するのは難問です。



 ただ、信頼できる答えだけだけはわかります。
 以下デアル体での失礼します。

 名著として知られる『敬語再入門』に下記のように明記されている。詳しく書くと長くなるので、結論だけ。
===========引用開始
誰かのために電車に乗る場合でも「お乗りする」とはいえません。これも、結局は、慣習の問題のようです。(P.75)
===========引用終了 

「慣習の問題」だから、ちゃんと説明するのは相当の難問。
 ただの電車ではなく「尊敬する○○先生が設計した電車に」と考える。なぜか過去形(タ形?)のほうが自然に感じるので、以下過去形にする。
「お乗りした」×
「乗(ら?)せていただいた」△
「ご乗車いたしました」△
「ご乗車させていただきました」△
「乗車いたしました」(これは謙譲語IIなのでちょっと話が別)
「乗車させていただきました」○
 なぜこうなるのか。「慣習の問題」だからとしか言いようがない。
 謙譲語Iだけど、「乗車させていただきました」なら問題はないだろう。
「向かう」云々と考える人はどう説明するのだろう。
「自他」云々と考える人はどう説明するのだろう。
『敬語再入門』をお読みください、としか言えない。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。複雑のようですね。気が向きましたら、「敬語再入門」を読ませていただきます。

お礼日時:2020/04/30 06:25

「相手と関係のない、自分の動作のみを表す」というときに用いる動詞は「自動詞」である、と解釈するのが妥当だと思います。


その前提のもとで、謙譲表現である「お○○する」の形でこの自動詞をあらわせるのかどうか、と考えてゆくのが、次の段階です。

自動詞は、「相手に影響がおよばない自分自身の動作をあらわす」というときに用います。
つまり、「相手と関係のない、自分の動作のみを表す」というときです。

謙譲表現は、その敬意を示す相手が存在するときに、「相手と関係がある、自分の動作」をへりくだって示す目的があります。
そのことによって、相手への敬意を示します。
言い替えると、その動作は相手のために行なわれる(相手との関係のもとに、自分の動作を行なう)といったことになるため、用いる動詞は「他動詞」といいます。
つまり、謙譲表現を用いるのなら、「相手の存在がある」ということがまず最初の条件で、その条件のもと、用いられるその動詞が「他動詞」であることが一般的です。
「相手の存在が明らかではないとき」の謙譲表現に自動詞を用いてしまうとたいへん違和感が生じてしまう、というのは、これが理由です。

以上のことから、「相手と関係のない、自分の動作のみを表す」ときには、自動詞を「お○○する」という形で表現するのは、適当ではありません。

sobatya_cn さんの質問文では、明らかに、相手の存在が何ひとつ見えません。
したがって、上司や上役の人とともに行動する、といったことさえ言えません。あくまでも単独行動なのだ、と考えるべきだったのです。
そう考えてゆけば、【「敬うべき相手が見えず、誰に対する敬語なのかも明確ではない」ので、ただ単に「私はタクシーにお乗りいたします」という表現のように自動詞としての「乗る」を「お乗りする」と謙譲表現にしてしまう、というのは適切なことではない】と言えてきます。

自分の動作に「お」や「ご」を付けた表現としては、たとえば、「ご一緒します」「お聞きします」「お伝えします」「ご連絡します」など、たくさんあります。
よくよく考えればわかることですが、このような動作を行なうときには、必ずといってよいほど、相手の存在があります。
一緒に出かける相手がいる、誰かの話を聞くのでその相手がいる、伝えるべき相手がいる、連絡すべき相手がいる。自分の動作が自分ひとりだけでは完結しない、とでも言えばよいでしょうか。
ところが、ただ単に「私は、お乗りします」と表現するだけですと、やはり、相手がいるかどうかが見えてきません。
つまりは、sobatya_cn に答えるべき一番大切なポイントは、そこなのではなかろうかと思います。
No.28 さんのご回答を拝見して、私はそう感じました。
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この回答へのお礼

何度もご親切に回答していただき誠にありがとうございます。こういうことをお伺いしたかったです。わかるようになりました。どうもありがとうございました。

お礼日時:2020/04/30 06:22

「タクシーにお乗りいたします」は、No.24の方がおっしゃるように、「乗る」は「自動詞」ですね。


「お泣きする」「お行きする」「お歩きする」。謙譲語の定型「お~する」にすると、大変違和感があります。相手に影響が及ばない動作ですから。そして「謙譲語」はその相手への敬意を表す(相手を立てる)言い方なのです。「相手と関係のない、自分の動作のみを表す時に、」とおしゃったのはそのことだったのですね。
 どういう人が何人ででかけるのか、状況がはっきりしなかったので、上役の人と、sobatya_cnさんが車で出かけると言うことしか分からなかったとき、「私は」と言われたので別行動に受け取ってしまいました。「私も」であれば、「タクシーに同乗させていただきます」「ご一緒させていただきます」と繋がる所です。
 自分の動作に「お」や「御」をつけるケースでは、「お供します」「お話しします」「お手伝いします」「ご紹介します」などいろいろ考えられますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。わかるようになりました。とても参考になりました。

お礼日時:2020/04/30 06:18

#23です。


#25さんのご回答を拝見して。

おっしゃりたいことはわかります。
ただ、質問者の方が、なぜ

自分の動作を表す時に、

ではなく、

自分の動作のみを表す時に、

とおっしゃったのか、という点に留意するかしないかの違い。

主人:「毎朝私の顔を洗いなさい」
執事:「分かりました。私は毎朝、顔をお洗いします」

この会話が成立するのは当然ですが、「こうしたケースは特殊なものなので考慮しなくて結構です」という意図が『(相手と関係のない、自分の動作)のみ』には含まれているのだろう、と個人的には解釈したということ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。いい勉強になりました。

お礼日時:2020/04/30 06:16

訂正です。


(誤)No.24さんのご指摘に従い、質問文を読み返しました。
(正)No.23さんのご指摘に従い、質問文を読み返しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。No.23さんのご回答は削除されたようですね。

お礼日時:2020/04/30 06:13

No.24さんのご指摘に従い、質問文を読み返しました。


>相手と関係のない、自分の動作のみを表す時に、「お〜します/いたします」を使ったらおかしいでしょうか。

謙譲語は自分の動作の表現を工夫することによってのみ、他者・相手への敬意を表現するものです。つまり相手への気配りはありますが、動作自体は「自分の動作のみ」を表す、ということになります。よって、この表現を使っても何らおかしいことはありません。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2020/04/30 06:12

動作それ自体を行なう自身のことをあらわす動詞を、自動詞といいます。


一方、動作が他の人・ものに対しての働きかけとして行なわれるとき、そのことをあらわす動詞を、他動詞といいます。
つまり、自動詞と他動詞は、動作が他の人・ものに影響をおよぼすかどうかで、区別されます。
したがって、ある意味で、自身に向かう動詞が自動詞、相手に向かう動詞が他動詞といっても、さしさわりはありません(回答 No.20 の考え方でかまいません。)。「そんなものがあるはずがない」と考えてしまうのは、適切なことではないと思います。

謙譲表現は、他動詞を謙虚に表現する場合に使います。
そのため、自動詞である「乗る」(自分が乗る、ということ)を謙譲表現に使ってしまうのは不自然です。
だからこそ、一般に、「(私は)お乗りになる」といった謙譲表現はしません。

「(私は)○○いたします」は、自動詞でもあって同時に他動詞である「する」の謙譲表現として「いたす」が使われています(つまり、自分が「する」し、相手に対しても「する」)。
このときに、「いたす」が自動詞、つまり、「する」のが相手のためではないときは、「お○○いたします」と謙譲表現にしてしまうことはできません。
しかし、「いたす」が他動詞、つまり、「する」のが相手のためであるときは、「お○○いたします」という謙譲表現にしても、許容範囲になる場合もあろうかと思います。

「私はタクシーにお乗りいたします」という表現は、「私は、タクシーに「乗る」ことを「する」」といったことを意味します。
ややこしい表現ですが、「乗る」じたいが自動詞なので、「いたす」(「する」)という他動詞を付けて、相手への謙譲表現であることをあらわそうとしているわけです。

ところが、この文章だけだと、この動作が、はたしてほんとうに相手のために行なわれているのかどうか、ということがはっきり伝わりません。
相手がいるのかどうか、といったことなど、まわりの状況などが何ひとつわからないからです。

質問文には、「相手と菅家のない、自分の動作のみを表すとき」とあります。
そうだとするなら、「いたす」は自動詞(他動詞ではない)ということになってしまうので、「お乗りいたします」は、先ほども書いたように、謙譲表現としては不適切になります。
要するに、どういった場面で「私はタクシーにお乗りいたします」というのか、ということによって、使っても許容できる場合とそうではない場合とに分かれてしまう、と言えると思います。

このように、どちらとも解釈できてしまうような場合には、むしろ、こういう表現をすることは避けたほうが良いのではないか、と私は思います。
回答 No.20 でも書かれているように、「です・ます」を使った丁寧表現にすれば十分で、「私はタクシーに乗ります」としておくだけでかまいません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。大変参考になりました。

お礼日時:2020/04/30 06:12

◎「お〜します(お~する)」は謙譲語1です。


謙譲語1は、【相手に向かう自分の動作を謙虚に表現する場合】に使います。
たとえば、
「私は毎朝、顔をお洗いします」とは言いません。
これは、「洗う」が相手に向かう動作ではないから。
「乗る」も相手に向かう動作ではないので、
「私はタクシーにお乗りします」
という謙譲語1を使うと不自然になる。

◎「いたす」は謙譲語2です。
謙譲語2とは、【聞き手に対して自分の動作を丁重に表現する場合】に使います。
ただし、「いたす」は「する」の謙譲語2なので、
「お〜いたします」という表現は、
「お〜します(する)」という謙譲語1と同じ形になります。
なので、謙譲語1が使えないシチュエーションで、「お〜いたします」という表現は使えません。

◎「私はタクシーにお乗りいたします」
これは、「いたす」という謙譲語2を使っているので、聞き手に敬意を表していることになります。その点は間違っていません。
しかし、先述いたしましたように、「乗る」が「相手に向かう動作」ではないので、
「お乗りいたします」や「お乗りします」という謙譲語1の表現は使えない。

「私はタクシーに乗ることにいたします」
「私はタクシーを使うことにいたします」
とすれば「いたします」を使えます。

ただ、このシチュエーションであれば、
「私はタクシーに乗ります」
「私はタクシーを使います」
のように「です・ます」の丁寧語を使えば、聞き手に対する敬語としては十分でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。わかるようになりました。

お礼日時:2020/04/30 06:09

「私は、タクシーにお乗りいたします」の「は」は、係助詞(かかりじょし)といって、その動作をしている人を限定して、ことさら強調する役割をします。



「お乗りいたします」という表現そのものは謙譲表現であっても、「私は、タクシーにお乗りいたします」という文章全体で考えると、尊敬すべき相手が見えなくなる(限定されているから)・自身を必要以上に主張し過ぎてしまっている(強調されているから)ので、決して適切な表現ではありません。
自分が自分が、と威張りすぎていると言いますか、出しゃばった感じを与えてしまいます。
また、自分のことを強調し過ぎると、逆に、相手に対する敬意も薄れてしまうか、なくなってしまいます。
つまり、相手のことを考えていない表現になってしまうのです。
ほかの方が書いている「卑屈に伝わってしまう」「違和感を感じる」というのは、そういうことなのだと思います。

これに対し、「私が、タクシーにお乗りいたします」とするなら、「が」は格助詞(かくじょし)といって、自分がその動作をしている、ということをあらわすとともに、ほかの相手に対してその動作を伝える、という役割も持つ文章になります。
つまり、相手のことを考える表現になるわけで、このときに限って「お乗りいたします」という謙譲表現を使うのなら、相手に対する敬意をあらわすことができます。

以上のとおり、回答 No.11 にも既に書かれているように、助詞の違い(係助詞なのか格助詞なのかの違い)を含めて文章全体を見てゆかないと、だめだと思います。
そして、やはり、ほかの方もおっしゃっているように、感覚的なこと(日常的な感覚)や違和感を意識しつつ言葉・文章を使ってほしいと思います。
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この回答へのお礼

丁寧なご説明ありがとうございます。とても参考になりました。

お礼日時:2020/04/30 06:08

「私はタクシーにお乗りいたします」は,不自然な日本語に聞こえます。



 例えば,「(お荷物を)お持ちいたします」 と言えば,
「お持ち」する荷物は相手のモノで,本来,相手?が「持つ」はずのところで,「私」が持つことによって相手に恩恵になり相手は楽になる。ので,謙譲表現(=広義の敬語 )になりますけれど, 
例文の場合,タクシーに乗るのは「私」で,その行為が誰か(この文(発言)の聞き手?)にとって利益(恩恵)になる(あるいはその相手に対するサービスになる)というような場面かな?と 想定されます。が,
 ご主人様とその下僕という関係があるとしても,「(とりたてて)私」が「タクシーに乗る」ことによってご主人様の利益になる(ご主人様に恩恵を与える)という状況は,わたしには イメージできません。
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この回答へのお礼

ご説明ありがとうございます。理解できるようになりました。大変参考になりました。

お礼日時:2020/04/30 06:06

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