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<魂は存在しますか>というご質問について
哲学の「魂」も「存在」も複雑・多義な意味を持っていると思います。
お二人の回答者様を除いて、それらを明確に・限定しないで、上記のご質問もご回答もなされている、と思います。
そのお二人とは、「魂」については常連のbragellone様、「存在」については常連のMokuzo100nen様です。
他の方は、ご質問者様もご回答者様も、私には、自己の考え方で説明されている、とお思います。
質問は、哲学ってのは、用語の共通認識が無くても質問・回答が十分可能なのですか?

A 回答 (16件中1~10件)

>哲学ってのは、用語の共通認識が無くても質問・回答が十分可能なのですか?



無理です。

多くの場合、『キチンとそれを定義しなさい。』と言っています。



我が強い質問者は、定義する事をしません。

特に『神』に関する定義です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<多くの場合、『キチンとそれを定義しなさい。』と言っています。>ですね。
<我が強い質問者は、定義する事をしません。>ですね。
きちんとした定義なしで回答を貰っても意味が無いですよね。

お礼日時:2020/05/20 19:05

哲学というのは「自分が考えているなにかを、誰かに理解してもらうために、言葉をいくつも使って説明する」ものでもあります。



もちろん哲学の根本は「モノや現象の捉え方」でたとえば「人間と言うのはどのようなものであるか」という問いに対して、ひとつの本質的な解を見つけることなのですが、一番大変なのはその「解」を他人に理解してもらえるように説明すること、なのです。

これは、たとば目が見えない人に「リンゴとはどういうものか」と説明しているようなもので、「赤いが中は白い」のも真実だし、「薄い皮の内側は甘い果肉がある」のもその通りだし、「中に種があり、皮と種以外を食べる」のも皮を食べちゃう例外的な人を除けばまあ合っています。

ただどれほど言葉をつないで説明しても、言葉だけで「リンゴ」の本質に迫るのはかなり難しいわけです。

だから哲学的な質問に対して質問者と回答者の用語の共通認識が一定程度あれば「いずれは理解される」とはいえます。

たとえば「魂」という存在に対して、一般的な共通認識としては「目に見える形では存在しない」とか「生きているものは魂を一つ持っている(二つ以上は持っていない)などがあるといえるでしょう。しかし霊魂的な存在を信じる人と、信じない人では土台の価値観が違うので「魂」と言う言葉に対する共通認識は無い、ともいえるわけです。

なので、哲学を学び議論する人たちは、ある程度共通した哲学用語を共通した土台として使いますし、共通していない単語がある場合は、それをどのような意味で使っているかを議論し共通認識にしてから次に進むという訓練もしています。

だから「哲学を学び論じることができる人」なら、言葉の定義はある程度共通しているし、共通していないなら「共通していない」と認識できる能力がある、といえるわけです。

で、回答者についていえば「回答者の素養は分からない」です。まあそれを言ってしまうと質問者の素養も分からない、です。

質問者様や回答者様が自分の質問・回答を閲覧できるようにしていて、類似する回答をみればある程度推測できますが、それができないなら、言葉を定義している回答者であっても「その定義の方法が哲学的に正しいか、回答者自信が本当に理解しているかどうかは分からない」です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<哲学を学び議論する人たちは、ある程度共通した哲学用語を共通した土台として使いますし、共通していない単語がある場合は、それをどのような意味で使っているかを議論し共通認識にしてから次に進むという訓練もしています。>ですね。
<言葉を定義している回答者であっても「その定義の方法が哲学的に正しいか、回答者自信が本当に理解しているかどうかは分からない」です。>ですね。
質問者は回答を正しく理解できたつもりなのでしょうか。

お礼日時:2020/05/20 19:26

それをちゃんと定義してしまうと、自分なりの「勝手な解釈」が


出来ず、妄想も持てないでしょう。

ただの、お遊びなので、厳密にしてしまうと、逃げ場がなくなります。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<ただの、お遊びなので>ですね。
自縄自縛に落ち込まないように、ですね。

お礼日時:2020/05/21 08:17

#2です。

お礼ありがと言うございます。

>質問者は回答を正しく理解できたつもりなのでしょうか。

誰にも分かりません。本人が「理解した」というなら、それを信じるしかありません。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
<本人が「理解した」というなら、それを信じる>のですね。
傍が言うのはおおきなお世話ですね。

お礼日時:2020/05/21 08:23

西欧の学術ですので、江戸時代の西周❰にしあまね❱さんの翻訳以来、難しい用語に変換されてます。

原書の用語は日常用語とかわりません。用語の説明も込め、情報を圧縮して、翻訳する向きがあります。ですから、難しそうな詞に聞こえます。哲学者ヘーゲルは、哲学神学共通言語ラテン語を使わないドイツ語の哲学者です。ベルリン大学の教授として、ドイツの知的国力増強と教養強化を普及し、知らしめるのに、哲学の一般化を試み、日常言語のドイツ語を使ってます。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
日本では、<翻訳以来、難しい用語に変換されてます。>
西洋では、<原書の用語は日常用語とかわりません。>
<ヘーゲルは>、<日常言語のドイツ語を使ってます。>ですね。
<日常言語>を使って哲学を進めることができるのですね。
ただし、哲学特有の厳密な意味を日常用語に盛り込むことができるのかな、と感じています。

お礼日時:2020/05/21 14:48

◆ 哲学というのは「自分が考えているなにかを、誰かに理解して


もらうために、言葉をいくつも使って説明する」ものでもあります。
☆ 《・・・」もので ≫も≪ あります》とあるので 傍系の定義
に過ぎないのかも知れません。

ですが――それでも―― 定義とよぶまでには到りません。その説
明文は ふつう一般の《意思疎通》のことです。

哲学は 互いの話し合い(つまり 意志疎通)がたしかに成り立つ
ために――まさにご質問の趣旨である――言葉の定義を その可能
性のかぎりにおいて おこなっておく仕事を持ちます。

われと世界について 考え得るかぎり・あるいは認識しえないと思
ったものでもそのあらゆるものごとを対象として それらを用いる
ときに交通整理ができるように それぞれに共通の意味内容を確定
する務めです。



◆ もちろん哲学の根本は「モノや現象の捉え方」でたとえば「人
間と言うのはどのようなものであるか」という問いに対して、ひと
つの本質的な解を見つけることなのですが、一番大変なのはその
「解」を他人に理解してもらえるように説明すること、なのです。
☆ 《本質》が あいまいです。

◆ 他人に理解してもらえるように
☆ というのは ただその哲学内容に自信がないと言っているに過
ぎません。

それは 《すべての人を説得しうるか》という問題であつかいます。

基礎の仕事は 言葉の定義であり 世界の認識にあります。




◆ これは、たとば目が見えない人に「リンゴとはどういうものか」
と説明しているようなもので、「赤いが中は白い」のも真実だし、
「薄い皮の内側は甘い果肉がある」のもその通りだし、「中に種が
あり、皮と種以外を食べる」のも皮を食べちゃう例外的な人を除け
ばまあ合っています。
☆ 緑のものも黄色いのもあります。赤いので代表させるといった
説明でしょう。

◆ ただどれほど言葉をつないで説明しても、言葉だけで「リンゴ」
の本質に迫るのはかなり難しいわけです。
☆ だから 《本質》って何?


◆ だから哲学的な質問に対して質問者と回答者の用語の共通認識
が一定程度あれば「いずれは理解される」とはいえます。
☆ というよりも 共通認識の薄い場合にそこに起こりうる交通渋
滞を回避することです。



◆ たとえば「魂」という存在に対して、
☆ すでに《存在》なの?

◆ 一般的な共通認識としては「目に見える形では存在しない」と
か「生きているものは魂を一つ持っている(二つ以上は持っていな
い)などがあるといえるでしょう。
☆ すでに存在しているというそのわけは?


◆ しかし霊魂的な存在を信じる人と、信じない人では土台の価値
観が違うので「魂」と言う言葉に対する共通認識は無い、ともいえ
るわけです。
☆ だから 《魂あるいは霊魂》ってなに? 《信じる》って ど
ういうこと?

◆ なので、哲学を学び議論する人たちは、
☆ 哲学は まなぶものなの?

◆ ある程度共通した哲学用語を共通した土台として使いますし、
☆ 使っていても じつは 定義すべきときに定義せずに使ってい
るに過ぎない場合が 問題です。

◆ 共通していない単語がある場合は、それをどのような意味で使
っているかを議論し共通認識にしてから次に進むという訓練もして
います。
☆ 《本質 魂 信じる》について共通認識を明らかにしましょう。


◆ だから「哲学を学び論じることができる人」なら、言葉の定義
はある程度共通しているし、共通していないなら「共通していない」
と認識できる能力がある、といえるわけです。
☆ だから その定義をそのつどおこないましょう。



◆ で、回答者についていえば「回答者の素養は分からない」です。
☆ 分かりますよ。《まだ定義を怠っている》ということが分かり
ます。


◆ まあそれを言ってしまうと質問者の素養も分からない、です。
☆ 素養などなくても分かるような認識内容を提供しましょう。

◆ 質問者様や回答者様が自分の質問・回答を閲覧できるようにし
ていて、類似する回答をみればある程度推測できますが
☆ 三日会わないなら もう変わっているんです。過去〔からの判
断〕は ダメ。

◆ それができないなら、言葉を定義している回答者であっても
「その定義の方法が哲学的に正しいか、回答者自信が本当に理解し
ているかどうかは分からない」です。
☆ 哲学の放棄です。自由勝手ですが。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
頭上をミサイルが飛び交っているような状況です。私にとって手が届かない高層圏です。
phj様と心行くまで議論をお願いします。私は、楽しく・無責任に読ませて頂きます(誤読であるとしても)。

お礼日時:2020/05/21 17:07

えっ? 誰か呼んだ?



哲学ってのは、もともと愛知ですから、愛知県の方に聞くと良い答えがるかもしれませんね。

愚拙は会津戦争で負けて命辛々東京に逃げてきた難民の子孫だから愛知県には関係ないけれども、Philosophyが好きでな、何が好きかと言うと、曖昧模糊としている物事や、長く誤解されている事どもに関してよく考察すると、やがて覆われていたベールの向こう側の素顔が見えるときがあるからなの。

ここの質問は、「哲学ってのは、、、」で始まってるから、哲学の自己定義の問題と言って、昔からある有名な問いなのでござるが、なかなかこの問に対する確たる答えは登場せず、百家争鳴する問いですね。

あたかも、ゲーデルが「数学が無矛盾である事は数学では証明できない」と言う命題を証明してしまった(不完全性定理)様に、「哲学がなんであるかは、哲学では語れない」という説を木造の定理として世界が認めてくれると良いな、、、。

哲学の内部から哲学とは何かを論ずることができないとしたら、哲学の外部から哲学とは何かを探るしかあんめえ。これは外挿的アプローチと言って、例えば「哲学は落語である」という命題をおいて、この命題の真偽性を論じてゆくのはいかがであろうか。

哲学と落語の共通性は多々あるけれども、哲学と落語の相違性に注目してみると、一番に目につくのは、哲学には「学」が含まれているけれども落語には「学」が含まれていないことか。

哲学者と言う日本語があるが、この日本語は英語やドイツ語のphilosopherと異なって、厄介なことに、日本語の場合のみ、哲学-者ではなく、哲-学者、すなわち、××学者であるかの如きイメージができてしまう事ですね。

結果、大学で落語の話をしただけで教授になる人は少ないが、大学で哲学の話をしただけで、俺は学者だ、俺は教授だ!なんで勘違いして生きて行ける国なのだよ、日本は。

という事で、落語の場合は、長屋とはなんだ?御隠居とはなんだ?精確で無矛盾な定義をしてみよ!などと言う人は出てこないと思うが、philosophyの場合は、この様な問題が生じてしまうね。

哲学は、その昔は、数学や言語学や天文学や神学など、広範囲の好奇心を扱う時代もあったが、そのうち、それぞれの科学が分離独立して一家を構える様になると、本家の哲学は担当事業分野が狭くなってしまい、今や存在論と認識論と倫理学と美学ぐらに事業分野が限られた、将来性の無い事業になってしまった。元来は「万学の女王」と言われた哲学であるが、今はニッチなテーマだけ扱う「科」学になってしまったみたい。

で、今現在、21世紀の哲学談義ならば、19世紀の初頭に人類2000年の哲学と呼ばれる「独断」を一刀両断にして、一切をガラガラポンしてしまったイマヌエル爺さんことイマヌエル・カントがグダグダと用語を定義してくれたので、彼の定義をデフォルトとして踏まえるのが妥当だと思う。

カント用語とは違った意味で存在(Dasein)とか現象(Erscheinung)を使うのも自由だし、そうした後世のphilosopherもいたのであるが、その場合のみ十分慎重な用語定義が必要だと思う。

哲学の議論の90%ぐらいは用語の理解が異なることに端を発している様な気がするしね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
長文の哲学全体像を興味深く・面白く読ませ頂きました。親オオカミから咀嚼した食物を口移しに貰うように。

<えっ? 誰か呼んだ?> (耳も達者だな)

<曖昧模糊としている物事や、長く誤解されている事どもに関してよく考察すると、やがて覆われていたベールの向こう側の素顔が見えるときがあるからなの。>ですね。
(不肖私も、たとえば正義と言っても誰にとっての正義○○〇なの、とは考えています。)
(「Mokuzo100nen様の異なった視点から生まれる「寸鉄人を刺す」にはいつも敬服しています。フアンです、サインを下さい)

<なかなかこの問に対する確たる答えは登場せず、百家争鳴する問いですね。>(この投稿は身の程知らずでしたね)

<「哲学がなんであるかは、哲学では語れない」という説を木造の定理として世界が認めてくれると良いな、、、。>(右手で右手の甲を書こうと試みても不可能だ無駄だということですね)

<これは外挿的アプローチ> (よほど頭が柔らかくなくては使えないですね)

<哲学には「学」が含まれているけれども落語には「学」が含まれていないことか。> (「学」が無く単に「哲」だけで議論している人もいますね)

<哲学-者ではなく、哲-学者> (明治初頭、翻訳した際中身を吟味することなく機械的に画一的に扱ったのでしょうか)

<今はニッチなテーマだけ扱う「科」学になってしまったみたい。> (かえって身軽すぎてゴミ箱のようですね。)

<彼の定義をデフォルトとして踏まえるのが妥当だと思う。>(デフォルト・用語定義・共通用語は、故郷を一歩も出なかったカント様の成果ですか)
(カントのデフォルトと異なった場合は)<十分慎重な用語定義が必要だと思う。>ですね。

<哲学の議論の90%ぐらいは用語の理解が異なることに端を発している>なのですね。
しかし実態は<用語の理解が異なること>など全然気にも留めない人が大半でしょうね。

お礼日時:2020/05/21 18:44

用語の共通認識があっても、相互に理解しようという意識がなければ、質問・回答はすれ違うばかりでしょう。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<相互に理解しようという意識が>必須ですね。

お礼日時:2020/05/22 14:45

語彙ばかりでなく、文脈、メタファー、エピソード、寓話=アレゴリー、フラグメント=断片文でも、語り方の方法は幾らでも有ります。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<語彙ばかりでなく>すなわち、用語だけの問題でない、ということでしょうか?

お礼日時:2020/05/22 14:51

核心的な質問です


「哲学ってのは、用語の共通認識が無くて質問・回答が十分可能ですか?」とご質問された質問者さんの意図を説明してください
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
ご質問のキーワードである「魂」も「存在」も複雑・多義な意味を持っていると思います。哲学において簡単に片づけられるものではないでしょう。
質問者も回答者もそのワードに共通意識を持って持ってやり取りしているのか、と疑問を持ちました。もし、共通意識がないのであれば、質問回答は何になるのかな、と思います。

お礼日時:2020/05/22 15:11

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