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それは何を目指しての主張なのか?
その意図はなにか?
それでいったい何が得られるとゆーのか?

A 回答 (20件中1~10件)

みっちゃんさんこんばんは。

 目指しているのは人気が出ることです。出た人気を使ってさらにチヤホヤされるために適当に主張を正と反で往復させます。
 意図は次のことです。神はあるのが前提でその神がある神なのかない神なのか?に話をすり替えて前提を考えないようにしつつなんとなく前提を認めた感じにすることです。ない神はある/ないの対比をすると意図が果たせなくなります。
 何が得られるかは分かりません。集まった人たちの内のだれかが何かを出してきてそれが得られるかもしれません。それが何かは知らないけれど欲するものだったらそれを得ます。
 『出エジプト記』第3章14節より引用の「神モーゼに言ひたまいけるは、我は、在りて在るものなり。」と組み合わせると楽しいです。
1.あってある神がある。
2.あってある神がない。
3.あってない神がある。
4.あってない神がない。
5.なくてある神がある。
6.なくてある神がない。
7.なくてない神がある。
8.なくてない神がない。
そうするとそうするとそうすると…いくらでもなくて…あって…1円玉が11枚で11円であるように神は好きなだけあってないです。
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メシア様、偉大なるあなた様の得たもの似比べるべくもない事でしょう。

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わたしの回答№7の参照では 不案内だとすれば かんたんに


お応えします。


信教・良心の自由にしたがって 言える。

アルケーという神は ある。

ナイケーという神は ある。

無い神という神は ある。
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№16お礼欄のコメントについては わたしの回答№7をなお


参照してみてください。



回答№16はあくまで№14&15についてのわたしのコメン
トです。つまり もうそのコメントは要らないでしょうね? 
というものです。
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ひとのみちさん。



№14&15の文章については もう解説しなくてもよい
ですよね?


ほかの閲覧者のみなさんも いいですよね?
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この回答へのお礼

「無い神は有る」は、あなたの表現・言葉です。
しかし、このよーな表現は論理的に間違いです。
日本語として正しくありません。
このよーな正しくない表現を相手のことも考えずしつこくしつこく使い続けるのは「精神の甘え」です。
根性が曲がっている証拠です。
言葉遊びの中でも低レベル、無教養の類です。
ちなみに英語圏では2重否定表現は無教養、無学の類とみなされます。
「無い神は有る」は、これと同類です。
やめたほーがいいです。
得るものはないです。
「分かるか分からないかが分からないナゾ」も同類です。
これもやめたほーがいいです。
得るものは何もないです。

キリスト教神学を探求するのであれば、その脇道を歩むのではなくキリスト教神学の道の真ん中を歩むことです。
つまり漬かりきるとゆーこと。
ローマ法王の背中に乗るんですよ。
ローマ法王のよーに何の疑いも持たず聖書の中に漬かりきることです。
それが出来なければキリスト教神学は諦め、聖書は破って捨てることです。
そのほーが悩みもなく幸せな人生が送れるのですよ。

お礼日時:2020/05/24 22:12

補足 


仮に普遍神を神を絶対性であるとして絶対性が故にヒトが認識し得ないと言えてもその逆にヒトが認識し得ないからと言って神が絶対性を有するとはなりません
普遍神が存在すると言える客観的かつ論理的に実証されていないにもかかわらず提唱者さんは存在すると断言されていてかつヒトが認識し得ない存在だと断言しておきながら普遍神が如何なる存在かを断言している時点で「提唱者さんの普遍神にも関する理論は矛盾だらけで破綻しています」
にもかかわらずその決めつけを一切変えようとしない時点です「不可逆的な思い込み」をされています
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無い神の提唱者さんのご返答について


①客観的な事実も理論も無し
「決め付け」です
②「不存在証明」=「悪魔の証明」は理論的に不可能に加えて「存在証明」された事も無く「存在」を証明しうる客観的・論理的な理論はありません
よって存在するか否かが客観的・論理的に言って「分からない」とするのは当然の帰結です
その当たり前を提唱者さんは理解していないだけです
③人知を超えた存在だと定義しておきながら「神は絶対性」であると断言している点で「理論的に矛盾」しています
④③同様です
以上から言えることは
提唱者さんは全て事柄において「客観的かつ論理的に正しい」と証明されていない考え方を正しいと断言している事から、提唱者さんは空想の世界にしたっている言わざるを得ませんし、それを指摘しも一切受付られないことから提唱者さんは「妄想の世界」に囚われていると言わざるを得ません
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◆ 「可能性」はあくまで「可能性」でしかなく「結論」が出されて


いないと言うこと
☆ 《「結論」が出されていない》――つまりこの場合には 有るも
しくは無いのいづれとも証明しえていない――ときにも 《可能性》
があると捉えているなら そのモノ・コトは 人知が及び得て認識し
うる経験事象であるということです。

それは 神とは別物です。



◆ 「「存在し得ない」と証明出来た」と結論付けている
☆ まったくの誤解です。

神は:
① 経験事象――としての存在――を超えている。

② 存在するか否かは 人間には分からない。それは 分かるか分か
らないかが分からないナゾなのだ。

③ ところが 神は絶対性であるゆえ 或る人がその主観において
われは神を見たとか神の声を聞いたぞと言ったばあい その主観性じ
たいについては 神は許容している。

④ つまり その主観の内面においてのみ その特殊な絶対性なる体
験(?)が否定し去られることなく 持ちこたえる。

⑤ なぜなら その神体験については 人間が肯定することも否定す
ることも 証明しえないから。

☆ これが 普遍神です。
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更に言えば


「無い神」の提唱者さんは仮に「神」がそれが「普遍神」が存在しているとしても「神」がどのような存在なのかが「不明」であるにもかかわらず提唱者さんは自身が認めている神以外の神を認めていない時点で「独断と偏見」でしかありません
更に言えばその「独断と偏見」に固守している事から提唱者さん歪んだ考え方の持ち主だと言わざるを得ません
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「無い神」の提唱者さんの間違っている点


「可能性」はあくまで「可能性」でしかなく「結論」が出されていないと言うことにもかかわらず
「「存在し得ない」と証明出来た」と結論付けている点で「大間違い」です
「無い神」の提唱者さんの「歪んだ身勝手な考え方」
何の根拠もなく「神は人知で認識し得ない存在」だと言い切っている事
そもそも如何なる存在であっても人知で認識し得ない存在がいるとしてもそのような存在はヒトには認識し得ないのだからそのような存在が存在すると証明するのは不可能です
よっていくら理論付けしようとも証明不可能な存在を存在するとするのはそれが「普遍神」であっても証明不可能なのだからそのような考え方は「空想」でしかありません
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