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アドバイスください。
自身が見たことも聞いたこともない事象や
言葉を、想像で読むってことが、俳句では
よくあるのでしょうか。
なんとなく違和感。

A 回答 (2件)

想いを馳せることはあるでしょうけれどね。

皆に理解させられるかはわかりません
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2020/05/30 20:51

「想像力」「創造力」がなくては俳句は作れません。

しかし、事実を完全に無視しては俳句のような短詩型文学はできません。芭蕉なども「写生」を重んじました。山本健吉氏は、俳句のことを「叙景詩」と呼んでいます。抒情詩(叙情詩)ということばはよく聞きますが、叙情とは人間の心情を言っています。これに対して叙事詩というのがあります。簡単に言えば「物語詩」です。
 それでは「叙景詩」言う意味は何か。現代詩では「心象風景」という言葉が使われます。心の中にできあがった風景です。芭蕉に「曙や白魚しろきこと一寸」という句があります。五七五の形にはなっているのですが、切れ方がよく分かりません。曙やの「や」が切れ字で此処の「上五」で切れるのは当然なのですが、その後のリズムがどうなるかというと、「白魚しろき」の「中七」と「こと一寸」という「下五」が本当なら、「白魚しろき」と「こと一寸」なのですが、「白魚しろきこと」「一寸」が意味の切れ方です。このような状態を「句割れ」あるいは「句またぎ」と呼び、結局同じことを言っています。
この俳句は、「曙」(「春はあけぼの」のあけぼのです)まだ暗い中で少し明るさが感じられる状態を「曙」と呼びます。海辺でまだ取れたばかりの「白魚」を見ています。わずか3センチくらいの魚です。まだ生きていて、ピチピチと跳ねているのかも知れません。薄暗い中で白い魚が跳ねている。この風景を読者が心象風景として読み取ることができれば、この俳句が理解できたわけです。そのためには、作者だけでなく、読者にも想像力要求されます。こういうことができてこそ、「叙景詩」としての俳句が理解できるのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ほっとしました。

お礼日時:2020/06/09 07:18

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