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人の確実な未来は100%の死ぬという事実なんですが、この事実に答えを得た人物はお釈迦様だと思いますが、どんな答えを得たのでしょうか?

A 回答 (7件)

加齢を経れば、心身共に疲れ果て、此の世の執着心は失われます。

そこで、此の世は苦しみの集大成であると悟った時期は、自己の死の予感を覚える年齢に達している頃に至ります。抑々が執着することが苦しいのです。

恐らく、貴殿は未だ、お若い(貴殿の実年齢は不明で構わないですが、心身共に枯れてはなされていらっしゃらないのでしょう。)のでしょう。
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輪廻が想定されている宗教に死の概念はあまり重要ではないと思いますが・・・

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この回答へのお礼

御釈迦様は仏教の開祖ですが、バラモン教の僧侶として始められています。王族の皇太子が全てを捨てて、僧侶になるなんて前代未聞です。当時はやんちゃなボンボンの気まぐれぐらいに思われていたのでしょう。しかし、彼の死に対する執着は今生きる私達にも難解な悟りというものにたどり着くのです。たいていは死ねば天国か地獄、または輪廻六道を生まれ変わる。魂は死なない無くならないというわけです。生きることは苦である考えるとなんか釈然としないわけです。
といっても、死んで無になるのなら、それが一番良いのだけれど、どうもそう簡単な話でもなくて、もともと、この私というのは一体何なんだろうというわけです。なんなんですかねえ?なぜ、人はあきるのですかね?

お礼日時:2020/07/13 21:18

過度な個人化を諫め、人間も万古不易なる大自然の一部であると教えました。

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やさしくしくいいます


仏教では
死後のわれわれの生命の存在の仕方を “空”
という概念でとらえています。
“空” というのは、現象としては現われなくとも、
厳然と実在する状態のことをいいます。
実在するといっても、それは目には見えませんから、
“無” と変わらないともいえましょう。
しかし、実在する以上、
縁にふれて目に見える現象として現われるのです

大乗仏教の経典によりますと
、“生死不二” といって、生と死という時間・空間次元の現象は、
時・空を超えた実在である生命の、二つの異なった顕われ方である
と説いています。
個々の生命体は、生命が顕在化した状態であり、死とはその生命が
“冥伏” した状態です。 冥伏とは無に帰することではありません。
 さきほどから私が提起してきた “空” の概念は、
目には見えなくとも厳然と実在する、
有無のいずれか一方に決めることのできない概念です。
これに対して、現実にさまざまな個別の姿をとって現れてくる姿を
“仮(け)” と名づけています。 身心統一体としての生とは、
この“仮,の姿であり、しかもそのなかに“空”をはらんでいます。
死後の生命は “空” として実在しながら、そのなかに
“仮” の傾向性、方向性をはらんでいます。

更に詳しくは
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage21.html
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この回答へのお礼

詳しい説明ありがとうございます。
お釈迦様の生涯の最後が、壮絶なんですよね。毒キノコにあたって、強烈な脱水症状と朦朧とした意識の中で、最後に心配する弟子たちに何か聞いておきたい事はないか?と言いながら、最後の発作が襲うと深い瞑想に入り死を迎えた。
死を向かえるほどの瞑想が、私には出来ないようにおもえるんです。

お礼日時:2020/07/13 19:52

空即是色、色即是空。

つまり諸行無常。
実践的には、欲やあがきは苦をもたらすだけ、という結論だが、ギリシャ哲学でも慎ましい生活が一番だという似たような結論に至っている。
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人間はいずれ、みな必ず死ぬのだから


悲しむことは無い。
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この世に我ひとり。

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この回答へのお礼

唯我独尊?

お礼日時:2020/07/15 17:42

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