1. 神はどうしてアブラハムにその子をいけにえにささげるよう告げた
のか?
2. 神という非経験に相い対する経験存在であるわたしは その関係が
非思考としてあり それとして信仰であると知らねばならなかった。
――といまのところ考えます。
3. 多くの人びとの父(祖)となると言われているのに その子のイサ
クをほふれば 血筋は断たれてしまう。神は そういう約束と矛盾するこ
とを命じた。
4. ――ということは アブラハムに対して 神との関係は自分のつま
り人間アブラハムの経験合理性にもとづく思考に先行すると言おうとして
いる・・・のでしょうか?
5. 信仰(=非思考)は 経験思考に先行すると言うために 我が子の
命をささげるという出来事がえらばれたのか。
6. どうなんでしょう?
A 回答 (6件)
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No.6
- 回答日時:
素粒子の数が多すぎる気がしました。
準だったら、水素はどの王にできたのか謎ですが、模型では水素水素の数は変わらないのでしょうか。
どんどんあたらしい水素sが誕生してるのでしょうか。
まさか減ってるのでしょうか。
水素+エネルギー減るのかな。
でも反物質の反水素が有るから
しょ
ニュートリノには塩素なのでしょうか。
No.5
- 回答日時:
ニュートリノ振動はウィキペ悲哀夜と悲しいので主か
おすしじゃなくて推しレーションだそうですが
バイブレーションとは違うそうで、
質量が有るそうなのですが、
ミュー粒子とか多雨粒子とか光あれなのでh層化。が、
ハイパーは検索するとゲーム系がd手起案したが。
tツーk
日本語のウィキペディアよりも英語の法が法文で
アルケーなのでしょうかね。にゅーとりのれないそう
移動が多いでスネ。青いし。ですし。ダイヤモンドよりも水素ガスの輝きが
カミオカンデとか
太陽ニュートリノの観測で太陽なのに
地価で観測してるのが今さら謎でしたが、
No.4
- 回答日時:
教義の中には
少なくとも限界のある身にすぎない人間からの言葉として
必ずしも言い切れていないものもいくらでもある。
例えば成長の段階を踏まえて
そのすべてにまでは対応しきれていないことも。
つまりいつまでも盲目的に従うばかりではいけない。
ということで守破離の離へと進むことが大事なこともある
というエピソードなんだろうと思います。
ご回答をありがとうございます。
★ 教義の中には
少なくとも限界のある身にすぎない人間からの言葉として
必ずしも言い切れていないものもいくらでもある。
☆ それは そうでしょうね。
つまり 人間の言葉は《ことば一般》として・ということ
は 人間による自己表現ということ自体が 有限で相対的
な性格を持つ。ですね。
★ 例えば成長の段階を踏まえて
そのすべてにまでは対応しきれていないことも。
☆ 自己表現についての或る種の技術もある。ということ
でしょうか。文章作法といった言葉が 昔ありました。
★ つまりいつまでも盲目的に従うばかりではいけない。
☆ あぁ。この場合は ひとつの原則があるように思いま
す。
《信じる》とは 超自然なるナゾの何ものかを 無条件で
無根拠にてわが心に受け容れるわけですから 盲目的であ
るどころか それをも超えていますね。その一面。
そして その信仰――非思考の庭――にあってヒラメキが
得られる。
そのとき これを経験事象に翻訳して或る種の要請(命令)
として持つことがあります。これをどう判断するかという
実際的な問題――そういう一面――が来ます。
ですが 案外かんたんです。ヒラメキを何らかの倫理的な
要請に翻訳したとき その内容はすでに経験思想となって
いる。
ですから 従うかどうか そのよしあしは 相対的なもの
になっています。主観の判断にゆだねられると思います。
★ ということで守破離の離へと進むことが大事なことも
あるというエピソードなんだろうと思います。
☆ 《離へと進むことが大事なこともある》は 一般性を
持つと考えます。
その方程式のような展開が イサクの生け贄問題にかかわ
っているということですか?
そうですね。先ほどの原則が 当てはまるように思います。
私見では 信仰の基本がむしろ絶対的な《守》ですね。
そして 《守も破も離も》 ヒラメキから得て経験思想と
なった命題にかんしては そのまま相対的な性格において
当てはまります。
信仰の基本は 盲目的以上に無条件の受容です。
そこから派生して得られる命題は すでに経験思想になっ
ていて よしあしを主観の判断に俟つことになる。したが
って相対的な守・破・離のいづれの選択もありではないか
と。
No.3
- 回答日時:
純粋な信仰とやらは、おっしゃるところの「経験思考」の山から見渡せば、
まるで狂気の荒野に見えるに違いありません。
のみならず、それは極まれば、娑婆に対する犯罪性も孕んでいると思います。
アブラハムの時代に、長子燔祭の宗教儀式が実際にあったかどうかはともあれ、なぜなら、
こんにちのシナゴーグやモスク、キリスト教の教会においてさえも、
アブラハムの子殺しを、信者が見習うべき信仰の手本として説いているのでしょうから。
つまり、見方を変えれば(僕ら常人から見れば)、
アブラハムみたいなのを狂信者と言わないではおれましょうや。
(犠牲も決してお嫌いではなさそうな神様も探してみました・・・。)
▲彼らは主に向かって酒を注がず、また犠牲をもって主を喜ばせず・・・(ホセア書9章4節)
ご回答をありがとうございます。
★ 純粋な信仰とやらは、おっしゃるところの「経験思考」
の山から見渡せば、
まるで狂気の荒野に見えるに違いありません。
☆ そうですね。勝手に自分の理論を当てはめてしまいます
が 《信仰》に純粋も不純もないですね。
或る日或る時 わが心の窓をノックする音を聞いた・・・と
いうように あちらのほうから来てくれますし その信仰は
与えられるものです。
ノックに応じて 心に受け容れるという――人間の側の――
意志行為がともなわれますが その決断にしても 部分的だ
とか動機が不純だとかの要素は 基本として無いと思います。
(教会にさそわれ 入信をOKしたといった判断は 神によっ
ていざなわれたかどうかは 人間には分からないのではない
でしょうか? 水による洗礼と聖霊によるそれとがあると思
います)
★ のみならず、それは極まれば、娑婆に対する犯罪性も孕
んでいると思います。
☆ という事態は 信仰を与えられるという原点の問題とは
別に 信仰者の生活上の振る舞いとしての問題ですね。
★ アブラハムの時代に、長子燔祭の宗教儀式が実際にあっ
たかどうかはともあれ、なぜなら、
こんにちのシナゴーグやモスク、キリスト教の教会において
さえも、
アブラハムの子殺しを、信者が見習うべき信仰の手本として
説いているのでしょうから。
☆ ん? 分かんない。
あぁ 差し詰め こうでしょうか? つまり:
★ 信者が見習うべき信仰の手本と
☆ するのは:
★ アブラハムの子殺し
☆ か? あるいは その決意のことか? さらには――微
妙ですが―― 神の声を受け容れたことか?
★ つまり、見方を変えれば(僕ら常人から見れば)、
アブラハムみたいなのを狂信者と言わないではおれましょう
や。
☆ あぁ。そういう意味ですか。それは 七十歳をすぎてど
こへ行くかも分からずに 故郷を去って出かけたという最初
からして 狂気ですね。
★ (犠牲も決してお嫌いではなさそうな神様も探してみま
した・・・。)
▲ (ホセア書9章4節) 彼らは主に向かって酒を注がず、
また犠牲をもって主を喜ばせず・・・
☆ なるほど。ホセアも 狂気ですね。
▲ (同 1:2 ) 「行って、淫行の妻・・・を受けいれよ」
No.2
- 回答日時:
先々、自分の子供をイスラエルに遣わして、犠牲の子羊にするのがわかっていたので、その伏線です。
ご回答をありがとうございます。
そうですねぇ。その独り子のばあい 最期では 《わが神 わが神
なぜわたしを見捨てたのか?》という自己表現をしました。
じっさい見捨てられるわけですが ところが イサクのばあいは
ほふられようとするときその最後に たすかります。ヤハヱ―はア
ブラハムを止めました。
そんな違いがあるかも知れないとは思います。
そして もし:
★ 伏線
☆ としての事件だったとしますと その伏線であるということを
アブラハムは 知ったでしょうか? 分かったでしょうか?
それとも アブラハムらは まだその時点で知る必要はなかった・
・・のでしょうか?
No.1
- 回答日時:
ざっくりとした言い方でもいいですか?
アブラハムの神は妬む神です。
その後のキリスト教では神は愛の神ですが、旧約の神は「私の他に神を持ってはならぬ」と妬み罰する神です。
神への信仰や唯一無二絶対でなけらばならず、神以上に大切なものがあってはならないのです。
たとえ我が子であれ、自分の血筋が絶えるのであれ、神の命令であれば従う。
それが信仰の証である、ということを示すためのエピソードだと思います。
もっとも、アブラハムにはイサクの他にも子供はいたので、血筋が絶えるというわけではありませんが、その後イサクがイスラエルの祖となるので、旧約聖書の重要人物であることはたしかです。
ご回答をありがとうございます。
★ アブラハムの神は妬む神です。
☆ 最近は 《熱心 や 熱情》と訳し変えている場合もあり
ますが。
★ その後のキリスト教では神は愛の神ですが、旧約の神は
「私の他に神を持ってはならぬ」と妬み罰する神です。
☆ はい。
★ 神への信仰や唯一無二絶対でなけらばならず、神以上に
大切なものがあってはならないのです。
☆ 微妙な一面もありますね。
つまり 旧約のヤハヱーの場合は 拝一神教ですね。
▲ (ヰキぺ:拝一神教) ~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%9D%E4%B8%80 …
同じ一神教でも唯一神教が他の神々の存在を認めないのに対し、
拝一神教は他の神々の存在も前提とする。
~~~~
★ たとえ我が子であれ、自分の血筋が絶えるのであれ、神の
命令であれば従う。
☆ けれども 生け贄が 動物ではなくて人間である場合には
疑問を持つのも 神の信仰のもとに ふつうで自然であると思
われます。
▲ (ホセア書 6:6 ) わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜
ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。
★ それが信仰の証である、ということを示すためのエピソー
ドだと思います。
☆ アブラハムは 言わば人類の――信仰にかんする――祖と
なるとも《命令》されているわけです。
▲ (創世記12:1-3 ) ~~~
わたしはあなたを大いなる国民とし、
・・・
地上の全ての民族は、あなたによって祝福される。
~~~
☆ それを やっとめぐまれた長子を生け贄にせよということ
について 考えをめぐらすこともあり ではないかと思われる
のです。
★ もっとも、アブラハムにはイサクの他にも子供はいたので、
☆ いや それは その後のことですね。例のアラブ民族の祖
となるイシュマエルを別として。
★ 血筋が絶えるというわけではありませんが、その後イサク
がイスラエルの祖となるので、旧約聖書の重要人物であること
はたしかです。
☆ ですね。
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