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下記の続きにあたります。
【「立ちかえる」と「立ちもどる」の違い】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11732055.html
質問者:1311tobi質問日時:2020/06/27 15:52回答数:27件

前問(と呼びます)
【「立ちかえる」と「立ちもどる」の違い】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11727802.html
のBAは「立ち」を外して、「帰る」「返る」「戻る」の違いを考えていました。
 帰る」「返る」「戻る」の違いに関してはほぼ同感です。しかし、「立ち」がついたときに同じような考え方ができるのでしょうか。

これに対する当方の回答に反論がなされ、応答が続きましたが結論のでないままになっているので、きちんとした回答を提示したいと思います。御意見、疑問をお寄せ下さい。

No.26,No.27
回答者: nwsaburoo
にお応えします。

相変わらず、ポイントを外した陽動作戦を展開していますね。
というより、論理的、本質的な議論とは何かが理解できていない以上そうなるしかないということを露呈しているに過ぎませんが。

本質的な誤りを指摘しておきます。

「同じ意義となる訳がありませんよね」と誤りを指摘しているのに、誤りを「具体例を持って論証せよ」とは何を言われているのでしょうか。論理ということが全く理解できていませんね。それならば、まず、このように意義が異なるではないかという「「具体例を持って論証せよ」です。

>>「地球が丸いわけがない(おっこちてしまうから)」「地球が太陽の周りを回っているわけがない(そんな速度で回ったら、酔ってしまうだろう)」

愉快な例ですね。この程度の発想しかないのでは如何ともしがたいですね。ニュートン力学誕生の科学史を正しく理解下さい。(山本義隆『重力と力学的世界 古典としての古典力学』現代数学社、1981年10月。ISBN 4-7687-0108-6)

論証、学問とは何かが理解できると思いますが?

>>辞書的な意味(意義?)は知っているでしょうけれども、それを実際に行ったことがないのでは?

日本語が大丈夫かというレベルですね。何を「実際に行ったこと」?

>>文の意味は何度も指摘したように千差万別です。
これを何度も書いていますが、何のためなのかわかりません。

だから駄目だと指摘しているのですが。

異なる意味の文を直接比較すれば単に異なるに過ぎません。そこから、辞書に示される規範としての語や、句の普遍的意義を抽象し初めて比較が可能になります。この誤りは、現在の認知言語学のプロトタイプやスキームという誤った概念と同じ発想です。個別・特殊・普遍の弁証法的な理解なしに言語を論じようとする限り克服不能な限界です。

>>複合動詞の意味用法です。

ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ヴィトゲンシュタイン(独: Ludwig Josef Johann Wittgenstein)は「意味を求めるな、用法を求めよ!」と命じていますが、それに忠実に従われているということですね。

>>何も違いは感じませんけどねえ。

「原点に立ち返る」「「原点に立ち戻る」「原点に返る」「原点に戻る」がすべて同じ意義、意味であると主張するのならば、「立ち」には意義がない、「返る」「戻る」は同じ意義であることの論証が必要でしょう。それぞれの意義が異なることは先に辞書を引用した通り、異なる意義の語として立項されているのでも明らかで、それ以上のいかなる「科学的」な議論が必要なのかを開示していただきたいものです。

不要に事例を多数並べ何かを論じていると装うのは得意でも、対象の本質を抽象し、抽象的な概念の間の論理的な解明という地道な作業はやろうにもやれず、適当な具体例でお茶を濁すしかないのは、街の好事家の限界ですね。

>>文の意味から語の意義を抽象しなければなりませんが
ここのところ、興味があるのですが、どうやるのですか?
よろしかったら、お教えください。詳しく、具体的に。

よい例文を挙げられているので下記に付いて検討してみましょう。

   ・被災地に映画を届けることは、映画を上映することの「原点」に立ち返る ような
    経験でもありました。
   ・被災地に映画を届けることは、映画を上映することの「原点」に 立ち戻る ような
    経験でもありました。
   ・映画の撮影前や製作に行き詰まったときに、もの作りの原点に 立ち戻る ために
    必ず観る映画として、『捜索者』『七人の侍』『素晴らしき哉、人生!
   ・映画の撮影前や製作に行き詰まったときに、もの作りの原点に 立ち返る ために
    必ず観る映画として、『捜索者』『七人の侍』『素晴らしき哉、人生!
   ・日本車にこだわる人は何故日本車が高性能であるのかをという原点に 立ち返る 必要
    があります。
   ・日本車にこだわる人は何故日本車が高性能であるのかをという原点に 立ち戻る 必要
    があります。
   ・「権力監視」と正確な報道というジャーナリズムの原点にいま一度、 立ち戻る。
   ・「権力監視」と正確な報道というジャーナリズムの原点にいま一度、 立ち返る。

これらの文で、「原点」はそれぞれ、

映画を上映することの「原点」
もの作りの「原点」
何故日本車が高性能であるのかをという「原点」
ジャーナリズムの「原点」

というように使用されており、「映画を上映すること」が始った地点、「日本車が高性能であるのか」を考える始点、ジャーナリズムとはそもそも「権力監視」と正確な報道という地点からという具体的な【意味】を表わしていますが、これら「原点」という語に共通した概念は、それらの「そもそもの出発点」ということです。つまり、「原点」という語が共通に使用される根拠は規範として「そもそもの出発点」という意義を表わし、話者がそれぞれ「被災地に映画を届ける」「映画の撮影前や製作」「日本車にこだわる人」という個別の対象を認識、思考するところから生まれた概念を「原点」という語の言語規範を媒介として表現することにより文が生まれ、意味が生まれたものです。「返る」「戻る」も又同様で、話者が対象をどう捉えるかにより「返る」「戻る」という意義の異なる語が選択されます。

さらに、 「返る」「戻る」という意義、意味を強調しようと話者が認識すれば「返る」「戻る」という語の前に「立ち」という接頭語を付加します。この意義の強調により文の意味が異なります。

これらの文を読んだ読者は、「原点」他の単語の規範としての(辞書に記される)意義を抽象、理解することにより、他の個別認識を表現する際にこれらの語を使用します。意義が曖昧であれば話者は辞書を参照することになります。

このように、言語表現は概念を表わす語などの規範を媒介とした表現で、絵や音楽のような感性的な表現とは異なります。

  ・被災地に映画を届けることは、映画を上映することの「原点」に立ち返る ような
   経験でもありました。

これを絵という感性的な表現にしようとすると漫画、紙芝居のような連続画にし、接頭語「立ち」を表現する場合には「返る」「戻る」場面を色付け、線を太くするのような感性的表現に訴えるしかありません。言語表現の場合には接頭語「立ち」を加えるだけで明晰に意義を表わすことができます。このように、表現にはそれぞれ特殊性があり長所短所があります。

さて、回答者はこのような言語表現の過程的構造を捉えることなく、表現された結果とそれが表す対象を直結し、<日本語話者の言語直感(内省)>ではなく、<聞き手、解読者の言語直感(内省)>を基に、直観的意味を語っているに過ぎません。そもそも、表現と理解の、相違と関連、話者の認識を捉えることができずに、<日本語【話者】の言語直感(内省)>と<日本語【読者】の言語直感(内省)>を不用意に混同せざるを得ない結果になっています。

したがって、

>>「返る」は反転であり、「戻る」はもとの場所に帰ることです。
とは何だったのか?

などというピント外れの疑問も生ずることになります。

一応、ご要望に応え「詳しく、具体的に。」述べましたがいかがでしょうか。

そういえば、以前、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』が全く理解できずに放り投げられたようですが、この辺はP64以降で詳しく論じられていますので是非再読三読下さい。

より詳しくは『認識と言語の理論 1~3』他をも参照下さい。■

A 回答 (2件)

興味深かった点だけ抜粋して。



>「返る」は反転であり、「戻る」はもとの場所に帰ることです。

これは誰の言った内容かは知りませんが、私の考えとほとんど同じです。

【返る】は、それまでの(事態・事物などの)進行方向とは逆の方向を意図した表現。「振り返る」という動作が付随している。
【戻る】は、もとの場所を意識した表現。「振り返る」という動作がは特に意識されていない。
これが本質的な違いでしょう。

「立ち」が強意であるのは言わずもがな。
「立ち返る」
「立ち戻る」
の違いは明瞭。

・被災地に映画を届けることは、映画を上映することの「原点」に立ち返る ような経験でもありました。
⇒昨今の商業主義に乗った制作姿勢への反省を含んでいる。
そのような(それまでの)制作姿勢(方向)とは逆の方向へ向かった場合の帰着点として『映画を上映することの「原点」』が位置付けられている。
『映画を上映することの「原点」』を振り返らされたような感覚を話者は覚えている。

・被災地に映画を届けることは、映画を上映することの「原点」に 立ち戻る ような経験でもありました。
⇒こちらも、『映画を上映することの「原点」』が逆の方向へ向かった場合の帰着点として認識されている点では同様ですが、
《『映画を上映することの「原点」』を振り返らされたような感覚》
は特に明示的ではない。
『映画を上映することの「原点」』を「元の場所」として認識することが本義。

「立ち帰る」という表現はちょっとなじみが薄いので何とも言えませんが、これは字の意味そのままであり、比較するまでもないことかと。
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この回答へのお礼

適切なコメントをありがとうございます。

語の意義と意味の相違と関連を理解できない方があれこれ言われており、困惑しております。■

お礼日時:2020/07/20 10:17

スロさんおはようございます。

 敵に寝返るのは大丈夫です。でも敵に寝戻るのはなんだかイヤです。嫁が出返るのはなんだかイヤです。でも嫁が出戻るのは大丈夫です。あと立ちと  があります。車が擦れ返るのも擦れ戻るのもなんだかイヤです。全部で10種類あります。
      返/戻
 敵に 寝 〇/×
 嫁が 出 ×/〇
原点に立ち 〇/〇る。
原点に   〇/〇
 車が擦れ ×/×
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この回答へのお礼

早速の応答をありがとうございます。

なるほど、動詞の意義により接頭語との組合せに制限がありますね。

当然、「帰る」「返る」「戻る」の意義の相違によるということですね。■

お礼日時:2020/07/16 11:58

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