アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

私は、現在製造系のエンジニアとして働いている者です。
 早速ですが、仕事がら物事を論理的に考える際に必ず「本質とは」という言葉を用いて話す方々がいるため、業務上の迅速かつ深い推敲に必要であるその定義について明確にしておきたいと考えています。

また、”本質”と”根本原因”の違いについてもご教授できる方がいれば、ご教授いただければ幸いです。

 個人的見解でもよいので、その定義について多くの方からご指導頂ければ幸いです。

下記は、この疑問を考え始めた背景です。

=======================

 本質の定義とは何なのだろうと考えています。私なりには、まだ若い(30歳未満)ため「そのものが、そのものであるための不可欠な因子である」という漠然とした(かつ、正しいかどうかという事すらもあいまいな)回答ぐらいしかできません。けれど、「そのものがそのものであるということ”全体”が本質であるかもしれないな」などとも考えています(この”全体”というのは間違いかな?とも思えてきています)。

 「この問題の”本質”とは・・・」という言葉を、「この問題の”根本原因”とは・・・」に置き換えても言葉の意味が通じることもあります。製造業として不具合を未然に防止するためには、”根本原因”を改善することが必要です。もちろん、もろもろの事情により”応急処置”を行うことも必要でしょうし、”放置”や”現状監視”などの措置も必要です。

 けれど、ここで、”根本原因”と”本質”という言葉の定義が分からず、困っています。使い分ける方もウェブサーフィンをするだけでもそれなりの人数の方がいるため、それらがどのように異なるのかを明確にすることによって、より内容の把握や分析を迅速にし、かつ、深めたいと考えています。

A 回答 (23件中11~20件)

kigurumiです。



>という事は、kigurumiさんの中の本質と根本原因の関係は、「”本質”∋”根本原因”」ということですね。

はい、本質を決めて、その本質が含有する根本原因を改善する です。


>また、「”本質”は定義するものである」という事ですね。

自分で書きながらその単語は違うと気づきました。
本質が何であるか決める でした。(定義は適切な言葉じゃありませんでした)


この後もせっせと書いていたんですが、あ、、と思うことがあって消してしまいました。 ^^;
(問題解決するかも)

普通、<不具合の本質は>とはあまり言わないと思うのです。
<不具合の原因は>と普通は言うと思います。

でも故意に原因といわず 本質と表現した場合、どういったときに使うかというと、概念的なものを言うとき使うような気がします。
不具合の状況を詳細にしない時。
理論思考より感情思考が入る時。
現実より概念として捕らえる時。
などなど。

で、普通、理系の現場では本質という言葉はあまり使わないと思うんです。
本質という言葉は映画や文学や哲学とか深層心理を語る時とかに使います。

でも理系の人が 本質と根本原因の違いについて聞いているってことは、、、理系の現場に右脳寄りな人がいて、その人が本質という言葉を使っているので、どう違うのだろう?ってなっているのかなって思いました。


製造関係で本質という言葉を多発する人の場合、概念でものごとを考えるのを得意とする右脳気質の人に多いように思います。(想像ですけど)

左脳思考な人の言葉→パーツの劣化により不具合が発生しています。(的確な表現です)

右脳思考な人の言葉→構成する何かが関与して不具合が発生する。(ピンと来ませんが崇高な発言に思えてしまう ^^; )
    

いろいろ書きましたが、この右脳寄り思考の発言が左脳寄り思考の人には「二つの違いがわからんぞ~」となっているのではないでしょうか。
もしそうなら、その人に 理系の現場では本質という言葉は極力使うなって助言してあげれば・・・
あ、、上司ならできないかも。


蛇足ですけど、物事には右脳を使って解決する問題と、左脳を使って解決する問題があるそうです。
私の今までの発言は右脳を主に使っているはずです。
だから いまいちピンとこなかったと思います。


(問題解決するかも)以降は左脳を使って問題を解こうとしました。
今回の質問の答えは、右脳を使って解くようで、実は左で考えないと解けない問題だったのかも。

この回答への補足

【【【”お礼”への返答が1000字までと表示されはじかれたので、続きを書きますね。】】】

また、文系は理系よりも概念的であるか、と言われるとそうとは限らないと思います。例えば、哲学も、あいまいであるなどと思われがちですが、紀元前600年以上前のタレス、もしくは、それより約300年前のアリストテレスなどの理論を見るに、当時としてはかなり高度な科学であるとしか思えないほどの論理性です。

 確かに、タレスが万物の構成要素は水であるとした事は、現在の科学からは(核融合や核分裂などでもさせなければ、)外れていると考えられます。けれど、紀元前600年以上前に原子や陽子やクウォークなどは判明できません。(というより、最小構成要素は現在でも調査中であるほどです。)

 けれど、その当時に可視的または思考可能であった性質などは、全て科学的に解明しています。「理学部」も本来の英語の直訳では「哲学部」と訳す(らしい)ほど、哲学は科学的です。

 よって、理学から発展独立した理系の各学術や、哲学から発展独立した文系の各学術も、同様に科学的であると思えます。

 即ち、「本質」も明確に分類できると思えます。
説明不能であった「無限」という概念さえ「集合論」の出現により明確に定義でき、それによって科学が発展したように。

>今回の質問の答えは、右脳を使って解くようで、実は左で考えないと解けない問題だったのかも。

はい、必要に応じて右脳(図形)を使う必要があると思います。(というか、私は、既に、ずっとイメージしながら考えていたのですが。(^^; )

理系も、医者が手術に備えてイメージトレーニングしたり、工学でも製品がこの世に生まれる前の設計段階で、実際に製品の各部品やデータ、または、製品全体がどう動くか、または、製品が環境に与える影響など、イメージしまくりです。頭爆発しそうです。www

 1つの不具合対策でも忘れたら、人の命に関わりますし、コスト的にも最低でも数百万円最高では”億円”単位のリコール損害の可能性がありますから。実際に製品が完成する前は、頭の中にイメージした製品の動作のみが命綱です。

 

補足日時:2005/01/24 22:50
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

 初めに、「原因」について、不具合などマイナス的な結果に至った原因について「原因」としていますが、ここで、原因については、「原因と結果」というように、結果に対する反意語として用いられるのではないかと思い始めています。(例えば、「勝利した原因(=勝因)は、・・・」など)

>本質と表現した場合、どういったときに使うかというと、概念的なものを言うとき使うような気がします。

>不具合の状況を詳細にしない時。
>理論思考より感情思考が入る時。
>現実より概念として捕らえる時。

 これについても、本質とは「状況を詳細にしないため」や「感情」という意味合いではなく、より明確な解(定義)があると思っています。
(「現実より概念として捕らえる時。」という項目については、まだ分かりません。)

次に、”本質は人(など?)によって定義されるもの”であると考えると妥当であると思います。

>で、普通、理系の現場では本質という言葉はあまり使わないと思うんです。

 理系でも、本質という言葉をよく使いますよ。例えば、私が学生時代に在籍していた大学の教授が、よく「本質」という言葉を使っていました。この方は、かなり鋭い視点で物事を話す方で、日本の情報系学会でも重鎮であった方です。もちろん、論理的な解答も鋭かったです。

 ただし、先輩に当たる方の中には、「本質」という言葉を連呼しながらも、明らかに解法を把握できていない、製造上の問題を的確に解決することに苦しんでいる方も見かけます。

>物事には右脳を使って解決する問題と、左脳を使って解決する問題があるそうです。

 確かに、下記の様に、その単位面積あたりの情報量の多さや、意思伝達時の正確さなどから、右脳を使う解法は有用であると言われます。

【優先度:高】絵→図→グラフ→文章【優先度:低】

【【1000文字を越えたので、続きは、この”お礼”の直ぐ上にくるであろう”補足”に書きますね】】

お礼日時:2005/01/24 22:38

「自動車」などの定義は、お考えのように、時代と共に変遷するものだと思います。


人工の物については、それを創造するわれわれの頭のなかに設計図がある(つまりはその定義がある)わけですから、まあ、当然の流れなのかもしれません。
「自動車の本質が変化した」というような言葉も、ふつうに使われるでしょう。
「本質」を観念的な存在にすぎないとする見地からは、「本質が変化した」というのは、「自動車」を規定する性質が他の性質にとってかわられた、と解釈することになります。
社会主義体制から資本主義体制に移行すると「体制が変化した」と言っていいと思いますが、これは、社会主義の内容が資本主義のそれに変化したという意味ではありません。社会主義体制のとらえかたには、変化はないはずなのです。

ところで、「本質」をあくまでも観念的なものとしてとらえようとする理由、ちょっとだけ言及しておきます。
もし「本質」を物質的なものに求めようとすれば、たとえば「椅子」の本質を考えるさい、たちまち不都合が生じます。つまり、「椅子」というのは機能的な概念なので、その素材が木であろうと鉄であろうと、関係がないはずなのです。
また、「赤」の本質を考えるさい、科学者なら、赤色を決定する粒子、つまりは、それがなければ光の反射によっても事物が赤色にはみえないような、「赤」の<本質>を発見しようとするかもしれません。しかし、そのようなモノが現実的に存在するという保証は、どこにもないわけです。
これにひきかえ、「本質」をあくまでも観念的なものとしてとらえると、いかなる概念にも妥当する説明が可能になると思います。
概念は、(「椅子」など)機能ないし目的から把握されるものもあれば、(「水素」など)物質的に把握されるものもあります。その定義はまったく任意であるといっていいでしょう。
いかなる概念に対しても、その「本質」というものを検討することができるようになるわけです。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

 これは、本質が【形而上(時間・空間にとらわれない、理性的思惟)】と【形而下(時間・空間のうちに形を有するもの)】とに分類できるということを説いているのですね?なるほど、確かにそう考えられますね。

 ありがとうございます。
ただ今、ご返事を見てみると#14までご回答が届いているようなので、これらも踏まえて、本質というものについて、より的確な定義を出せたらと思っています。

 また、この議題について、更に追加的なご回答がありましたら、是非ともよろしくお願いいたします。

お礼日時:2005/01/24 21:34

補足読みました。

可能なかぎり、わかりやすく説明します。
的はずれならご容赦ください。

哲学ではふつう、反実在論(ないし観念論)でもないかぎり、(時間・空間形式を有する)現実的な存在と、(時間・空間形式を有しない)観念的な存在とははっきり区別して論じられます。この対立は、精神と物質、主観と客観の対立だといったほうがわかりやすいかもしれません。
で、「原因」については(時間・空間形式を有する)現実的な存在として論じられます。
ここまでは、専門家のあいだでもおそらく異論はないでしょう(ただし、反実在論者を除く)。
で、ここからは私の意見ですが、「本質」については、観念的な存在にすぎないと考えるべきだと思ってます。
観念といっても、たとえば現実に存在する赤い物から切り離して「赤」という性質(観念)を認識するのは困難です。というか、不可能でしょう。
当然、時間・空間的定位を有するモノが具備するものとして、認識されるわけです。
ここで重要なのが、先ほどの観念的存在と現実的存在との区別です。
「赤」という性質それ自体は、時の流れとともに変色するものではありません。変色するのは、その性質を有する現実的存在のほうです。
「赤」という観念それ自体が変化してたら、現実的に存在する赤い物の変色を、かえって正しく把握できないだろう、という議論もあります。

#9の例で、当のPCが問題の性質(例の「本質」)を具備するようになったのはウィルスの感染以降である、といえたとしても、「あるウィルスに感染している」という観念それ自体は、時間の流れに対して中立的でなければならない、となるわけです。
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この回答へのお礼

ご返答ありがとうございます。

>「赤」という性質それ自体は、時の流れとともに変色するものではありません。変色するのは、その性質を有する現実的存在のほうです。

 ここで、確かにtascanyさんのいう「赤」は変色しません。本質が、時代の流れとともに性質は変化しないというのも整合性が取れているように思えます。

 ですが、「赤」のような、ある意味太陽系が存在する前から、太陽系が消滅した後でさえも不変であるような「本質」の定義は、世界でも100年程度の歴史である自動車、もしくは約20年の歴史の携帯電話などの「本質」に対しても同様に適用できるのでしょうか?もし”これだ”という定義をしたとして、では、更に数年~数十年後後の自動車に対しても同様の「本質」が適用できるのでしょうか?この自動車に関する問題では時間軸を基準に不変性を論じていますが、場所(海外、国内、寒冷地、、、)やその他の軸でも不変なのでしょうか?

tascanyさんの言う【「赤」に対する「本質」】と【「自動車」に対する「本質」】とは、同じなのでしょうか?個人的には、tascanyさんのいう「本質」と私の言う「本質」が何らかの同一性がある(もしくは同一である)と願っています。

 確かに、今までは自動車や携帯電話などにとらわれ過ぎていました。tascanyさんの言う「本質」も含めて統一解を得たいと考えています。特殊解は適用範囲が限定されて万能では有り得ませんし、一般解ほど強力な武器は無いのですから。

 是非とも、上記に関する見解をうかがいたいです。
以上、よろしくお願いします。

お礼日時:2005/01/24 02:19

技術・製造系の方なんですよね。

 すると私は時折「万物は流転する」という言葉を思い出します。

物の物性は有効桁数を増やして測ると「同じ物」は無いですよね。 又、(製品)特性を利用すると経時変化が見られて「同じ物」が同じ物では無くなってしまいます。 利用しなければ経時変化はゆっくりなので変化が測り難くなります。 変化一般は「壊れた」という言い方をしますよね。

Aさんが使っているPCの液晶とBさんが使っているPCの液晶はPCの型が同じであれば、「同じ物のはず」ですが実際は「同じ物」ではありません。
実際に組み立てを行う場合でも「同じ部品」でなければ「(期待はずれの)不良品」ができていまうため出来上がった製品はパーです。 実社会では「良品・不良品」という言い方をしますけれども、測定値が決められた範囲内の物を良品と言い、範囲外を不良と言います。
つまり、私が思うに通俗的に「本質」とは同じ特性を要求する人間の側の必要性から生じているのではないかということです。

「同じ」でなければ人間同士で「意思の疎通」が図れません。 「同じでなければならない」理由は人間関係や実社会には色々あって、全ては人間の側の都合に起因するといっても過言ではありません。
「同じである」という前提があって互いの円滑な人間関係が成立します

ところが問題があって「同じ物」は実際には有り得ません。 まさに人間の必要とする範囲でなら、なおさらそうなのです。 誰かが「母親とは・・・」といっても実際は母親の数だけ違う者が存在する。 空気だって「同じ空気」なんて実際はありません。

さてここで問題となっている「現象(事象)」は何でしょう。 人間の側の期待要求にあっていない、ハズレてしまった事が特に「世の中」では問題とされます。

さて、ここで特に私が申し上げたい事は「本質が変化する」ということです。 根本原因を持って解説してみてもニュートン力学でさえ相対性理論によれば「正確では無い」理由が有ります。
結局、人間の側の必要・有効範囲内で本質と原因が語られます。

では「根本原因」とは何でしょう。 通常は問題とする事象の相関関係をみて「納得できる」因果性があります。 これは人間の側の「金額・苦労・努力・危険性」など実に一人一人によってリスク配分が異なるもので負荷が違うというものです。
ところが通俗的に根本原因を語る時は、”必ず”期待過剰、期待ハズレであって
「本質とは変質するもの」
「本質は規定範囲内の条件下で成立する」
という使い方をしている、と思います。
技術屋とそうでない人達との感覚の違いってありますよね。

万物は流転します。 私の意識もいずれ消滅し「同じ」ものは存在し得ません。 一過性の不可塑なものであり「同じ」事を証明できる方法は無いでしょう。

タイムマシンでもできれば別ですが。

この回答への補足

【【【”お礼”への返答が1000字までと表示されはじかれたので、続きを書きますね。】】】


>さて、ここで特に私が申し上げたい事は「本質が変化する」ということです。 根本原因を持って解説してみてもニュートン力学でさえ相対性理論によれば「正確では無い」理由が有ります。
>結局、人間の側の必要・有効範囲内で本質と原因が語られます。

 なるほど、「本質=”要求する人間の側の必要性”=ニーズ=顧客の要求」とすると、変化は当然ともいえますね。重要なご意見であると思います。

 次に、”根本原因”とは”因果性”があり、かつ、”一人一人によってリスク配分が異なるもので負荷が違うというもの”であり、更には、”通俗的に必ず期待過剰、期待ハズレ”であるもの。これに更に追加するには、下記のような使用をしているもの、ということですね。

>根本原因を語る時は、”必ず”期待過剰、期待ハズレであって
>「本質とは変質するもの」
>「本質は規定範囲内の条件下で成立する」
>という使い方をしている、と思います。

 確かに、そうですね。「規定範囲内での使用をしていなかったことが根本原因である。」というようなことですね。これは、「製造業では多くの技術者に認知されている製造品(結果)を左右する6つの特性主要因(人、材料、機械、方法、計測、環境)の内の”環境”という主要因が根本原因であった」と言えますね。

 ここで、以前に「本質=目的=ニーズ(要求、需要)」としましたが、これに「結果」を加え、「本質=目的=ニーズ(要求、需要)=結果」としても良いのでしょうか?

(※追伸:私は、昔から上記6要因に時間という新要因を加えたいと思っていたのですが、環境に含まれるのでしょうか?)

補足日時:2005/01/24 00:22
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この回答へのお礼

はじめまして。
そして、ご返答ありがとうございます。

 文章の内容を見るに、同業者(製造系技術職)の方ですか?私は、製造系技術職(制御系)なので、文章の端々に馴染みのある経験的事項が多く織り込まれていて、うれしいですね。確かに製造業では(というより、この世に存在するものであれば何でも)バラツキは必出、つらいものですよね。

 欧米では百万個に数個の不良品レベルを目指しながらも、それより桁違いの不良品を出していて、一方の日本は1000万個に数個のレベルを既に実現していると言われていますが。。。業界では、はるかに先輩かもしれない方に、基礎的ウンチクですみません(^^;

 さて、本題に入りますが、バラツキは上限値と下限値に挟まれた間にあれば良品、入っていなければ不良品ですね。そして、この上限値と下限値は、製造業者が定義しますよね。確かに、今までの皆さんの流れの中で出てきた「本質は定義するもの」であるという事にも整合性が取れていますね。

>つまり、私が思うに通俗的に「本質」とは同じ特性を要求する人間の側の必要性から生じているのではないかということです。

 なるほど、即ち、「本質=”要求する人間の側の必要性”=ニーズ(要求、需要)」という事ですね。

>「同じ」でなければ人間同士で「意思の疎通」が図れません。 「同じでなければならない」理由は人間関係や実社会には色々あって、全ては人間の側の都合に起因するといっても過言ではありません。
>「同じである」という前提があって互いの円滑な人間関係が成立します

 なるほど、ここまでをまとめると、【”「本質」が同じである事”という前提によって、”意思の疎通”や”円滑な人間関係”が可能である。】ということですね。
これは、また別の議題(論点)のようですが、本質についての議題にメドが付いた際には、新たな議題にしたいですね。

【【1000文字を越えたので、続きは、この”お礼”の直ぐ上にくるであろう”補足”に書きますね】】

お礼日時:2005/01/24 00:21

議論が白熱してるなか恐縮なんですが、ご参考までに、私なりの結論だけ示します。



1)ある概念の「本質」とは、その性質を欠けばもはやその概念にあてはまらなくなるもののこと。つまりは、概念の定義に使われる性質のことだと思います。
たとえば、「自動車」を「走るもの」として定義すれば、たとえ(エンジンやハンドルなど)自動車のパーツがすべてそろっていたとしても、走らなくなった<自動車>はもはや「自動車」ではありません。「走るもの」という性質を欠いたら「自動車」という概念の適用がなくなるのだから、それは「自動車」の「本質」と呼べるでしょう。

2)「根本原因」との差異について、「本質」が時間の流れに対して中立的な存在であるのに対し、「根本原因」は時間的定位を有する存在である、と考えていいのではないでしょうか。
「本質」が概念の定義に使われる性質だとする見地からは、それは観念的、つまりは時間の流れに対して中立的です。
一方「根本原因」は、「原因」というからには、なんらかの事象(ないし出来事)でなければならない。結果よりも前に生起しなければならないということは、それが時間的定位を有することを意味する。いわゆる因果律により、「その根本原因がなかったならこうした結果は生起しなかった」「根本原因がなくなればもはやこうした結果は生じなくなる」という言い方ができる。

さて、いま何らかの原因でPCがうまく動作しなくなったとします。「このPCの不具合」という問題の「根本原因」は、たとえば「(過去に)あるウィルスに感染してしまったこと」で、一方、その問題の「本質」は、ウィルスをやっつけると当座の問題が解消される(つまり「このPCの不具合」という観念の適用がなくなる)という観点から、「(現在)あるウィルスに感染していること」であるといえるでしょう。
両者のちがいは、「根本原因」が過去に生起した出来事を指しているのに対し、「本質」はその出来事以降のPCの状態・性質を指しているという点に尽きるような気がします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>走らなくなった<自動車>はもはや「自動車」ではありません。「走るもの」という性質を欠いたら「自動車」という概念の適用がなくなるのだから、それは「自動車」の「本質」と呼べるでしょう。

うーん。”走らなくなった自動車は自動車ではない”というのであれば、廃棄処分にされた自動車は、何に分類されるのでしょうか?”スクラップ”ですか?こうなると、”かつて自動車だったもの”も自動車なのか、でも溶かされた自動車の鉄は自動車ではないですよね。自動車の形をとどめている限りは故障などで廃棄されていても自動車であると考えたほうが一般的ですね。となると、”自動車の形”も自動車の定義に加えておくべきでしたね。そして、この定義を自動車の本質に加えると、「”走らなく”なって、かつ”自動車の形”を留めていないものは、自動車ではない。」と改善すると、確かに、tascanyさんの言うとおりですね。

>2)「根本原因」との差異について、「本質」が時間の流れに対して中立的な存在であるのに対し、「根本原因」は時間的定位を有する存在である、と考えていいのではないでしょうか。
>「根本原因」は、「原因」というからには、なんらかの事象(ないし出来事)でなければならない。結果よりも前に生起しなければならないということは、

なるほど「時間軸を基にすると、「根本原因」は「結果」よりも相対的に後である。」といえますね。

>、「根本原因」が過去に生起した出来事を指しているのに対し、「本質」はその出来事以降のPCの状態・性質を指しているという点に尽きるような気がします。

 以上を要約すると、下記のようになりますね。


時間軸を基にすると、「根本原因」→「結果」という順に発生している。
(※ここで、【本質】=【「結果」の状態・性質】)


 となると、最初に述べられた、【「本質」が時間の流れに対して中立的な存在】という発言は矛盾ではないでしょうか?
 ここで、Kaiuさんへの回答時(#8)に、「本質=目的=ニーズ(要求、需要)=根本」としましたが、これをtascanyさんに適用すると、tascanyさんの場合は、「本質=目的=ニーズ(要求、需要)=結果(時間軸上では、根本的原因よりも相対的に過去)」となりますね。
 以上について、ご意見がありましたら、ご回答の程をよろしくお願いします。

お礼日時:2005/01/23 23:19

度々、お世話になります。


No.1の者です。

>本質を構成する個々の因子とは何なのか?
(1)作る側から定義する真の本質とは、
 物事の存在の目的に値するもの、と考えます。
 人は必ず目的をもって物を作ります。
(2)一方、それを使うほう、
 局所的にしか物事を認識していない人間からしても、
 物事の存在の目的に値するもの、と考えます。
 しかし、その「人」の経験や記憶や嗜好から、
 本質は構成されると思います。
 モノ以外の物(人為的に作られた物でないもの)も
 この範疇に入ると思います。

>「根本的原因については、本質に含有されると
>思います。
>なぜなら、本質、根本が
>ほぼ同義の意味であると思うからです。
>よって、本質的な原因≒根本的原因である
>とも思っています。」
真です。本質(根本)無しに原因はありえません。
原因に関しては不変のものと思います。
本質の定義がこれまで書いたように多少曖昧だろうと、
「物事を成している何らかの要素」を含んでいると
考えているからです。
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。

 そうですね。車を作る側から定義する真の本質とは「車の本質が走ること」であり、かつ、車は走るもの(「車の目的が走ること」)であるからこそ、車を作るのですよね。
 ここで、作る側はニーズ(要求、需要)があるからこそ作る(供給)のですよね。ということは、「本質=目的=ニーズ(要求、需要)」となりますね。

>本質的な原因≒根本的原因であるとも思っています。」

 なるほど、Kaiuさんは、「本質=目的=ニーズ(要求、需要)=根本」となりますね。このような考え方でよろしいでしょうか?

>(2)一方、それを使うほう、
> 局所的にしか物事を認識していない人間からしても、
> 物事の存在の目的に値するもの、と考えます。
> しかし、その「人」の経験や記憶や嗜好から、
> 本質は構成されると思います。

 そして、上記のように書かれていますが、これはミクロ的(部分的、局所的)視点の中にも「本質=目的=ニーズ(要求、需要)=根本」が存在するという事ですね。このような考え方でよろしいでしょうか?

では、「本質=目的=ニーズ(要求、需要)=根本」を構成している要素は何なのでしょうか?これについて、ご解答いただければ幸いです。

お礼日時:2005/01/23 22:38

No.3です。



やっぱり理系の方でしたか。 笑

> ここで、ひとつ質問なのですが、本質と根本原因に包含関係は有りますか?

あ、あると思います。
本質をどう定義するかで根本原因の答えが変わります。
だから本質の定義を誤ると、それに付随する根本原因をいくら考えても、全然問題解決しません。


>Kigurumiさんは互いに背反する独立事象として扱っているように思えます。これについて、ご回答願えますか?

背反する?えっと説明の仕方が悪いのかもしれない。

『エッフェル塔に登れなかったぞ どうしてくれるんだ事件』

このクレームの本質は<エッフェル塔に登れなかった>ではない。
このクレームの本質は<まあ フランスに何度も来ていらっしゃるのですか。フランスにお詳しいのでしょう。普通の人は何度もフランスに来ることはできないので、うらやましい限りです」と言って欲しかった ってこと。

ところがツアコンの答えは「じゃあ 登らなくてもいいですよ」で、当然ほめことばをもらうと思っていた奥様は、プシューってなってしまった。

さらにツアコンだけじゃなくて旅行会社も問題の本質を見誤って、怒りを増幅させた。

ツアコンや旅行会社の見ている本質と顧客が見る本質(この場合隠れていた)が違うから起こったトラブル。

ここで本当の本質は何かと旅行会社のお偉いさんはチャレンジャー精神で本拠地に乗り込み、話をした結果、経験があるので、「もしやこの本質は・・・」って「奥様それにしてもフランスに何度も行ったことがあるなんてすごいですね」と言ってみた。
ビンゴ! 本質ゲット。
「まあ そうなんですよ、ええ、ええ ぺらぺらぺら おほほほほ」
後はクレームの本質がわかったので、経験からどう対応すればいいかわかっているので、根本原因にのっとって、遠まわしの誉め殺し作戦。
解決~。




他の例でいうと「人間の本質」って書くと漠然としたいろんな答えが返ってくる。
質問者は的を得た答えがいつまでも返ってこない。
あまりにも広範囲でそれぞれのイメージが千差万別だから(根本原因)

では「人間の本質は悪である」と書くと、だいぶ絞られてくる。
質問者は本丸にちょっと近づいた感触を覚える。

「では 人間の本質は悪だと定義すれば、その根本原因は何だと思いますか?」

またいろんな答えが返ってくる。
さらに本質と定義するものに修飾語や補足の言葉をくっつけると、だんだん絞られた答えがかえってくる。


このように本質を何と定義するかで、それを構成するパーツの根本原因が違ってくる。

と考えてみました。
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。

>本質をどう定義するかで根本原因の答えが変わります。
>だから本質の定義を誤ると、それに付随する根本原因をいくら考えても、全然問題解決しません。

>さらに本質と定義するものに修飾語や補足の言葉をくっつけると、だんだん絞られた答えがかえってくる。

>本質を何と定義するかで、それを構成するパーツの根本原因が違ってくる。

という事は、kigurumiさんの中の本質と根本原因の関係は、「”本質”∋”根本原因”」ということですね。また、「”本質”は定義するものである」という事ですね。なるほど、ご回答ありがとうございます。

 本日TOEICテストを受けてきてまして、返答が遅れてすみませんでした。今見ると、#10までたまっているようですので、早速理解して回答できたらと思っています。これらの回答に対しても追々ご意見がありましたら追加していただければ幸いです。

お礼日時:2005/01/23 22:15

おはようございます。


No.1のものです。
何度も回答に出てくるのは始めてなのですが、
考え始めると私も止まらない性質なので
また書かせていただきます・・・。

また開発の例を取りますが、
他システムと同期を取る、という機能を本質とした
システムを作ったとします。
要件定義の段階で詰めていたもののボリュームが、
作り始めると結構大きくてコストが
思った以上かかり、マスタ管理の一部を削ったとしても
そんなものはこのシステムの本質から外れるので
CSVでやってください、と言えました。
システム作りにおいて「本質」は
人が決めなければならないのです。
それが作業上不可欠な事だからです。

>本質といっても人によって捕らえ方が
>異なるという事になるのでしょうか?
>本質が人によって異なるなど
>有り得ない気もしますが

異なると思います。
なぜなら、物事の本質を「人」が定義するからです。
また、携帯電話の本質とは?と聞かれると
「持ち運びの出来る電話だ」、「いや、メールだ」
「両方だ」と分かれるかもしれません。
仰っていたように車然り、
Microsoft社のExcel然りです。
本質を知るにはそれを作った人に聞くのが一番です。
それまでは人間は本質を見誤ってるのかも知れません。
人は物事の一部だけ切り取って、
物事の全体であれ、局所的にであれ、
頭の中で勝手に定義するだけですから。

この回答への補足

【【【解答欄が1000字までと表示されはじかれたので、続きを書きますね。】】】

 ここで、Kaiuさんの考えをまとめると、「”全体”や”部分”によって本質が構成される。」となりますが、では、「本質を構成する個々の因子とは何なのか?」についても考えていただけないでしょうか?

 上記を基にすると、私が【”根本原因”とは不変のものである】と”あくまでも仮に”定義するとして、Kaiuさんの意見は、【”本質”とは、人が「物事の一部だけ切り取って、物事の全体であれ、局所的にであれ、頭の中で勝手に定義する」ものである】(ここで、【”物事”とは”根本原因”の1つ以上の要素集合に相当する】)という意見にまとめてもよろしいでしょうか?

 けれども、以前のKaiuさんの”根本原因”に対する定義は、【「根本的原因については、本質に含有されると思います。なぜなら、本質、根本がほぼ同義の意味であると思うからです。よって、本質的な原因≒根本的原因であるとも思っています。」】とありますが、この意見は今でも真ということになるのでしょうか?

 以上、ご解答のほどをよろしくお願いいたします。

補足日時:2005/01/23 09:51
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この回答へのお礼

度々お世話になります。

 「それを実現する方法が異なっても結果的に機能を実現するのであれば方法は問わない。」とソニーの上層部の方がビジネス誌か何かの媒体で述べているのを見たことがあります。機能を本質とすると、方法を問わないでも実現する機能を”本質”、問われる個々の方法を”根本原因”と定義すると良いのでしょうか?

>なぜなら、物事の本質を「人」が定義するからです。

 確かに、本質とは、人によって異なるものであるからこそ、討論(ディベート)などでも、最初に用語の定義から入るのかもしれませんね。

 ※Kaiuさんも情報系かと存じますので、情報系の用語で補足しますと、「オブジェクト指向によるオブジェクトというものの切り分け方も、人によって切り分け方が異なる」ということもありますし。。。

>本質を知るにはそれを作った人に聞くのが一番です。
>それまでは人間は本質を見誤ってるのかも知れません。

 それを作った人もそうですし、それが運用されている最中でも本質というものが指している内容が、ユーザや後の開発担当者などによって、時とともに次第に変化しているかもしれませんね。案外、当初発明した方も思いもしなかったことが起こるというのもそれに付随するのかも知れません。(意見が異なるのであれば、是非ともご連絡ください。)

お礼日時:2005/01/23 09:51

No.3です。



>「”根本原因”は絶対条件である」
>「”本質”は絶対条件ではないが、”根本原因”を誘発させる触媒的なものである」

そう分類すると私自身も自分の書いていることがわかりやすいです ^^;
はい、本質は絶対条件(材料)ではないです。
が、触媒的? うーん ちょっとニュアンスが違うかも。
すいません 私文系なので、理系の人?にうまく伝えられるかな?


本質を<なりやすい性質>って書けばよかったかもしれません。
Aさんはなりやすい性質だった。
性質=根本原因じゃないの?ってなりそうですが、ちょっと違う。
一卵性双生児は同じ遺伝子だけど、親からうつ病の因子を受け継いでいたとして、必ずしも片方が発病したからもう片方も発病するとは限らない。(確立は他の兄弟に比べて高くなりますが)
なぜならうつ病には他の材料も必要だから。
その材料はなにかというと性格(性質)。
その性格はDNA以外環境も影響して構成される。
そのほかに必須なのは誘因。(誘因=触媒かな?)




>ここで「あの言葉」とは、「「わたしは何度もフランスに来たことがあるから、今更エッフェル塔には登らなくてもいいわよね?」」ですか?

はい そうです。


>「”本質”は絶対条件ではないが、”根本原因”を誘発させる触媒的なものである」ということでしょうか?この文章では「クレームの根本原因」としたほうが良いのではないのでしょうか?

いえ、触媒とは違います。
クレームの根本原因は「ツアーコンダクターが顧客の本意を汲み取れず、言葉通りの解釈をしてその返答をしてしまったこと」です。
(本音を言わなかった顧客に落ち度があり、これが根本原因のように思えます。 しかし日本人はダイレクトな表現をしないというコミュニケーション形態なので、顧客の今回の遠まわしの言い方は不適切とは言えない)

さらに旅行会社も言葉の裏に隠された心理がわからなかったので、どうして希望通りにしたのにこんなに文句を言うのか理解できなかったのです。


以上のことから 本質とは性質のことで、この性質は単体で働くこともあれば、触媒が必要なこともある。
根本原因はそれが無ければ起こりえない って事じゃないかと。

例えば宇宙は無からできたって事になると根本原因は無 つまり何も無い状態から有が生まれたってなって、それはありえない。
何かしら有なるものがあったはずだ。となる。
地球は稀なる生物が生存できる環境になる性質(本質)があり、環境がそろったので発芽して生命が生まれて、どんどん進化していったもしかしたらこの世で一個だけの偶然が天文学的分の1の確立でヒットした星なのかもしれない。


すいません 文系なので、このように長ったらしい説明になってしまいました。
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。

 私は、とりあえず大学入学以来理系人間です。
仕事柄でも理系(製造業の開発職)です。
けれど、最近は会議が多くなって仕様決めや仕様理解中心になり、開発は任せっ放しになっていますが。。。

 ここで、ひとつ質問なのですが、本質と根本原因に包含関係は有りますか?今まで、他の2名の方々は包含関係を持った内容で関連付けていますが、Kigurumiさんは互いに背反する独立事象として扱っているように思えます。これについて、ご回答願えますか?

お手数ですがよろしくお願いいたします。

お礼日時:2005/01/23 08:40

No.1のものです。


すみません、例ばかりで要約までして頂いて、
お手数でした・・・。

言葉の定義についてはこう考えています。
本質・・・物事の核を成すもの、
    それ無しでは「物事」は有り得ない。
    基本よりもさらに強い意味
根本的原因については、本質に含有されると思います。
なぜなら、本質、根本がほぼ同義の意味であると
思うからです。
よって、本質的な原因≒根本的原因であるとも
思っています。
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この回答へのお礼

再度ご返答を頂きありがとうございます。

 上記を自動車を例にとって見ますと、
「自動車の目的は走ること」ですね。(ただし、自動車関係者に聞くと、そんな単純なものではない!と起こられるかもしれませんが。。。)また、先ほど別の方に「自動車の本質は走ること」であるとご説明いただきました。これはKaiuさんの説明にも当てはまりそうですね。
 では、現在の自動車には、走るための機能以外にも車高制御やエアバッグやエアコンや排気ガスの抑制や装飾などいろいろな付属物がありますね。
 これらは、本質(走ること)とは基本的に離れています。(もちろん、幅を広げて、「本質」=「乗組員と環境に優しく、かつ、快適に移動する。」ということになるとうまくいくと思いきや、「ではそれらが付いていない低価格車は、自動車ではないのか?」ということになります。これは難しい。

 やはり、「自動車の本質は走ること」で良いという事ですか?または、複数の自動車の共通項目を取ればよいのでしょうか?これがより複雑になると意外と現実でも起こりうる解釈の違いになりますね。本質といっても人によって捕らえ方が異なるという事になるのでしょうか?本質が人によって異なるなど有り得ない気もしますが、有り得るからこそ定義が必要なのか?

 ですが、こうしてみると「本質」とは、私の最初の所感と異なり、「全体を抱合させている大局的視点」なのかもしれませんね。ただし、これでは、Kaiuさんの意見である「物事の核を成すもの」がイコール「全体」となります。
矛盾ですね。。。

 Kaiuさんの話には一貫性があるのですが、今が夜中なので私の思考回路が回ってないかもしれませんね。。。
けれど、「全体(本質1)から切り落としてよい要素を切り捨てれば核(本質2)になる」ということであれば、「切り落としても本質を損なわない要素とはいったい何なのでしょうか?」

 これを基にして、例えば、Microsoft社のExcelの本質とは何なのでしょうか?

 今までの皆さんの意見により内容が深まりつつも、方向性が見えてきたように思えますね。あと一歩で皆さんとゴール出来るかな、といった感じですね。

お礼日時:2005/01/23 02:04

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