
No.11ベストアンサー
- 回答日時:
#9です。
お礼ありがとうございます。>既存の政権を温存し操る?温存した政権を牛耳る方が、統治しやすかったというわけですね。
それはそうなんですが、もう一つ(権威とは関係ないが)重要なポイントがあります。それは「日本が異民族戦争をしなかったこと」です。
質問者様は「多くの武家政権が権威の裏付けとして天皇貴族社会を温存し排除しなかったのは何故ですか?」と質問されていますが、#9とは違うもう一つの理由に「異民族戦争を日本が経験していないから」というものがあります。
#9でイギリスの例を出しましたが、現代英国王朝につながる征服王ウイリアムはそもそもフランス貴族のギョーム公で、イギリス人からみれば異民族支配だったわけです。異民族が征服する時普通は「異民族の支配者についてきた異民族の有力者が、既存の有力者にとって代わる」わけですが、イギリスが安定したのは「ウイリアムの連れてきた部下は一部を取ったものの、ほとんどの既存の貴族の支配地はそのまま残し、各王だけウイリアムがとってかわっただけ」だったからです。
つまり王はかわったものの、王の権威を認めている貴族⇔貴族の実質的な領地支配を保証している王、という関係はそのまま温存したからこそ、現在までわりと平穏にイギリス王室が続いているわけです。
この「王の権威を認めている貴族⇔貴族の実質的な領地支配を保証している王」という関係性を王→天皇・貴族→武士に換えれば日本の権威と権力の2重構造が見えてくると思います。
大陸の殆どの国では、基本的に「王の権威を認めている貴族⇔貴族の実質的な領地支配を保証している王」という関係性が継続しません。なぜなら異民族が侵入してきて、戦争に負ければ王が異民族に変わり、貴族の殆ども異民族支配に変わるからです。そしてそれがお互いに何度も繰り返されているうちに、権威と権力を一人の支配者が持つようになり、その結果「力だけの支配」になっていったからです。
ただ、この点においてローマ教皇という権威を維持できたヨーロッパは、ユーラシア大陸の多くの地域と異なる権力構造を有していて、日本と似ている部分も多くあったわけです。
逆に異民族支配とその変化が一番よく表れているのが中国の征服王朝である元や清であるわけで、かれらは「中華文明のシステムは壊さない」と約束したので漢民族を支配することに成功し、その代り漢民族は被支配民族としてかなりつらい立場になったわけです。
日本は異民族の支配を一度も受けたことがありません。だからこそ「日本を最初に統一した王朝」である天皇家が権威と権力を最初は保持して日本を一つの国にすることに成功し、後にその権力を武家政権が奪取しつつも権威を天皇家に残す、と言うやり方をすることで2重構造の国内権力構造を維持することが出来たのです。
天皇はその時々の政権に協力し、日本国に住む人々に「今度はこの政権に協力せよ」と指示を出すことで王朝を生きながらえています。今の民主政府もこれは同じで、選挙で与党になった党が指名した人物を天皇が「内閣総理大臣に任命する」と言うやり方をとっているからです。内閣はほかにも「天皇の御璽で勅許をえない限り、日本政府のすべての物事は進まない」という権威を与えているわけです。
その結果、天皇制は連綿と続くことに成功したわけで、一つは政治権力と権威をうまく2重構造にできた武家と朝廷の力関係の有りかた、もう一つはその力関係のバラスンやシステムそのものをぶっ壊す外敵に日本が襲われなかったこと、が最も重要な要素だと思います。
日本では長い歴史の中で築かれてきた天皇朝廷の権威を信奉する人々が多かったんですね。
朝廷から守護地頭の役職を得て力をつけてきた武士団も多かったですしね。地方の人々の心の拠り所となる神社仏閣も朝廷との関係深いものがあったのでしょうね。
No.10
- 回答日時:
no3です
こうして他の方の回答を読んでみると、天王を滅ぼさなかった理由が見えてきます。
天皇制が続いた理由を「日本は特別」だとか「天皇家の力」と言っている人たちは
「平等」な立場の人たちを「理論」で説明しようとはせず自分が「さらに上だと」信じている力を持ち出して、
相手を不合理にねじ伏せようとする傾向が見られます。それこそ「天皇の利用価値」だということだと思います。
大王が暗殺されていた時代や「大王」家の内部殺戮が横行していた時代は、
日本は「中国の皇帝」の権威をありがたがり、それに認められることで「国家支配の正当性」を見出していました。
もっと古い時代では「抗争」を鎮めるために「宗教的・呪術的」行為のできる人を「王」として、利用しました。
その後「大王家が直接政治を執る」ことはほとんどありませんし、むしろ「事情の権力闘争」に対して
曖昧な立場をとることで、生き延びてきたわけです。
因みに明治維新の時「新制度」となったのは「鎌倉幕府」以前の太政官制です。
そこに明治政府の政治的権力の由来を求めたからこそ「天皇制」の利用価値があったのです
フランス革命の時に「国民の平等」を実現するために合理性を追求し「王権神授説」を徹底的に否定し
「宗教的権威」に政治介入をさせないため、カトリックの否定、教会の権威の否定、
最後には「キリスト教暦」から「革命暦」に変えた時代がありました。
地球の1周から、ものの長さを決める合理的な発想です。この合理性には、変な権威が付け入るスキがありません。
ただし、その結果「農民(庶民)」の革命離れを加速させたと言われています。
理由はわかりませんが、人間は自分の立場を「より上の力」に追って保障されたいという
生き物なのではないかと思います。犬と人間の関係に近い気がします。「dog」と「god」です(笑)
現代「権力の由来」は「国民の合意」に基づく「法」にあります。
そうした視点から歴史を見れば、「天皇制」は、無用の長物のように思われます。
ただ、「天皇」に権威や「ありがたさ」を感じる人がいるのも事実で、
それは「上野公園のパンダ」と同じだと思います。「天皇」制をありがたがっている人たちに
「今の天皇」は「北朝」の天皇だけれど、正統なのと聞くと黙ってしまいます。
つまり「合理的な権威」ではないということです。「不合理」だからこそ信じなけれればいけないのです
合理的ならば「納得」して「理解」すれば良いのですから。それは「愛情」と似ている気がします
人間が「怨霊」や「たたり」を信じているうちは見えない権威である「天皇制は安泰」だと思います。
天皇朝廷を蔑ろにすると祟り・怨霊にとりつかれるのですか。これは大変です。崇める必要がありそうな答えです。
ありがとうございます。
No.9
- 回答日時:
他の国とちょっと比較して見ましょう。
「他の国の国王や平民国家はどうやって国をまとめているのか?」です。簡単に言えば「どうやって国民が従う権威を維持しているのか?」です。
たとえばイギリスは王国ですが、これは武力で制圧した王の子孫が統治しています。そして以外に重要なのは「征服王ウイリアム(ギョーム)は征服した4つの王国を統一しなかった」ことです。イギリスにはイングランド・スコットランド・アイルランド・ウェールズの4カ国があり、ウイリアムはこれらすべてを征服したのに「各王国の王は私、しかし4カ国はそれぞれ独立した王国として維持する」ということにしたわけです。
これは今でも守られていて、だからスコットランドがイングランドにあるイギリス民主政府からの独立、なんてことをいいだすわけですが、このような「住民が納得する統治の仕方」があれば、権威を得ることはできるわけです。
逆に内戦が終わった後のカンボジアは、各地の軍閥がお互いに疑心暗鬼で国連が「カンボジア共和国」を作ろとしてしても「あいつの議席よりも俺たちの議席が少ないならダメ」とか「国軍を誰に任せるのか」などで紛糾していました。そこに亡命していた元カンボジア国王のシアヌーク氏がカンボジアに戻る、となり、各軍閥も元々はカンボジア国軍の出身だったため「シアヌーク氏が国王に復帰するなら彼を信じるし、忠誠を誓う」としてカンボジアは王国として復活したわけです。
逆にアメリカ大統領がものすごい権威を持つのは、独立戦争の勝利で独立宣言を作ったときに「大統領制と民主主義」をアメリカ建国の基本に置いたからです。だからアメリカはたとえ問題がある人が大統領になっても「選挙で選ばれた彼こそが権威」であるわけです。
このように国というのは「権威を認められる何か」が必要になるわけで、イギリスは各王国を残したことで支持が集まり、カンボジアは元国王の復帰で軍事力をもつ人々が忠誠を誓い、アメリカは建国時点で民主主義だったから、それぞれの権威を作ることに成功したわけです。
では翻って日本の権威とはなんでしょうか?
それは「天皇家が日本国のオーナーであること」です。
天皇の具体的な始祖が誰だったかは分かりませんが、考古学的には「2世紀から5世紀までの間に各天皇が各地の豪族を支配し6世紀までには大和朝廷が成立していた」と見られています。
ただ、初期の大和朝廷は、天皇を頂点として各豪族が公家として国家運営に参加するかなり緩い連合王国だった、と言われています。ただ、この時天皇家は単に武力統一だけの権力ではなく「宗教的な権威」であったとされています。
で、当時は現代と違って「宗教」というのは政治にかなり大きな影響力をもっています。今でもイギリス国王は英国教会から「神の許し」を得て国王になるように、アメリカ大統領が聖書に手を置いて宣誓するように「宗教による許可」は割と現代人の中にも生きているのですが、当時はもっと影響力が大きかったわけです。
で、これも他国との比較ですが、どうも天皇は自分の権威と権力を固めるのに、中国の皇帝を参考にした形跡があります。たとえば中国皇帝は必ず御座所を首都のいちばん北に起きますが、これは北極星を背にして「自分は動かない、周りの者が動く」という象徴を込めていたからです。
天皇が作った都として知られている最も古いものは難波宮ですが、これはすでに北側に内裏が置かれる構造になっています。天皇は自分の権威を作るのに中国皇帝の方式を真似したわけです。
で、中国皇帝は始皇帝に始まりますが、始皇帝は当然に武力で各地を制圧したわけです。ただ武力だけでは従わない人が必ず出てきます。これを抑えるために作ったのが法律と経済で、この二つを抑えると権力を維持できます。日本でも豊臣秀吉はこれが出来たから死ぬまで安泰だったわけです。
しかし始皇帝はもうひとつ重要なことをやっています。それは「儒者が宗教を担い権威づけするのではなく、皇帝が宗教的な権威になった」ということです。中国は先祖崇拝の宗教ですが、これを儒者にゆだねるのではなく、自分で礼拝する礼拝堂を作り「皇帝自ら先祖に礼拝する」ことにしたのです。これがなぜ重要かというと中国では天命思想があり儒者が「あの者は王にふさわしくない」など軍事力を持つ人々を誘うことがあったからです。
これにより「皇帝」はになりました。軍事力・政治実権(租税権と警察権)・宗教権威を兼ね備えることになりました。ちなみにローマ皇帝もやり方は中国と異なりますが、軍事力・政治実権(租税権と警察権)・宗教権威を兼ね備えた存在がエンペラーなのです。
日本の天皇はこの点において中国皇帝と同様、軍事力・政治実権(租税権と警察権)・宗教権威を兼ね備えた存在であったといえます。特に宗教的権威は現代でも新嘗祭などで見ることができます。日本において「日本のすべての神々に同時に祈りをささげることができるのは天皇だけ」というのが事実です。
私は天皇が持つ「宗教的権威」がものすごく重要だと考えて居ます。日本は現代的な啓蒙思想の国家ではありますが、同時に国家体制としては古代までつながる世界最古のものを維持しているわけです。つまり6世紀とか10世紀ぐらいでは普通だった「宗教による権威づけ」がなされていた、ということです。
武家が恐れたのはこの「天皇による宗教の権威づけ」だったと私は考えて居ます。同時に武家政権はこれを大いに利用しました。実はこのような権威づけについては他国でも利用例があります。
たとえばローマ帝国が崩壊した後、ヨーロッパでは「皇帝の方が偉いのか、教皇の方が偉いのか」と言う論争が起きます。
カノッサの屈辱として知られる事件で、ヨーロッパの諸王・諸侯たちは「教皇の権威は使える」事に気がつきます。つまり「教皇が自分を王だと認めれば、他の連中は手出しができない」ということです。
これ武家政権が天皇にやらせたことと全く同じです。
つまり鎌倉武家政権というのは「日本の最高権威である天皇に『源頼朝が征夷大将軍になって軍政を敷くことを許可する』と言わせた」からできたものである、ということです。
鎌倉幕府は元々「京都から離れた東国武士たちが、朝廷や公家の圧政に苦しんだこと」が発端で、だから東国である鎌倉に軍事政権を作ったわけです。天皇からお墨付きをもらっているので公家と仲がいい(というより公家と同じ家系で同じ豪族出身)の西国武士も強制的に従わせることに成功したわけです。だって「天皇が認めた日本唯一の軍事司令官が源頼朝だから」です。
このやり方がのちの武家政権に大きく影響します。つまり「京都に行き、天皇に『あなたが征夷大将軍であることを認める』と言ってもらえれば、自分が天下布武」だったからです。
同じ見方をすると、室町幕府というのは「鎌倉では京都から遠すぎて、後醍醐天皇や西国武士を抑えきれないから、京都に幕府を置こう。そして西国と東国の利益調整をやろう」としたもので、これも天皇の権威を利用しているわけです。ただ、利害衝突が多すぎて、応仁の乱などが起き、結局戦国時代に入っていきます。
この視点からみれば戦国時代というのは「本当の意味で日本を統一支配できるだけの力があり、京都に登って天皇に許可をもらえる者は誰か?」という争いであったわけで、これを一言で「天下取り」と呼んだわけです。天下取りとは「京都を占領して、天皇を守る人=天皇にあなたが征夷大将軍と言わせること」だったわけです。
ご質問の内容で最も重要なのは「戦国時代、どれほど軍事力が強くても、それだけでは日本国中を統一することはできなかった」ということです。いや出来たかもしれないが、ものすごく労力がかかる、だったら「天皇の権威を利用して『彼が征夷大将軍だからみんな従うこと!』と許可をもらう方がよい」わけです。
逆の見方をすれば天皇家というのは、日本列島を最初に統一し、各豪族を国政に参加させた朝廷を作り、各豪族たちが信奉しているそれぞれの神さまたちをすべて認めて「私が全部の神さまたちに祈りを捧げます」と言う形で宗教的な権威であったわけです。
この宗教的な権威の威力はローマ教皇と同じぐらい強力で、だからこそ「天皇に許可をもらえば日本を支配できる」とされたわけです。
だから最終的に戦国時代の覇者となった徳川家は天皇の実権を削ぎながらも、代替わりの度に天皇から「将軍にする」と言う勅許をもらっていますし、徳川慶喜はなによりも「天皇にたてつく大逆賊」になるのを恐れて大政奉還したわけで、武士たちであっても農民であっても当時の日本人の殆どが「天皇の宗教的権威」を認識していたといえます。
>朝廷の権威の裏づけは何?
日本のすべての神々から「日本国を治める許可を得ている人物」です。それが天皇であり、天皇の権威の源です。
武家政権は源頼朝から徳川慶喜まですべて各個人が天皇の勅許を得て征夷大将軍として政治を行いましたし、明治以降の内閣総理大臣も天皇の「任命」によってその職責につくわけです。
武家が武力を背景に勅許を迫ったり、民主選挙の結果国会の指名によって誰が任命されるかを決めているとしても、天皇の「権威」は昔も今も変わらずに続いていて、武家が恐れそして利用し、明治政府も天皇の権威を利用したからこそ「維新」が実行でき、GHQですら天皇の権威を利用することで日本の共産化を食い止めることに成功したわけです。

No.7
- 回答日時:
No5です。
丁寧なお礼をありがとうございます。
しかし、私の回答はお気に召さなかったようですね。
やはり無駄だったようですね。
(「弱肉強食」や「力が正義」とか言って粋がっている中学生レベル)
>覇権を得た武士団の力量不足を天皇朝廷を中心とした国家体制の盲信を利用して補おうとしたということですね。
そもそも、その武士団自身が天皇の権威を認めているからだという事を理解していない(したくない)ようですね。
それとも、「権威」という概念を理解できないのでしょうか。

返信ありがとうございます。旧来朝廷から官位俸禄を頂戴して天皇を守護していたのが武家の始まりの様にお聞きしていますが、独立自立した武士団形成後も朝廷の権威を認め或いは利用し続けた理由は何故?よく知られた源氏平家の系統を見ると清和桓武の天皇につながるようですし、武家が朝廷皇室に成り代わっても不思議・不都合はなかったように思います。
天皇朝廷の権威がお血筋だけなのなら宗教的盲信としか考えようがありません。
朝廷の権威の裏づけは何?実権は無くともみんな権威があると信仰していたわけですね。

No.6
- 回答日時:
自分の力だけが突出しているならやりたい放題できるけどね。
しかしそれは誰もなしえなかった。
権力には正当性が必要である。
他人が「こいつには統治されてしょうがない」と納得する理由である。
民主国家では選挙を経て当選者に統治の正当性を与える。
封建国家なら血筋である。
一から正当性を作る手もあるが、すでにあるものを利用する場合に比べて手間がかかるしリスクも高い。
だから、利用できるなら温存した方が、自分にとっても都合がよい。
温存しておくだけで、勝手に自分の権威を高め権力基盤を強くしてくれるのである。
信長は当初室町幕府から、その後は朝廷から正当性を貰い全国の大名に号令した。
秀吉も関白という権威を貰い全国の大名の上に立った。
家康は征夷大将軍である。
中国の場合革命で一国を丸ごと滅ぼしてしまうが、日本はそうではない。
戦国時代と言えど、あくまで朝廷という家の中での喧嘩である。
だから鳥羽伏見の戦いで薩長側に錦の御旗が立っただけで、幕府側は「俺たちは賊軍か?」と浮足立ち、敗北を喫した。
そういう風潮の中で朝廷を滅ぼしたら、他の店子が黙っていない。
ご回答ありがとうございます。
天皇朝廷の権威を信じる国民性が根付いていてよかったですね!
朝廷から家禄を得ていたわけでもないのに、多くの武士団に影響を与えられるなんて不思議ですね!

No.5
- 回答日時:
>武家の祖が天皇だったからとか、というのは除外してください。
そもそも、それが理由なのですが。
そもそも神話では天皇は日本を統治する為に降りて来た神の子孫とされています。
武士や貴族は、それに使える者としての身分を賜った者です。
この事実によって彼らは自分達の身分や権力の正当性を得ています。
そのような状況で、仮に天皇を否定し自分が新たな権威になろうとしても、それは周囲からは成り上がりの自己正当化としか思われません。
そんな屁理屈を力で支えても、前述のような権威(正当性)がありません。
そして、これは他の者にも自分に取って代われる資格があると認めたという事でもあります。
トップの権威により、自分の身分を確保した上でNo2として権力者になるのと、下剋上に怯えたトップでいる のとでは、どちらが良いでしょうか。
以上から、No2にとって、天皇ほど都合の良い権威はありません。
他の国々には、世界や国家創造の神話やその神々と関係まで遡れる王家はありません。
これは「日本」という国家の成立が天皇という存在によるものであるということです。
これほどの強力な権威は、天皇以外にはありません。
(日本を滅ぼそうとする者達が皇室を標的にするのは、これが理由です)
↑以前に、日本人は天皇によって 自分が日本人である というアイデンティティを得ています。
(安っぽい平等や人権や国際化を振り回して皇室や日本を否定する者ほど、皇室によって自分達が「日本人である」という意識を持てている事を知りません)
日本人が日本人であるのは、日本の行政のシステムや日本国憲法によるものではなく、
前述の建国の神話やそれから続く歴史によって日本人という集団が共有している意識に拠るものです。
そして、それは他の国も同様です。
(他の国は建国の理念やら他国との戦争に拠っていますが、求心力を精神的な「何か」から得ている事にかわりはありません)
その中でも、建国神話から続く神の血統という皇室は、他の国が望んでも得られない貴重なもので、これ以上にものはありません。
日本という国やその概念は、他国と戦って建国した事によるものではなく、目的があって建国されたものでもなく、日本列島という閉じた世界の共同体から自然に発生したものです。
それ故、他の国と違って日本人が日本人であるという意識は他国のそれより強いものですが、皇室が消滅した場合、日本人はアイデンティティを喪失し「根無し草」になります。
私は、それは意識の高いお方が目指している「国際化」や「地球市民」とやらとは違うように思います。
世界標準の国際人の定義とは、はまず自国への教養が深い事が前提でその上で世界標準の思考が出来る者の事です。
(→文化破壊や無知による無国籍的な均質化ではない)
このようなテーマでは必ず、権威=無意味に有り難がられているもの という願望を捲き散そうとする者が湧きますね。(回答順に表示を推奨)
マッカーサーが天皇を排除できな(≠しな)かったのは、日本国民が天皇の権威を認めており、排除した場合は統治が不可能になるからです。
これは、戦後の行幸時に天皇が熱烈に歓迎されている事で証明されています。

ご回答有難うございます。
覇権を得た武士団の力量不足を天皇朝廷を中心とした国家体制の盲信を利用して補おうとしたということですね。
No.4
- 回答日時:
武力で天下を取っても、永続きしません。
永続きさせるためには、権力の正当性を
裏付けるモノが必要になるのです。
西洋では、神によって正当化しました。
王はどうして威張っているのだ。
王という地位は神によって与えられたもの
だからだ。
これが「王権神授説」です。
日本も同じです。
政権を永続させるためには、政権の正当性を
裏付けるモノが必要なのです。
それが天皇です。
多くの武家政権が権威の裏付けとして天皇貴族社会を温存し
排除しなかったのは何故ですか?
↑
1,正当性の担保として必要だった。
2,日本人は全員、天皇の子孫、という
ことになっています。
先祖を殺す訳にはいきません。
3,天皇は、神と人間を媒介する存在です。
だから、恐れ多くて、殺すなんてためらわれた
のです。
承久の乱で後鳥羽上皇と戦うことになった北条義時は、
落雷事故などがあると、これは祟りではないか、と
恐れおののいた、と吾妻鏡に記録されています。
この畏れは、現代でも残っています。
皇太子が雅子さんと結婚し、パレードに出かける段に
なると、降っていた雨が止み、空が晴れてきました。
それをTVで視た視聴者の中には、やはり天皇家は・・
と畏れた人がかなりいましたよ。
現代ですら、この調子です。
昔の人はもっと怖かったのでしょう。
ご回答ありがとうございます。天皇朝廷守護の役割を得た武家の精神にとらわれ続けていたということですか。
天皇(朝廷)に何か恐ろしい呪いの力があるんでしょうか?それなら朝廷の権力維持も納得です。
どんな呪い何でしょうねゼウスのように雷(イカヅチ)を使って謀反人の領土を滅ぼすとか・あったら怖いですね。
特段の魔力が無ければ、只の浪費団体ですので滅ぼした方が国益にかなうはずです。
No.3
- 回答日時:
権力者は、自分の権力の由来を誰かに保証してもらいたいと思っています。
古代では、多くの場合それを保障するのは神です。神と直接結び付くか、神託を聞くか、その方法は様々です
「神託方式」の場合、神と結びつく人が必要ですし、直接方式だと王と神が一体となります。
日本は「神託方式」を採用したので「天皇は神官」となったわけで、
やたら殺してしまうと「神託」をどのように聞くかの方法がなくなってしまうので、
自分たちに都合の良い神託を言ってくれる天皇に利用価値があったのです。
武家政権も同じで、混乱が起きると天皇の権威を利用しますが、鎮まれば無視されます。
そういう意味で「お飾り程度」の天皇であるうちは、日本は平和だということです
これは連合軍の長官「マッカーサー」も気付いており、だから、天皇を死刑にしなかったわけです。
ご回答ありがとうございます。天皇朝廷守護の役割を得た武家の精神にとらわれ続けていたということですか。
天皇(朝廷)に何か恐ろしい呪いの力があるんでしょうか?それなら朝廷の権力維持も納得です。
どんな呪い何でしょうねゼウスのように雷(イカヅチ)を使って謀反人の領土を滅ぼすとか・あったら怖いですね。
特段の魔力が無ければ、只の浪費団体ですので滅ぼした方が国益にかなうはずです。
No.2
- 回答日時:
朝廷を滅ぼしても統一は可能だったと思います。
どう変わったのかは想像でしか語れないので分かりません、もっと上手く行ったかもしれないし、酷い正解になったかもしれない、大した変わらなかった可能性もある。
ただ、例えば戦国時代においてそれが可能だったかどうかというと、恐らく不可能だったろうな、と私は考えます
当時、落ちぶれていたとは言え、それでも天皇は日本における権威そのもの、本物の血だったわけです。
朝廷に認められない物はたとえ白くても赤いといわれれば赤くなる、秀吉がそれを実際に利用して「朝敵」として島津や北条を討っています、あれは自分たちの正当性を主張する上で、相手に動揺を与えるのには相当な効果があったそうですし、それだけ朝廷の権威、名前の威力ってのが強かった証拠だと思います。
それに、当時は大名家であっても元をたどれば怪しい出自、血筋の人たちが実際は多くて、ライバルを力以外でコントロールするためには真の権威(本物の血筋)が必要だったというのがある。
だから多くの大名は自分にはない権威を持つ天皇を利用しようと考えたし、それを嫌った勢力と敵対したりもした、武田が西に動いたのも朝廷の意向があったというし、信長が殺された要因だって、明智が朝廷をないがしろにする信長を良しとしなかったからだなんて説があるくらいですからね
ご回答ありがとうございます。天皇制(朝廷)守護の武家の役割を踏襲してきたとのことでしょうか。
下剋上の横行する時代の戦国大名も朝廷の権威を強く意識していたなんて不思議ですね。
武士たちの実力が全国制覇を維持できるようであれば、朝廷貴族など滅ぼしてもよさそうなものです。
天皇に魔力があって蔑ろにすると祟りにあうとかの脅威はなかったのでしょうか?
武家が朝廷の権威を何故畏れるのか?まだよくわかりません。新たに征夷大将軍を他の勢力に命じても覇権を得た武士団が
圧倒的に強ければ無意味の様に思います。
No.1
- 回答日時:
一番大きなことは、天皇が実力はなくても最高の権威だったことでしょう。
公家社会はもちろんのこと、武家社会においても天皇から「征夷大将軍」というお墨付きが必要だったのです。
征夷大将軍に任じられなかった平清盛も太政大臣、豊臣秀吉も関白という天皇制に基づく権威が必要でした。
明治維新についても、血みどろのたたかいもあったのですが、将軍と朝廷の主力武力の大激突がおこりませんでした。
それは、徳川家が形の上では「征夷大将軍」という官職をもっていたこと、それを返上するという「大政奉還」という形で激突が避けられた面はあるでしょうね。
ご回答ありがとうございます。すべての武家が天皇の権威を認めていたということでしょうか?
結局武家の力量不足から来る苦肉の策という訳でしょうか。そのような都合の良い権威があってよかったですね。
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