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No.2
- 回答日時:
古来、名将の多くは騎兵の特質を熟知し、扱い・運用に長けた人物です。
現代でも、地上の野戦では戦車が最強ですが、機関銃が登場する前は、スピードと重量感あふれる破壊力を併せ持った騎兵が最強かつ花形兵種でした。
歩兵主体の軍にあって、ナポレオン時代までの騎兵対策は、方陣などの密集体系でした。馬は散兵隊形の相手には縦横無尽に駆けていきますので、破壊力抜群ですが、密集隊形のように壁ができると、馬は立ち止まる習性がありますので、そこを弓や鉄砲で狙い撃ちされると困ってしまいます。
ナポレオンは砲兵陣地の移動・配置転換に長けた指揮官でした。彼が名を挙げたのは英海軍と仏王党派の連合軍が占拠していたツーロン港攻防戦ですが、前線指揮を任されたナポレオンは、豪雨の中でも兵たちと泥まみれになって砲兵陣地を適所に移動し続け、要塞化されたツーロン港を陥落させています。
ナポレオンは、この素早い砲兵陣の移動を野戦でも応用しました。
防衛側は、砲兵対策には密集せずに散らばり、騎兵対策には密集するのが鉄則です。この集散を如何に迅速に行えるかが防衛に成功するか失敗するかの分かれ目になります。
ナポレオンは、騎兵の運用にも長けた将軍でした。歩兵・騎兵・砲兵が一体となった連動性の妙に長けていたと云ったほうが良いでしょうか。
密集陣には砲撃を浴びせながら騎兵を動かし、砲撃に散った敵兵に再び密集する機会を与えずに騎兵の襲撃でダメージを与え、歩兵で仕上げる。といった感じでしょうか。簡単なようですが、広大な戦場で、地の利を持った防衛側の敵の要地を見抜いて攻撃を集中させる戦術眼や、スキのない敵陣にスキを作らせる用兵術は、天才級の名将しかできない業でしょう。
とはいえ、最も移動が難しいのは砲兵です。ナポレオンが騎兵出身であったならば、あれほど見事な歩騎砲連動作戦は取れなかったかもしれません。
ナポレオン最後の戦いとなったワーテルローの戦いは、敗因は色々ありますが、私には砲兵隊が前日の雨で道がぬかるんだために移動が遅れ、肝心な時に十分な砲兵隊が戦場にいなかったことではないかと思われます。
ナポレオンの体調も悪かったようですが、結局、ナポレオンは歩兵での突破に失敗した挙句、無理に騎兵の襲撃に頼る作戦に出て、方陣の密集隊形を取り続けた英ウェリントン将軍に敗北してしまいました。
ちなみに英軍も崩壊寸前の疲弊部隊救援のために騎兵部隊が突撃し、壊滅的損害を出しているが、こちらは結果的にみると、別行動をしていた友軍のプロイセン軍到着までの時間稼ぎにはなったようだ。
No.1
- 回答日時:
ナポレオンが成功した最大の要因は砲兵士官であったが故(それまでの騎兵中心の戦法から砲撃主体の戦法をとったのがナポレオン)ですので、他の兵科では頭角を表すことはできたかもしれませんが、皇帝まで登りつめることはできなかったでしょう。
ナポレオンがとった戦術をお調べになるとよく判りますよ。
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誤字です。
兵科→歩兵科