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私は哲学には疎いが、ヘーゲルの「絶対精神」と言うものがある。これについて思いついたことを書いてみる。
絶対とはイデアだ。本質だ。だから絶対精神とは精神の本質、精神のイデアだのことだ。
私たちは一人一人に精神(心、意識、考え?)がある。その存在するすべての精神に共通して絶対に内包しているもの、精神の本質、イデアを絶対精神と言うのではないか? 絶対精神とは精神のイデアと言うことだ。
デカルトの言う「我思うゆえに我あり」はつまるところ「思う在り」と言う事。「思うもの、考える何かがある」。これが精神、考え、心、意思などであろう。この一人一人が持っている精神、意識のすべてに共通して絶対に内包しているものが精神の本質、イデアだ。この精神のイデアのことをヘーゲルは絶対精神と言っているのではないのか?
要するにプラトンの考えたイデアの内の精神のイデアを絶対精神と言っているだけだ。イデアは言葉の数だけある。
絶対精神とは精神とは何か?という事。精神、心、意思の意味は何かということだよ。だから精神の意味は○○です、と言えればいいわけだ。私が善とは「みんなの為です」と言ったように。つまり精神、心、意識の意味とは何かということだ。それを分かり易く表現することを定義する、と言う。だから絶対精神とは精神を定義すればいいのだ。
私が善のイデアを「みんなの為になること」と善を定義したように、精神、心、意識もまた定義できるかもしれない。
このようにヘーゲルの絶対精神について考えたが皆さんどう考えますか?
A 回答 (9件)
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No.7
- 回答日時:
ヘーゲルが言った絶対精神と質問者のトナエル絶対精神が違うものになってるよ
ヘーゲルが人生経験で得た知識から導きだされた
絶対精神と!
質問者はんの人生経験で得た絶対精神は
違うから
イデア論の言うところの
りんごって知ってる人の共通的なりんごの認識と
りんごが大好きで、毎日食べてる人の
認識してるりんごは
同じりんごってな話だけど
まったく違うりんごの話になるからね
そりゃそうだ。いろんな精神の持ち主がいるだろう。あんたみたいな精神やマザーテレサのような精神、いろいろな精神はあろうが、それらすべての人の精神すべてに共通しているもの、精神の本質、精神のイデアを絶対精神と言うのだよ。
あらゆる精神に共通して内包している物、本質、それがあるから精神であり、それが無ければ精神とは言えないものだ。全ての精神の本質を精神のイデア、絶対精神と言うのだよ。
善も同じだ、あらゆる善と言われるものすべてに共通して内包している善の本質、善のイデア、これを絶対善と言う。
No.6
- 回答日時:
◆ (回答№5)
☆ のご指摘について コメントします。
▲ (ヰキぺ:絶対精神)
精神の本質というのは自分の外部に根拠を持たぬものであり
☆ 《本質》という規定が 厄介です。
すでにその規定によって ヒトのふつう一般の《思考の緑野》つまり
心ないし精神のことから――すでに抽象的な概念として取り扱うよう
になっており それは――やはり理性ないし知性を超えた霊性のこと
として 見るかたちなのです。
だから:
▲ 自分(=精神:思考の緑野)の外部に根拠を持たぬ
☆ と――いともかんたんに―― オールマイティーなものでもある
かのように規定しています。
ふつうの心・精神(記憶力+知解力+意志判断力)ならば そもそも
《あやまち得る》ものです。外部の環境や情況や相手の人びとによっ
て影響を受けます。
有限で相対的なものです。
ですから 《本質》という転轍機をはたらかすなら 線路が空に向か
って延びてゆき 相対的なものが絶対的なものに成り代わります。
むろん その本質というツールは アートマン(霊我)やブッダタ―
(如来蔵)といった調味料と同じことです。
いづれにせよ 《想定じょうの仮説理論》です。そうでなければ《絶
対性》は 相対存在なる人間が 捉えることはかないません。
No.4
- 回答日時:
違うと思うよ
(  ̄▽ ̄)にっこり
【みんなの為です】
ほんとにみんなの為なのか?
独り善がりになってないか?
実際は誰の為にもなってなかったり
してそうですもんね
また、何かしらの問題が起きたときに
【みんなの為に、やったんだけど】
みたいな、言い訳がましく聞こえるから
主体性の欠如になってないかな?
てな話ですね
No.3
- 回答日時:
1. 絶対性は 自然界をふくむ経験世界を超えたところ(その場ないしチ
カラ)を――想定(アブダクション)して――言います。
2. 人間をふくむ相対世界とは 絶対のへだたりがある世界です。
3. しかるに イデアが絶対性のことだとしたとき それはあまりにもこ
の隔たりを無視しています。
3-1. イデアの世界にいたときのことを人間は 人間として生まれた時
からすでにまったく忘れているが 潜在する知性としては持っている。――
といううふうに 絶対の隔たりを難なく乗り超えている。
3-2. つまり この地上の世界〔なるひと〕は イデアの世界と言わば
地続きだと規定しています。
3-3. つまりは 絶対の隔たりが 潜在性においてにせよ地続きだとそ
の人間が規定しうる隔たりでしかないと――勝手に――思っている。絶対性
ではなくなる。
4. しかるに ヘーゲルは この《へだたり》をきちんと捉えています。
5. 絶対性は無限として 相対的な経験世界は 有限として 次のように
捉えています。
▲(ヘーゲル:無限と有限) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
無限なものと 有限なものとの一体性・・・この矛盾・・・は
どんな自然的なものも自分のなかにこれを持ってはいない
ないしはこれを 我慢できないであろうが
この矛盾を持ちこたえることができるのが
人格(☆ ――もしくは《わが固有の時間》――)の高さである。
(『法の哲学』§35追加(講義録)藤野渉・赤澤正敏訳 1967)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
6. つまりは ヘーゲルにしても この《絶対の隔たり》を――プラトン
と同じように・人間の思考や想像において――埋めてしまっているかに見え
ます。見えますが イデアと人間とが――無限と有限とが―― 《地続き》
だとは見ていません。地続きと見るその内容は 《矛盾》なのだと。
7. 微妙です。微妙ですがこれは 無限のほうからの――世界精神ないし
絶対精神のほうからの・したがってわれわれ人間が与り知らぬところで――
言わば人間世界へのハタラキカケがある・・・といったふうに捉えます。
8. そのハタラキカケについては 一例として《歴史の狡知》ということ
を言います。人知を超えているという意味です。
8-1. その結果を・つまりその思いがけない狡知なるハタラキカケを
人間が――事後に――知り得るかも知れないとまでは 踏み込んでいます。
9. あたかもイデアの世界と人間とが――絶対のへだたりを埋めるかのよ
うに・感性や理性を超えたところで――地続きだという想定は ほかならぬ
アートマン(霊我)やブッダタ―(仏性)のそれと軌を一にしています。
9-1. 感性(感性の原野)や知性(思考の緑野)を超えたところに――
したがって 霊性としての非思考の庭に―― 神の場ないしチカラが その
アートマン(有る神)として・あるいはぎゃくにゼロ(無い神)として人間
にやどる・・・という図式です。
9-2. 《有るか無いか》は 相対世界での問題です〔から 絶対世界に
は 何の影響をも与えません。神は有ると人間が言っても 無いと言っても
神にとっては まったく同じひとつのことです。普遍神の呼称の違いです〕。
10. なお:
★ 善のイデア
☆ という規定――そういう概念の設定――は あまりにも人間的に過ぎま
す。
10-1. 善そして悪は――有るそして無いと同じように―― あくまで
経験世界における相対的な概念です。程度問題であり 可変性にさらされ移
ろいゆくものです。
10-2. イデア〔なる絶対世界〕は 相対的な善悪を超えています。善
悪の彼岸にある〔と想定されます〕。ヘーゲルの世界精神も そうです。
10-3. 善悪観は 人間の感じ考えるものです。感性の原野や思考の緑
野なる経験世界に属します。
10-4. しかるに イデアないし絶対精神は もしそれが人間にハタラ
キカケをしているとしても 《非思考の庭》での――想定じょうの――話で
す。《思考にあらず》ですよ。〔と哲学の思考は 規定します〕。
10-5. 仮りにイデアないし絶対精神を――その属性として人間がおも
んぱかって――善なる存在だとしてもそれは 相対的な善悪を超えた《至高
の善 summum bonum 》だと規定しなければ ウソです。
10-6. 《相対的な――人間の考える――善〔と悪〕のイデア》は《絶
対精神なる――それみづからひとりして満ち足りている〈善悪の彼岸〉とし
ての――絶対善》とは 明らかにその間にへだたりがあると見なければなり
ません。
11. ★ 私が善のイデアを「みんなの為になること」と善を定義した
☆ それは 有限で程度問題でしかなくうつろいゆかざるを得ない思考の緑
野での問題です。むろん自由ですが 絶対善とはほど遠いと知らなければな
りません。基本として別です。
11-1. ふつう一般には 絶対性と言えば それとおのれとの《一体性》
を我慢できなくて ひとは吐き出すものです。絶対なんてあるものか! と。
11-2. ところが 中にはぎゃくにその内へと――絶対精神とて 人間
の言葉で言い表わしたなら ただの概念ないし観念となってしまっている側
面がありますからその側面において―― 入り込んでゆく。
11-3. これが いわゆる一神教におけるアタマデッカチなる原理主義
です。あたかも自分が神であるかのごとく振るまい始める。恋は盲目という
かのように 世界が見えなくなる。ひとの言うことは――自分の考えと合っ
っていなければ―― 聞かない。聞こえなくなる。
11-4. 《みんな》も《為になる》も 感性と思考の問題です。人知の
関数でしかありません。多様性を許容する――相対的な――概念です。
・・・
12. 哲学は――哲学こそが―― 神と人間とを つねに峻別していなけ
ればならない。
12-1. 自然科学は その峻別問題について 無記としています。
12-2. 文学・芸術は その峻別を――たとえ知っていても――脇に措
いておいて あとは 想像力にて自己表現街道をまっしぐらに突っ走ります。
12-3. 《〈感性の原野〉および〈思考の緑野〉――つまり 身と心と
から成る自然本性たるヒト――》と 《〔その自然本性にプラス α としてや
どる〕非思考の庭》とを 峻別せねば何ごとも話は始まりません。
12-4. 両者をごっちゃにしては 不毛の議論たること請け合いです。
☆ いつまでこの不毛の議論をつづけるのでしょう。
No.2
- 回答日時:
疲れたので目もなのですが
notionという英語 ドイツ語だとbegriff
科学に関するふぉなのでしょうかね。
絶対精神はわかりm線でした。
ニーチェの法が咲きかと思ってました。
青が多くて修正が多いですが。
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