戦国時代後期の日本は世界最大の銃生産国と言われており、軍事力はスペインやポルトガルが恐れるほどのものでした。
また、当時の日本は朱印船貿易などで東南アジアと交易を行っており、それができるくらいの造船術・航海術があり、太平洋を横断できる船を作る力もありました。
豊臣秀吉は朝鮮半島を攻め、明軍と戦って最終的に敗退(個々の戦闘では勝っていたらしい)しますが、当時の明や朝鮮は人口の多い文明の先進地域であり、軍事力もそれなりにあったために敗れただけで、当時は未開の地だった台湾や、スペインに占領されていただけのフィリピンを攻めたら楽に占領できたと思いますが、間違っているでしょうか?
当時のスペインを甘く見るなという意見もあるかも知れませんが、スペイン本土から遠く離れた場所であり、強力な軍隊が駐屯していたとは考えられないことから、地の利もあり簡単に征服できたのではないでしょうか。
No.8ベストアンサー
- 回答日時:
秀吉は実際東南アジアに朝貢を要求する書状を送り付けていますし、野望はあったはずです。
それができなかったのは「倭寇」と「オランダ」をうまく利用できなかったことにあると思います。
当時「東アジア」で猛威を振るっていたのは「倭寇」で、その多くは「日本・朝鮮・中国」の連合軍でした
ところが秀吉は「海賊取締」をすることで、結果的に「明」や「朝鮮」の国力を安定させることを手助けしました
また「スペイン」が国力を維持できた理由が「オランダのモノ作り」に合ったことに気付きませんでした。
またスペインの商業活動を、支えたのも「オランダの金融力・商業力」であったことは明白です。
この2つをもっと有効活用していれば、もっと支配地を拡げられたと思います。
なまじ、武力による支配が簡単にできると思いこんだことが失敗です。
その裏には「スペインによるアメリカ大陸支配」の話があったのではないかと、私は思っています。
秀吉が、それまでの国内支配の作戦「経済力」による「地域支配」作戦に出ていれば、
今の世界史とは全く別の世界史があったと思います。
No.7
- 回答日時:
いくら鉄砲が大量にあったとしてもそれを運ぶ大型船の建造技術がありませんでした。
またそれまで基本的に近海の航行しかしていなかったためい外洋航海術がありませんでした。そもそも豊臣政権の挑戦征伐が失敗したのは兵站能力不足です。あなたご自身も書いておられるように「個々の戦闘では勝っていたらしい」のに敗退したのは補給の失敗です。大型船の不足、外洋航海術の不足はそのまま兵站能力の不足です。相当困難だったでしょうね。
仮に何らかの事情で一回だけ兵員や火器や糧秣を大量に投入することに成功して台湾やフィリピンを一時的に倒すことができたとしても、その後も兵員を喰わせるための継続した大量の補給が必要になります。やっぱり大型船や航海術が必要になります。食糧等を現地調達しようとすれば現地住民との関係が悪化するだけ。強制統治には増援が必要になり、ということで悪循環が始まるだけ。結局占領は無理でしょうね。
兵站、ロジスティクスについては太平洋戦争でも日本は失敗してるんですよ。ちなみに幕末に英国が日本占領を試みなかったのもロジスティクスの不安が原因だそうです。
No.6
- 回答日時:
スペインに占領されていただけのフィリピンを攻めたら楽に
占領できたと思いますが、間違っているでしょうか?
↑
間違っていないと思います。
ただ、あんな未開の地に、それだけのメリットがあったか、
地理的に離れているので、占領後の維持が
難しいだろう、ということはあると思います。
秀吉が、朝鮮出兵をやったのは、第三の
元寇を阻止するためだった、という説もあります。
これだと、フイリピンなどを占領する
意味は無い、ということになります。
No.5
- 回答日時:
仙台藩の支倉常長一行140人余りの日本人を乗せたSAN JUAN BAUTISTA号は、メキシコ・アカプルコに、その後の航海は不可能状態の損傷状態(メインマストは折れてしまっている等)で到着と記録に残っています。
アカプルコ以後にどこかに行ったという記録もなしです。支倉常長は8年後にフィッリピンより帰国、総勢8名に減っていました。設計も航海技術もスペイン人によるものでした。
No.4
- 回答日時:
無理でしょう
1582年フィリピンのカガヤンで
火縄銃を持ち、多数の侍を含む倭寇1000人以上が来襲しましたが
40人のスペイン兵により撃退されました
白兵戦でも日本側が惨敗しトレドスティールで出来た剣は砂鉄で作られた日本刀に勝ると豪語されました
No.3
- 回答日時:
占領しても、それを維持していくのに、途方もない財力と人材が必要で、する意味がないと判断です。
それから、太平洋を横断できる船舶製造の技術は、なかったです。日本最初の太平洋横断した船は、スペイン人の指導で1812年に完成。よくこれだけの破損状態でメキシコ・アカプルコに到着できたなあ、という作りで、ご当地で廃船になっています。その後は、鎖国になったため、改良船の製造はされていません。
No.1
- 回答日時:
できたでしょうね。
ただ台湾は以外に大変だったと思います。日清戦争後の台湾併合の時ですら、台湾原住部族の抵抗は激しかったからです。白兵戦が主体の戦国時代だったら勝てなかった可能性もあります。他の地域については「事情をどれだけ知っているか」ということのほうが重要で、当時は日本本土から補給することは不可能なので、現地に食料などを補充してくれる有力な味方が必要になったでしょう。それらの情報戦を制することができたなら、武力では間違いなく日本の武士たちが優勢だったので、侵略することは容易だったと思います。
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倭寇は海賊で、正規の兵ではありません。
そして目的は略奪で占領ではなかったので、鎮圧のために兵士が派遣されたら撤退するのは当たり前。
仙台藩で建造されたサン・ファン・バティスタ号は1613年に太平洋を横断しています。
日本の船は朱印船貿易で東南アジアまで普通に出かけていましたから、造船技術がなかったという批判は当たりません。
そして、秀吉が明や朝鮮に勝てなかったのは、相手がそれなりに軍事力のある統一国家だったからで、統一国家が形成されていない台湾やフィリピンは、拠点となる場所さえ押さえれば占領は難しくありません。
日本の進んだ武器や財宝をエサに原住民を懐柔し、拠点となる場所を確保して農地を開墾し(農業技術を伝授したら原住民は喜んで従うでしょう)、反抗的な部族うぃ少しずつ制圧するように持っていけば、数十年もしたら占領はできるでしょう。これは明治時代に日本が台湾で実際にやったことです。
あれだけ遠い場所にあるスペインでさえ占領できたので、スペインに比べて圧倒的に近い日本は兵站に関しては大きなアドバンテージがあるので、その気になれば占領できたでしょう。
太平洋を横断する船は持っていなくても、東南アジアには朱印船でガンガン行っていましたよ。
もちろん、日本人が設計し、航海した船です。
タイやベトナムまで行っていたくらいなので、日本に近い台湾やフィリピンには簡単に行けました。