

No.8ベストアンサー
- 回答日時:
中国の魏志倭人伝では卑弥呼一人が治める国が日本に見えますが、
その頃は日本は祭政一致と言う言葉がありますが、実は祭政分担で
祭祀(シャーマニズム=鬼道=神道)を司る王と政治を司る王は別々で
いうなれば王様が二人いたのです。
崇神天皇の時代、祭祀王が卑弥呼で、政治王が天皇ということですね。
卑弥呼は人で天照大御神という神の声(お告げ)を聴く巫女ということですね。
天照大御神と卑弥呼では生きた時代がまるで違います。
時代が下ると卑弥呼という役職名は消え、代わって斎王という言葉に代わりました。
今はありませんね。南北朝時代に消えました。

No.7
- 回答日時:
だから、大和朝廷の1翼の人に過ぎません。
祖先はもっとずっと古いです。
イザナギー天照大御神ーーーーー神武天皇ーーーーーーーー
ーー卑弥呼(日本書紀は神功皇后の時代にするが、古事記なら崇神天皇の崩御干支を258年にあてはめて239年頃の女王ということで、崇神天皇頃の人物と結論)
ということにしておいてくれればいいのですが、
こういう結論出す学者は文献が文献故に難題でしょうね。
とにかく天照大御神を悠久の祖先神として祀る巫女ということで、
卑弥呼=日巫女ということに留めておいたほうがいいと思う。
卑弥呼という漢字は中国が当てたただの差別漢字。
この字にこだわらぬほうがいいですよ。
質問者さん次第ですが、邪馬台国=大和朝廷説に素直に同意下されれば、話は穏やかに展開くださると思うのですが、こういう理解には至りませんか。

No.6
- 回答日時:
記紀では神功皇后の段に卑弥呼を登場させるので卑弥呼=神功皇后説で編纂。
日本書紀に従えば、今年は神武紀元2680年、神武天皇は西暦前660年1月1日
すなわち太陽暦で2月11日ということで2月11日が建国記念日とされる。
今上帝は126代かな。
但し、日本書紀の2680年はサバヨミとして別に古事記で推古天皇まで行き、
天照大御神ー天忍穂耳神ーニニギ尊ーホホデミ尊ーウガヤフキアヘズ尊
ー1代神武天皇----10代崇神天皇----33代推古天皇ーーーー
124代昭和天皇ー125代明仁天皇(現上皇)-126代今上徳仁天皇
ということで、卑弥呼の239年は崇神天皇が258年崩御と見て、この崇神天皇時代に該当。
天照大御神:105000年
天忍穂耳尊:1794300年
ニニギ尊:318542年
ホホデミ尊:637892年
ウガヤフキアヘズ尊:836042年
と古いので
卑弥呼=天照大御神は不成立。
どうでしょう。せっかくここにおいでになったのです。
今挙げた数値の謎ときに挑戦してみてはいかがでしょうか。
No.4
- 回答日時:
日本書記には神功天皇の項に魏志の引用があり、暗に卑弥呼=神功天皇であるとしているのが(日本書記の)公式見解と言えます。
天照を卑弥呼とするのは、まぁ有名人なら誰でも良い程度の説と言って良いでしょう。
No.3
- 回答日時:
※№2です。
申し訳ありません。完成前にうっかり投稿しましたので、再投稿です。天照についてはの現存文書は、ほぼ記紀のみ。記紀には「卑弥呼」の記載は全く無い。
卑弥呼についての文書は、魏志倭人伝のみ。魏志倭人伝には「天照」の記載は全く無い。
決定的証拠がない以上、いくらでも<類推>は可能。
「卑弥呼」を「日巫女」、つまり「太陽に仕えるシャーマン」の意味だろうという類推はほぼ間違いないと思われるが、そうなると「卑弥呼」は固有名詞ではなく、職務名ということになる。
しかし、卑弥呼死後の後継者は「臺與(ㇳヨ?)」だという。臺與が名前ならば、「臺與が次の卑弥呼になった」と書いてもよさそうだが、そうは書いていない。ということは臺與は「王」に祭り上げられたものの「巫女」ではなかったということだろう。
そして、卑弥呼は「王」であり、「千人の侍女が仕えていた」と書いてある。つまり、卑弥呼は元々は太陽神に仕える巫女であり、その巫女が何らかの事情で「王」になったということなのだろう。
ここで問題になるのは、卑弥呼が仕えた太陽神とは何かだ。
天照が太陽であるとすれば、卑弥呼は天照大御神に仕えていたことになる。
つまり、天照は、卑弥呼が生きた時代には、すでに死んでその霊魂を注入された八咫鏡として祀られる存在だったはずだ。
このように、私は天照と卑弥呼は別人であったと類推いたします。
以上が私の勝手な類推です。
もちろん、天照と卑弥呼が同じ人物だったという類推もいくらでも可能でしょう。
No.2
- 回答日時:
天照についてはの現存文書は、ほぼ記紀のみ。
記紀には「卑弥呼」の記載は全く無い。卑弥呼についての文書は、魏志倭人伝のみ。魏志倭人伝には「天照」の記載は全く無い。
決定的証拠がない以上、いくらでも<類推>は可能。
「卑弥呼」を「日巫女」、つまり「太陽に仕えるシャーマン」の意味だろうという類推はほぼ間違いないと思われるが、そうなると「卑弥呼」は固有名詞ではなく、職務名ということになる。
しかし、卑弥呼死後の後継者は「臺與(ㇳヨ?)」だという。臺與が名前ならば、「臺與が次の卑弥呼になった」と書いてもよさそうだが、そうは書いていない。ということは臺與は「王」に祭り上げられたものの「巫女」ではなかったということだろう。
そして、卑弥呼は「王」であり、「千人の侍女が仕えていた」と書いてある。つまり、卑弥呼は元々は太陽神に仕える巫女であり、その巫女が何らかの事情で「王」になったということなのだろう。
ここで問題になるのは、卑弥呼が仕えた太陽神とは何かだ。
天照が太陽であるとすれば、卑弥呼は天照大御神に仕えていたことになる。
つまり、天照は、卑弥呼が生きた時代には、すでに死んでその霊魂を注入された八咫鏡として祀られる存在だったはずだ。
このように、私は天照のモデルとなった卑弥呼は別人であったと類推いたします。
以上が私の勝手な類推です。
もちろん、天照と卑弥呼が同じ人物だったという類推もいくらでも可能でしょう。
No.1
- 回答日時:
卑弥呼を天照大御神と考える説は昔からあり、色々な人がそれぞれの説を出しています。
百家争鳴の状態がまだ続いているので、浅学な私には多すぎて根拠を示すことは出来ません。
それは貴方自身で沢山の説を調べて、この人はこの辺りに根拠を置いているということを調べないといけないです。
もう25年くらい前に古田-安本という邪馬台国に関する論争があり、古田氏の方は変な方向に行ってしまい学会の評価は低かったのですが、安本美典氏の方は、簡単な数学的な推定から卑弥呼の時代を遡ると天照大御神の頃になるのではないかと、本を出版していたように記憶していますし、Amazonで入手可能です。
他にも沢山、その説を唱えている人はいるので、人の数だけ論拠があると考えた方が良いです。
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古い大昔のこととて、なかなかにむつかしいですが、皆様の感想として、卑弥呼は大和朝廷➡現天皇家の祖先と考えられますか?もし根拠らしきものがあれば教えてください。