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日本語を勉強中の中国人です。茶道はなぜそれぞれの流派でやり方が違うのでしょうか。同じ流派の中でもいろいろなお茶の立て方があるようです。なぜ一つのしきたりやルールに統一しないのでしょうか。

『お茶はまず「形」から。先に「形」を作っておいて、その入れ物に後から「心」が入るものなのよ』と映画「日々是好日」の中に言うのですが、なぜこのようなたくさんの形を作らなければならないのでしょうか。

また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

開祖である千利休の死後、まず、表千家、裏千家、武者小路千家に分かれます。

最初は跡目争いのようなものでしたが、そのうち、千利休に独自の解釈を付け加えるようになります、さらにその後、古田織部、織田有楽、小堀遠州、松平不昧といった影響力のある高名な茶人や、各地の茶道の指導者によって、それぞれの解釈が加わり、多くの茶道流派に分かれていきました。

宗教と同じようなもので、キリストや釈迦、ムハンマドの言葉は一つですが解釈が分かれ、跡目争いといった人間的理由で分派ができるのと同じです。
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この回答へのお礼

みなさん、ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。おかげさまで、理解できるようになりました。

お礼日時:2020/10/21 20:05

解釈が変わるからです。



宗教だってそうですよね。
日本と中国でいえば、中国からは禅宗が伝わっていますが日本では5つの宗派に分かれています。
それぞれ解釈が違うからこそ分かれていったのですが、これは元の中国でもいえる話でした。

仏教においても仏陀の教えと後の仏教は別物です。

それらと同じように、後世の人間が源流をそのまま受け継ぐことは少なく、独自の解釈が混じってしまうのです。
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本来は1つなんですがスポンサー(政権の主)の関係で流儀が別れました。

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