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日本の戦後復興はアメリカのおかげですか?
日本人の努力とかあまり関係無いですか?

A 回答 (22件中1~10件)

戦後復興は


アメリカとの関係を忘れないでいないと

御隣の国みたいな
民族や!
人種だと!

思われますからね

日本人の日本人たる由縁は
教えられたからではなく

もともと、備わってるもので
人種の隔たりを、国際化などで
取っ払おうとするのは
すごく良いことだけど

その民族や人種のもってる
善いと思われる特性まで
忘れてしまうのは

悲しいはなしですもんね


悪い特性は、改善して
善い特性は、後世にのこす


何が善くて
何が悪いのかは

歴史を調べて
現在の価値観と比較すると

それなりに答えは出るはずですよ

マスコミの片寄った報道!
利権団体や、過激な集団の思想

そんなものより

ネットがある時代だから

個人!個人の思いを拾いあつめるのは
有意義なはなしですね
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こんなとこでさえ未だにGHQ教育が浸透していて草バカダナー


マッカーサー万歳♪プププ
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アメリカのお陰だと思います。


日本はなにかとアメリカに頼って生きている国なので。
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「戦後復興」限定で言えばアメリカの援助無しでは成し得なかったり、もっと時間がかかったりしたところは多いです。


日本人の努力の方も無関係ではなく大きな要因ではあります。しかしながらそれは「努力」とするのが正解なのかどうか。もともと自然災害や人為的な災害で一夜にして壊滅的な被害を被り復旧改善の歴史の中で生きてきた民族ですから習い性と言いますか刷り込まれていたという方が腑に落ちます。

「戦後復興」限定としたのはその戦争が起きた原因は日本よりも当のアメリカを中心とした列強に強制的に形成されたアジア蔑視の世界情勢からです。
日本の復興への支援はDVの旦那のように殴っておいて手を差し伸べるようなそんな見た目の現象です。それと戦争が無かった場合でも形はもっと違ったでしょうが、国家としての発展は自ら成し得ていたと思うんで「戦後復興」限定とさせてもらいました。
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>日本の戦後復興はアメリカのおかげですか?


 アメリカの援助無くして、朝鮮戦争の特需なくして、
 早期復興は難しかったでしょう。
 しかし、日本が復興への道を歩むことが出来たのは
 マッカーサーが昭和天皇と初めて会った時に定まったことを
 忘れてはいけないと思います。

 天皇はどんな命乞いをして来るのだろうと暗中模索しながら接見した
 マッカーサーが耳にしたのは、
「朕(天皇)の命はどうなっても構わない。
 どうか、日本国民を助けて欲しい」という陛下のお言葉でした。

【この場で射殺されるかも知れない】という緊張からか
 身体を小刻みに震わせながらも、ただ、国民を思う陛下の言葉に
 マッカーサーが深く感銘を受け、
 アメリカ本国へ必要物資の水増し報告を上げたことも影響しています。

>日本人の努力とかあまり関係無いですか?
 いいえ、働き盛りの戦死者が多い中、
 生き残った国民の気概とたゆまぬ努力無くして
 今日の日本は無かったと言い切れます。
「国民の多くが今のホームレスと大差ない状況」の中から
 その後、高度成長を成し遂げたことは、奇跡そのものですよ。
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アメリカ合衆国のおかげも有りますよ。

1番は日本人が努力したからです。
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創世記:41:17 パロはヨセフに言った、「夢にわたしは川の岸に立っていた。

41:18その川から肥え太った、美しい七頭の雌牛が上がってきて葦を食っていた。 41:19その後、弱く、非常に醜い、やせ細った他の七頭の雌牛がまた上がってきた。わたしはエジプト全国で、このような醜いものをまだ見たことがない。 41:20ところがそのやせた醜い雌牛が、初めの七頭の肥えた雌牛を食いつくしたが、 41:21腹にはいっても、腹にはいった事が知れず、やはり初めのように醜かった。ここでわたしは目が覚めた。 41:22わたしはまた夢をみた。一本の茎に七つの実った良い穂が出てきた。 41:23その後、やせ衰えて、東風に焼けた七つの穂が出てきたが、 41:24そのやせた穂が、あの七つの良い穂をのみつくした。わたしは魔術師に話したが、わたしにそのわけを示しうる者はなかった」。

41:25ヨセフはパロに言った、「パロの夢は一つです。神がこれからしようとすることをパロに示されたのです。 41:26七頭の良い雌牛は七年です。七つの良い穂も七年で、夢は一つです。 41:27あとに続いて、上がってきた七頭のやせた醜い雌牛は七年で、東風に焼けた実の入らない七つの穂は七年のききんです。

41:46ヨセフがエジプトの王パロの前に立った時は三十歳であった。ヨセフはパロの前を出て、エジプト全国をあまねく巡った。 41:47さて七年の豊作のうちに地は豊かに物を産した。 41:48そこでヨセフはエジプトの国にできたその七年間の食糧をことごとく集め、その食糧を町々に納めさせた。すなわち町の周囲にある畑の食糧をその町の中に納めさせた。 41:49ヨセフは穀物を海の砂のように、非常に多くたくわえ、量りきれなくなったので、ついに量ることをやめた。

41:50ききんの年の来る前にヨセフにふたりの子が生れた。これらはオンの祭司ポテペラの娘アセナテが産んだのである。 41:51ヨセフは長子の名をマナセと名づけて言った、「神がわたしにすべての苦難と父の家のすべての事を忘れさせられた」。 41:52また次の子の名をエフライムと名づけて言った、「神がわたしを悩みの地で豊かにせられた」。

41:53エジプトの国にあった七年の豊作が終り、 41:54ヨセフの言ったように七年のききんが始まった。そのききんはすべての国にあったが、エジプト全国には食物があった。 41:55やがてエジプト全国が飢えた時、民はパロに食物を叫び求めた。そこでパロはすべてのエジプトびとに言った、「ヨセフのもとに行き、彼の言うようにせよ」。 41:56ききんが地の全面にあったので、ヨセフはすべての穀倉を開いて、エジプトびとに売った。ききんはますますエジプトの国に激しくなった。 41:57ききんが全地に激しくなったので、諸国の人々がエジプトのヨセフのもとに穀物を買うためにきた。
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 食糧管理制度(しょくりょうかんりせいど)とは、日本における主食である米や麦などの食糧の価格や供給等を、日本国政府が管理する制度をいう。
1942年(昭和17年)2月21日制定の食糧管理法(いわゆる食管法)に基づき創設された。同法は1995年(平成7年)に廃止され、代わりに主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(食糧法)が制定されたことを受け、食糧管理制度の呼称も食糧制度と改められた。また、2004年(平成16年)には、その食糧法に大幅な改正がなされるなど、制度の内容は時代と共に大きく変化してきている。 〔食糧管理制度 - Wikipedia〕
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 自由貿易のもたす自由と富、そのようなものも政治箇条でしたが、たび重なる調整、調性により、現代の論調もさまざま火を吹いているような。
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触れ逃してました、


失礼。


確かに、

其の後の 半島での、
極地戦闘は、
アメリカが 中継地を、
日本と 選んだのでは、
なかったでしょうか。


お陰で、

周辺他国は そうでもなく、
此の国では 潤いました。


まとめましょう、

現代までは 定かでないものの、
当日 限定として、

為替を 用いられたのは、
日本だけ、

極東局地戦中継地に 利用されたのは、
ほぼ 日本だけ、

特異的に 復興を、
果たしたのは 日本だけ。


又、

こんにちでも 極東橋頭堡は、
日本。


結論は、

書かずとも、
只 蛇足、

一葉でしょ?
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おかげですね



食料援助がなかったら

オワコンでしたからね

アメリカさん
ありがとう(^人^)感謝

対戦中には、血みどろの争いを繰り返して

西洋、ヨーロッパでは考えもしない
玉砕精神や!
神風特攻隊の攻撃!

ヤバイ奴らだと認定しながらも

食料援助してくれて

お陰さまで、戦後復興できましたよ
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西洋の船が積んでいた、内燃、鉄鋼技術、建築技術、コンクリート、電球、電話、石油、石炭、それらの技術を取り入れ利用することに尽くした。

その頭脳筋は、戦後も生きており、社会の復興・新建設に供給された。
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