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当たり前のように使われていますが、
考えてみれば、数あることわざの中で、ただ逆にしただけのことわざが2つあるのは不自然です。

元はどちらが言われていたのでしょうか?
それとも、信者がありがたがって、弘法大師のことわざを片っ端から作り出したことわざの中でたまたま残っていたものなのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • とてもわかり易かった。代名詞と言う言葉でようやく腑に落ちました。ありがとうございます!

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/12/24 10:15

A 回答 (14件中1~10件)

>ことわざや歴史の専門家でないと



私は一介のライターですから、素人は黙ってろということでしょうが、最後に一言言わせてください。

ことわざって、そんなもんじゃないですよ?もちろん歴史や故事にまつわることわざもありますが、すべてのことわざに歴史的背景や由来があるわけではない。

「弘法」は単に「書の名人」の代名詞なのであって、決して空海という個人を指したものではないんです。だから、偶然「弘法」が出てくることわざがいくつもあってもおかしくはないんです。

例えば、落語には大工の名人で「左甚五郎」という人が登場する話がいくつかあります。これは実在した宮大工さんですが、左甚五郎本人の歴史はどうでも良くて、単に「大工の名人」として噺に登場します。

私は、そういうことだと思うんですがねえ…。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

一般常識で突っ込んだ質問をすると、頭を使うこともなければ、知識の知の字もないような人からの回答ばかりになるのでそう言ってますが、
回答者さんのように、きちんと考えを持って答えてくれる方の回答はありがたく読ませてもらっています。ありがとうございます。

お礼日時:2020/12/20 13:30

お大師さまへの尊敬、親しみの念から生まれたもので、その思いが素直に表現された慣用句です。



弘法も筆の誤り
弘法とは嵯峨天皇、橘逸勢と共に平安時代の三筆の一人に数えられる弘法大師(空海)のこと。 その弘法が天皇の命を受けて応天門の額を書いたが、「応」の字の「心」の一番上の点をひとつ書き落とした。 そこから、弘法のような書の名人でさえ書き損じることもあるものだと、失敗した際の慰めとして、この句は使われるようになった。

弘法筆を選ばず
「弘法筆を選ばず」の由来・出典は、書の達人であった弘法大師にまつわる数々の伝説にあります。真偽のほどは定かではありませんが、川をはさんで対岸に置かれた額に、竹竿にくくりつけた筆で見事な書を書いたとか、口や手足に何本もの筆を同時に持って優れた書を書いたなどの伝説が残されています。

で、「ただ逆にしただけのことわざ」というのは表面的な結果論に過ぎません。■
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この回答へのお礼

なんの参考にもならないです。似たような事ばかり言って鬱陶しい

お礼日時:2020/12/24 10:11

#12です。


少し補足します。

通常は筆を選ばない弘法も誤ることがある。

と解釈できるかと。
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この回答へのお礼

良かったですね

お礼日時:2020/12/24 10:10

>考えてみれば、数あることわざの中で、ただ逆にしただけのことわざが2つあるのは不自然です。



そんなことはありませんよ。
世の中には、まったく逆のことがしばしば起こり得るので、ごく自然なことです。
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この回答へのお礼

良かったですね

お礼日時:2020/12/24 10:10

弘法も筆の誤り:


達人でも名人でも間違うことはある
例)将棋名人戦の舞台で、挑戦者森下卓は一手詰を見逃し、羽生善治名人に逆転を食らった。

弘法筆を選ばず:
達人や名人となれば、どんな条件でも目的を達する
例)カルタゴの名将ハンニバルは、総兵力の不利を補うため騎兵の機動力をフルに活用し、戦術の最高傑作カンネの会戦を作り上げた。

ベクトルの向きが違うから「逆」にはならない。
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この回答へのお礼

なんの役にもたちませんでした。

お礼日時:2020/12/24 10:09

二度あることは三度あり と 三度目の正直



善は急げ と 急いてはことを仕損じる

とかほかにもただ逆にしただけのことわざはあるので特に不自然とは感じないです。

弘法の元がどちらかとかは知りません。

ただ、お釈迦にする とか 釈迦に説法 とかの仏教の人名のことわざはあるので、
どちらも仏教を広めるためにそういった人名のことわざを使い、各地に広まって残っているのではないでしょうか。
なのでどちらも同時期に使われていて、先とか後とかはなさそうに感じます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。そうかもしれませんね

お礼日時:2020/12/24 10:08

>ただ逆にしただけのことわざ



ただ逆にしただけでしょうか。背反する話ではないと思います。

「筆を選ばず」は書の達人はどんな筆でもうまく書けるという意味。実際には空海は良い筆を選んだとも聞きます。
「筆の誤り」は空海が應天門の扁額の字を書き誤ったという逸話。平安時代後期の今昔物語集にあるそうです。門に掲げるまで気づかなかったというのも変な話です。

空海は「五筆和尚」と呼ばれたりします。一度に五本の筆で字を書いたとの逸話ですが、実は「楷書・行書・草書・隷書・篆書」の五書体に通じていたということのようです。

他にも空海にまつわる伝説は全国各地に数百もあると言われています。
杖で突いたら水が湧き出たとする逸話も多い。唐に留学中に鉱山や地質など関する学問も習得していたのだろうということです。

数々の伝説のもとになった出来事が事実なのか、いつ頃の話なのか、明確な記録が残っていることは少ないと思われます。専門家の研究論文や学術書を調べてみられてはいかがでしょうか。

https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_ …
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_ …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。弘法が個人ではなく、書の達人の代名詞と言う事で、納得出来ました。リンクありがとうございます。

お礼日時:2020/12/24 09:41

ちなみに弘法大師は書の達人というのは、信者さんというより一般常識なので、多分信者さんがバンバン作ったとかでなく、全然関係ない人が時系列とかまったく関係なく作ったことわざかもしれません。

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この回答へのお礼

知りたいのはその部分ですね。
ですから、ことわざの専門家や、歴史や文化に詳しい人でないと答えようがないんですよね。。

お礼日時:2020/12/20 12:17

ここで言う弘法とは「書の達人」という意味です。

これはおわかりですね。

弘法も筆の誤りというのは、弘法のような達人でも、書を書き損じる(筆運びを誤る)こともある、というところから転じて「どんな名人・達人だって、たまにゃミスることもあるさ。ドンマイドンマイ」という意味です。

一方、弘法筆を選ばずというのは、「超一流になれば、多少道具がボロでも超一流の仕事ができるもんだ」から転じて「ヘタクソのくせに道具にばかりこだわってんじゃねーよ、道具のせいにすんなよ」という意味です。

したがって、このふたつのことわざは全然違う話なので、矛盾はしてません。
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この回答へのお礼

不自然だと思うのは、ことわざでも、同じ人名で同じ物に関する事が2つあることです。
武家社会で、偉人の諺があるなら。他にも幾らでもあっただろうに、何故同じ人の2作が残ったのだろう?と不思議に思ったのです。

お礼日時:2020/12/20 12:11

弘法大師に係わる諺はこの二つです。

大師は筆の達人であったため、伝説からこの諺は生まれたようです。
「弘法筆を選ばず」は、「良工まずその刀を利くし、能書は必ず好筆を用う」と空海の言葉から生まれたようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。それでしたら、筆の誤りは
筆を選ばずの後から出来た言葉のようですね。

お礼日時:2020/12/20 11:39

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