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昭和では教育の一環として暴力も含まれていたと良く聞きますが、果たしてそれは犯罪に値しないんですか?親に聞いてもそう言う時代と言って済まされます。誰か教えてください。

A 回答 (14件中1~10件)

愛情の有無が犯罪のわかれ目だと想いますよ



ジャージ姿で、竹刀かたてに
ビシバシとね
でね
卒業したての悪がお礼参りとかって
こっちは犯罪ですね
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「値しない」と当時は考えられていました。


犯罪というのは幅があるので、当時は犯罪だけど、今は問題ないということもあります。
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例えば、「街で路上にゴミを捨てた人を取っ捕まえて説教をした」場合これは犯罪になる。

見ず知らずの他人を掴んだだけで暴力になるし、相手の許可無く拘束したり怒鳴ったりしても犯罪になる。

で、子供に対してはこれと同じようなことが教育として当たり前に行われている。そしてこれは当然のことだ。
子供からすれば鬱陶しい話だが、子供はそうやって大人から人間性を学んでいく。そして昔はもっと大人はエゴむき出しだったし、子供はもっと大人に反発もした。だから密な関係が構築されやすく相互に理解しやすい関係性でもあった。
教員が悪さをした子供を取っ捕まえて引っ叩くと、普通の子供は悪いことして怒らせたから仕方ない と少しだけ反省してそれで終わりであり爽やかのもの。教室内では小さな事件として噂話と笑い話になってちょっとしたトラブルの思い出となり、経験値の一つになる。
しかしその中では多くの事件事故も起こる。
確率的には小さな数でも、たまにとんでもないことも起こる。引っ叩たかれた生徒がブロック塀に足を取られて転倒して頭の打ちどころが悪く半身不随にまでなってしまうとか、子供同士の喧嘩と放っておいたら死者がでたりとか、それが大問題となる。そしてそういう時に教員はその場しのぎの嘘をついたり、学校ぐるみで隠蔽したりして、より一層複雑な問題となる。

そんなことの繰り返しで、行き着いた先は 体罰は暴力 という考え方であり、教育現場で教員に対し広く指導が行われるようになった。そして教員が悪さをした生徒の肩を掴んで怒鳴りつけただけでも暴力だと認定されることになるようになった。

子供は成長過程で体罰を含む大人のエゴと接することで成長する。これは多くの研究でも立証されており、子供の成長にとってとても重要なことの一つ。
心理学の調査では、子供の頃に親や教師から体罰を受けたことがあると回答した人ほど心理的安定傾向にあり、逆にそのような接触はなくいわゆるいい子として育った子供ほど心理的不安定な傾向にあったとのこと。
またアメリカの犯罪調査として囚人たちがどのような家庭環境で育ったのかが調査が行われ、最も多かったのが「幼少期の家庭で親に怒鳴られたり体罰を受けた経験のない人」であり、次いで多かったのが「幼少期の家庭で親から酷い虐待を受けていた人」であった。

昨今では体罰が虐待問題とも結び付けられて、体罰を教育現場からなくすための教員指導が徹底され、同時にそれは親へも呼びかけられている。
これは国際的潮流であり、1960年代北欧の国ではすでに法律で規定され体罰は暴力として罰せられることになっている。またアメリカでは耳お覆いたくなるような酷い虐待問題がメディアで報じられるようになり、1990年代には親であっても子供への体罰は犯罪であるとして様々な規制が行われることとなっている。
国際的潮流として体罰が虐待の一つとして扱われる法整備などが行われ、昨今の日本でも同じような体制へと変わってきている。

ただしその手の耳お覆いたくなるような酷い虐待事件は、北欧でもEUでもアメリカでも無くなっていなく、全く効果はでていない。なので日本でも親の体罰を禁止したところで、とんでもない酷い虐待が起こらなくなるということはないだろう。
これは例外的な特殊で専門的知見が必要な事件事故を一般化して捉え、どこでも誰にでも起きる事柄のように社会を規制するという、見当違いな対応をしているためだろう。

こんな感じで教育問題や体罰問題は禁止され、それでも問題の本質はほとんど解決へ向かわずにいる状態。
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手をあげたら暴力というなら暴力でしょうね。


でも学校で悪いことしたら
ビンタされたり、正座させられたり
してましたが
現代の子に対する暴力と同じように事件性のあるものは
いつの時代にもありますよ。
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教師と言う立場を悪用する、糞教師だらけで有った。



昔に、犯罪にならないなら、殴られた教師の所に行って、ぶちのめしてやりたいです。
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>昭和では教育の一環として暴力も含まれていた


「暴力」は、一般に「肉体言語」として一定の認知がありました。
親が子供を殴るとか、近所の怖いおじさんがいたずら好きの子供を殴るなどは、「肉体言語」よりもはるか以前より社会的認知がありました。
教員がそれをやった場合、親は「よくやってくれた」です。
ちょっとした暴力に関して当事は寛容だったのです。
子供同士の喧嘩も珍しくありません。
そこで多少の怪我をしたからと言って、親が「学校は何をやってるんだ!」と怒鳴り込んだり、PTAが文句を言ったり、ましてや法的手段に出るなどすれば「あそこのうちの親はおかしい」となったでしょう(そういう事例をしらないので、でしょう、です)。
これは、人間関係が濃密で、相互の信頼関係があったからこそ成立していたのだと感じます。
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アラフィフオヤジです。



戦後、日本の教育法は体罰を禁止しましたから、違法であるのはずっと同じです。

ただ「どこまでを違法とするのか?」は時代が下るにしたがって、だんだん範囲が広くなっていき、いまでは廊下に立たせるのも「体罰で違法」とされます。

私が小中学生だった40年ぐらい前は、違法化が進んだ時期で、さすがにビンタしたり、竹刀で叩いたりするような教師はほとんど居ませんでした。
 ただ、悪いことをして教室の後ろで正座などはまだありましたね。

体罰がほぼ完全に禁止になったのは、1990年ぐらいからで神戸の校門圧死事件や国際的に「子供の権利条約」などの整備がすすめられたことが大きく影響しています。

日本も1994年に「子供の権利条約」を批准し、体罰や丸刈りなどの強制的な校則が見直されるきっかけになりました。いま体罰がなく校則見直しが再度されてるのは、この条約があるからです。

で、なんでそれ以前は学校で体罰が許容されていたかというと「学校自治」と言う考え方があるからです。

学校というのは、未熟な子供たちを指導し、教育を与える場所であるので、過ちがあることが前提で、それに対して大人のように刑罰を与えるのではなく、反省させ指導しよい社会人になるように教育していくのが学校と教師の仕事とされていました。

そのため「学校内での問題は学校内で解決し、特に生徒の過ちは教師が責任をもって指導教育する」という考え方が1990年以前は強かったのです。

その代り教師には社会的な地位や能力が認められていて、学校外で非行に走る生徒、法律違反で逮捕された生徒などに対して、警察に担任教師などが行き「私と学校が責任を持って指導しますから、許してください」というようなことが割と普通にあったのです。

この辺りは初代の金八先生を見ると雰囲気が良く分かると思います。

要するに学校の教師は社会的な風潮として「教育者であり、生徒たちの成長に責任を持つプロ」とされていたので、多少の体罰も親は許容していたし、親も教師を信頼していたので「先生に殴られたのはお前が悪いからだろ」で済んでいたわけです。

今はそうはいきません。学校側も「生徒が刑法違反したら警察と連携して対処する」とか平気で言っていますし、親も「教師自体がサラリーマン」だとみなしています。

1980年代まであった「教師への尊敬と社会的地位」がどんどん失われ、子供の権利条約で「学校や教師から子供を守ること」が明確になったために、どのようなものでも「体罰」と見做されれば不可になっていったのです。

個人的な話をすれば「学校における体罰」そのものは否定しません。あってもいいです。
ただ、今のように教師自身が社会的地位を得られず、誇りをもって「教育者」を名乗れない社会情勢なら、体罰はどんな小さなもので禁止にするしかないと思います。
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体罰は普通にあった。


しかし、理由があっての体罰であり暴力と異質のものだ。
なにより体罰を振るう先生ほど人気が有ったものだ。
悪いことをしたら叱ってくれる先生を、生徒は自然と慕うのだ。
しかし体罰は禁止となり、必然的に学級崩壊を招くこととなる。
誰も悪さをする生徒を叱って止める事ができなくなったのだ。
私も往復ビンタとか色々食らったが、本気で叱ってくれた先生に感謝している。
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暴力については取り締まりは厳しくなってるけど、「猥褻(わいせつ)」については、逆に圧倒的に緩くなっています。

世界的傾向ですね。どちらの時代を好むか?(^_^;
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暴力ではありませんが尻叩きとかビンタぐらいはありましたよ。

愛のムチです。そう「親にも打たれた事が無いのに!」とか言うアニメの主人公が出てきた頃から校内暴力が出始めました。そんな子の親は自分の子供は悪くないと言って教師を責め今に至ります。
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