アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

中国の簡体字って一日で考えたんですか?

A 回答 (2件)

>中国の簡体字って一日で考えたんですか?


いえ、そんな訳はありません。
長い年月かかって紆余曲折の末に決まりました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

線を削るだけですよね?
1935年から1937年辺りに出来たんですね。1、2年ぐらいですかね?
長い年月何ですか?

お礼日時:2021/02/26 10:46

Wikiによりますと


簡化運動の始まりは1909年であり、1965年から安定期と言える時代に入ったとされています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
 清末の1909年、陸費逵が『教育雑誌』創刊号に「普通教育当採用俗体字(普通教育に俗字を採用すべきだ)」という論文を発表したことが簡化運動の始まりとされる。

 五四運動時代の1920年、銭玄同は『新青年』に「減省漢字筆画的提議(漢字の筆画を減少させる提案)」を発表し、1922年には陸費逵らと連名で国語統一籌備会に常用の漢字すべての筆画を減少させる提案をしている。

 1934年にも国語統一籌備会に簡略された字体の収集を提案し、翌1935年には2400字余りの『簡体字譜』の草案が編まれた。
 一方で、国民政府教育部でも324字の「第一批簡体字表」を公布したが、1936年に「不必推行(普及の必要なし)」との命令が出て実施されることはなかった。
 その後、簡略字体の収集が盛んになり1937年には字体研究会が1700字の「簡体字表第一表」を発表している。

 1949年10月に中華人民共和国が建国され、1951年に毛沢東が文字改革を指示した。その後の1952年、簡略字体の議論を受けて、漢字研究の機関として「中国文字改革研究委員会」が設立された。1954年に憲法が制定され、政務院が改組されるなど新体制への変化の中で、中国文字研究改革委員会も中国文字改革委員会に改名し、1955年に『漢字簡化方案草案』を発表した。

 翌年の1956年1月、この草案を基に『漢字簡化方案』(汉字简化方案)が国務院から公布され[1]、514字の簡体字と54の簡略化された偏や旁が採用された。数年の使用実験を経て、簡化字は1959年までの4度改訂公布され、1964年5月に『簡化字総表』にまとめられた。

 1965年1月『印刷通用漢字字形表』が公布され、計6196字の字形や筆画、筆順などについて、具体的な規定を制定した。

 1977年、中国文字改革委員会は新たに『第二次漢字簡化方案草案』を発表し、さらなる漢字の簡略化を目指した。しかしこの試みは文化大革命直後ということもあって、あまりにも拙速なもので、字体が簡略化され過ぎて「読みにくい」「見苦しい」と猛烈に批判され、社会に混乱を催した。
 その結果8年間の試行で廃止された。これらの簡化字は俗に二簡字と呼ばれる。この後、若干の漢字の取り扱いに変更があったものの、新たに大規模な文字改革は行われておらず、公式に定められた規範としての簡体字は安定期に入っていると言える。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

長い年月じゃないですね。

お礼日時:2021/02/26 13:25

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!