「これはヤバかったな」という遅刻エピソード

「できますですか」は間違った日本語だと思いますが、
「できますでしょうか」は正しいのはなぜでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 以下話を単純にするため、「か」を取り除いて考えます。
    二重敬語の問題のようなので、「できますです」から敬語を除いていくと、
    できますです。
    できますだ。
    できるです。
    できるだ。
    となります。どれも違和感があって、間違いだと思います。
    しかし、「できるだろう」なら何の違和感もありません。正しい日本語だと思います。
    つまり、二重敬語かどうかの問題ではなく、「だ」は「できる」にはつながらないが「だろう」は「できる」につながるということのようです。

    「だ」と「だろう」には文法的に何か本質的な差があるのでしょうか。
    あるいは「できるだろう」は本来間違いであるが、みんなが使っているから良いことにしたのでしょうか。

      補足日時:2021/03/05 09:47
  • 「できるだろう」が正しい日本語なら、「できる」の丁寧形の「できます」と「だろう」の丁寧形の「でしょう」をつないだ「できますでしょう」も正しいと言えると思います。これは二重敬語ではありませんね。敬語連結というのかどうか?

      補足日時:2021/03/05 09:51
  • 私の疑問に対して色々な方々からコメントをいただいて、それらをすべて理解しないまま新たに質問をしているようで心苦しい限りですが、今までの回答を見て私の考えをまとめると以下のようになります。

    疑問 1.
    「できますですか」は×なのに、「できますでしょうか」は○なのはなぜか。
    (○、×は私の感覚です)
    「なぜか」とは、「です」も「でしょう」も同じ助動詞「です」なのに、終止形なら×、未然形なら○なのが理解できないということ。

    私の答え。「できますですか」と「できますでしょうか」の関係は「できるだ」と「できるだろう」の関係と同じであり、「できるだ」は×、「できるだろう」は○だからそうなる。
    (ここでも○、×は私の感覚です)
    「できるだ」が×だからそれを丁寧形にした「できますですか」も当然×。
    「できるだろう」が○だからそれを丁寧形にした「できますでしょうか」も○と言いたいとこだが、

      補足日時:2021/03/10 15:12
  • 「できますでしょうか」は二重敬語なのではないかという疑問が出てくる。

    疑問 2. 「できますでしょうか」は二重敬語か
    二重敬語とは例えば、尊敬語「ご覧になる」にさらに尊敬の助動詞「られる」を加えて「ご覧になられる」としたもの。
    ただし「ご覧になる」に進行を示す補助動詞を加えた「ご覧になっていらっしゃる」は二重敬語ではない。「いらっしゃる」は「ご覧になる」に対する尊敬語ではなく、「いる」の尊敬語だからである。これは敬語連結である。

    「できますでしょうか」の場合は、「できます」に推定の意味を示す「だろうか」の丁寧語「でしょうか」を加えたものであり、「でしょうか」は「できます」を丁寧にするものではないから二重敬語ではないと考える。つまり、「できますでしょうか」は○。

    疑問 3.
    まだ、なぜ「できるだ」は×で「できるだろう」は○なのかは疑問のままであるが、これは簡単には答えが出そうにない。

      補足日時:2021/03/10 15:17

A 回答 (15件中1~10件)

#14です。



たしかに、前回の説明は若干微妙かな、という気はしていました。
例があまりよくなかった。
くどくなる点はご容赦いただきつつ、下記のように修正させていただければと思います。
同じ大辞泉の語釈から。

「のだ」
(2)話し手の決意、または相手に対する要求・詰問の意を表す。
「なんとしてもその夢を実現させるのだ」
⇒「なんとしてもその夢を実現させる」だけで断定表現と言えると思います。
その断定を準体助詞「の」によって名詞化し、「要求の内容」として成立させている。
末尾の「だ」は(「要求の内容」ではなく)「~という要求である」ということを断定している。

「できます」と同じ意図で
「できるだ」
「できますです」と言うことはあるでしょう。
(不自然ではあるが文法的間違いとは言えないということは先に申し上げたとおりです)
しかし、
「なんとしてもその夢を実現させる」に要求の意図がないことは明らかですから、それと同じ意図で
「なんとしてもその夢を実現させるのだ」
「なんとしてもその夢を実現させるのです」
と言うことは基本的に無いのではないでしょうか。
ご検討材料のひとつとしていただければ。
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#12です。



>断定が重なるから不自然なのだとしたら、「のだ」も不自然に感じるのではないかと思います。

「のだ」に関して「断定が重なる(から不自然)」とは思いませんので、その点に関してだけ若干述べさせていただきます。
まずですが、「の」という準体助詞の役割は何か、ということになるでしょう。
個人的には、単なる断定ではない点に着目します。
以下、大辞泉の語釈を参照します。

「のだ」
(1)理由や根拠を強調した断定の意を表す。
「赤信号を無視して走るから事故を起こすのだ」
⇒「赤信号を無視して走るから事故を起こす」は 、準体助詞「の」によって名詞化されることで[ 理由の内容 ] を(強調的に)断定している。
「だ」は、「~という理由があるのだ」のように文全体を断定している。

「できます」と同じ意図で
「できるだ」
「できますです」と言うことはあるでしょう。
(不自然ではあるが文法的間違いとは言えないということは先に申し上げたとおりです)
しかし、
「赤信号を無視して走るから事故を起こす」と同じ意図で
「赤信号を無視して走るから事故を起こすのだ」
「赤信号を無視して走るから事故を起こすのです」
と言うことは基本的に無いのではないでしょうか。

むろん、わたしはそう感じる、というだけの話で、この自説というか感覚を押し付けるつもりは一向にありませんので、その点だけは誤解なさいませんように。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私の理解できる範囲を超えていそうな微妙な問題ですね。

お礼日時:2021/03/14 15:38

No.11でコメントした者です。


 あまりにも長くなったので、ご迷惑でしょうからリンクの形にします。
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12662122273.html

 No.11のリンク先はご覧いただけたのでしょうか。
 返信がないので続きを書いてよかったのか戸惑っています。
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この回答へのお礼

No.9 のお礼での私の質問に、
二重敬語ではないと思う。敬語連結でもない。
とご回答をいただきありがとうございます。お礼が遅くなり失礼しました。
色々な考えがあるようで私にはよく分かりません。

お礼日時:2021/03/13 19:14

#10です。


最新補足拝見。
一部重複する内容になるかもしれませんが、私見を述べます。

>なぜ「できるだ」は×で「できるだろう」は○なのか

私の中では答えが出ています。

1.「できるだ」の場合、「できる」は終止形であり基本的に断定の認識を表わす。「だ」も断定の認識を表わしていて、それが重なっているため不自然となり(方言などを除いて)一般的には×とされるだけであり、文法的に誤っているわけではない。

2.
「できるだろう」の場合、後項の「だろう」は(断定ではなく)推量の認識をあらわすので、1のような重複が無く〇と評価される。

※つまり、【「できるだ」は×で「できるだろう」は○】の理由として二重敬語は直接的には関係していない、という見解です。

3.
とはいえ、「二重敬語」を<敬語の指針>では「一つの語について,同じ種類の敬語を二重に使ったもの」と定義しています。
「できますでしょう(か)」が、丁寧語であるところの「です」「ます」という同じ種類の敬語を、「できる」という一つの語について二重に使っているのは間違いありません。
接続助詞「て」が使われていないことでもあり、敬語連結と呼ぶわけにはいきませんが、二重敬語と呼んでも特に間違いとは言えないでしょう。
いや、それは拡大解釈だと考える人もいると思いますが、それはそれで別に二重敬語と呼ばなくても構わない。
呼び方云々ではなく、要するに、
「一つの語について,同じ種類の敬語を二重に使ったもの」である、という点が重要なのですから、その本質的論点を見失ってはいけません。

つまり、
「できますでしょう(か)」は、「一つの語について,同じ種類の敬語を二重に使ったもの」であるのは間違いない、ということを申し上げているわけですから、そこを見誤らないようにしていただきたい。
二重敬語と呼ぶか呼ばないかは個人的見解の相違にすぎず、しかも今回の論点とは何の関係もないことです。

話を本筋に戻しますと、「一つの語について,同じ種類の敬語を二重に使ったもの」であろうが二重敬語であろうが、それが × とされるのは、要するに「過剰な敬語である」という、この一点。
なので、そこを論点にするのなら、「できますでしょう(か)」は、「過剰になっても構わないので丁寧度をより強調したい場合」の表現として(他のいくつかの例と同様に)許容されている、と考えて良いでしょう、と申し上げた次第です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
1. に関して、
「できるだ」は不自然ですが、「できるのだ」は自然に感じます。「だ」も「のだ」も断定を示します。断定が重なるから不自然なのだとしたら、「のだ」も不自然に感じるのではないかと思います。

お礼日時:2021/03/13 20:15

No.9でコメントした者です。


 あまりにも長くなったので、ご迷惑でしょうからリンクの形にします。
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12661375999.html
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#8です。



>これもやはり二重敬語になるわけですね。

でしょうね。
<敬語の指針>では「一つの語について,同じ種類の敬語を二重に使ったもの」と定義しています。

です・ます

はどちらも丁寧語に分類されますので、
「できますでしょう(か)」は二重敬語になるでしょう。

ただ許容されている二重敬語というものもいくつかありまして、<敬語の指針>にも、
【習慣として定着している二重敬語の例】
・ (尊敬語) お召し上がりになる,お見えになる
・( 謙譲語Ⅰ)お伺いする,お伺いいたす,お伺い申し上げる
という記述があります。
許容されるにはされるなりの理由があると思いますが、やはり不自然に感じられないため使われてきたという実績?を持っていることが条件になりそうです。
#6では、その不自然に感じられない理由を私見として述べさせていただきましたが、ご質問本論とは筋違いの内容となってしまった次第です。
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補足を拝見しました。



>二重敬語の問題のようなので、「できますです」から敬語を除いていくと、
 というのは何かの勘違いですよね。
 その数行後には
>つまり、二重敬語かどうかの問題ではなく、「だ」は「できる」にはつながらないが「だろう」は「できる」につながる
 と書いているのですから。

>「できるだろう」が正しい日本語なら、「できる」の丁寧形の「できます」と「だろう」の丁寧形の「でしょう」をつないだ「できますでしょう」も正しいと言えると思います。
 ちょっと疑問です。
「できるだろう」に対応するのは「できるでしょう」なのでは。
「できますでしょう」がヘンなのは、別の問題だと思います。単純にクドい? それでも使いたい人がいるなら「ご自由に」と思いますが、すでに書いたように当方なら変化球を使います。

 すでに書いたように、いわゆる「二重敬語」とは関係のない問題でしょう。〈あえて言うなら「敬体の重複」〉だと思います。
 微妙な敬語の問題を考えるために、敬語を外すのは有効な方法だと思います。当方も試みることがあります。
 本題を外れるので、詳しくは下記の【事例2】をご参照ください。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2220. …
 ただ、「か」を取るのは……(後述)。

1)×できますです⟺×できるだ
2)△できますでしょう⟺できるだろう

 厳密に考えると違う気もしますが、ほぼそういうことでしょう。
 1)は相当変なのに、2)は自然に感じます。 
 これもすでに書いたように、「形容詞+です」に似ています。

3)△美しいです⟺)×美しいだ
4)美しいでしょう⟺美しいだろう
 3)は△ or ×ですが、4)は自然に感じます。

 文法的には「接続」の関係で一応説明することはできます。こういう文法的な説明って、正論ではあっても納得できないことも多いのですが。
「だ」と「だろう」の辞書の説明の全文は末尾に。
「だ」は〈名詞、準体助詞「の」などに付く〉そうです。
「だろう」は〈広く用言に接続して推量を表すのに用いられる〉そうです。
 うんとおおざっぱに書くと、「だ」は名詞につき、「でしょう」は「用言」につくのでしょう。「です」「でしょう」もほぼ同様です。実際には、「だろう」は名詞にもつくはずですが。
 おそらく、解説文がヘンなだけなのでは。
「だろう」は、「だ」と同様に名詞につくほかに、(現代語では、主に「う」「よう」が話し手の意志を表すのに対し)〈広く用言〉にも接続すると書きたかったのでしょう。詳しくは辞書の編集部に問い合わせないとわかりません。

1)(名詞)だ/です ex.本だ/本です
2)(形容動詞)だ/です ex.きれいだ/きれいです
 ※この説明に限れば、「形容動詞」ではなく「名詞+だ」と考えるほうが簡明でしょう。
3)(形容詞)×だ/△です ex.×美しいだ/△美しいです
 ※こう並べると、やはり「美しいです」は異様。
4)(動詞)×だ/×です ex.×読むだ/×読むです

 これが「だろう」「でしょう」だと1)~4)のすべてがOKになります。理由はわかりません。「そういうもの」なのでしょう。
 昔書いた感想文からひきます。
【読書感想文『日本語の作文技術』】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-137.h …
===========引用開始
【引用部】
 助動詞の「ダ」と「デス」は、中学生の文法書などに明示されているとおり、接続は次の三種に限られる。
 1)体言(名詞・数詞等)に。
 2)「の」などの助詞に。
 3)未然形と仮定形だけが、動詞・形容詞および動詞型活用の助動詞・形容詞型活用の助動詞・特殊活用型の助動詞の、それぞれ連体形に。
  ということは、用言(活用する語)のあとに「ダ」や「デス」の連用形・終止形・連体形は接続しないということである。(P.223)
「第八章 無神経な文章」の6番目のテーマは「サボリ敬語」。「あぶないです」の類いが誤用である文法的な根拠はこれでよいのだろうか。
 はっきり申しまして、当方の文法に関する能力を超えている。整理を試みてみようか。断定の助動詞の助動詞「ダ」「デス」の活用は、以下のとおり。
  未然   連用   終止   連体   仮定   命令
  でしょ  でし   です   (です) -    -
  だろ   だっ/で だ    (な)  なら   -
 未然形と仮定形は許されるのだから、「危ないでしょう」(未然)、「危ないだろう(でしょう)」(未然)、「危ないなら」(仮定)は文法的に問題がないことが判る。しかし、「危ないですか」「危ないですね」「危ないですよ」など、終止形でも口語的ニュアンスが強い表現なら許される根拠にはなりようがない。だから文法って嫌い。
 この用法の話が「サボリ敬語」というテーマで出てきたのは、要は「うれしうございます」が正しく言えないから「うれしいです」になる、という趣旨。それは判る。しかし現代の標準的な言葉として、「あぶのうございます」とか「たこうございます」を正しいと主張するのは無理がある。問題は、「危ないです」「高いです」が美しくないなら、どうすれば使わないで済むかということ。これは超難問。
===========引用終了

 当方がひっかかっているのは終助詞の「か」の問題です。
 ↑にも書いていますが、「美しいです」には強い異和感があるのに、「美しいですか」(「美しいですね」「美しいですよ」も同様)だと異和感はほとんどありません。
 今回の問題も、先に書いたように「できますでしょうか」はあまり異和感がないのに、「できますでしょう」だと異和感があります。
 このあたりをスッキリ説明するのは、当方の文法力ではむずかしい気がします。


出典:デジタル大辞泉(小学館)
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%A0/#jn- …
===========引用開始
だ の解説
[助動][だろ|だっ・で|だ|(な)|なら|○]《連語「である」の音変化形「であ」がさらに音変化したもの》名詞、準体助詞「の」などに付く。
1 断定する意を表す。「今日は子供の誕生日だ」「学生は怠けるべきではない」「熱が高いのなら会社を休みなさい」

「それも遅ければきかない物だぞ」〈雑兵物語・上〉

2 終止形「だ」を間投助詞的に用いて、語調を強める意を表す。「それはだ、お前が悪いんだよ」→だろう →のだ

[補説]現代語「だ」は室町時代以来の語で、関西の「じゃ(ぢゃ)」に対し、主として関東で使われた。「だ」が用いられる文体は「である」とともに常体とよばれ、敬体の「です」「であります」と対比される。「だ」の未然形・仮定形は、動詞・形容詞・助動詞「れる・られる・せる・させる・た・たい・ない・ぬ・らしい」などの終止形にも付く。連体形の「な」は、形式名詞「はず」「もの」などや、「の」「ので」「のに」に連なる場合に限って使われる。 
===========引用終了

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%A0%E3%8 …
===========引用開始
だろ◦う〔だらう〕 の解説
[連語]《断定の助動詞「だ」の未然形+推量の助動詞「う」》不確かな断定、あるいは推定の意を表す。「彼はきっと成功する―◦う」「むこうの山が南アルプス―◦うか」→のだろう
[補説]現代語では、主に「う」「よう」が話し手の意志を表すのに対し、「だろう」は広く用言に接続して推量を表すのに用いられる。「だろう」を一語の助動詞とみる説もある。
===========引用終了
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この回答へのお礼

×「できますですか」と○「できますでしょうか」の関係は、×「できるだ」と○「できるだろう」の関係と同じだと考えたということであり、勘違いはしてないつもりです。

1311tobi さんは「できますでしょうか」は「二重敬語」ではなく「敬体の重複」とお考えのようですが、「二重敬語」ではないのは、「できます」は「できる」の丁寧形、「でしょうか」は「だろうか」の丁寧形であり、敬意の対象が違うからということですか。また「敬語連結」でもないのは「て」でつながった形ではないからですか。

「助動詞 だろう」で検索すると、「だろう」は「だ」とは別の助動詞だとする書き込みが色々出てきますね。「だ」と「だろう」が別の助動詞なら、「できるだ」は×、「できるだろう」は○であっても不思議はありません。

お礼日時:2021/03/08 20:13

#6です。


補足拝見。
引き続き私見ということで感想を。

1.[ できるー違和感の原因 ]

「だ」「です」は基本的に断定の助動詞です。

できます です。
できます だ。
できる です。
できる だ。

においては、前項の「できます」「できる」自体も断定であり、「だ」「です」が無くとも断定の認識は伝わる。
それ(断定の認識)を敢えて重ねるのは不自然ということではないかと思います。
これが違和感の根本的な原因であり、この意味で《つまり、二重敬語かどうかの問題ではなく、》とおっしゃるのは鋭いご指摘であると言えるでしょう。
よって、#6で【違和感の原因】を二重敬語の問題に帰したことを、お詫びして撤回いたします。

2. [ 付記1 ]
ただ、同じ内容を重ねることが絶対に間違いかというとそうとも言えません。
重ねることによって強調する効果が認められるからです。
ただ、そうした強調の手法が断定の助動詞にはそぐわない、ということではないかと思います。
そぐわないだけですので、上記の表現は、おそらく方言や特殊なシチュエーションなどで使われている可能性もあるのではないでしょうか。

3. [ できるだろうー違和感を与えない理由 ]
ここで、『同じ(断定の)内容を重ねている』にも拘わらず、「できるだろう」や「できますでしょう」が自然に感じるのはなぜか、という問題が積み残されることになります。
これは、「だろう」や「でしょう」が、助動詞「う」によって [ 推量の認識 ] を表しているため、前項の「できる」や「できます」という [ 断定の認識 ] を重ねていることにはならないからだと思われます。

4.
ということで、

《「できますでしょうか」は正しいのはなぜでしょうか。》というご質問に対する回答としては、二重敬語の問題はほとんど関係ない、という結論にいたりました。
改めて自らの不明を恥じ、お詫び申し上げる次第です。

5.[ 付記2 ]
とはいえ、「できますでしょう(か)」が二重敬語と判定されても仕方ないということに変わりはません。
ただ、二重敬語にしても過剰な敬語である、という点で忌避されるだけであり文法的に間違っているわけではない。
なので、そこが論点になる場合は、「過剰になっても構わないので丁寧度をより強調したい場合」の表現として許容されている、というのが答えになると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
これもやはり二重敬語になるわけですね。

お礼日時:2021/03/06 08:42

まず結論を書くなら、「できますですか」は相当おかしな表現で、「誤用」と言ってもよいでしょう。


 おそらく「できますでしょうか」も同様に相当おかしな表現だったはずですが、いまではすっかり市民権を得てしまい、自然な表現とされている気がします。
 この表現の周辺を考えると、いろいろなことがからんできて、とんでもない難問の気がします。
 詳しくは下記をご参照ください。
【できますですか?】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12660392265.html

 以下は一部の抜粋(重言)。

 さてどこから書こうか。
●「~すでしょうか」は二重敬語? 敬語連結?
 話は10年以上前にさかのぼる。当方が「Yahoo知恵袋」に参加したばかりの頃、下記のような話があった。
【「~すでしょうか」と「~せんでしょうか」、正しいのは?】2010/5/9
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/questio …
 当時「Yahoo知恵袋」で頻繁に回答していた2人に真っ向否定されてしまった。
 どうやら2人とも「二重敬語」ではなく、「敬語連結」だと主張しているようだ。
 1人は〈敬語を「お勉強」ととらえるか、生きたビジネスシーンでの道具ととらえるかで、解釈は変わってくる〉と書いている。相当イヤな書き方だな。
 何を言いたいのかはわからない。このかたはずいぶん攻撃的で、新参者の当方に対していくつかの質問でいろいろ書いていたが、当方は基本的に反撃したりはしなかった。こういう人は相手にしてもろくなことがないから。
 なぜこんなに断定的に書けるのか、当方には理解できない。なんでも断定的に書けば説得力が増すとおもっているのだろうか。三流の文章読本みたいな考え方だな。まあ質問サイトの場合は質問者がよくわかっていないことが多いから、断定的な書き方が有効なのかもしれないが。
「~いただけますでしょうか」
「~いただけませんでしょうか」
 は二重敬語ではないはずだが、敬語連結でもないと思う。
「敬語連結」はおおざっぱに書くと複数の敬語表現を接続助詞の「て」でつなぐものだが、「~いただけますでしょうか」の「で」は助動詞で、基本的に接続の働きはないはず。「森鴎外は医者で作家だった」だと接続助詞っぽいけど。こういうのを混淆と言うのでは。
 あえて言うなら「敬体の重複」だろうか。
【「~ますでしょうか」 「~ませんでしょうか」】2010-05-18
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1214. …

「できますですか」が×で、「できますでしょうか」が○になる理由は、「すでに市民権を得ているから」ぐらいのことしか考えられない。「いろいろなことがからんできて」がどういうことなのか、思いつくままにあげてみよう。

●「拝借させていただけません(でしょう)か」は文化庁のお墨付き
 まず下記が資料になるかも。
【「貸してください」のさまざまな言い方】mixi日記2013年10月13日から
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2879. …

 これはけっこう興味深い資料だと思う。
 例文のトップにあるのが「拝借させていただけません(でしょう)か」。「非常に丁寧」で「非常に改まっている」表現らしい。
「いただけませんでしょうか」がOKなら、「できますでしょうか」が×になる理由はないのでは。

●「形容詞+です」と似ているような似ていないような
 この問題で当方が考えているポイントが「形容詞+です」との類似。
 先行コメントのNo.4に近い。
「美しいです」は、本来は誤用だが、もう許容されている。
 本来は「美しゅうございます」なんだろうが、現代ではこんな言葉遣いをする人はめったにいない。
「できますでしょうか」も、「できましょうか」なら間違いではないと思うけど、現代ではこんな言葉遣いをする人はめったにいない。
 ついでに書くと、「美しいです」は本来は×でも、「美しいでしょう」は○。
「できますですか」は×でも「できますでしょうか」はあまり異和感がない。
 ただ、「できますでしょう」だと異和感があるから、やはり根本的に違うのかもしれない。
【「形容詞終止形」+「です」 うれしいです うれしかったです】mixi日記2012年06月26日から
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2417. …

●〈「できますでしょう(か)」は辞書でも認定されている?
 先行コメントで〈「できますでしょう(か)」は辞書でも認定されている丁寧表現〉と書いている人がいる。
「へー」と思ったが、具体的に例がないんじゃなんとも言えない。
 一応検索してみたけど何がなんだか。
【できますでし 辞書】の検索結果。
(略)

●「先生はいらっしゃいますでしょうか」も×?
 自分では「ますです」は基本的に使わない。
「明日までにできますでしょうか」
→ 明日までにできますか
→ 明日までにできるでしょうか
 のどちらかだろうか。これでは敬意不足と感じるから、「明日までにできますでしょうか」になるのだろう。

「ますです」が自然な例を考えてみた。偉い先生の家に電話をかけたとする。電話口に出た奥様らしき人に訊く。
「先生はいますか」→ 「先生はいらしゃいますか」
「先生はいるでしょうか」→ 「先生はいらっしゃるでしょうか」「先生はおいででしょうか」
 右の形にすればおかしくはないが、下記のほうが自然に感じる。
「先生はいらしゃいますでしょうか」
 これならほとんど異和感がない。理由? 知らないって。
 実際には「ますです」はイヤだから変化球を使う。
「先生は御在宅でしょうか」「先生は御在宅でございましょうか」
 ぐらいだろうか。これならおかしくないだろう。

●「ますです」のラスボス
「ますです」は相当イヤだけど、どうにもならないこともある。それは、否定形の「ません」を過去形にする時。
 これは↑で見た「形容詞+です」が関わってくる。
「美しいです」は許容しよう。
 これを過去形にすると、フツーは「美しかったです」になる。「美しいでした」にする人もいるらしいが、やめておいたほうがいいだろう。
「美しいです」を否定形にする。
 文化庁は「美しくないです」も認めているのだろうか。フツーは「美しくありません」だろう。
 これを過去形にすると……。
「美しくなかったです」もありかな。一般的には「美しくありませんでした」だろう。
 こんな醜悪な形がOKなら、「ますです」なんて可愛いもんだろう。 
【ませんでした】2020-04-19
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12590876571.html
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この回答へのお礼

色々興味のある知見のご紹介ありがとうございます。
これを読んで新たに浮かんだ疑問を補足コメントに載せましたので時間がありましたら見てください。

お礼日時:2021/03/05 09:54

「できますですか」の場合、「ます」「です」と丁寧語が併用されているため二重敬語になります。



「できますでしょうか」が認められているのは、「で」が接続助詞であるかのような錯覚に陥ることが関係しているのではないか、という気がします。

少し違うかもしれませんが、
たとえば、
・お読みになられる
は二重敬語として不適切な表現とされていますが、
・お読みになっていらっしゃる
は【敬語連結】と呼ばれる形で二重敬語には分類されません。
これは、おそらくですが、接続助詞「て」の前後で「読む」「いる」という別々の動作に対する敬語だと認識されるからではないかと思われます。

「できますでしょうか」の場合も、

「できます」+接続助詞「で」+「しょうか」

という構図になっているように感じられるため二重敬語ではなく敬語連結という形で不自然さを感じないのではないかと思います。
前が「できる」、後ろが「う」という推量にそれぞれ対応する別々の丁寧語ということ。
むろん、「でしょ」は「です」の未然形なのでこのような構造になるはずはないのですが、いかにもそうであるかのような錯覚に陥るのではないか、ということです。もう少し深く探ることができれば、実は錯覚というわけではない、という気もしないではないのですが、今の私の知見では、それをする力はありません。
以上、独断による個人的見解ですので悪しからず。

いずれにせよ、
「できますでしょう(か)」は辞書でも認定されている丁寧表現です。
ただ、極めて丁寧な表現なので、使いどころを間違うと過剰、大げさという印象を与えてしまう場合もあります。
とはいえ、丁寧過ぎて相手を不快にさせることはありませんので、その意味での懸念は基本的に不要でしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに、
できます で しょうか。
と区切って発音してもあまり違和感はありませんね。

お礼日時:2021/03/03 19:15

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