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なぜ人は争いあうのですか

A 回答 (16件中1~10件)

たぶん


人にもいろいろな人がいて・・・
争いたい人は争う、のかと思えるし
なぜと問われたら、それなりの事情があるのかも知らんですが
でも、いろんな事情があっても
争いたくない人は争わない、とも思う。
というか
もともとは人って争わない(争いたくない)もののようにも
思えることもあったりします。
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パイが 小さいと、


思えて いるから。


詰まり、

共産主義が 実現していないから、
全員の 求めが、
未だ 満たされないから。


いい変えれば、

社会熟成度が まだ、
愚かな レベルに、
過ぎるから。
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仲がよく 甘えたいから。



けんかをするほど仲がよく 甘えてもよい仲であるとき 争う。



ただし 自分は争わず自分に従う人間をして自分の敵だと思う相手に対して争わしめる場合がある。

けれども これも 甘えていることになる。この場合は 自分のために誰かほかの者を使って争うというのは 人間として甘えすぎである。

ふつうに自然に甘え合うような人間性をまだ確立し得ていない場合だ。はやくおれに人間性にもとづく生き方をおしえて欲しいと言っている。

お隣りの国のひとに多い。
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争いたいからですよ!



なら
争いって
質問者さんは、どのように捉えてるのかな?

争い=生存競争=生存=生きる意思

人は生きるために、自分や他人、自然や世界と、空間や世の中
色々なものと争う事を義務づけられてるとは
個人的には思ってますよ

まったく争わない 生き方って
あるのかなぁ~?
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文明が未熟だからです。

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尖閣諸島に不法侵入するからです。

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わがままな主観


いい加減な客観
必ずしもすべてが普遍的であるとは言えない美学
みたいなものが対立することで
不平・不満・怒り・無念、が生じるから
だと思います。
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六道から離れられないからです。





参考:【十界】

・地獄界・・・苦しみの境涯
・餓鬼界・・・欲深い境涯、どのような状況でも常に満たされない状態。
・畜生界・・・本能のおもむくままに生きる境涯。⇒以上、三悪道
・修羅界・・・憎しみが強く、争いを好む境涯。⇒以上、四悪種
・人 界・・・一般的な『人間』の境涯。
・天 界・・・喜びの境涯。⇒以上、六道。六道輪廻の六道です。
・声聞界・・・悟りを求める、求道の境涯。
・縁楽界・・・自然現象などから、物事の真理を悟る境涯。⇒声聞、縁楽二つの境涯を併せて『二乗』といいます。
・菩薩界・・・悟りの道を開いて、人々を救おうとする境涯。
・仏 界・・・究極の真理を悟った覚者の境涯。

この十種の境涯が、一つも欠けることなく人(衆生)の生命に具わっている事を『十界具足』と言います。
そして、何かの縁に触れる事によって、瞬間瞬間にその境涯が変化していくのです。
その生命の奥底にある十種の境涯が、意識や言葉、表情や態度や動作にそのまま表れてくるのです。
そしてそうした事が関係して、自身の生活環境や地域社会を形成しているのです。
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資源や領土、異性の存在が有限


だからです。

人間社会、いや生命社会は競争原理で
動いているからです。

この二つがあるので、争いが起きる
のです。

資源領土異性を無限にするのは
不可能です。

競争原理を否定すると、社会主義国や
日本仏教のようになってしまいます。
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それは気のせいです

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