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理由もおしえてください。

質問者からの補足コメント

  • あなたはイエス御自身が言われた喩え方を御存知ないようですね。

    彼は、(天国で)神の近くにいるのは幼子であって、あなたがた
    (大人たち)ではない、と言われました。
    「神」という絶対的な存在が近いか遠いかの対象になり得るのな
    ら、神ではないイエスという男がそうならない理由などあるはず
    がないでしょう。

    もう少し、聖書を勉強なさってください。
    神やイエス・キリストのことを、もっとよく知ってください。
    そして、
    世の中のあらゆる事象をそれらに照らしながら考えてください。

    そうすれば、この世界の本当の姿が見えてくることでしょう。


         匿名の天使 ☆KILA★KILA☆KILA★

      補足日時:2021/03/10 10:57
  • うれしい

    うむ、さすが猫はかしこいな^^

    だが、「虐げられた者の叫び」ということであれば、尾崎だってそう
    なんだけどね。

    チャップリンは、〝勇気〟をくれる。
    尾崎は、哀しいほどの〝やさしさ〟をくれる。

    どっちも、イエス・キリストに同程度に近いと個人的には思いますよ?
    もっと、明白な決定的な違いがあるんだけどな。

    猫の直感は正しいので、もう少し考えてみてください。


            匿名の天使 ☆KILA★KILA☆KILA★

      補足日時:2021/03/10 12:50
  • イエスは肌の色で人間を区別はしなかったと思いますよ?
    ただ、「異邦人の道に行くな」と言われていたように、考え方の
    違う者との区別はされていたようですが。
    まあ、当然でしょうね。
    考え方が違うと、何を言ってもアラされるだけなので。(笑
    それは今も昔も同じということでしょうか。

      補足日時:2021/03/11 16:32
  • ヒントをあげましょう。

    チャップリンは、ボロボロな服を着ていましたがそれはゴミでは
    ありませんでした。
    全身から溢れ出るオーラに包まれている存在だったからです。

    尾崎は、ゴミを纏っていました。そのゴミの中にキラリと光るも
    のがあり、人々はそれに感動し心を奪われました。

      補足日時:2021/03/11 17:01
  • 書き込みできない。

      補足日時:2021/03/12 17:04
  • 書き込みできない。

      補足日時:2021/03/12 17:05
  • 5番の方の着眼点は素晴らしいですね。

      補足日時:2021/03/12 17:09
  • プンプン

    なんじゃこれ? 一行しか書き込みできひんぞ!

      補足日時:2021/03/12 17:11
  • 模範解答が書けなくて残念です・・・・。

      補足日時:2021/03/12 17:16

A 回答 (9件)

ありえない。



まあ良心的弁護で
替え玉を捕まえさせて
後で助けに行くつもりが出来ずに終わって
処刑される段で
神よ。なぜ我を見捨てるのかと叫んで絶望に包まれて死に

後で墓の衛兵を眠らせて遺体を掘り出して、
本物が入れ替わって弟子たちの前で
復活を叫ぶ。

処刑されれば後の祭り、

ならば残っているほうで
復活を叫べば、

死んだけど
蘇ったという話が出来上がるでしょう。

処刑されて墓に埋められ、衛兵に守られているのに
遺体取り返すわけでしょう。

キリストは様々な奇跡を起こしますが、みなからくりがある。
いわば実は多くは手品ということで
種がわからぬから奇跡として
語り継がれるだけ。

復活のからくり知っていたのはユダのほかにペテロとか

後でサウロもパウロに弾圧人から使途変身するでしょう。あれも生きていれば出逢えるものね。

チャップリンの映画でも独裁者と床屋が入れ替わる悲劇あるよね。
まああれは状況違うし、映画の中の話ですが、映画は独裁から善政に代わって喜劇となる。対比。

イエスの場合は死人は生き返らずということで、
生き返ったというのは実は2人いれば筋が通るのです。
他人というが、兄弟だったらしい。

まあ、この話は誰かが唱えて私に伝えた話なので、
伝達者は別にいますがね。
でも筋が通りそうに見えたので参考までにお伝えしておきます。
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この回答へのお礼

あなたは奇跡とか復活ということを物理的に解釈し過ぎ
なんだと思いますよ。
宗教のお話を、まるで物理学の本のように読むのは少し
違うのかなと。

私は、少なくとも福音書に書かれている(相対性理論の
教科書に書かれているわけでもなんでもない)奇跡も復
活ということも、すべてアレゴリーだろうとしか考えて
おりません。

つまり、イエスの死とは「ユダヤ教的戒律主義の勝利」
だったのであり。イエスの復活とは「キリスト教的意識」
の開眼だったのでしょう。ということです。

死人を生き返らせたという奇跡にしろ、そこには何らか
のアレゴリー(喩え)が隠されているのではないでしょ
うか?それを考えるのは。せいぜい感覚的な物事につい
てしか理解できない物理学的思考とは違う種類の意識の
はたらき(想像力)だと思います。

なんでも物理学的原理で捉えたがるバカが、物理学全盛
の現代には多く居るようですが、そういう発想が間違い
なのは、宗教全盛の頃に物理現象までをそう捉えていた
バカが居たことでも証明されていますね。

あなた様も、そういうバカにならないことを祈念いたし
ております。

お礼日時:2021/03/12 23:48

イエスの死後に現れたのが霊的存在ではなく、現実


の肉体をもった「替え玉」だったとするならそれは
もうオレオレ詐欺みたいなもんです。

これ逆です。
死んだのが替え玉。死後に出て来るのが本物です。

オレオレ詐欺ではなく、
影武者がいたのね。時々代理を務めるほどよく似ていたらしい。
ならば霊でなく、どちらも人です。

だから食事もできるでしょう。
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この回答へのお礼

>死んだのが替え玉。死後に出て来るのが本物です。

だから、それは絶対に有り得ないって言ってるじゃないですか?
前の文章を引用しますね。
>愛の人であるイエスが他者に身代わりの死を要請した
>とは考えられません。自分が身代わりになることはあ
>ってもです。
>それは自分自身の教えに矛盾しますからね。(笑


よく似た人でも他人でしょう?
他人を愛せよと言っておきながら、他人を澪代わりに十字架に
つけるのですか?
そんな、芸能レポーターに突っ込まれるような浅はかなミスを
イエスとその使徒たちともあろうものがやったとでも?

いくらなんでも考えられませんね。

お礼日時:2021/03/12 22:32

いいえ、イエスにかえ玉がいて、替え玉を訴人して本物のイエスを逃がしたという意味。



ユダがそれを行った。とにかく替え玉処刑。その後に本物が出て来て
3日後に我は復活と叫ぶ。

チャップリンの映画にも独裁者という映画で2人1役出て来る。

あそこでは入れ替わっていますね。
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この回答へのお礼

愛の人であるイエスが他者に身代わりの死を要請した
とは考えられません。自分が身代わりになることはあ
ってもです。
それは自分自身の教えに矛盾しますからね。(笑

イエスの死後に現れたのが霊的存在ではなく、現実
の肉体をもった「替え玉」だったとするならそれは
もうオレオレ詐欺みたいなもんです。

いつの時代にもそんな輩はいるもんですよ。

お礼日時:2021/03/12 20:56

イエスは2人いて


偽物が処刑されて本物が復活の役を演じた。
イスカリオテのユダは実はイエスを助けたのかな。


オリーブ山で弟子たちと別れ、
サウロを悟して使途パウロに変身させて、
國を去り、世界各地流浪の旅に出た。
つまり生きていたわけですな。

チャップリンは独裁者という映画あったかな。
あそこで2役演じてたね。
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この回答へのお礼

なんか書き込みがおかしいです。

ユダが裏切り者というのは、他の使徒の陰謀であった
という気がしないでもないですね。
カネでイエスを売ったのではなく、市民に殺されそう
になっていたイエスを(ローマ帝国に)助けてもらう
ために金銭的取引きを利用した、とも考えられます。

その意思疎通が、ユダと取引きした担当者から総督の
ところにまで出来ていなかったのでは?

総督(ピラト)はイエスを処刑する気はなかった。そ
の取引きのことを了解していれば、イエスを市民の裁
きに委ねるということもなかったのかもしれません。

イエスを憎んでいたのはユダヤ教を信じるユダヤ系の
市民でした。そして、チャップリンを憎んだ資本主義
社会の資本家の中にもユダヤ人がいたはずです。

お礼日時:2021/03/12 19:37

素直に答えるなら


チャップリンかな!

世界的に与えた影響や、基本的には無声映画だから
言葉に頼らなかったですもんね

イエス・キリストも自分自身の言葉を伝えたってより
イエス・キリストを慕った人の言葉を通して教えを広めましたもんね


尾崎豊は自分自身の言葉で、慕う人に叫び続けたから

イエス・キリストには近くないと思いますよ
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この回答へのお礼

チャップリンの言葉は(イエスの言葉がそうであったように)
当時の巨大な思想的勢力の圧倒的迫害を受けてしまいました。
彼の言葉は無視され、憎まれ、彼自身の身にも危険が及ぶほ
どでした。
彼は思想的な言葉を失ってしまいましたが、そうした中でも
彼を信じ慕う者の言葉によって生かされたのでした。

尾崎の場合は、彼が抵抗した「校則」や「学校教育の矛盾」
といったものは、それはそれで大きな社会的力ではあったの
ですが、その抵抗スタイルは、すでに社会的に認知されてし
まっていました。
なので、彼は華々しくデビューし、つねに皆に愛され受け容
れられていたわけです。

イエス・キリストに近い存在は、喜劇王チャップリンで正解
だと思います。

お礼日時:2021/03/12 23:50

尾崎豊




理由 どちらも有色人種だった。
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この演説を聞けば明々白々。いや、キリストを超えているかな?
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うわはっはっはは(大笑い)



何も知らない、お目出度い人物。

人は皆、純真無垢な、何も知らない、赤ちゃんとして、この世に生まれる。

そして、君達のような、強欲、愚かな先人達に、強欲、愚かを教えられて、強欲、愚か者となり、強欲、愚か者として、死んで行くのだよ。

お前達は、皆、互いが、人間と呼び合っているだけで、本当は、金、色、強欲を追いかける、地獄の亡者なのだよ。

~~
人間達は、
この世だの、あの世だの、呼び合ってはいるが?
本来は、この世こそが地獄なので有る。

植物と呼ぶ、手足も、目も、口も、無い、鬼達。

それらを、喰らう、草食動物と呼ばれる鬼達

それらを、喰らう、肉食動物と呼ばれる鬼達。

そして、一番、威張っている、人間と呼び合う鬼達。

喰っても、喰っても、数時間もすれば、腹が減った、と、喰らい続けて、汚い糞を垂れ流すだけ。

そして、色、金、強欲、を追いかける、地獄の亡者なので有る。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

人は皆、死後、暗黒の闇で目覚める。

音もしない。

右も、左も、上も、下も、何も無い。

ただ、ただ、静寂な暗黒の闇。



人は皆、余りの辛さに、耐えかねて、天に救いを求める。

その時、天空の彼方から、一筋の、光が足元を照らしてくれる。

それが、本人の良心の欠片から放たれる、希望の光である。

悪行、強欲、多き者達の光、それによって、希望の光は穢れ、汚される事で、光は、薄暗く、足元を踏みはづして、地獄に、転げ落ちる。

善行多き、欲の心、少なき者達の希望の光、明るく、輝き、足元を、明るく照らしてくれる。

故に、天界に迄、辿り着ける。



お前のような、何かを悟ったつもりの、お目出度い人物は、

死後は、天の光の恩恵を受けられない、土中のミミズだ。

土しか喰らえない、

モグラに、追いかけらる恐怖に怯えて、生涯を土中で暮らすのだ。
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どちらも、イエス・キリストには、程、遠い。



二人、共に、只の、人間で有る。

イエス・キリストは、天啓を受けた人物で有り、天使様で有る。

ゆえに、只の人間と、天使様では、比較、対象にならない。
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