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朝鮮の徴用工問題ですが、朝鮮国内で働くよりも良い待遇で日本国内に職を得ていたのではと思いますが、なぜ今も騒ぐのでしょうが?
感謝こそすれ、恨みに思うのが不思議。宿舎、食事もキチンと国内の労働者と同じに与えていたのでは?

A 回答 (11件中11~11件)

朝鮮の徴用工問題ですが、朝鮮国内で働くよりも良い待遇で


日本国内に職を得ていたのではと思いますが、
なぜ今も騒ぐのでしょうが?
 ↑
お金のためです。
お金はいくらあっても、邪魔になりません。
韓国は人口比での虚偽告訴が世界一
の国です。
韓国人は息を吐くように、飯を食うようにして
ウソをつく国民性を持っているのです。

2008年度 韓日間の偽証・誣告・詐欺罪件数比較
偽証罪:韓国1,544人、日本9人
誣告:韓国2,171人、日本10人
詐欺:韓国70,000人、日本8000人


反日の材料にするためでも
あります。
反日をやれば、政権の支持率が上がる
ので、政治家の人気取りのために反日を
やっているのです。




感謝こそすれ、恨みに思うのが不思議。
宿舎、食事もキチンと国内の労働者と同じに与えていたのでは?
 ↑
徴用は、戦時下の労働力不足に対処するため、
1939(昭和14)年に制定された「国民徴用令」に基づき、
日本国民すべてを対象とした義務だった。

当時、日本国民だった朝鮮人に適応されたのは国際法に照らしても
問題はない。むしろ、朝鮮半島で「徴用」が発動されたのは44(同19)年9月と遅かった。

気配りもあった。徴用先は労務管理の整備された事業所に限定され、給与も法律で決められていた。留守家族には収入減の補償まであった。

44年11月に徴用され、東洋工業(現マツダ)で働いた鄭忠海(チョン・チュンへ)氏が著した『朝鮮人徴用工の手記』(河合出版)には、
手厚い待遇の様子が描かれている。

徴用工は清潔な寮で、絹のような布団で寝起きし、食事も十分だった。
当時では破格の月収140円という給料をもら、終戦後には日本人と別れを惜しんだという。

危険が伴う職場では、さらに待遇は良かった。
九州の炭鉱では月収で150~180円、勤務成績の良い徴用工には
200~300円が支払われた。
屈強な朝鮮人の給与が、体力に劣る日本人を上回ったとされる。

高賃金にあこがれ、多くの朝鮮人青壮年が、内地に密航したことも分かっている。徴用工が「強制連行」でないことは、数々の資料や証言から判明している「歴史的事実」といえるのだ。

「たとえば、長崎の江迎炭鉱で、44年5月に韓国人の運炭工に
対して支払われた月給は140円前後。
採炭工では更に高く、これらを均すと、当時の日本の大卒初任給の
2倍ほど、韓国国内で働く教師の3・7倍に相当します。

奴隷のような扱いだったというのは全く間違い。
同じ炭鉱で働く日本人の基本給と比べて若く体力のある韓国人の方が
高いこともありましたし、
積立金や年金のシステムも用意されていたのです」

契約期間は2年で、それが経過すれば咎められることなく帰国できた。

「強制徴用に切り替わったのは44年9月からその後の半年間ですが、この間の給与は10%アップしています。韓国政府はデータに基づいた歴史認識をしなければならないと思います」
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この回答へのお礼

なるほどと言うデータをありがとうございました!

お礼日時:2021/03/22 16:07

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