dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

1. 三輪山のふもとの大神(おほみわ)神社のもとなる崇神ミマキイリヒコイニヱのミコト(300年ごろ)のイリなる血筋と そしてこれを継ぐもカフチ(河内)の応神ホムダワケ(400年ごろ)に発するワケ / タラシなる系譜と。

2. イリヒコは 市民オホタタネコとともに ムラの共同自治を敷いた。

2-1. ネコ=根子=大地の子=自然本性。ヒコ=日子(彦)=ムラヲサ(リーダーシップ)。

3. それは 人がその身と心とで生きるも やがて朽ちざるを得ない存在だと知って その身を思い がしかしそのままでも《世界にイリ(入り)する実存のうちに生き切ること》をえらぶというイリ歴史知性を見出した。

4. 《世界‐内‐存在 In-der-Welt-Sein 》。



5. タラシ知性は このイリ歴史知性のさらに上を目指した。

6. おそらく 或る日或る時 いと高きところなるまぼろしを見たのであろう。そのイデアなる光を心に受け容れた。みづからがこの光――アマテラスなる日のみこ――に成るのだと。

6-1. アマテラスなる日のみこ=ヒコの理念化でありその単独分立したすがた

4. タラシなる超歴史知性に拠って 人びとを上から見まつりこれを束ね この世界を常世(とこよ)としてやるから大丈夫だよと語って請け負った。イリ側は これにくにゆづりをした。



5. 人びとのムラムラのマツリは これも束ねられ まづ先にムラの神々にそなえられる贄(にへ)を あらたには それらの神々よりも先に 光となった日のみこにささげよというマツリゴトなる共同自治の仕組みが出来た。

6. 世の中が 二階建ての家――国の家――と成った。

7. 《伊勢神宮 ‐ 出雲大社》なる二階建て連関制。(クニユヅリは イヅモがしたことになっている)。



8. 伊勢神宮の内でも 《内宮 ‐ 外宮》なる連関制――つまり《断層》――が出来ている。もともとその現地のやしろであったのが くにゆづりをしたために 外に追いやられたのが 外宮である。



9. 三輪山のふもとの大神神社は 言わば蚊帳の外にある。ただし 初めはアマテラスをまつれと言われたのであり これをことわり 要請を受け続けた結果 根負けして それでは摂社のひとつで檜原神社にまつろうということになった。

10. つまりここでも 《大神神社 ‐ 檜原神社》の二層構造になっている。

11. もっとも この場合は 例外のごとくアマテラス関係の檜原神社は お二階ではない。

12. もともと 二階建て――人間を二階建ての仕組みに当てはめようという――思想(≒生活態度)は イリ知性は 好きくない。

13. タラシなるアマテラスのスーパー歴史知性のこれからのゆくへは いかがあい成りましょうか?






14. イリ歴史知性・・・・・・・・・ヨセ超歴史知性(ワケ/タラシ)
____________________________________
① スサノヲ(S)市民        もっぱらのアマテラス(A)公民

② 《 S-A 連関構造》どうしの共生  《 A-S 連関》を超え出て(アマアガリ
                   して)人を引っ張る
                   

③ 中にアマテラス予備軍症候群あり  アマアガリ・シンドローム

④ 世の中はフラット・平屋建ての家  二階建て+雲の上

⑤ けんかをするほど仲がいい(和を  和をみだすなと説く(自分たちのけん                        以って貴しと為せと言われなかったな  かは秩序をまもる統治のための冷戦だ
ら 和をみだすことを知らなかった)  からよいと思っている=アマアガリ症                
                   候群)

⑥ 《われも生きる なれも生きる   《人びとを王の徳によって感化しつく
かれも生きる みづみづしいいのち》  すまでは 神の如くいかなる者の下に
                   も立つまいと堅く誓ったたましい》
                    




⑦ 第十代崇神ミマキイリヒコイニヱ  第十五代応神ホムダワケ(400)
 (CE300)            + 神功オキナガタラシヒメ(母)
  + S 市民オホタタネコ       + 雄略オホハツセワカタケル
 〔ネコ(根子・S)‐ヒコ(日子・A)   (→ 全国制覇大作戦 ↓)
  の連携〕              + 継体ヲホド (500)   
                   

⑧ オホモノヌシ=ヒトコトヌシのカミ  アマテラスオホミカミ
 〔もの(質量)=こと(エネルギ)〕
 〔ただし コトバという主題もあり〕

⑨ やまとの三輪山なる大神(おほみわ) 伊勢神宮(=内宮。
 神社                  外宮は元イリ系)

A 回答 (5件)

ところでタカミムスビとカミムスビはどうしたの

    • good
    • 1
この回答へのお礼

生命力・生産力にかかわるのではないかと。

ムス(生す)ーヒ(霊)。

アメノミナカヌシは 中心(ミナカ)を言おうとした。そのとき タカマノハラとのかかわりを アメノで言いたかったか。

あとは 自然環界のこと――クニノトコタチとかウヒヂニ(泥?)とか――が来ている。



アマテラスは ツクヨミと一緒に出てくるからには お日さんでしょう。太陽神は 世界中いたるところで現われ主神にもなり得る。

スサノヲは 嵐でしょうかね。天体と天候ですね。



日本人の主神は ムスヒ(要するに霊性)でよかった。

もう少し具象的にしたくて オホモノヌシやヒトコトヌシを持って来た。

ムスヒが――あたかも自己運動を起こしてのように――モノやコトとして現われると見てよいのではないかと。

ヌシのほうは 神として うつしみ(現身)ではないとすれば 神らしくなる。

お礼日時:2021/04/05 13:06

★ 魏志倭人伝


☆ なかなか日本史として参考資料にしづらいです。

後漢書倭傳と宋書倭国傳は
    • good
    • 1
この回答へのお礼

★ 後漢書倭傳
☆ これは 百余国に分かれていたというんでしょ。そこは そのように捉えればよいのではないかと。


★ 宋書倭国傳
☆ 倭の五王ですよねぇ。

武が 雄略オホハツセノワカタケルに相当し もしかすると 讃が 応神ホムダワケに当たりそうなんですけれど。

はっきりしませんね。全体として。



仁徳オホサザキは もしかするとイリ政権の側の人間であるかも知れない。

応神ホムダワケが 鷹揚なる精神を見せてイリ知性の人間を取り込んだのかも知れない。

イリとタラシとは もうすでに入り混じっているように思います。しかも 仮説の成案はありません。出来ていません。


どうですかねぇ。



★ 魏志倭人伝
☆ も はっきりするようで あいまい。卑弥呼が すんなりおさまるかどうか いまひとつな感じですね。どうですか?

お礼日時:2021/04/05 10:54

継体ヲホドが出たとき まだ日本は統一されていなかった。

ミワのイリの系譜と長くもめましたし ツクシでは イハイが異をとなえました。反乱と呼ぶのは 勝者からのあとづけです。

もうすでに中国が親魏倭王と与えています。

イハイはただの地方豪族。謀反でしょう。
古田武彦などの説で日本に大和と九州で2大王朝あり。
両者が争うとかいう説が根を張って信奉者多いね。
ブラさんも、その派かな。

ヤマイチ国とか、いろんな説で九州含めて日本各地に
邪馬台国は場所を誘致。あれは村おこし・ご当地ソングが大半。
都合のいいように自分の郷土に誘致する人多いね。
大和以外はすべて崩壊の運命。

記紀は何でも歴史を長く拡大して日本を神の住む國・神仙の住む國
とかいって、歴史を誇って改竄、天照大御神とスサノヲの
ありもしない夫婦喧嘩事件、夫婦が生んだ神々の
未来の動向を見れば、作り話に解釈できるのは見る人が見れば見えます。
目の開けない一部の語鎮ば学者の片より視点。

檜原神社は倭姫が伊勢神宮候補地探しで初めにここにしようかと探した地。
だから元伊勢を主張。そこで摂社にしたのかな。
伊勢に決まったのは、まだずっと先。
中国地方から近畿・中部地方とか
いろいろ巡ったみたいね。倭姫さんの國巡り。

本社とか摂社とか末社とかいう位置づけは後世の神社区分の統合で
今みたいに位置づけただけ。あれは時代の流れで、管理しやすいように
替えっていっただけです。

スサノヲ様は朝鮮史に出て来る檀君。
北朝鮮あたりは建国の英雄扱いして、檀君紀元なんかを暦にしている。
日本の紀元2600年とかいうのと一緒。

人は1500年1908歳とか生きないですね。神様だから長生きしていいのですはいただけません。

大体、昔の人は中国とかも同じで、
自分の祖先を優秀な民族と自画自賛
で誇って歴史を代える傾向あり。
ごまかされないで謙虚に解釈も大事。

まあ、ブラさんの公民・市民とかいう2階建て解釈史観、面白いね。

それも日本古代史解釈の1派の1つに見ておきます。
誰が正統かはまだ学界が判定せず、諸派乱立で
あれは何百年立っても互いに譲らず。
庶民はあきれます。

記紀はその時々で、後世史学者が國の命令で自国史を都合のいいように
歴史物語創作・筋書き操作ね。

柔軟解釈大事。頭を柔らかくしようね。

固いと老化早いよ。

魏志倭人伝ですが、所詮三國志は魏を含めた未統一の時代を
後世に遡って歴史を造っただけ。
魏の使者が後で昔話を陣述さんに聴かせただけ。
編述者群は日本へは来ていません。
大陸から日本見たら、方位が今と違って、
様々解釈産むように見えたのでしょうね。

まあ諸派乱立で、どこにつくかは言論の自由ですが。

学界眺める人々は疲れるだけです。

自分の生きている間にはどうせ「決着」はつかぬだろうなあ。

そういう嘆きもあり。

公民とか市民とかいうけど、
日本の政治の仕組みは今も昔も担当者が代わるだけで、
そんなに変化していない気もする。
古代・平安は藤原と朝廷。
鎌倉・室町・江戸は朝廷と武家
今は皇居対自民党

祭政一致は実は祭政分担ね。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

☆☆ 継体ヲホドが出たとき・・・
★ もうすでに中国が親魏倭王と与えています。
☆ それは 同等な権力者中の第一人者( primus inter pares )というほどの事態だったのでしょう。


★ イハイはただの地方豪族。
☆ ですから 継体ヲホドやヤマトの連中とは 自分はあくまで同輩( peers )だと思っていたわけです。



★ 古田武彦などの説で日本に大和と九州で2大王朝あり。
・・・
ブラさんも、その派かな。
☆ 古田は どうも煮え切らない。わたしは 崇神イリ政権をあたかも日本人の歴史の初めとする仮説〔だけ〕ですすめています。



★ ヤマイチ国とか、いろんな説で九州含めて日本各地に・・・
☆ イハイにしても ツクシ勢力がなぜ弱くなったのか。なぞです。



★ 記紀は何でも歴史を長く拡大して・・・作り話に解釈できるのは見る人が見れば見えます。
☆ 推論として なおよわいでしょう。



★ 檜原神社は倭姫が伊勢神宮候補地探しで初めにここにしようかと探した地。
☆ それこそ あと付けの物語だと見ます。とにかく オホモノヌシのあとに――あるいは トヨウケなる穀物のカミよりあとに―― あたかもイデアなる神としてアマテラスが 登場した。

だから 明治維新で西欧の国家をまねるとき アマテラスを持ち出したのでしょう。日本には 異質なんです。イデアの唯一性 ゆえに排他性を帯びます。



★ 本社とか摂社とか末社とかいう位置づけ・・・
☆ オホモノヌシが基礎。あとで イデアの突出(アマアガリ)としてアテララスがかつがれた。


★ スサノヲ様は朝鮮史に出て来る檀君。
☆ これは そういうテーマとして別に論じて欲しい。



★ まあ、ブラさんの公民・市民とかいう2階建て解釈史観、面白いね。
☆ ほおお。つまり 世界史にも通用するはずなんです。

西欧では 階層だけではなく階級が ものを言うようです。



★ 記紀はその時々で・・・歴史物語創作・筋書き操作ね。
☆ そこから史実よりは真実を捉えます。



★ 魏志倭人伝
☆ なかなか日本史として参考資料にしづらいです。


★ 日本の政治の仕組みは今も昔も担当者が代わるだけで・・・
☆ つまり ニ階建て構造が 継体ヲホドあたりから変化なしです。


★ 今は皇居対自民党
☆ お二階でのいざこざです。

お礼日時:2021/04/05 08:43

ミマキイリヒコの戊寅は258年の誤りでしょう。


318年は単純な遡りです。
オホタタネコは大国主が出雲から三輪に移った後の代々の
子孫。市民とはいわぬ。
三輪連という豪族。

伊勢神宮は垂仁天皇の代に倭姫が内宮、雄略天皇の代に外宮ができる。

継体は応神5世の孫。


一言主は味鋤高彦根の化身。雄略帝を悪皇から良皇に悟らせた神。
以後、雄略は悪徳改め有徳天皇に代わる。

天照大御神は高天原朝廷
スサノヲは出雲幕府
二人は互いに助け合い、仲良く日本を統治。
高天原⇔出雲⇔新羅
とスサノヲは東奔西走して新羅(朝鮮から広く外津國)と出雲・高天原
と幅広く治める。

スサノヲ様の高天原荒らしは記紀の作り話。冤罪。
天岩戸隠れはお産。

二人が仲が悪いというのは記紀のでっち上げ。
記紀は所詮陰謀の書。騙されてはだめ。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ミマキイリヒコの戊寅は258年の誤りでしょう。
318年は単純な遡りです。
☆ 中国の文献との兼ね合い――つまり卑弥呼の時代とかさなるという問題――が さしつかえなければ わたしは年代の比定にこだわりません。


★ オホタタネコは大国主が出雲から三輪に移った後の代々の
子孫。市民とはいわぬ。
三輪連という豪族。
☆ 出自としてさもありなん とは思いますが 市民と呼ぶのは 社会がなおまだフラットであったという仮説にもとづくものです。

継体ヲホドが出たとき まだ日本は統一されていなかった。ミワのイリの系譜と長くもめましたし ツクシでは イハイが異をとなえました。反乱と呼ぶのは 勝者からのあとづけです。



★ 伊勢神宮は垂仁天皇の代に倭姫が内宮、雄略天皇の代に外宮ができる。
☆ これは わたしの仮説が 限りなく事実に近いと考えます。

大神神社の摂社である檜原神社に アマテラスオホミカミを祀っているという事態。イリ政権のときから アマテラスが――オホモノヌシのカミに代わって――祀られていたとするのは 無理があると見ます。



★ 一言主は味鋤高彦根の化身。雄略帝を悪皇から良皇に悟らせた神。
以後、雄略は悪徳改め有徳天皇に代わる。
☆ モノ=コト( e=mc^2 )という理論を 現代から勝手に当てはめました。

雄略ワカタケルは 有徳のひとに変わったとは思えません。
▲ (ヰキぺ:雄略天皇) ~~~
『書紀』では葛城山で一言主神と邂逅した雄略天皇が神と共に猟を楽しみ、帰りは来米水(高取川)まで送られた。その豪胆さに感嘆した百姓達は、口々に「有徳天皇(おむおむしくましますすめらみこと)」と讃えたという
[註]ただし、『古事記』では一言主の威を畏れた雄略天皇が、弓と矢を捨て衣服まで脱いで伏し拝んだと記されている。
~~~


★ 天照大御神は高天原朝廷
スサノヲは出雲幕府
☆ タカマノハラとアシハラとは 明らかに別の世界です。

★ スサノヲ様の高天原荒らしは記紀の作り話。冤罪。
☆ 《高天原荒らし》ではありません。

スサノヲの振る舞いは ひとえに姉アマテラスの態度に対するものです。なぜ人間性を――相手の意思をとうとび 話しかけにはこたえるということを――失くしたのか? です。

お礼日時:2021/04/05 02:04

いろいろ面白そう、という事はわかるのです。


そういえば福岡市の陸続きの島。名前失念。に金印。卑弥呼が大陸とのやりとり使ったという金印が見つかった島、があったような。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


何でしたっけ。志賀の島でしたっけ。金印。


ただし 漢の倭の那の国王の印でしたっけ。
つまりこれは 100年ごろかな?

卑弥呼は 三世紀の半ばです。


ネコ(根子)があたかも啓蒙されたすがたが ヒコ(日子=彦)。そして ヒメ(日女=姫)

ひめのみこと⇒ヒめのミコと=卑弥呼 (三文字を採って簡略化している)。

ひこのみこと⇒ヒコのミコと=(あぁ 漢字を覚えていません。アンチョコを見て たしかキクチの国かどこだかで・・・あぁ 違った⇒)
https://www.bing.com/search?q=%E5%8D%91%E5%BC%A5 …

・ ひみここ〔卑弥弓呼:クナ( 狗奴)国 の男王〕

ヒコミコの一文字づつの順序をまちがえて ひみここ とし それに漢字を当てたのであろうと。また 卑弥呼という発音につられたか。




☆ 日本の再生には このアマテラス系譜の成り立ちをきちんと把握することから始めないと――国民統合の象徴が はっきりしないと―― おぼつかないように感じられます。

お礼日時:2021/04/04 08:36

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!