
A 回答 (6件)
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No.6
- 回答日時:
真の姿はほとんど分からない、と言った方がよい。
だいたい、地方の藩の郷士に過ぎなかった分際の奴の、生い立ちがあんなに詳細に分かる、ということからしておかしい。
実像が見えないので、どうなっていたか分からないし必要だったのかも分からない。
極端な話では、龍馬は勝海舟の操り人形に過ぎなかった、という説もある。
もちろんこれも憶測である。
No.5
- 回答日時:
ちょっと過大評価されているきらいがありますね
キャラクターとしてはおもしろいのでしょうが
半藤一利氏の明治維新の本などには
おもしろいことに一度も名前が出てこない
つまりは
出てこなくても明治維新はあり得たのですね
他の学者などには
必ず名前が出てくる
これなんかは
名前を出さないと人がついてこないという
やや人気取りのような気がしますね
No.3
- 回答日時:
龍馬は、いわゆる「陳勝呉広」。
陳勝と呉広が立たなければ、項羽も劉邦も出てこれなかった。少なくとも彼らの活躍は相当遅れていただろう。龍馬がいなくても徳川幕府は崩壊していただろうが、タイミングが遅れていたら日本はどうなっていたか。明治維新が英仏の代理戦争になっていた可能性は十分にあると思います。
陳勝呉広のように、最初の反乱軍は大抵は制圧されて滅びる。生き残って覇者となるのは、その次に立ち上がった奴。だから馬鹿な奴も世の中には必要なのだ。お利口さんばかりになると、誰も最初に立ち上がろうとしないから、結局何も変わらないつまらない世の中になるのだ。。
No.2
- 回答日時:
結果的に全体志気が途中で挫けなかった。
いなければ、挫けていたのかもしれない。
彼は問題を多角度から捉え、見つけた良き点を人に伝え、拡めるのが上手かった。
志気が難航しそうな時や、煮詰まった時、多くの人の荷を降ろし、必要である目的を精査し分かりやすいかたちにして人々に解き、良き時代へと手取り導いた。
閣界人選を考える際、参加していたが、その名簿には彼は自分の名前を入れなかった。
それまで、誰にも言わなかったが、彼は入れる気がなかったのだ。
彼は商いをやりたかったのだ。
潔すぎて皆、口をぽかんと開けた。
No.1
- 回答日時:
龍馬の主な貢献は次のふたつ。
①薩長同盟の仲介を行った。
②大政奉還など新政府体制のアイデアを後藤象二郎に伝えて実行させた。
①は薩摩の意向を受けて龍馬が動いたことは間違いないが、龍馬が居なくても薩摩が誰かを通じて薩長同盟に動いたであろいうことは十分考えられる。
②は「船中八策」として知られるが、後の誰かの創作という説もある。それに龍馬の独創ではなく、例えば龍馬が師と崇敬していた勝海舟からなどの影響も考えられる。ゆえに、龍馬が居なくても、海舟などの謹王派的幕臣が土佐藩などの有力大名を動かして大政奉還に持っていった可能性はある。
以上のように、本当に龍馬が必要不可欠であったかどうかは疑問が残る。少なくとも司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の影響で、司馬の創作部分や史実改変部分のために、龍馬が過大評価されてしまったことは間違いない。
しかし、彼の動きが歴史に大きな足跡を残したことは充分評価に値すると思う。
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