幼稚園時代「何組」でしたか?

こんばんは。

(心の)強い人とは、一般的に逆境に強かったり、
困難に立ち向かえたり、耐えたり出来る人を指すの
ではないかと思っています。

例えば、軍人さんが過酷な生活環境で生き抜く術を
訓練、若しくは実際に体験して身に付けるとします。
過酷な環境で生活してきた彼らにとって
一般の人の生活はとても楽に感じることでしょう。
逆に一般の人が戦場等で生活するとなると、
肉体的にも精神的にも辛い思いをするでしょう。

このような軍人さんは「強い人」に
なるのでしょうか?
例が悪いかもしれませんが、
食べるのに困る人が多い国などは食べられさえすれば
辛くないと感じるかもしれません。
彼らも「強い人」になるのでしょうか。

それが当たり前になっている「平気な人」と、
「強い人」の違いをどのように皆さんお考えですか?

A 回答 (7件)

>何が言いたいのか混乱してきました・・・



それは悪いことをしたかな(笑)。
僕がね,「あんまり「強い人」「平気な人」とか言葉たちにとらわれない思考をした方がいい」って発言したのは,ちょっとあなたは分析力があるというか,分析癖があるというか,ともすれば観念遊戯に陥りやすいように思えたからです。若い頃はそういう傾向が特に頭がいい人に見られるようです。
あえて,あなた流に「強い人」と思われる人を僕なりに観察するとですね,そういう人は弱いところを大抵抱えてるんですよ。それが「現実をリアルに,生のままとらえて観察」した結果僕が気づいた事実です。
あなた法律には興味ありますか。なくても,有名な判決を一回事実関係から通して読んでみたらいいですよ。かくいう僕もそんなにやったことあるわけではないんですけど。なかなかね,言葉や概念・論理(同じようなことか)だけでは判断が困難だということが分かりますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お返事遅くなり申し訳ありません。
「観念遊戯」という言葉が当てはまるかは別として、
自分をなんとか納得させられる理屈が欲しいんです。

理系体質なのか(勝手に理系の人達を巻き込む)、
(国語の現代文は好きだったなぁ。。。(懐 )
何かしらの理屈、理論が成り立たないと、
自分に引っ込みが付かない状態なんですね。

法律にはあまり興味ありませんが、
いつも解釈で揉めてますよね。
いざというときに解釈で逃げられるようにしてある
とも思えます。
判決を読むのは止めておきますね。
おそらく虚しい思いをしそうです。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/08 20:56

追伸


 波紋使いです。

 意見をいうのではなく、こんな話があるんだと、
読んでもらえれば幸いです。
 
 僕の先輩に某国立大を出た先輩がいた。公の機関に
就職したんだけど、彼にはとても苦痛だった。彼は
物事を分析、批判することが得意だっただけに余計に
辛そうにしていた。ストレスで体調も壊してたし。

 それでも、いつの間にかその人はその業務になれて
しまったらしい。

 僕も昔はとても嫌だったのに、いつの間にか慣れて
しまった事がある。今でも本当は嫌なのにね。

 人間の順応能力も両刃の剣だと思う。しかし、
使い方次第だと思います。

 原子力の知識が
 核ミサイルと原子力発電を生んだ。

決まった答えはないような気がします。自分の為に
「両刃の剣」を使える機会をお互いに増やせると良い
ですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

人間が忘れなければ今頃天才だ。
でも人間忘れることが出来るから生きていける。
と同じような感じで、
人間順応できるから生きていける。
と言うべきでしょうか。

何にでも慣れてしまうのは、、、ある意味最強。
でも、きっと問題ですよね。
譲れるところと譲れないところを
自分の中に持つことが必要なんでしょうね。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/08 21:11

答えようか,ちょっと迷ったのですが。

着想がユニークだなあと思い,書き込みを決意しました。
標題「強い人」と「平気な人」の違いは?という問いに限って言えば,1の回答が端的で僕も支持しますね。
それだけだったらわざわざ書き込みしないんですが,ちょっと気になったのが,あなたが例えとしてあげている部分で,これらは少し標題と離れてどちらかと言えばいわゆる幸福論に近いという印象を受けました。
あなたの中で本当に迷いがあるのは,ある条件でどんなふうだったら幸せなのか,それが言い過ぎなら,どんなふうだったら快と感じ,あるいは不快と感じるのか,そういうところに真の論点が隠れているような気がしたのですが。
違ってたら聞き流してください。
で,私見ですが,あんまり「強い人」「平気な人」とか言葉たちにとらわれない思考をされたほうがいいと思うんですよね。もっと現実をリアルに,生のままとらえて考える,頭の中だけでバーチャルにとらえない,そのような方向でいかれたほうがいいかと。
でも少し考えさせられる質問ではあり,興味深かく拝見しました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

幸福論が真の論点、というところに
ハッとしました。
自分でもよく分かってないまま言うのも変ですが、
幸福論も多分に含まれていると思います。

「強い人」「平気な人」という言葉はともかく、
今は単純に自分の幸せが何なのか見えなくなっている
状態なだけかもしれません。。

あぁ、色々ご意見うかがっている間に
何が言いたいのか混乱してきました・・・
ちょっと頭冷やします。

でも、おっしゃる通りかもしれませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/22 22:22

私は世の中には「強い人」といえるひとはいないと思います。

でも、強く生きようと努力するひと。弱音をはかなかったり、それから、その場を生き抜く為に、強く生きなければいけないと我慢強くなるひとが、強い人であるという印象を他の人から受けるのかもしれませんが、でも、それでも最初から「強い人」というのは世の中には存在しないと思います。人間は弱い生き物です。必ず弱い部分が0.1%でも存在します。でも、それでもその部分を出さないように一生懸命生きるために、強くなろうとするのが、人間なのかもしれません。

それから、強い人=平気な人とも完全にはいえないと思います。他人からみて強くみられる人の生活が、その強く見られてるひとにとって「平気」であるとは思えません。「平気」というよりも、そういった生活が当たり前になってしまっていて、そういう生活がそのひとにとっては日常茶飯事かもしれませんが、それが「平気」だとはいえないでしょう。食べないことが平気、それから生活に困っているのが平気だって思えるひとはいないでしょうね。一般にいえる普通の生活に憧れて、それでその生活をいつか自分も経験したい、だから、今、苦痛であるこの時間を一生懸命生き延びて、それでその生活に向かって強く生きようと思っているんじゃって思います。きっと、そういう生活をしていて、ぽつって死んだほうが楽だって考えることもあるでしょう。それでも、生きようという精神があるのは、やっぱりそういった生活をしたい夢と憧れから来ているものだと思います。いつか幸せな日がやってくる。だから、それまでは強く生き抜いていこうって自己暗示させるんじゃって思いますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「平気な人」というのが、
「強い人」の対比で出てきた言葉なのですが、
例が極端すぎて、
この例の場合平気なわけがないですよね。。。
#3の方のお礼で述べたことが投稿のキッカケです。
投稿内容から読み取れる趣旨とズレていたら
すみません。

強く生きようと努力する人、というのが
だいたい皆さんの共通のご意見と感じました。
気持ちが上向きのときは強く生きるぞ!と思えるけど
下向きのときは、弱音を吐いてしまいます。
強い人とは、気持ちが沈んでいても気を奮い立たせて
頑張れる方のことなんでしょうね。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/22 21:35

こんばんは。

哲学的に悩んでいらっしゃるんですね。
このジャンルには気持ちが揺らいでいる人が多いので
「哲学」のジャンルで相談すると良いのでは?

等身大の哲学をもしも馬鹿にする人間がいれば、その
人は「哲学は知的で、論理的で、体系化されなければ
ならない」という偏見を持っている人です。そんな
人ばかりじゃないと思うので、そこで相談してみて
下さい(そこにいきにくいから、あなたがこちらに
来たのかな?と思った事も含めての提言です)

ちなみに平気な人とは、それが当たり前の生活や文化
を送っている人だと思います。

強い人とは、当たり前じゃない事でも耐えられる事や
やり遂げられる人だと思います。

あなたの「強い」が、精神力、ストレス耐性、意思力
等を含んでいる様に感じたので。

たとえば、少し前の中国では、公衆トイレで大便する
時は扉はありません。でもみんな平気でしています。
俺たち、できますか?あえてテレビのロケでやって
くれ!等の条件でできる日本人がいれば、その人は
強い人かもね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

あまり思いを表現するのが得意ではないので、
言葉足らずの面があると思いますがご了承下さい。

「強い人」と「平気な人」の違いはおっしゃる通り
だと思います。
ロケでギャラを貰えるなら
テレビで大便映されてもいいや、と思えた場合
「強い人」とは言えない?でしょうか?

ちょっと前まで、自分の置かれている環境が
すごーく嫌でしょうがなかったんです。
ですが、順応というのか、慣れてきてしまったのか、
段々と平気に思えてきました。
耐えていたわけでもなく、乗り越えたとも言えず、
結局自分が「平気」になっただけか。。。と。
ただ時間とともに解決?していく、
そんな自分に腹が立つやら、
別にいいんじゃないの?という安易な自分がいたり、
強くなりたいけど、強くなれば幸せなのか?とか
慣れれば気にならないから、それでも幸せ、だとか
色々考えて気持ちが浮き沈みしているのが現状です。

おっしゃる通り、哲学の要素が強いのかもしれません。
哲学の分野も覗いてみます。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/22 21:09

強い人というのは、


自分の置かれている状況を客観的に見る事ができていて、
良い状況であろうが、悪い状況であろうが、
現状を良い状態に変えてゆく努力ができる人です。

反対に平気な人というのは、
自分の事を解っていない人
現状のままで居る事に何の不安も感じない人です。
(立ち止まっていれば、後から来た人達に、抜かれてしまいます。)
そして、どうしてかは、解らないのですが、
他人のせいにしたり、自分には、関係無いという態度が上手です。

平気な人が増えれば、気が付いた時には、
どうする事もできない状況になるまで、恐らく何もしないでしょうね。
ですが、それでは、いけないのだという事を理解させる事が
本当の意味での教育だと、思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

現状をより良くしていく努力が出来る人ですか。
他人のせいにしたり、というのは楽ですから
確かに強い人とは言えませんね。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/22 20:50

自分が逆境にあることを認識してそれに耐えている人は「強い人」でしょう。

同じ環境でも、自分が逆境にあることを認識していない人は、「平気な人」だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

自分が逆境にあり、耐えているうちは「強い人」
それが当たり前で気にならなくなると「平気な人」
であれば、今の自分は「平気な人」・・・
「強い人」になれる日は来るのだろうか?という
ところから、この質問をさせていただきました。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/22 20:40

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!