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僕は高校二年の男子です。
最近僕は自分の存在に価値があるのか、と言う自分への問いかけが頭の中で浮かぶことがあります。
今回はそのことについて質問したいと思っています。

僕は、おそらく平凡で、特に飛びぬけた才能もないような人間です。また、人には性格は明るくお調子者であり、オモシロいといわれる、そんな人間です。
 そんな僕は小中高と大きく目立つことなく、そして逆にどこにいるんだと探されるような存在ではないと思います(中三のときは心が疲れ読書に明け暮れ周りにまじめで後者と思われましたが)

 高校受験では公立を滑ってしまい、まったく視野になかった滑り止めの私立の高校に通うことになりました。そこは、本当に女子ばかりで男子が極少の学校でした。しかし少ないながらに僕には良い友達が出来、更には今は付き合っていないですが人生初の彼女も出来ました。

こう聞けば順風満帆な高校生生活だと思うと思います。僕の中学の友達もそういいます。

しかし、あるとき僕は「ここから僕が転校したら、悲しんでくれる人はいるだろうか。僕の存在が遠くに行っても、誰か僕を思い出し気にかけてはくれるのだろうか」と言うふとした考えが思い浮かびました。

そしてそれからと言うもの、何気ないときにそういう考えが思い浮かび胸をかきむしりたくなるような感情に陥ります。
「公立に一緒に行くはずだった友達は少しでも僕を思ってはいてくれたのだろうか」「僕は元彼女の目にはどのような姿に写っていたのか」

更には最近では、社会全体からとって人間一人はちっぽけな存在、ある人がいなくなっても、社会への役割としてならその人と、とり代われる存在、替え玉はいくらでもいるんだと思えてならないのです。


恐らく、そうはならないために必死に勉強などの努力をして、替え玉がいないような能力などを身につけ、オンリーワンの存在になることが解決策かもしれません。

しかし、どんな物事に関してもこの事は僕の中で限りなく先の見えない話で、容易に想像も出来ません。

本当は、僕を大事に思ってくれる両親がいて祖母がいて親類がいる、そんなことを当たり前に感じている。そんなことが本当に恵まれていて、素晴らしい事なんだと思います。
しかし、僕はその先のことを欲張りなのか望んでしまいます。

僕の考えが浅はかなんだと思い、本も多く読みました。
そして周りにはこんなことで落ち込んでると思われたくないので、明るく笑いを飛ばしながら生きてるので、悩みなんてないんじゃないかと聞かれてしまいます。

しかし本当に悩んでいます。
こういうのは思春期特有の悩みだと片付けてよいのでしょうか??
もしくは、皆さんはどうおもわれでしょうか??
 
稚拙な長文失礼しました

A 回答 (7件)

私も貴方と同じく自分の存在意義を考え続けていました。


まだ20代なのでこれが結論。と、たどり着けた訳ではありませんが
社会に揉まれ、企業の恐ろしさを知り。他人の冷たさを
ひしひしと経験してきて感じたことがあります。

他人はあくまで他人でしかない。
家族や恋人でないかぎり愛はそこにはありません。
少なくとも私の人生ではそうでした。

社会に必要とされるのを存在意義だと思いますか?
会社は利益第1です。どんなエリートでもその人自身を
必要とするのではなくその人の能力が必要なだけです。
エリートが1人辞めて大きな穴が空いたとしても、
企業もバカではないので代わりを見つけます。
あの人が辞めないで居てくれたらな。とゆう期間は代わりに
そのポジションに収まった人が仕事をこなせるようになるまで。
そのエリートは過去の人になり、その人が居なくても会社は回ります。

例えを出します。周りの環境や接遇、賃金も悪く
とてもここではやっていけない。と考える社員のAさんがいます。
働き手が足りない中、私が辞めたら困るだろう。
辞めて少しは私の存在が大きかったのだと分からせよう。
そう思い働き手の不足している会社を辞めます。
しかし現実はAさんがいなくてもうまく回っていくのです。
悲しいことに人間とはやはりコマで代わりはあるものなのです。

ですから他人に自分の存在意義見出すのは虚しいと思います。
どんなけ人一倍頑張って残業や仕事を早めに終わらせても
他人からすれば「あぁ、あいつがやってくれたから楽になったわ」
多分この程度でしょうね。

家族、または恋人が大切だと感じていらっしゃるのですよね?
ならば貴方は十分意義があります。
価値があります。なぜならば愛は返ってくるものだからです。
特に家族は一般的には愛があると私は思います。

貴方が死んでしまったとしましょう。
10年の歳月が経ちます。
友人は笑顔でしょうね。貴方を思い出すことがあっても
可哀想だったな…もったいない。悲しいと思うことがあっても
その友人にとって友達は貴方1人ではなく大勢います。
家族や恋人も居るでしょう。だから笑顔で笑っています。

では彼女はどうでしょう。仲の深さにもよりますが
時折思い出し、涙する方もいると思います。

では最後に家族はどうでしょう。
私は変わらず貴方を愛し続け涙を流していると思います。
この差は大きいです。存在意義を求めるべき相手、分かりますよね。

飛び抜けなくていいと思います。
NO1でなくていいと思います。
NO1が重宝されるのは当然ですが存在意義をそこで
満たすのはとても苦労されますよ。そしてその
プレッシャーと緊迫感が貴方を蝕んでしまうのではと思います。

貴方は他人の為に生きているのではないですよね。
社会は陰口や嫌みな人が多いものです。
愛を与え合い信頼できる人と幸せを分かち合える。
そんな幸せを掴むために生きた方が幸せだと感じませんか?

これからもいろんな経験をされると思います。
時間は過ぎていきますゆっくりでいいと思います。
悲しい現実は多いですが受け止めていきましょうね(^^)

マイナスなことばかり書いてしまいましたが
こんな考えを持って育った私でも幸せを感じています。

どうか悲観されないで下さい。失礼します。

この回答への補足

ありがとうございます。

悲観的な意見は、ありがたいです。なぜなら楽観的な意見ばかりを貰ってしまうと、僕の性格ではおそらく社会に舐めてかかる気がするからです。

僕は、人の陰口、いやなうわさを話す人を嫌いますが、そう言いながらも稀に言ってしまう自分も嫌いです。

そういう自分を厳しく律しながら、成長していけたらと思えました。

補足日時:2012/11/24 11:41
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こんにちは!


自分の存在意義を深く考えてしまうのですね。
哲学の本などを読んでみてはいかがでしょうか?
あなたの興味のある内容が書いてあるかもしれません。
参考になれば幸いです。

この回答への補足

はい、ニーチェの作品は読みました。
以後もっと読んでみます

補足日時:2012/11/24 11:35
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私も、高校生の頃に「自分の存在価値って何なんだろう?」と、ものすごく悩みました。


(質問者様と同じ/似た悩みなのかはわからないですが)

私は、自分なりの答えを見つけるのにかなり時間がかかってしまいましたし、今も自信のある答えがあるわけではありません。
ただ、うやむやにせずに悩み続けて良かったと、次第に思うようになりましたし、どうすれば自分の存在価値(色々な意味で)をもっと高められるか、ということは、これからも忘れずに考えていたいと思うようになりました。


私個人の考えですが、特別なオンリーワン(と他人から思われる人)になることが、存在意義ではないと、今は思っています。
何故なら人の評価は、常に正しいとは限らないですし、曖昧で移ろいやすく、しかもすぐに忘れ去られてしまうものだから。
そういうものに振り回されていても仕方がないし、他人の評価を通して自分の存在価値をはかろうとして、一喜一憂している自分を、次第に滑稽に思うようになりました。

人は、別に特別な注目を浴びる立場にならなくても、存在意義を持つ方法や機会はいくらでもあると思っています。


例えば、池で溺れている小さい子供がいたとします。
たまたま通りかかった私は、夢中で飛び込んで、子供を助けたとします。
池は1メートルくらいの深さしかなくて、私にとっては余裕で足がついた。
服が濡れたり時間をとられたりしたけれど、別に命がけのことをやったわけでもなければ、何か特別なトレーニングをしなければ出来ないことをやったわけでもない。
別に私でなくても、仮に他の人でも、ある程度の背丈があれば誰でも、同じ事は出来たでしょう。
でも、その時には、私しか、通りかかった人はいなかった。
私がいなければ、その子供の人生は、そこで終わりだった。
その子どもにとっては、私は「命の恩人」ということになるでしょう。
何も大したことはしていないのに、結果的には「命の恩人」。

これは一つのたとえにすぎません。


大きなことからほんの小さなことまで、人の役に立てる機会や、逆に自分自身が「生きてて良かった」と思う機会は、生きていればいくつもやってくると思います。私にとっては、それらは十分、「自分の存在意義」と感じられるものです。

私の個人的な価値観かもしれませんが、一番大事なことは、「本当に困っている人を見た時に、見て見ぬふりをして立ち去らず、自分の出来ることをする人」や「平常時も、出来る範囲で、人や社会の役に立とうとする人」になることだと思います。これは、他人から評価されたいからやることではないし、評価されない=(存在)意義がない、ということではないと思います。人として当然だと思うから、当然だと思うことをやるとか、ただ自分がしたいからやるとか。

自分が何かに貢献できる機会を増やすために、色々な能力を高める努力をすることも、やるにこしたことはないのかもしれませんが、それをやらないと存在価値がないってわけでもないと思うんですよね。
努力は、(自分の将来も考慮に入れて)自分が本当にやりたい範囲でやれば、それで良いのではないでしょうか。

この回答への補足

存在意義、存在価値を高めるという利己的な考えで、日々行動するのは間違いだと気づかされました。

補足日時:2012/11/24 11:44
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私もそういうことよく考えましたね。


20歳のときに犬を飼って以来そういうことは一切考えなくなりました。
犬が私だけになついて、トイレもお風呂もずっとくっついてくるんです。
犬にとって私はオンリーワンの存在です。
犬によって自尊心を保つことが出来ました。
そして犬が亡くなり家族や友人はいるものの孤独になり
またそういうことを考えるようになりました。

あるとき持病で危篤になり、医者に「明日までは生きられません。」
と宣告されました。
家族や友人達はそれはそれは悲しんでくれました。
そして親友だった男性が「自分にとって大切な人だとわかった。」
と言ってくれて結婚することになりました。
今は夫を愛して、夫に愛されて自尊心を保つことが出来ています。

私は自尊心が無くなるとそういうこと考えますね。

この回答への補足

やはり、愛する愛されると言う関係は大きなものですね。

補足日時:2012/11/24 11:44
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ばかやろう!おまえは本当にばかやろうだよ!




存在意義がないだ?自分には個性がないだ?うぬぼれてんじゃなえっ……………!


私はspeedさんがその年でそこまで自己分析できていることに尊敬の念を感じますよ。そこまで考えれてそれをこうして文章にできるっていう人はなかなかいないと思いますよ。

また自分を犠牲にしてまで他人に元気に振る舞うこともみんながみんなできることじゃないですよ。


もっと自分に自信もって!みんな同じようなことで悩んでるから!もっと気楽に!
人生結局楽しんだ人が勝者です!ってなんかの詩であったな。

この回答への補足

ありがとうございます!

元気付けられました

補足日時:2012/11/24 11:45
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<更には最近では、社会全体からとって人間一人はちっぽけな存在、ある人がいなくなっても、社会への役割としてならその人と、とり代われる存在、替え玉はいくらでもいるんだと思えてならないのです。



その通りですよ。総理大臣だっていくらでも替え玉がいるじゃないですか。
当たり前のことなので悩む意味もありません。
なんて、バッサリ切り捨ててしまっては納得行かないのでしょうね。
でも、少なくともご両親ご家族にとってはあなたが生まれた時からすでにオンリーワンなのです。
今後は生涯の伴侶となる方のオンリーワンになれれば良い。
あなた自身も自分にとってのオンリーワンだと思える人で出会えれば良いのです。

もちろん努力して前人未到の功績をあげようとすることが無意味だとは言いません。
でもそれを為し得なくてもあなたという存在が否定されることはないのです。
悩むのは結構なことです。悩みや迷いから新しい力が生まれるものだと思います。
でも不必要に不安にならなくて良いです。
ここでこうして出会ったあなたと私の出会いは一期一会。まさにオンリーワンです。
人生はそんな偶然という名のオンリーワンに満ちています。
たとえ平凡に見えても誰ひとりとして同じ人はいない、同じ時はないのです。
そのことを大切にするべきと思います。

この回答への補足

個々の存在の大切さに気づきました

補足日時:2012/11/24 11:46
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昨今「個性」だとか「オンリーワン」という言葉が重宝されすぎて


その言葉に苦しむ人は結構いるみたいです。

こういう時は考える視点を自分じゃなくて他人に置き換えてみてはどうでしょうか?

質問主さんは自分を平凡だと言う
では質問主さんの周囲は「特別」目だって輝く人ばかりでしょうか?

自分がいなくなったら泣く人がいないんじゃないか
では質問主さんは友達がいなくなったら泣きますか?
泣いても何日も何日も泣いて暮らすような生活でしょうか?
例え忘れてしまっても、記憶喪失のようにその人を全く思い出さないでしょうか?

社会にも替わりになる人はいる
しかし全く同じように勉強や仕事をする人はいますか?

例え東大に入学しても、有名企業などで働かない人は「おちこぼれ」でしょうか?質問主さんはその人たちを「おちこぼれ」と思いますか?東大に受かるだけの学力があっても?


「自分中心」に考える世界はどうしても狭いです。
しかし「他人」に置き換えて自分が感じている不安を他人が感じていたらどう思うかと知ることで少し見える世界は広がります。

私は「特別」な人になる必要なんか無いと思います。
特別が集まれば特別じゃなくなりますしね
目立たなくとも平凡でも、社会的評価が低くても
自分が選んで欲しいと思ったものを頑張っている人は
全てに認められなくても誰かしらに認められているものだと感じます。

この回答への補足

確かにそうです。
利己的な考えはやはり浅はかでした。

人を思いやりながら行動していきます

補足日時:2012/11/24 11:47
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