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調べものをして気になりました。
「かなり」と「けっこう」は、どう違うのでしょうか。

【かなり けっこう 違い】約 90,500,000 件
https://www.google.com/search?q=%E3%81%8B%E3%81% …

 多数ヒットしますが、何がなんだかわかりません。

質問者からの補足コメント

  • 過去にこういう質問もありました。
     参考になれば。
    【「けっこう」と「かなり」の違いについて】
    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9446556.html

     当方の現段階の考えです。
    【かなり けっこう 自力matomeサイト】
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12673327669.html

      補足日時:2021/05/08 21:53
  • 5月13日段階のまとめ。
    「かなり」と「けっこう」はどちらが程度が著しいか
    https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12674305154.html

      補足日時:2021/05/13 20:35
  • >絵を書くことが苦手なのでとりあえず文を引用しておきます
     何を言いたいのだろう。引用するなら、「描くのが苦手」でも関係ないだろう。

     何より問題のなのは、出典も書かずに何かを丸写ししていること。しかもどこが剽窃で、どこが念仏か不明。
     こういう書き方は著作権侵害だろう。当然信憑性はない。
    〈第31図(花が咲いている場面の想像図)〉って何?
     ただでさえむずかしい書き方をしているんだから、少し考えてください。

    No.16の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/05/21 09:35

A 回答 (20件中1~10件)

>>こういうなんの役にも立たないやり取りには付き合いきれません。



自己の無理解を逃げ口上にしてはいけません。

こうした基本的な理解もなしに感覚的な質問を繰り返し、ゴミの山を築き、何の解決にもならないため、時折腐臭漂う旧問を繰り返している現状が理解できませんか?

こういう非論理的な発想では言葉の神様にそっぽを向かれ何の進歩もありません。

まずは、<副詞>とは何かを正しく理解することが何かの役に立つ第一歩です。■
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この回答へのお礼

繰り返します。
 こういうなんの役にも立たないやり取りには付き合いきれません。
 そういうのがお好きなかた同士で気の済むまでどうぞ。
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12676491412.html

お礼日時:2021/05/31 18:02

混乱したことが述べられているので少しコメントしておきましょう。



>>形容動詞の「結構」と副詞の「結構」では意味が{かなり/けっこう}違う。
 ホニャララが「(予想通り/以上に))よく出来上がっているさま。申し分のないさま。」としているのは、形容動詞だろう。
「たいへんけっこうです」「けっこうなお手前で」などと使う。これが現代語としてどこまで一般的なのかは知らない。
 ところが、副詞になると〈 十分満足であるというほどではないが、一応よいといえるさまをいう。程度が低いと見こんでいた予想からは、案外程度が高いことを表わす。かなり。〉になる。
 品詞が違うとここまでニュアンスがかわるのね。なんでそんなことになるかは、言葉の神様か辞書の編纂者に訊いてください。//

ここで「言葉の神様か辞書の編纂者」に下駄を預けるところが質問者の限界です。

要は、形容動詞、副詞の品詞の本質、相違が理解できていないということです。以前から、形容動詞という品詞区分は誤りだと指摘していますが未だに理解できていないことを露呈しています。いかに表面的、形式的な理解に終始しているのかということです。

いわゆる形容動詞というのは「けっこうな」を一語とする誤った品詞分類です。では、「たいへんけっこうです」の「けっこう」は何かと聞いても返答がありません。これらは、「けっこう」が一語の属性表現の語です。これは活用を持ちません。

では副詞とは何かですが、副詞とはこうした属性表現を具体化、立体化する表現の語です。つまり、形容詞などの語に「副(そ)う」ところにその本質があります。

靴を【ピカピカ】に磨く。
この本は【ずいぶん】おもしろかった。
地震で家が【がたがた】になった。

のように使用します。また、

私の家は古くてもう【がたがた】です。

のようにも使用しますが、これは副詞ではなく属性表現の語で、いわゆる形容動詞で、正しくは<静詞>とでも呼ぶべきものです。形式しか捉えることができない形式主義者にはこの区分ができません。したがって、「言葉の神様か辞書の編纂者」に下駄を預けることになりますが、残念ながら同じ形式主義者の「辞書の編纂者」に聞いても答えてくれません。

>>品詞が違うとここまでニュアンスがかわるのね。

などと意味不明の念仏になります。<程度副詞>は<形容詞>や<動詞>の属性のありかたについて、その程度を抽象的にとらえ、「けっこう」「かなり」などのように表現します。

こうした基本的な理解もなしに、「けっこう」と「かなり」の相違など解明はできません。

>>こういう書き方は著作権侵害だろう。当然信憑性はない。

こういう非論理的な発想では言葉の神様にそっぽを向かれるだけです。■
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この回答へのお礼

こういうなんの役にも立たないやり取りには付き合いきれません。
 そういうのがお好きなかた同士で気の済むまでどうぞ。
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12676491412.html

お礼日時:2021/05/24 21:49

>>当方は事実を書いただけです。



本題とは無関係な事実をもっともらしく持ち出し、誤魔かそうとする心根が透けて見えます。

内容は理解できましたか?■
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>>何より問題のなのは、出典も書かずに何かを丸写ししていること。

しかもどこが剽窃で、どこが念仏か不明。
 こういう書き方は著作権侵害だろう。当然信憑性はない。

いつも、こういうピント外れのもっともらしい減らず口だけは一丁前ですね。もう少し論理的に物事を理解しましょう。

まず、

若い頃は、けっこうワルだった。
  被害者がけっこう出た。
  けっこう傷は深い。

 まったくダメ
  まったく違う
  まったく別(のこと)

は肯定文であることが理解できますか?

話が逸れますが、著作権侵害に触れた最近の印象的な文章を引用しておきましょう。

 世界の動きに乗り遅れている日本

 しかし残念なことに、日本の大学や研究所はこのような世界的な動きに完全に乗り遅れています。日本は著作権の保護が手厚いので、講演ビデを公開するためには、使われている図版やビデオの著作権を丁寧に確認し、場合によっては使用許可の手続きが必要になります。IPMUの研究者の成果を発信しようと、著作権処理の委託業務の見積もりを取ったら、三十分のビデオで約一〇〇万円もかかることがわかりました。これではとても続けられません。
 
 これに対し、米国では著作物のフェアユース(公正な目的であれば許可を得ずに利用できること)が判例で確立していて、学術交流のための著作物の使用は一定の枠内で許可されています。私が世界各国で講演をしてきた経験では、著作権のために講演ビデオが公開できないという問題があるのは日本だけです。
 
 これまでも講演ビデオの配信に力を入れてきた欧米の研究所は、コロナ時代になってウェブでの情報発信力をさらに高め、国際的なビジビリティーを競っています。これに対し、日本の大学や研究所は、日本特有の著作権の扱いのため、バーチャル空間での国際競争に大きなハンディキャップを背負っています。
(大栗博司『探究する精神 職業としての基礎科学』260~261p〔GS 幻冬舎新書612〕2021.3.25)■
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この回答へのお礼

当方は事実を書いただけです。それを〈ピント外れのもっともらしい減らず口〉と言われても……。

>肯定文であることが理解できますか?
 はい。
 そう書いていますが、理解できませんか。

>著作権侵害に触れた最近の印象的な文章を引用
 何を言いたいのでしょう。
 日本では違法の薬物に手を出して「海外では合法だ」と主張する人は●●ですよね。
 しかも、〈出典も書かずに何かを丸写し〉するのとは話が違います。〈ピント外れのもっともらしい減らず口〉の具体例を示したのですか?

お礼日時:2021/05/22 14:22

「けっこう」(副詞用法限定)は{けっこう/かなり}曲者


https://ameblo.jp/kuroracco/

について。

下記に指摘した通り、否定/打ち消し、つまり否定判断と否定的は本質的に異なります。これを混同しては混乱、混迷するだけです。絵を書くことが苦手なのでとりあえず文を引用しておきます。

否定判断は肯定判断に対応するものだから、肯定判断のかわりに否定判断を入れかえたものが話し手の認識構造だ、と誰しも考えがちなものです。しかし事実はちがいます。否定するには【否定する対象が必要です】。否定の前に対象が与えられていることを考えなければなりません。これは予想というかたちで観念的に与えられたり、過去の現実という形で前もって認識されていたりします。現実は、植木鉢の花はまだつぼみのままだとして、これをそのまま対象としてとりあげるかぎり、何らの否定判断もうまれません。これに対する話し手が、第31図(花が咲いている場面の想像図)のように「花が咲く」という観念的な対象を設定し予想するとき、はじめて「花が咲かぬ」という否定判断がうまれます。同じように、ここの現実には立派な花があったことを知っている話し手が現実の対象がそれとちがっていることを認識するときはじめて「花が見えない」という否定の判断がうまれます。したがって、これらの否定にあたっては、話し手はまず観念的な世界へ移行して一応それを肯定的に表現し、そこから現実へもどって「ぬ」「ん」「ない」と観念的な世界の対象を否定します。

このように否定の助動詞といわれるものは、それ自体話し手の判断の表現で、否定されるのはその上に表現された観念的な世界の対象のありかたです。否定判断の表現にあたって移行した世界そのものを否定しているわけではありません。移行した世界の【話し手の立場やこの否定判断そのものは話し手が肯定している】のです。それで図のように、「花が咲か」の下にも肯定判断が存在するのです。

>>吉事(肯定的な表現/プラスイメージの言葉)でも凶事(否定的な表現/マイナスイメージの言葉)

は判断と表現という異なる次元を混同したもので、肯定判断/否定判断と肯定的/否定的を混同するのは誤りです。■
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

コメントが意味不明なのですから、リンクぐらいまとも張ってください。

 なぜ、そうむずかしくないことを、こんなにむずかしく書くのでしょう。
 前から書いてますが、コメントする前に誰かほかのかたに読んでもらってください。
 とても解読する気になれません。

 他者が理解できないコメントはお控えください。
 連投はお控えください。
 少し頭を冷やしてください。

お礼日時:2021/05/17 18:32

No.14 のお礼にお答えして。



>>根拠をあげてください。

No.6 で回答の通り、「かなり」「けっこう」は程度副詞です。程度を判断するためには基準が必要です。話者は対象の属性に対し、自分なりの判断基準を持ち、それに基づいて「かなり(おいしい)」「けっこう(おいしい)」と程度判断を表現しています。

この場合、「かなり」は自己の判断基準に基づき、「可成り」つまり「「完全ではないが、それなりに十分であるさま」の意義で使用しています。これに対詞、「けっこう」は自己の判断基準の予想に反し、それを越えるものとして評価しています。

つまり、話者の判定基準による「可、なり」よりも「けっこう」の方が「程度が上の評価」をしているということになります。

このように、話者の判定基準に基づく判定であり、この点を捉えることなく聞き手の基準や常識的判断とを混同すると「何がなんだかわかりません」ということになります。

>>形容動詞と副詞を取り違えていることはおわかりですか。

どの点を言われているのでしょうか。
何度も指摘していますが、形容動詞という品詞理解は誤りです。そして、本応答他からも、質問者は副詞とは何かについても正しく理解できていないと判断しています。そんなレベルで、「形容動詞と副詞を取り違えている」などとまともな判断はできないのではないのかと言わざるを得ません。

とりあえず、形容動詞と副詞の定義を述べていただければ明確になりますが。

>>〈程度の多寡〉ってなんですか。程度って、多かったり少なかったりするのでしょうか。

程度を表す度合いとお考えください。■
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>>「完全ではないが、それなりに十分であるさま」の意味でしか使われないなら、後ろに来るのは肯定的な言葉かもしれない。


 では次のような使い方は「間違い」なのだろうか。
  若い頃は、けっこうワルだった。
  被害者がけっこう出た。
  けっこう傷は深い。

程度副詞の後には、当然その程度の多寡に対応する属性表現の語が続くもので、肯定的/否定的は関係ありません。肯定/否定と肯定的/否定的を混同してはいけません。ここに挙げられた文は全て肯定文で、全く正しい文です。

そもそも、否定とは何かが全く理解できていませんね。

そんな曖昧な理解で文法を云々しても始まりません。

まずは、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫)を読んで、言語表現とは何かをきちんと理解しましょう。■
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この回答へのお礼

まず、
===========引用開始
したがって、<「かなり」のほうが「程度が上の評価」をしている>は逆で、<「けっこう」のほうが「かなり」より「程度が上の評価」をしている>ことになります。
===========引用終了
 の根拠をあげてください。
 形容動詞と副詞を取り違えていることはおわかりですか。
 話はそれからです。

〈程度の多寡〉ってなんですか。程度って、多かったり少なかったりするのでしょうか。

お礼日時:2021/05/14 21:56

#12です。



>こういう下品なうえに感じの悪いコメントはお控えください。

こう言い続けていれば、自分は、

下品なうえに感じの悪いコメント

とは関係ないと思ってもらえるとでも思っているのか?(笑)
相当根性が腐っているか、相当頭が悪いのか、どっちかな?

いや、これは間違っていたな、スマンスマン。

相当頭が悪い上に根性も腐っているという、もっとも有力な選択肢を提示し忘れていたわい。(笑)

自分の蒔いた種も始末できんのなら、自分のブログでゴマすり連中を集めるだけで満足しとけよ。
不特定多数の学習者が見ているサイトで矛盾まみれのアホづら晒すのは、もう勘弁してくれ。
わかったか???
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#10です。



>こういう下品なうえに感じの悪いコメントはお控えください。

正論すぎて何も言えずに逃げるのか?(笑)
一行でも反論してみろよ?

《感じの悪いコメント》を書かせた張本人は誰なのか?
ちったあ悪い頭で考えてみろや?
わかったか?

こういうのをマッチポンプと言ったと思うが、君の対応は クズ だね。
自分で放火しておきながら、自ら消防を呼んで先頭に立って消火協力するタイプだ。
貴様のような人間こそ「下品(人柄がいやしいこと)」というのだよ。

玉無しの上に下品のクズじゃ、どうにもならんぞ?

ちったあ進歩しろ!
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この回答へのお礼

またしてもこんな展開ですか。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12183747.html

 繰り返します。
 こういう下品なうえに感じの悪いコメントはお控えください。
 サヨウナラ。

お礼日時:2021/05/10 21:31

>>当方は下記のように訊きました。


〈十分満足であるというほどではないが、一応よいといえるさま〉は〈話者の期待以上に頑張っている〉ことになるのでしょうか。
 まったく話が噛み合ってません。無関係な念仏を長々と唱え始めるのは、質問に答えられないからですか? 

「まったく話が噛み合ってません。」というのは、「全く理解力がありません」ということの告白ですね。良く回答を理解しましょう。

「十分満足である」「一応よい」というのは何らかの基準(話者の観念的な前提)に照らしての判断ということです。この点の理解がないために、「無関係な念仏」としか理解できず、毎回理解できないままに同工異曲の質問をゴミ溜めから引き出す結果になっているのが自省できませんか?

何度も指摘していますが、進歩が見られません。

>>意味不明のコメントはお控えください。
 内容がない連投はお控えください。
 何度も同じことを書かせないでください。

全く、毎回、回答も理解できずに、

意味不明の質問はお控えください。
 内容がない連投はお控えください。
 何度も同じことを書かせないでください。

 少し頭を冷やしてください。

論理的な思考ができるようになって出直してください!

と言いたくなります。寝言坊やの怒りも内容はともかく一理あるね。一度、

喝ZZZZZZZ!

「「かなり」と「けっこう」は、どう違うので」の回答画像11
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この回答へのお礼

>喝ZZZZZZZ!
 おやおや。本質坊主ではなく居眠り坊主でしたか。
 
 あとは下記あたりで気が済むまでどうぞ。
【「かなり」と「けっこう」の違いについて。】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12350986.html

 ちなみに、
===========引用開始
したがって、<「かなり」のほうが「程度が上の評価」をしている>は逆で、<「けっこう」のほうが「かなり」より「程度が上の評価」をしている>ことになります。
===========引用終了
 なんてことはないと思いますよ。
 そんなことを主張したかったんですか。誰も理解できないと思います。

お礼日時:2021/05/10 20:34

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