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戦前までの歴代総理の経歴を見てたら、薩長藩閥の武士や陸大海大卒の士官など、武官出身が大多数を占めていたのですが、これは江戸時代までの「武士の国」だったDNAを引き継いでる様に見えます。
武士の世を終わらせて新政府を樹立したにも関わらず、社会の上層を占めるのが武士(士族)や軍関係になったのは何故なのでしょうか?
(また、同時期の海外の宰相と比べても日本は武官上がりが非常に多いですね。)

A 回答 (9件)

武士の世を終わらせたのが、貴族や商人ではなく別の武士の勢力だったからでしょう

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戦闘で勝ち取った政府だから


仕方ないでしょうね。

徳川支配の中で学者や老中などは
何もできなかったですよね。
薩長のクーデターなので。

今のビルマがそうです
軍部のクーデターで上層は
軍部が占めてます。

当時の海外の宰相と比べてといわれますが
当時はまだフランス革命しかなく
どこも王朝が支配していたのでは?
徳川政権と似たようなものでは?
私は世界史も疎いのですが
当時市民が支配していた国ってどこですか?
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明治維新は市民革命ではなく、武士同士の権力闘争だったわけゆえ、それまでの権力を握っていた徳川と徳川についていた武士たちを排除して、新政府の要職に、反徳川の薩長土肥などの武士がついたのは当然でしょう。

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>武士の世を終わらせて新政府を樹立したにも関わらず


市民革命ではありませんから徳川幕府を滅ぼしただけですね。

少なくとも帝国議会、憲法の成立までは勝利者がトップに座るのが当然でしょう。
明治期までなら教育制度が整ったのが陸軍士官学校-陸軍大学が先だから。
1930年代以降は戦時体制だから。

>同時期の海外の宰相と比べても
何処と比べたのか解りませんが突出しているとも思えません。
本来の(西洋的な)意味での貴族が存在しないのが原因でしょう。
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薩長土肥が明治時代に権力握ったので財力蓄えた


その結果
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なぜ明治維新なのか。



高杉晋作等が、上海へ出かけ、そこで
奴隷化されている中国人を目にして
危機感を抱いたのが発端です。

それ以降は、なんとしても西欧の植民地
にはならないぞ、という戦いの歴史
でした。

そのため、天皇を持ってきて国民を
まとめたりしたわけです。

明治憲法などは、戦うための憲法
です。

こういう時代ですから、武士や武官が
発言力を持った訳です。
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四民平等は建前で、実際は華族や士族優遇の社会だったから。



指摘の通り、士官学校や兵学校は、士族以上でないと入校すら難しい。
まず書類審査ではねられる。
平民がどうしても士官になりたかったら、兵・下士官になり、成績優秀の判定を貰って受験許可を得るしかなかった。
もっともそうやって少尉になっても相当歳がいっているので、中学校から直に士官学校に進んだ士族士官に比べれば、昇進の面で相当のハンデがあった。
いいとこ少佐で息切れしてしまった。

維新直後は薩長閥主導だった。
まだ国がゴタゴタしていて、それが精いっぱいだった。

その後世の中が安定するにつれ、次第に他の士族にも門戸が開かれた。
海軍は日露戦争の前に薩長閥の大粛清を行った。
大正になると「大正デモクラシー」の流れもあって、他の分野でも士族の人材登用が進んだ。

しかし、薩長閥の影響が完全になくなったわけではない。
それは残念ながら終戦まで解消されなかった。

もしかしたら、士族の世界で機会均等が果たされたら、次は平民の番だったのかもしれない。
しかしそうなる前に日本はぼろ負けし国の制度そのものが解体した。

もちろんこれはIFである。
しかし世の中はそのように段階的に進むものだから、あながち間違ってもいないと思う。
まず国が一気に滅びないよう、改革は少しずつでなければならない。
次に、既得権益者の牙城を崩さなければならない。
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一部の事実のみを示して無知を騙すのは卑劣ですね。
明治憲法は、国の在り方と諸外国に日本は法治を行える文明国である事を示す為のものです。
当然、戦うため(国防)の事も記されています。



A:>武士の世を終わらせて新政府を樹立したにも関わらず、社会の上層を占めるのが武士(士族)や軍関係になったのは何故なのでしょうか?

まず、あなたが脳内で捻り出した「武士のDNA」の内容が不明です。
そもそも、武士=ただの武官 という認識が幼稚な思い込みだと思います。

そして、維新を行った人達の目的は、日本の為であり倒幕はその手段に過ぎません。

幕府や藩という政権を担当していた以上、当時の彼らは同時に文官(官僚)でもありました。
質問者様は、そのような彼らを使わないで以降の近代化ができたと思っているのでしょうか。

そして、近代化には軍制も含まれます。
明治の近代国家としての軍隊は、それ以前の「武士の集団」とは別のものです。
→司令官が武士=武士のDNAというのは短絡思考だと思います。



B:>陸大海大卒の士官など、武官出身が大多数を占めていたのですが、これは江戸時代までの「武士の国」だったDNAを引き継いでる様に見えます。

C:>同時期の海外の宰相と比べても日本は武官上がりが非常に多いですね。


要約:私はWW1以降に世界が軍縮に傾いた為に軍人さんが冷遇(というか差別)されていた事を知りません。


(7:15 日本では軍人の社会的地位がかなり低下
7:30 軍人さんはバスに乗る時軍服着れない)


確かに、陸海大卒は9人「も」いましたね。
しかし、それらはワシントン軍縮会議以降のいわゆる統帥権干犯で揉めていた時期~大東亜戦争までの期間です。
そして統帥権問題は政権の足を引っ張る為に野党が言い出した事です。
(これについては、調べればわかる事であり質問の主旨でもないので説明はしません)


評価:年表を読み齧った程度で大発見を気取っている「俄か」。
「戦前までの歴代総理の経歴を見てたら、薩長」の回答画像8
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主に西の諸藩が徳川を滅ぼして政権を分捕ったのが新政府。

そもそもが武士の世なんちゃらというのはお題目の一つで、支配者が徳川から薩長土肥に代わっただけ。そのうち薩摩は海軍、長州は陸軍の実権を握るようになった。土佐肥前はそれ以外の上層部の地位に。単純にそれだけのことですよ。
 ちなみに武士っていうのは武官ではありますが唯一無二の施政官でもありました。政治家になるのは必然といえば必然。
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