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縄文時代の雪国について

昨日、北海道・北東北の縄文遺跡群が世界文化遺産に登録内定という報道がありました。

歴史の教科書でも有名な三内丸山遺跡は青森市にありますが、かの地は冬になると極寒の雪国ですよね?

雪国は気候が厳しいだけではなく、食糧の生産、確保という点でも、温暖な地域に比べると不利なような感じがするのですが、どうして雪国で文明が発達したのでしょうか?

A 回答 (4件)

> 雪国は気候が厳しいだけではなく、食糧の生産、確保という点でも、温暖な地域に比べると不利なような感じがするのですが、どうして雪国で文明が発達したのでしょうか?



どこかで、マンモスを狩る人々という絵を見たことはないでしょうか。
エスキモーも海獣や魚、獣類を主要な食糧にしています。
昔は、「農耕」ではなくて、「狩猟採集」なのですが、狩猟採集では草原よりは森林地帯の方が都合がよいこともあったでしょうし、海や川から獲物を得るには海流の状態が大事です。

> かの地は冬になると極寒の雪国ですよね?

以前は、現在よりも気温が高く、東北や北海道の辺りは、海の魚、海獣も、栗などの堅果は貯蔵も容易で栄養価も高くて、かなり重要な食糧でした。
気温の推移のグラフが下のサイトにあります。
https://jomon-japan.jp/learn/jomon-prehistoric-s …
下の説明もわかりやすいです。
https://plaza.rakuten.co.jp/odazuma/diary/201603 …
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九州では大規模な火山噴火が繰り返し発生して、度々西日本は壊滅的な被害を受け、ほぼ無人の荒野だったそうだ。

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雪国と云うのは、春から秋にかけて、通常の雨以外に「山からの雪解け水」がありますので、日照り続きでも干ばつが少なく、非常に植生に恵まれ動物も暮らしやすい地域なのです。

平地があれば農耕にも都合が良い土地柄です。このように食料事情が安定しますので、文化も育ちやすいのです。

日本で縄文後期や弥生初期にクニが発達し、強国を形成したのは、出雲(島根県)や越(北陸新潟)など日本海側の雪国でした。大国主は出雲から硬玉(硬質のヒスイ)の産地で非常に豊かだった越の国を制圧し、畿内になだれ込んで「大国」の主になったので「大国主」と称えられたわけです。

ちなみに青森の冬は寒いですが「極寒」というほどではありません。北海道よりはかなり過ごしやすい土地柄です。また夏は他の地域と同じくらい暑いですね。
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縄文時代は、今より確実に暖かかったそうだよ。



だから海面が今より高く、現在の内陸部で、海辺にできるはずの貝塚が発見されたりする。

その後の寒冷化が縄文時代を終わらせたという説があるよ。

たとえば御所野遺跡。
時代を経るにつれて大規模集落が分裂して周囲に散ってゆくさまが見て取れるという。
寒冷化によって十分な食料が取れなくなり、小規模な集団に変化し分散していったとも考えられる、そうだよ。

余計な話だけど、むしろ江戸時代。
今より確実に寒かった。
でも着物と囲炉裏だけで乗り切っていた。
どうしてそんなことができたのだろう??
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