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実存主義と科学を上手く合体させたらどうなるでしょうか?

A 回答 (9件)

新しい発明が出来ます。

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この回答へのお礼

ありがとう

新しい発明ですか。何が発明されるのでしょうか?

お礼日時:2021/06/25 19:58

宗教になる。

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この回答へのお礼

ありがとう

実存主義自体が宗教のようなものですからねえ。

科学を兼ね備えると 何か出来そうな気がしますが。

お礼日時:2021/06/25 20:00

お礼について<実存主義自体が宗教のようなものですからねえ。

科学を兼ね備えると 何か出来そうな気がしますが。>

思想を科学するのは、思想を補強する後付け科学になってしまう。
つまりキリスト教における「神学」のようにしかならない。

「後付け科学」とは「結論ありきの学問」という珍妙な学問になるが、これは宗教そのものだ。

科学や学問とは、「枠」に捉われずに自由に真理を探究するもの。結果として実存主義を真っ向否定する結論が出る可能性だってある。
それを特定の「思想」という「枠」にに結びつけて科学するのは、宗教的似非科学だ。科学を冒涜する行為だ。

結果として実存主義の一部に結びつくことはあっても、最初から実存主義ありきでは科学とは言えない。
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この回答へのお礼

ありがとう

科学の分からない事を実存主義で補うのです

補い合うのです。

そうすれば本当の人間が見えて来るかもと 質問してみたのです。

お礼日時:2021/06/26 11:54

実存主義(化学的考察なのでは)?

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この回答へのお礼

ありがとう

実存主義が化学的考察なのですか

あまり聞いたことないですが

実存主義はキルケゴールやニーチェ ヤスパース ハイデッガー

サルトル 等の哲学です

自分を中心に哲学されているように思えます。

お礼日時:2021/06/26 18:23

誤。

実存主義(化学的考察なのでは)?
〇実存主義(科学的考察なのでは)?
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この回答へのお礼

ありがとう

科学的でしたか 先に読めばよかった。

実存主義が科学的考察なのですか?

そうかなあ

科学的というのは 測定し 考察し 仮説を立て 実験し証明することです

ちょっと違うような気がしますが。

お礼日時:2021/06/26 18:27

お礼について<科学の分からない事を実存主義で補うのです。

補い合うのです。そうすれば本当の人間が見えて来るかもと 質問してみたのです。>

科学を補ったり、補い合えるのは科学だけです。
思想で補えるわけがない。思想で補った瞬間から、それは科学ではなくなる。科学モドキの宗教になる。科学で偽装した宗教になる。そこには何の真実も無い。存在するのは客観的データに基づく分析ではなく、思想の主張に基ずく解釈だけだ。
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この回答へのお礼

ありがとう

科学を補うのではなく 科学が扱わない哲学・思想・心の問題を

補えたらいいのかなと思ったのです

大まかに言えば 本当は科学の足りない部分を哲学が補わなければ

ならないと思います。 科学万能ではないのです。

お礼日時:2021/06/26 18:50

お礼について<大まかに言えば 本当は科学の足りない部分を哲学が補わなければならないと思います。

 科学万能ではないのです。>

そういう意味の「合体」というか、補完ならまだ理解できる。
しかし、実存主義も科学と同じく万能ではない。思想は思想であって、言うだけなら簡単だが、客観的検証が非常に困難だからだ。検証不可能な思想は根源的に間違っている可能性も秘めている。
ただ科学的解明の「仮説作り」という意味では、意味があるかもしれないという感じもしてきました。
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この回答へのお礼

Thank you

思想は間違ってるものも多いでしょう。ただ思想や新しい分野を生み出すべきは

哲学であると思うので 実存主義というものがわかりやすいかなと思いましたが

科学の扱わない分野 文系ですねえ 心理学から法学、経済学、芸術等々

その様な分野を活かすための働きとしての哲学が必要だと言いたかったのです

実存主義は主観の極です 科学は客観の極みです その二つが補い合えれば

人間の精神世界は改善されるのではないでしょうか。

お礼日時:2021/06/26 20:57

お礼について



<実存主義というものがわかりやすいかなと思いましたが科学の扱わない分野 文系ですねえ 心理学から法学、経済学、芸術等々その様な分野を活かすための働きとしての哲学が必要だと言いたかったのです>
→心理学、経済学、芸術、音楽(特に作曲)は、数学や科学的手法を取り入れている。まだ不完全だが少なくとも理論的には客観性があるので万人に同じように教育を施すことができる。ゆえに大学等の教育機関で万人が同じ教育を受けることが出来る。
特定の思想や宗教をそれらの分野に押し付けることは、それらが主観性しかないゆえに、個人的に取り入れることは許されたとしても、それらの学理的研究には邪魔になるだけだ。

<実存主義は主観の極です 科学は客観の極みです その二つが補い合えれば人間の精神世界は改善されるのではないでしょうか。>
→あなたは実存主義を哲学というよりも宗教のようにお考えのようだ。
他の思想・宗教のすべてを実存主義の下に見ているように感じられる。そのうち、他の思想・宗教を駆逐すべきとでも主張しかねない危険性を感じる。

あなたが実存主義を個人として信奉するのは、間違いとは言わないが、他の思想・宗教を「主観の極み」と信奉している他人はこの世に溢れている。先ずは、あなたもそういう類のヒトと同じであることを認識すべきだろう。
すべての思想宗教は批判も受けているが、さまざまな師匠宗教を信奉しているヒトがいるのだから、当然のことだろう。
あなたも、そこまで実存主義にはまり込んでおられるのなら、実存主義も誕生以来、多くの批判に晒されていることはご存知だと思う。
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この回答へのお礼

Thank you

成る程

しかし私は実存主義が好きなのではないです。間違っていると思っています

ただ主観の代表として挙げたのです

言いたかったのは 科学というのは客観的であり 人間は主観的に考える

その釣り合いと言うか 補い合いを上手く出来ないものかと言うことです。

宗教というものも実際に人々に影響しています

宗教統一を考えても 主観と客観の調和というものが必要なのではないだろうかと思ったのです。

ありがとうございます。

お礼日時:2021/06/27 19:25

お礼について<しかし私は実存主義が好きなのではないです。

間違っていると思っています>

成程。良くも悪くも妙な人ですね。実存主義を「主観の極み」と仰るので、実存主義を絶賛しておられるのかと勘違いしておりました。

<宗教統一を考えても 主観と客観の調和というものが必要なのではないだろうかと思ったのです。>

異なる主観の競合同士である宗教の統一なんてできるわけがないし、すべきでもない。
それこそ思想と信条の自由という、人類の寛容と平和的共存の努力を無視する抑圧の独裁的危険思想ではありませんか。

お疲れ様でした。
こちらこそ有難うございました。
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