【大喜利】【投稿~10/21(月)】買ったばかりの自転車を分解してひと言

私的言語論

( ̄~ ̄;)

これって個性てな話になるのかな?

私的な感覚って
他人には理解されないから他人であって

私的な感覚って自分自身で認識してても、昨日の自分が気が付かなかった事なんかを今日の自分は認識したりしますもんね

なら、未来の自分を認識することは不可能な話であって

過去の自分を認識してるような私的な感覚でしかない!

個性や性格なんてな話も
過去の自分や今日の自分、はたまた明日の自分なんて認識してるつもりだけであって

何かしらを明確に認識しておきたいから
私的言語てな認識にしかならないのか?

共通言語てなものを、自分も他人も
どこかで私的に変換してる可能性はあって

私的変換の誤差が小さいと、社会に順応出来てて
私的変換の誤差が大きいと、誤差と呼べないくらいの大きさだと

社会に適応出来なくなってしまうのかな?


( ̄~ ̄;)社会に適応てな言葉じたいが
私的に変換されてしまうから

なんとも質問しにくい話なんだけど

なんかそんな感じの質問ですよ

新型コロナやオリンピックなんてな話も、私的に変換されてるのか、マスコミなんかに植え付けられてるのか?

なんてな事を考えてたら、こんな質問になってしまいました

私的言語論から私的な感覚

人って個性的であるからこそ、謎が多い生き物ですね

(  ̄▽ ̄)にっこり

質問者からの補足コメント

  • 続きです(  ̄▽ ̄)にっこり
    悩み、考えるからこそ
    色んな人から学び、色んな人から学ぶからこそ
    さらに疑問が増えていって!
    疑問の無限連鎖なんかもあって
    とくに、感性や感覚、個性的な発想などなど、言うなれば思い込みみたいな事柄までも含んでしまうんですけどね
    思い込みだから意味がないと
    切り捨てられたら
    続く2

      補足日時:2021/07/07 03:58
  • ( ̄~ ̄;)それって何の為に思い込むのか?
    何の為に悩むのか、考えるのか!
    他人や社会にとって不要な事柄なのかも知れないけど自己の存在定義においては必要な事柄ですもんね
    言うなれば、緊急事態時の不要不急の定義みたいな話でもあるんですけどね
    ( ^∀^)(笑)
    自分は人間なのだけれど、人間は信用できない
    この矛盾にたいして自分は何か特別な存在と幻想や幻を作り上げてしまう
    権威やAIに対抗するために陥りやすい衝動みたいな感じもあって
    ワシの場合、愚か者の烙印を打ち付けることで回避してますよ
    たんなる逃げの理論かも知れないですけどね

      補足日時:2021/07/07 03:58
  • bragelloneさん宛の捕捉
    白人との対立路線に入ったマルコムXなんだけど
    白人や黒人などの認識が差別の大元だと気づいて、人間って1人・1人が違って当然だと、問題は人種ってより個人・個人が問題である
    そんな感じに路線変更したけど
    最後には、元の仲間に(白人との対立路線派)殺されてしまう

    なんでマルコムXは、元の仲間に伝えきれなかったのか?
    ここら辺から私的言語てな考え方を取り入れたしだいですよ
    価値観の違いってな言葉でしめるより
    他人とのコミュニケーションのありかた
    見えるのも、見えないもの(白や黒)
    人種差別と個人なんてなのも、個性や価値観、深く考察してるしだいですよ

      補足日時:2021/07/08 03:50
  • 返礼遅れてm(._.)mでした

    仕事がやすみだったので、リフレッシュさせてもらってましたよ

    仕事の合間に、疑問に悩む
    ワシの生活模様なので御容赦くまさいませ(  ̄▽ ̄)にっこり

      補足日時:2021/07/11 03:50


  • ちょいとお勧めの動画です
    (  ̄▽ ̄)にっこり

    現在のアメリカ社会の1面であって
    社会や家族、特に我が子の思考や信条を守る母親のタタカイカタかたには
    圧巻とさせられましたよ

    個性や人柄など個を考えるワシにとって
    国が違えば文化も違うことを
    再確認させてもらえた動画でしたので
    人の思考とはΣ(゜Д゜)なんなのか?
    力強く弁舌を奮う姿を拝見しながら
    謎は深まるばかりですね

      補足日時:2021/07/12 14:15
  • 続きです(  ̄▽ ̄)にっこり

    なんの確証もなく、こういった事柄が個性的だよねとおもってるだけの話でもありますねそうなると、人間は人間でしかないから共通性や個性なんてなものは
    幻想でしかないてのがbragelloneさんの捉えてる回答でしょうか?

      補足日時:2021/07/15 03:34
  • 回答はちゃんと読ませて貰ってます

    何かしらの答えが掴めそうなので
    お礼は遅くなります

    お許しをm(__)m

      補足日時:2021/07/15 03:48
  • bragelloneさん
    神論や存在論のに対するお礼は
    時間をちと頂きますね
    m(__)mちと頭の中をせいりしてみますね

    横でかんがえてたから
    縦でかんがえるのは

    ( ̄~ ̄;)難しいです

      補足日時:2021/07/18 03:56
  • 立花孝志さんと
    立花隆さんとを

    取り違えてました
    m(__)m

    bragelloneさんご心配なさらなくて大丈夫ですよ

    質疑応答が楽しめてますので
    (^人^)感謝してますよ

      補足日時:2021/07/18 05:23

A 回答 (74件中61~70件)

知性は感性(感情・感覚)と理性で構成されています


感性(感情・感覚)と理性の関係については図で表すと【◎】となり内側の○が感性で外側の○が理性となります。
図が示しているその関係性は
行動(反応・反射含む)の基本的なトリガーは感性でありそのフォローをしているのが理性だと言うことです。
即ち意思=決定は感性が担いその意思=決定に対して社会との折り合い等をつけるのが理性です。
言語は社会との折り合いそのものであることから言語は理性よるもので、感性は本質的に個そのものであることから社会との折り合いそのものである言語は関係ないのです。感性はまさに社会との関わりの範疇外でそれはつまり内的=私的そのものなのです
上記を具体例を上げると
例えば
熱いと言う経験をする
    ↓
感性によってそれが処理される
    ↓
その処理結果が理性で言語されて「熱い」と表現される
となります
ここで注意すべきは感性で処理されている段階ではその処理結果は言語化されていないこと。加えて物質は相対的かつ不確定的であることから物質で構成されている脳神経細胞もまた相対的かつ不確定的な処理をします。それによって同じ経験をしたとしてもその処理結果は個体間で違いが生じるだけでなく同一個体内においても違いが生じる場合があるのです
その為に内的=私的である他人の感性を想像することはできても真の意味におい理解すること出来ないのです
因みに感性の役割や感性と理性との関係性を正しく理解していない人達がいるのは事実ですね
人は社会を構成する生物種であり故に社会を適切に維持していく為にも互いに相手を理解し合う努力が必要であるが互いに相手の感性を真の意味において理解出来はしないのだからそれぞれがそれを言語化して相手に対して理解を求めていく事が必要なのです。
それが私的言語がないその理由です
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この回答へのお礼

感性の働きを私的言語として
表してたら、どうでしょうか?

言語とは他人とのやり取り

感性は自分とのやり取り

自分と自分とで何かしらのやり取りがなされてるのは事実だから

存在しないであろう、私的言語を想像するのは面白い発想だとは、ワシ的には思ってますよ

自分自身でやり取りできてる事実を、あえて言葉に表してると捉える感覚って

認識することもできない架空の言語領域としたら

嗅覚の謎なんかも、楽しめるのかもしれないですね

嗅覚って、ダイレクトに脳みそに働きかけるから

視覚や聴覚よりも、優れてるてな話なんかもありますもんね

お礼日時:2021/07/11 03:48

★ (№11お礼欄) ~~~~~~~~~~


箱の中にカブトムシが入ってる事実は本人しか確認できない

確認できないけど、相手にカブトムシが入ってると伝える努力ってのは

大切ですもんね

でも、クワガタやゴキブリである可能性ものこされてて

人は人を信じていいはずなんだけと
鵜呑みや過信してはいけない


なんてな捉え方をしてますよ
(  ̄▽ ̄)にっこり
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ わしやけど。。。。さん。当たり前ぢゃん!――とお返ししてはダメなの?
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この回答へのお礼

続きですよ(  ̄▽ ̄)にっこり
実際に現代になっても、音しどころが見つからなくて
右往左往してるのが事実ですもんね
人間って共存するために共闘してしまう
矛盾した存在であるから、やはり愚かであるのは事実なのかと思いますね
愚か者だからこそ、考えるべきであって話し合うべきなんだけど
考えたり、話したり
毛嫌いする人は、【おかしい?】てな考察て考えや対話を終えてしまうのが
鼻つまみ論で述べてた話に戻ってしまいますもんね

【当たり前じゃん】

そうなんですよね、当たり前の事すら
鼻つまみ論や、【おかしい?】てな考え方が罷り通ると!

思考の停止や停滞なんかがおきて!

新型コロナの話なんかも
ワクチンを打つのが当たり前のこと!

みたいな話が罷り通ってて
( ̄~ ̄;)個人の選択に任せられてる事実を忘れてしまってそうなのか?

((((;゜Д゜)))怖いんですよね

個人の選択に任せる!
てな事なら、個人で確りと考える

考えた上で判断する!

ここら辺が、当たり前の事なんだけど
何故かワクチン推進派・ワクチン反対派の二極化に陥ってるのも!

変な話だと思ってるんですよ
(  ̄▽ ̄)にっこり

4回も接種した人まで出てきて、もう~訳のわからんワクチン話が、ちょっとマイブームにもなってますよ

お礼日時:2021/07/11 03:41

★ (№10お礼欄) ~~~~~~~~~~~


白人社会で温かく迎えられてる現実と黒人である堅実と、マルコムの将来を思っての先生の善意ある返答と!

なんかやるせない思いがマルコム少年をかえてしまったのは事実みたいですもんね

黒人や白人なんてな差別が、個人や個性などなど吹き飛ばした話であって

個性とはなんぞや!
再び考えさせられる切っ掛けにはなりましたよ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ そうですね。哲学は 最弱の小心者に成って何とかみづからをすくう理論的な命題を見つけようとしますし あるいは逆にどこから見ても鼻つまみ者として大胆な問題提起をやったりします。


時代と社会の文化的歴史的な違いがひじょうに大きいのですが それでも蛮勇をしぼって言うとすれば マルコム氏〔や黒人一般〕の置かれた情況というのは かつての女性差別が当たり前の世の中に生きた女の人たちと同じようであったのではないか。



その文脈にあって《さとりを得た》女は まづその不条理極まりない世間のありさまをそのまま受け留めて その上でどうするか? 何が出来るか? と考えそれぞれ最大限の自己表現をおこなって生きた――はずです。

非戦論ですね。



むろん――時代が時代である場合には―― 主戦論もあり得たのでしょうが けっきょく歴史の大きな流れとして(つまりは 人間性の落ち着くところとしては) 非暴力であり民主主義なる話し合いの道です。



さとりを得た女は 敵を敵として大前提におく路線からは自由になり それでもじっさいには目の前にいる敵〔である男社会〕については 現象としてなお敵であるその毒を おのれのさとりの智慧と愛という解毒剤で乗り超えようとした。

何百年も何千年もかけて。人間の平和主義なる戦士です。


あたかもハンニバル作戦。フェビアン主義。(その中身は別として 長期的な視点に立った路線の形式として)。







★ 個性とはなんぞや!
☆ 人間性のどうしても帰着せざるを得ない道 この道をゆくときにこそ おのおの個性は個性として発揮され得る。と見ます。


相手と敵対する関係にある道を突っ走っていては 個性など発揮し得ません。

せいぜい愚痴を並べるだけであり その《愚痴の吐き方に個性があった》としても うしろ向きの自己表現の仕方の展覧会であるしかないでしょう。

日本に対する韓国のふるまいの仕方です。




ベトナムが戦争という状態に入らざるを得なかった限りで ゲリラ戦をたたかう道は かろうじて人間性の自己防衛として成り立つかも分かりません。

もしそれと同じような弁解を求めるとすれば――マルコム X は―― 黒人によるイスラム共和国が 敵対する白人の諸国とどうしても戦争をせざるを得ないと捉えた場合をうったえるということでしょう。


そしてその場合には パレスティナにおける《イスラエルとアラブとの共存》を模索するひとつの思潮と同じようにして 《白人と黒人との共存》の道をあゆもうとするいまひとつ別の動きとの話し合いが 欠かせぬ課題になっていると思います。


虐げられて来た女の智慧というものが マルコム X には なお感じられません。というわが暴言です。
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この回答へのお礼

鼻つまみ者論(  ̄▽ ̄)にっこり
言えてますね、人は自分の理解不能な自事象や理論に対して、直ぐに【おかしい?】と疑問を持つのですが
疑問に対して精力的に考える人なんて極希であって
【おかしい?】てな疑問をおかしい人みたいな異質な存在として否定的に捉えますもんね
特に和を持ちたがる日本人的な感覚や、目立つ事を嫌う日本人的な感覚なんかだと!
何かしら否定を述べるにしても、熟考して理論だてするよりも
安易に仲間を募り、鼻つまみ者を作りたがる習性みたいなものを感じたりしますよ!
人種差別と性別差別
性別差別は人種差別よりももっと深く交わってる面なんかを感じて
差別することと区別することが、混ざりあってて、女性のしたたかさなんかを考えると!差別や区別を受け入れて共存したり、利用したりしてる面も感じますね
一部の過激な性差別を訴える人なんかは、一方的に被害者意識を騒ぎ立てて
( ̄~ ̄;)共存出来ていたところまで差別だととりつく島がないので
ここら辺の差別問題の話なんかも、個人の考え方や個人の在り方を無視して
男女平等を唱え出してて
男性や女性の在り方や存在意義って
杓子定規で語れないはずだとワシ的には思ってますよ
でも、国や行政・会社や学校なんてな人の集まり社会においては
何かしらの指針が必要なのも現実的な話であって
すべて個人に任せる訳にも行かないのが現状みたいですね
ベトナム戦争のゲリラ戦は、大国を退けた稀有な戦法であって
bragelloneさんの言われるように
人の叡智なんだなぁ~とは思いますよ
戦争を肯定するのは憚れますけど、歴史的に考えると大国に呑み込まれないための小国の在り方!
徹底抗戦!抗う姿勢には、世界中から反戦運動が起きたのも納得しますもんね
マルコム氏の生き様と、運動内容てのを考えたとき
bragelloneさんの言われるように、女性の持つ叡智てなのは感じられない
それは確かですよ、白人と黒人が共存出来てなかった時代だからこそ
叡智が育たなくて、存在の音しどころがなかったのかなぁ~( ̄~ ̄;)とはとは思いますよ

お礼日時:2021/07/11 03:35

★ (№7お礼欄) 言語ゲーム(箱の中のカタツムリ)



☆ お察しのようにわたしは ヰトゲンシュタインのよき読者ではありません。歯が立たないところがあります。



ところが・ですが・けれども 次のような評言を聞くにつけても いったいどういう狙いなのか? 捉え得ないところがあります。

▲ 思考実験「箱の中のカブトムシ」とは? ~~~
https://zunolife.com/beetlebox/

感覚や感情などの、自らしか理解できない私的な体験について言語化することは不可能である、ということを示唆しています。

思考実験「箱の中のカブトムシ」は、「自意識を共有するため〔の〕言葉とは無意味なものなのではないか」と考える哲学的な問いです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ ヰトゲンシュタインの楽しみ方 これをぜひ伝授してください。
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この回答へのお礼

bragelloneさん
トゲンシュタインは楽しんでないですよ

楽しんでるのは、捕捉に書いた内容ですよ
キング牧師が箱の中に見つけたカブトムシと
マルコムXが箱の中に見つけたカブトムシ

お互いに話し合う1週間前に、マルコムXは銃弾に倒れてしまったから

叶わぬ夢になったみたいなんですけどね

箱の中にカブトムシが入ってる事実は本人しか確認できない

確認できないけど、相手にカブトムシが入ってると伝える努力ってのは

大切ですもんね

でも、クワガタやゴキブリである可能性ものこされてて

人は人を信じていいはずなんだけと
鵜呑みや過信してはいけない


なんてな捉え方をしてますよ
(  ̄▽ ̄)にっこり

お礼日時:2021/07/08 04:00

○ 「語りえないことについては人は沈黙せねばならない」


" Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen."

☆ ちょっとはっきりとした揶揄(からか)いの悪意のもとに 揚げ足取りを敢行します。


1. そもそも《語り得ないこと》なら 《沈黙するしない》に関係なく 何も言葉に出したコメントはしていないし 初めから し得ないはずだ。


2. 《語り得ない》という表現では 哲学として失格である。

《〈語り得ない〉と証明されたこと》を言うのか? 

あるいは 《私的な主観としてこれこれは 語り得ないと思っていること》なのか? 



3. でもこの後者は 何の意味もない。

《これこれ》が もし明確な感覚としてあるものだったら その感覚をあらわす言葉は なにがしかあるはずです。

だから これこれの感覚として取り出したときには すでに何がしか語っているのであって それでもぴったりとした言葉が思い浮かばない――と言っているはずです。

言葉はもとより感覚としてもまったくはっきりしないことであれば そもそも《これこれ》という取り立ては できないはずです。



4. 《〈語り得ない〉と証明されたこと》は 不可知と名づけられた概念です。

5. そして 《語り得るか語り得ないかが 語り得ないもの》は 非知です。絶対性のことです。
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この回答へのお礼

自分だけにしかわからない感覚
黒人と白人の対立の歴史から
黒人差別などなど調べてて
キング牧師と同じ時期に活動されてた
マルコムX
他の方の御礼にも書かせてもらったんですが!
マルコムXの人生が波瀾万丈でね
アメリカ南部の黒人社会な色の白い白人として生まれたんですが!
子供の時に、父親が事故死にあって(変死なんだけど、黒人が車に引き殺されても、その当時の差別社会だと警察の捜査の結果は事故死になったみたいです)
父親の死後、過程崩壊してしまい
マルコムXはアメリカ北部の白人社会の養子として引き取られて
黒人差別が激しいじたいだから、白人社会で酷い差別に合うのかと思えば
裕福な白人社会のなかでは、差別や偏見なんかまったくなく、クラスの人気者として温かく迎えられて幸せに暮らしてたんですが、とある出来事から人生が大きく代わってしまうんですよ
中学の先生と授業のなかで、将来の夢について話してるときに
「マルコムは将来なにになりたい」てな先生の問いかけに
「将来は弁護士に成りたいと」胸を張って答えた、夢大きい少年マルコムだったんですが!
そのあとの先生の返答から、悲劇は始まるんですよ
「マルコム、現実を見た方がいいよ、お前はクラスの人気者だけど黒人が弁護士になるなんて夢をみるよりも、クラスのみんなが誉めてくれる日曜大工なんかの方が、将来のマルコムにとっては有意義になるよ」
こんな感じのやり取りだったとおもいます(うろ覚えでm(__)m)

白人社会で温かく迎えられてる現実と黒人である堅実と、マルコムの将来を思っての先生の善意ある返答と!
なんかやるせない思いがマルコム少年をかえてしまったのは事実みたいですもんね
黒人や白人なんてな差別が、個人や個性などなど吹き飛ばした話であって

個性とはなんぞや!
再び考えさせられる切っ掛けにはなりましたよ

お礼日時:2021/07/08 03:43

続きです


「脳内情報」や「脳内処理」を「言語化」する時点で「自分自身が理解する」のと「自分以外の他人が理解する」事が同時に行われのです(想定として)
ですから自分だけ理解し他人が理解出来ない私的言語は元来ないのです
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この回答へのお礼

自己が認識出来ない言語

って捉えるのか

自分勝手に言語を認識してるのか?

てなてな話になりそうで

前者だと、自己で認識できないなら
存在の否定で終わってしまう話であって

後者でとらえると

有名な命題の言葉である

共通言語を
「人を殺してはいけない」

この共通言語から
個人・個人で何故に殺してはいけないのか!

沢山な共通言語で理由や根拠が述べられるけど

人って言葉の認識を、その人がどう捉えるのか!
人でなかったら殺していい
人だと認識しなかったら殺していい
なってきたりしますもんね
また、殺さない程度なら殺していい
バレなきゃ殺していい
などなど((((;゜Д゜)))
社会性からズレてたり、外れてたりする場合なんかも考えられますもんね

言語じたいが社会性の基本であって
社会性のない言語って言語だと言えないのは事実なんだけど

言語が変化する事実をかんがえたら
若者言葉で【ヤバイや糞】なんが意味を転じて使われたりするから

ここら辺をかんがえると、まったく私的言語ってのがないと切り捨ててしまうのは( ̄~ ̄;)もったいないんじゃないかとも思ったりもするんですけどね

私的言語を共通言語化した人が現れて、賛同や共感されて広まっていき
いつしかその言葉が市民権をとってしまう!

けど、言葉の市民権って意外と簡単に剥奪されたりするから

流行りや廃りってのも考慮しなきゃならないとは思うんですけどね

(  ̄▽ ̄)にっこり

お礼日時:2021/07/09 03:56

私的言語 private language】


ウィトゲンシュタインが《哲学探究》で用いた重要な概念の一つで,感覚,感情,意志,思考といった内的な体験をまったく自分だけのために記録する言語を想定して名付けた。この言語に属する単語は内的直接的な現象のみを指し,外から観察できる表情や動作とは無関係に意味がきまっているので,他人には通じない。ウィトゲンシュタインによるとこの虚構の言語は,他人が理解できないだけではなく,実は用いている当人も〈理解しているようにみえる〉だけで,元来〈言語〉の名に値しない。
との事
そもそも脳に届いた「感覚情報」は霧の如く「不明瞭」で「不明確」です。
「不明瞭」で「不明確」な「感覚情報」を「加工処理」して「明瞭明確な感覚」にします。
「明瞭明確な感覚」を理解する為の手段の一つが「言語化」で,「言語化」とは「脳内情報」と「言語」との「紐付け」の事です。
これは「意思」や「思考」といった「脳内処理」についても言えます
要するにはあらゆる脳内情報や脳内処理を自分自身で理解する為に「言語化」するのです
ですが言語化することでそれらを自分自身で理解したとしてもその理解が正しいと言える「保証」はありません。なぜならそれらの基盤である「感覚」自体が自身の都合に基づく「加工処理の産物」だからです。 
この「保証」は誰がするのか?それは「自分以外の他人」なのです。
「自分以外の他人」が「自分」と同様に「理解」することで「自分自身の理解が正しい」と保証されるのです
それを踏まえるならば「言語」とは「自身を理解」が正しいと保証するために「他人に理解」してもらうためのツールです。
ウィトンゲンシュタイン氏は「私的言語」は言語に値しないと延べていますが上記を踏まえならばそもそも「私的言語」は無いとなります
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この回答へのお礼

思考実験や仮定の為に、創られた言葉と言うことですね
(  ̄▽ ̄)にっこり

あの当時に現代ほどの観察器材があれば、わざわざ創ることもなかったのは事実であって
現代の大脳生理学の基礎を担ってるのは、過去の偉人たちのお陰でもありますもんね

なら大脳生理学てきにとらえた時に
脳内での情報発生や、脳内での情報伝達などなど考えてみると

個体差ってどれくらい発生してしまうのか?

ワシが観たものを脳内で情報として発生させて、脳内で伝達して認識してる

この流れを、ムカリンさんの脳内に同じように流した時に、ちゃんと情報として認識されるのか?
疑問に思ってしまいますもんね
例えば、ワシとムカリンさんが、富士山なんかを肩を並べて眺めてみても
脳内での情報の発生から、脳内での情報の伝達まで、同じ人間だから互換性はあるとおもうけど
まったく違うものなのかも?

ファミコンとスーパーファミコンくらいちがうのか?
それか、ファミコンとプレイステーションくらいちがうのか?

ちょいと例えがオタクぽいけど許してね
(  ̄▽ ̄)にっこり

さらに突っ込むと
何故に脳内に情報が発生してしまうのか?
生きてる限り脳って活動を停止しないから生きてる証拠としかいえなくて

脳内に情報が沢山発生してても
痛みやかゆさみたいに、皮膚感覚の痛点みたいな認識がされないから
面白いはなしですもんね

私的言語、情報の発生や整理、伝達として捉えると

他人には意味がなく、本人にも意味がないのは事実ではあって

特に、社会なんてな人の集団を考えてみると

切り捨てられやすい、感情や個性なんてなことなのかと思ったりもするんですよね

私的言語を持ってると認識出来ないけど
私的言語をもってる生き物だと認識しないと

私的な感性や感情って
社会から抹殺されてしまうのかとも?

庶民や大衆を家畜にしたいのか?

なんてな暴論をつけたしたいですね

お礼が遅れてm(__)mすみません

質問の対応はゆっくり楽しませてもらってますのでお許しくださいね

お礼日時:2021/07/09 03:34

★★ (趣旨説明欄) ~~~~~~~~~~


共通言語てなものを、自分も他人も
どこかで私的に変換してる可能性はあって

私的変換の誤差が小さいと、社会に順応出来てて
私的変換の誤差が大きいと、誤差と呼べないくらいの大きさだと

社会に適応出来なくなってしまうのかな?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ 《私的変換》と言っても 事実や発言についての認識とさらにはその良し悪しについての評価をふくむ解釈のことです。つまり むろん主観のことです。

ですが どうして――ヰトゲンシュタインだからなんですか―― こんな単純なことを 複雑にして議論するのか。わたしには分かりません。

認識と解釈――そういった主観――は すべて・つねに中身で勝負です。それ以外にありません。

自分だけにしか分からない言葉だの 自分にも分からない感覚だのと どうしてそんなことで時間をつぶすのか。まるっきり分かりません。


共通言語に順応しなくてはならないわけではありません。社会に適応したくなければ それは 自由でしょう。

この《そもそも論》から何故出発しないのですか? わしやけど。。。。さんとあろうお方が。




ただの印象批評になりますが ヰトゲンシュタインは 滋養がすくないです。はっきり言って おかしい。
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この回答へのお礼

bragelloneさん、ガッカリさせちゃいましたかΣ(゜Д゜)
何故にトゲンシュタインなのか?
たまたまたどり着いたのか、ネット特有のビックデーターからの推薦なのか?
そこら辺はハッキリとはしないんですけどね
私的言語論ってな駅に停まってる状態ですよ(  ̄▽ ̄)にっこり
私的言語ってなのをワシなりに考えたときに、共通言語を話すための道具ってな捉え方をしてるんですよね
その私的言語なる道具をどうやって獲得したのか、また、その道具をどうやって磨くのか?
なんてな疑問を持った時に、他人とのコミュニケーションが私的言語の獲得や研磨に役立ってるのではないかと!
いくら共通言語を学んだところで、元になる道具が錆びてたりしたら
他人とのコミュニケーションってよりも
共通言語をなぞってるだけの会話になってしまいそうですもんね
ワシやbragelloneさんのように多弁な人からしたら、私的言語が磨かれ過ぎてて共通言語を使う道具としての役割を果たしてないときもあるのかも?
自己の経験や知識・感性からなる哲学を語るときに必要な道具のはずであって
個性や性格・主観てなbragelloneさんの見立てと同じだと思いますよ
言葉として現すときに、言語や道具てな使い方をするほうが
主観の違いってよりも、道具の違い
なんて捉え方ができますもんね
ネジを回すドライバーって
プラスもあれば、マイナスもあって
大小さまざまなドライバーがあるからそんな感じでもあって
人に寄っては、金槌であったり!ペンチであったりもしそうなんですけどね
他人とのコミュニケーションを図るときに、共通言語てな道具を使ってるはずなんだすけど
仮にドライバーだとして考えてみて
話し手がプラスのドライバーで、聞き手のマイナスのネジをいくら回そうとしても、ネジにドライバーを差し込むことすら出来ないですもんね
私的言語と共通言語
分けて発想してるところが、たまたまたどり着いたときに引っ掛かり
写像理論や言語ゲーム(箱の中のカタツムリ)みたいな話が!ちと面白かったですよ
語れぬものを語らない世の中から
失なってしまったものもあるのは事実であって
愛や夢・幸せなどなど
目に見えないものをすぐに貨幣価値に置き換えてしまう事象って(現実主義者なのか?拝金主義者なのか?)
語らない結果おきてしまったのかも?
なんてな考察もちゃんとしてますよ

お礼日時:2021/07/08 03:24

わしやけどさんの私の印象としては、合わせてくるのだけれど、要は何をどう考えていて、今現在どういう結論を持っているのかがよくわからない、というものがあり、少し前にこのカテによく投稿していた人によく似ているな、と。



これは私の私的言語と言えるでしょう。正確に言うと言語になっていないのです。大変に感覚的なもので私の心の中に収まっています。それを言語に訳すのに少し時間がかかります。その点は、子供のころと変わってません。ただ、訳しきれないことも多々あり、暫定的な言葉も少なくありません。

ウィトゲンシュタインはユダヤ人、裕福な家庭で育ち、あのヒットラーと同世代で同じ学校に通っていたといいます。何か運命的な出会いがあったのではないかと想像したりします。奇妙な青年であったらしいです。

まだ、ちょっと勉強しただけですが、「感覚・感情・意志・思考と言った内的な体験を全く自分だけのために記録する言語を想定して名付けた」とあるように、物事の本質はもとより、感覚、感情、意志、形而上概念に対する思考さえも、分からないこととして、哲学の研究対象ではないとしたということです。

そのことを「語り得ぬものには沈黙しなければならない」と言いました。ハイデッガーはまだ何も知りませんが、20世紀になって西洋哲学は自然科学化し、さらに偏頗なものになったと、私は思っています。

以前話をした、「感情の無視」とか「自由意思がない」とか「形而上概念」の思考停止などの弊害がある哲学だと今のところ評価しています。


>この頃の社会情勢の疑問点なんかも、他人にうまく伝わらなくて
特にワクチン問題なんか、もしかしたら私的言語になってしまってるのか?
Σ(゜Д゜)なんてこったぁ~!

そうです、一人一人の個人の感情、意志、思考など取るに足らないカスのようなものになってしまいます。
そうなると人々は何か信用できる権威あるものを信用しようとします。それが科学信仰、AI信仰になっていっている、と。

自分は人間なのだけれど、人間は信用できない。この大きな矛盾の解決には
自分は何か特別な存在であるという幻を作り上げなければならない。
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この回答へのお礼

ニャンポコリンさん
ワシの持ってる現在の結論ですか
人間は愚かだからこそ、さまざまな事から、さまざまな人から学ぶべし(盗むかな?)(  ̄▽ ̄)にっこり
私的言語論と個性ってな疑問なんですが
この前みた、マルコムXの人生の解説動画をみて思い立ったんですよね
黒人社会に生れた、色の白い黒人が
黒人差別とどう向き合って生きて死んだのか!
キング牧師と同じ時代に生きた人で
白人との共存を目指したキング牧師とは相反する、黒人による自立を目指した過激な集団だったんですけど
マルコムXは、差別の問題点は!白人や黒人てな意識よりも個人・個人の考え方が問題だと気付いて、方向転換したところ、過激な集団の元仲間3人によって殺されてしまうんでよね
( ̄~ ̄;)内ゲバなの!
個人の在り方を考えて、唱え出して!社会に対して運動をしてたからこそ、そりゃ狙われて当然なんだろうけど
なんで理解されなかったのか?
これって感覚や感性の思想や信条の問題であって!相容れないものは不要なのか?
ウィトゲンシュタインが、「語り得ぬものには沈黙しろ」なんてな言葉がから
語られたら困る者には、銃弾を!なんてな事なのかともね
ウィトゲンシュタインは
沈黙の解答を示したのは偉大な事であって
語るな、示すなまでは哲学者にとって必要な話なんだとも思えますね
でも、個人として
悩むな、考えるなとは受け取れなくて
色んな事に、悩み、考える、これって生きてく上では必要な話ですもんね
また、ワシは学者じゃないから
目に見えないものも、大いに語り、時には示して、盛大に叩かれたりするこどもありますよ(  ̄▽ ̄)にっこり
だって愚か者ですからね

捕捉に続く

お礼日時:2021/07/07 03:56

感覚は言葉で表現できないものもあれば、言葉にしておくことも可能です。


後者は比較的意思の疎通において融通が利くと思います。

前者については個々の感じ方によって変わるので共有不可能だと思います。
とくに人生で一度きりの感覚だった場合、それを脳に記憶し続けることは難しいでしょう。

●私的変換の誤差が小さいと、社会に順応出来てて
●私的変換の誤差が大きいと、誤差と呼べないくらいの大きさだと

自分はとっくの昔に誤差の修正および感覚の共有は不可能と悟ってます。
どんなに愛してても深い仲でも無理だと感じてます。

結婚相手に高望みする人に多いのでしょうが、それを求めるから誤差に落胆し不和が生じるのです。


人は永遠に分かり合えない。
これが私の結論です。
すべての人類は孤独なのです。
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この回答へのお礼

人類は孤独

通常の2倍さん
( TДT)凄い閉め方に涙がでますよ

孤独だからこそ、相手を理解したい!
孤独だからこそ、相手に理解されたい!

そういった欲求もありますもんね


わかり合えない事実を認識するからこそ

わかり合う努力を美しく感じたり
滑稽に感じたり
時には愚かに感じたり

注釈・・・個人的には人間は愚かだと思ってるから、愚かであって当然だともおもってます(  ̄▽ ̄)にっこり

通常の2倍さんが言われるように
誤差の修正を諦める方も居られてて
誤差を修正しなくても、枠内におさまってる方々って沢山いてますもんね

そもそも論を言えば、誤差を認識しない人や、社会の適応なんてな事柄を意識しない人も居てますもんね

共有不可能な事柄を、無理から共有させようとする人も居てて

また、共有させようとする行為に不快や反発を覚える人や意義を唱える人も居てて

わかり合う努力から、わかり合わない努力に変化したりしてて

根本的にはわかり合えない事実を
認識してるからこそ

わかり合う努力をしてるのか!

努力すればわかり合えるからこそ努力してるのか!

ここら辺の感性って不思議ですもんね


さらに語らして貰うとすると

わかり合えないからこそ、社会ってな枠組みをつくったのか!
わかり合う為に、社会ってな枠組みをつくったのか!

この社会ってな言葉を、他の言葉に変えても通じることが沢山あって

自分自身と他人と社会

どの視点で自分自身を覗きこんでも

同じ自分自身にみえる人もいたら

ワシみたいに、自分自身で自分自身を覗いてみてもさまざまな自分自身が見えてしまう人もいてますもんね


孤独ってな言葉にちと激しく反応してしまったんですが

こんなお礼になってしまい、御容赦くださいね

御回答ありがとうございました
(  ̄▽ ̄)にっこり

お礼日時:2021/07/07 03:17

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