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現地の、フランス人通訳の神父に対して、侍が「キリシタンめ!」と嫌がる場面がありましたが、自分達が伴っているイギリス人のアレクサンダー・フォン・シーボルトはキリスト教じゃなかったのでしょうか?

A 回答 (2件)

話しは秀吉の時代にさかのぼります。



秀吉はキリシタンを禁教にし、家康も禁教を継続させ江戸時代の日本は「キリスト教禁止」の状態をずっと続けていました。
 しかし当時から出島にはイギリス人とオランダ人が貿易にやってきて、後にイギリスは撤退しますがオランダ人は幕末まで出島で貿易しています。

これはなぜかというと「プロテスタントはカソリックのように布教しない」という取り決めがあったからで、幕末になり開港したり薩英戦争が起きたような時期にはイギリス人やオランダ人が出島よりも少し日本に入り込んでいたのですが、いずれにしても「布教活動はしない」ということで、日本滞在が許されていたのです。

またこの「キリスト教禁令」は明治になってもしばらく継続していて、本格的に明治政府がキリスト教を認めたのは明治32年になってから、明治6年の高札に掛かれた禁教令が廃止された後も「積極的に認めてはいない」というのが明治政府の言い分だったようです。

ということで、当時の武士たちの認識からすれば「布教活動をする連中」がキリシタンであり、フランスはカソリック国ですから、当然に神父がやってきます。神父がやってくるということは「布教活動をしたい」ということになるわけで「キリシタンめ!」と言う言葉にはそういう意味があります。

アレクサンダー・フォン・シーボルトはオランダ人でプロテスタント系、プロテスタントは「布教しない」のでOKでしたし、アレクサンダー自身は日本で教育を受けていますので、日本人の信頼も厚かったので「(布教しにやってきた)キリシタン」ではなかった、ということです。
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この回答へのお礼

大変詳しく書いていただき、ありがとうございます!勉強になりました。
布教の有無が重要ポイントなんですね!

お礼日時:2021/07/15 17:09

宗教を職業としている人と、一般人では違いますよね?


日本人でも、頭を剃髪し、袈裟衣を着てる人はひと目見て仏教徒(お坊さん)だとわかりますが、一般人をみてもわかりません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
もし、キリスト教徒だとしても見えるところに十字架などつけていなければキリシタンとは思わないという事ですね。
外国人だからキリシタン!と見ていたわけでないんですね。通訳とは別に、外国人とも交流していますもんね。。

お礼日時:2021/07/12 12:52

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