A 回答 (25件中11~20件)
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No.15
- 回答日時:
#9です。
>「重箱提示」というのですね。勉強になります。
意味を説明しているサイトとかありますか?
:
ひとつの文に主題が2つあるケースをそのように表現しただけで、あくまで個人的な表現です。
検索してみましたが下記の「入子構造」と同じようなものかも。
③入子構造の例文:
引用:日本エディタースクール出版部:文章作成技法:古郡延治
・私は、太郎が次郎を彼が三郎に同意したのは、花子を裏切った
ことだとして責めたことに、怒りを覚えています。
http://webnote.cocolog-nifty.com/note1/2012/05/p …
>>《わざわざガを重複させる必要はない。》
>と断定するのは筋が通らないように思われます。
気になるなら、後ろに「と思います」をつけてください。
:
人の発言は、どんな場合であれ「と思います」をつけて受け止める必要がありますので「必要はない」は即ち「必要はない(と思います)」という意味に受け止めるのが当然です。
お忘れかもしれませんが、以前から申し上げているとおりです。
断定するから筋が通らないと申し上げているわけではなく、
《わざわざガを重複させる必要はない。》という認識自体に対して「筋が通らない」と申し上げている。
> No.5でOKATさんも〈同じ助詞を重ねて使わない日本語文の自然な成り行きです〉と書いています。
:
これも断定しているいないは関係ないわけですが、その内容はシチュエーションというものを無視した短絡的で誤った認識ではないですかね?
この場合の「自然」というのは、単に、同じ助詞を重ねて使うシチュエーションなど稀にしかないのであり、そんな稀なシチュエーションを考えるのは面倒くさい、と言っているにすぎないでしょう。
斯く斯くしかじかといった特別なシチュエーションで同じ助詞を重ねる場合もあるが、特別なシチュエーションでないのなら重ねないほうが自然な表現である、といったあたりまで詰めていただきたいものです。
>当方も何十年もフツーにやっていることなでの、断定調にしただけです。
:
はい、それ自体は全然問題ありません。
《「何ガ」と「何ヲ」には違いがあるとお考えのようですが、それはどのような違いだと思われますか?》
ここが最大にして唯一の要点だったのですがスルーは残念に思います。
>特別なシチュエーションでないのなら重ねないほうが自然な表現である、といったあたりまで詰めていただきたいものです。
そんな遠大な話はどう考えてよいのか見当もつきません。
>《「何ガ」と「何ヲ」には違いがあるとお考えのようですが、それはどのような違いだと思われますか?》
>ここが最大にして唯一の要点だったのですがスルーは残念に思います。
何度も繰り返した話が気がするのでスルーします。
No.14
- 回答日時:
ところで一つ非常に気になります・
>どちらが自然に感じられますか。
この「自然」です。
自然=金貨玉条=正しい、と言わんばかりに聞こえます、そうでしょうか?。
日本で夫別姓で裁判沙汰になっています、古来いずれかの性を名乗るはあり得ても別姓はあり得ない、が当たりまえ、いわゆる自然という環境でした。
でもそれを韓国人当たりは、どうとらえたでしょう、当たり前、順当、自然ではなかったはずです。
自然に、客観的な定義はありません、相当極端な考えでも当人がそう思い込んでいれば、当人にとってはそれが自然なんです。
言葉は何かを他人に伝える、その内容によって表現が変わります。
ラジオの実況しかり、盲人の案内等、事実関係の状況伝達は「が」おおい。
交差点があります、横断歩道があります、車が通っています、信号機は赤です。
あれっ!、信号機だけ「は」になっていますね。
単なる実況中継ではないんですね、「横断する必要がある、今は赤なので渡れない」これも同時に伝えています。
言葉の使い方として、きわめて自然なんです。
私は鈴木です
私が鈴木です
このフレーズだけでは、私が・・・が使われるケースのほうが少ないのでは?。
ほかに、普通は、世間では、一般的に、・・その他、微妙な問題ではないのでそのまま通して今すが、微妙な問題がか絡むときは、そういうわけにいきません。
>自然=金貨玉条=正しい、と言わんばかりに聞こえます、そうでしょうか?
むしろ逆です。
言葉の問題で「正しい」「間違っている」と判定できることはめったにないと思います。
少なくとも当方は、よほどの典拠がないとそういうことを書きません。
たいていの場合「間違いとはいえない」だと思います。
どちらが一般的かといえばこちらが……ぐらいに考えることが多いと思います。
「自然」はそういう意味合いで使っています。
No.13
- 回答日時:
理解できているようですね。
文法が先にあり、言葉が発生したのなら、その流派の言う通りでしょうね、でも実際は言葉が先にあり、文法は後から体系づけただけ。
生物の分類学でも、最終的に遺伝子を調べれば、人間なら一卵性双生児以外は個体変異があります、逐一別に分類したのでは、分類学の意味がありませんね。
そういえば、念仏はスペースの無駄・・・と言っていましたね、同感。
>理解できているようですね。
何をですか?
>そういえば、念仏はスペースの無駄・・・と言っていましたね、同感。
ムダというか、害毒です。迷惑です。
No.12
- 回答日時:
>>一般的な文法書や辞典で、そのようなことを書いているものがあるのでしょうか。
何度言っても判らん人ですね。
現在の一般的な文法書や辞典は学校文法という形式主義的な非科学的文法論に依拠し、学生に売らんかなというもので、文法研究者が書いているものではありません。その意味でSF文法と呼ぶに相応しい内容で、それを真に受け、弄りまわしてゴミの山を築いているのに過ぎないことが理解できませんか?
>>たとえばどんな場面、前提、文脈なら〈1)政府は、何がやりたいのかわかりません。〉が自然になるのでしょうか。
1)政府は、何がやりたいのかわかりません。
は、政府、医師会、政党、保健所などが話題になっているコロナ対策などの文脈で、「政府」という特殊な機関の「やりたいこと」を取り上げる場合には自然な正しい表現で、ここで「政府が」という個別の政府を問題にし、他との比較を言及するのは不自然な表現になります。
2)政府が(、)何をやりたいのかわかりません。
は、他との比較の認識はなく、政府がやりたいことを取り上げるのであれば自然な正しい表現です。
「は」には特殊性の認識を表す副助詞と、普遍性の認識を表す係助詞があり、
地球【は】太陽の惑星である。
のように、普遍性の認識を表す場合には「である」のような判断辞との係り受けの結び付きが生まれます。特殊性の認識を表す、「は」
今日の仕事【は】辛かった。
のような場合には係り受けの関係は生じません。
>>当方は、それで文脈を予想できるような超能力はもっていません。
そんなSFじみた発想が誤りです。
超能力以前に、まともな論理的思考力を身に付け、感覚的などというSFまがいの発想を乗り越えましょう。
言語は話者の認識の表現で、対象―認識―表現という過程的な構造に支えられており、対象と場面を構成し個別の認識が表現されます。この場面が文の連なり、つまり文章として表現され文脈を形成しています。
こうした言語表現の本質を理解することなく、一般的な文法書や辞典を闇雲に信仰するSF的態度を改めることが第一です。
そのためには、まず、三浦つとむ『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫)を読み、きちんと理解しましょう。■
>現在の一般的な文法書や辞典は学校文法という形式主義的な非科学的文法論に依拠し、学生に売らんかなというもので、文法研究者が書いているものではありません。
繰り返します。
異次元のSF文法の布教はヨソでやってください。
多くの人が迷惑に思っています。
当方も非常に迷惑です。
>政府、医師会、政党、保健所などが話題になっているコロナ対策などの文脈で、「政府」という特殊な機関の「やりたいこと」を取り上げる場合には自然な正しい表現
つまり、対比する対象がない場合は不自然ということですね。それならわかります、というか大前提でしょう。
後半は例によってSF文法の念仏の繰り返しですね。
迷惑です。
世間の評判などに関しは下記をご参照ください。
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12694714951.htm
No.11
- 回答日時:
副助詞、助詞の中でも副がつくんですね。
副詞という品詞名があります、どれにも分類できないので「副」なんですね。
形容動詞→立ち居・振る舞い(時間の経過が同時に必要)
形容詞→姿形(時間の経過は不要)
論理のための論理による文法では形容動詞という品詞名は認めないっそうですね。
論理のための論理で説明しきれなくなった?ので副助詞?。
僕的・・・・なんて表現の「的」と似たように感じます。
文章の理解のためにはあまり必要なものではないと個人的には思っています。
副助詞と呼ぶ流派と、係助詞と呼ぶ流派があるそうです。
むずかしい定義ごっこは、文法辞典におまかせします。
>論理のための論理による文法では形容動詞という品詞名は認めないっそうですね
そういう流派もあるみたいですね。
認めても認めなくても、あるいは呼称をかえても、使われ方の実態には大きさな差異はないようなんで、むずかしい話は、そういうのがお好きなかたにまかせます。
>文章の理解のためにはあまり必要なものではないと個人的には思っています
当方も基本的にはそう思っています。
でも、むずかしい話を説明するときには有効なこともあるようです。
素人があまり深入りすると恥をかくだけなので、できるだけ近づかないようにしています。
No.10
- 回答日時:
#9ですが少し寄り道で。
>
①「私の〔好きな歌〕」になる文脈と、
②「〔私の好きな〕歌」になる文脈を教えてください。
:
構造的には、
①所有格
a.「私の〔好きな歌〕」
b.「駅の [ 大きな時計 ] 」
②属格主語
c.「〔私の好きな〕歌」
d.「 [ 駅の近い ] ホテル 」
といった構造の違いがあります。
その意味で念仏坊主の
《したがって、「2)駅の近いホテルです。」と同じ「の」の用法は、「〔私の好きな〕歌です。」の場合で、「私の〔好きな歌〕です」の場合は異なった用法になります。》
と言っているのも満更間違いというわけではない。
ただ、①a はかなり特殊なシチュエーションと言えるので、「私の好きな歌」を所有格と認定するのは相当無理がある。
敢えて『うんと特殊な文脈』を探すとすれば、〔好きな歌〕というものが予め設定されている状況が必要になる。
(公開放送で)
歌手:みなさんには事前に私の持ち歌の中から「好きな歌」と題していくつか書いてもらいました。
その中から、今日はこの「〇〇」を歌わせていただきます。
(歌名の書かれた札を提示しながら)これは誰の「好きな歌」ですか?
ファン:それは私の〔好きな歌〕です。
こうしたシチュエーションにおいては
a.「私の〔好きな歌〕」
と認識されているのであり、
ファン:それは〔私の好きな〕歌です。
という意図には基本的にならない。
こうした極めて特殊なシチュエーションが必要なため、少なくとも、
d.「 [ 駅の近い ] ホテル 」が属格主語であることとの違いを示す例として、
a.「私の〔好きな歌〕」が所有格であることを述べるのは妥当な選択とは言いがたい、というのが私の見解です。
シチュエーション次第といっても、程度問題ということになりますかね。
たしかにその状況なら〈それは私の〔好きな歌〕です。〉になるかもしれません。
勉強になります。
ただ、そんな状況がそうそうあるとは思いません。「可能性がないわけではない」ということでしょう。
当然当方が想定しているのはそんな特殊な状況ではありません。
本質坊主(「念仏坊主」ではありません。坊主はだいたい「念仏坊主」でしょう。)がどう考えたのかはわかりませんが。
No.9
- 回答日時:
#6です。
>>・(人流を減らせと言いながら人流が増えるような政策を打ち出す。このような真逆なことをやる)政府は、何がやりたいのかわかりません。
この例ですと、「政府ハ」のほうが自然ですかね。ビミョーです。
当方はやはり「政府ガ」のほうが自然に感じます。
:
1.
たしかに、適切な例だったかと言われると自信はありません。
要点は、「政府について」言いたいという意図がある場合、「は」を使って政府を主題提示する心理が働くだろう、ということです。
逆に言うと、
2)政府が(、)何をやりたいのかわかりません。
の場合は、
「政府について」言いたい
という意図ではない。
あくまで
「わかりません」ということを言いたいのであって、その主格が「政府が(、)何をやりたいのか」です。
2.
ブログも拝見しました。
(ア)
>「2)政府が(、)何をやりたいのかわかりません。」のほうがずっと自然。
おそらく、理由は2つある。
①従属節の中は「ガ」になりやすい。
:
おっしゃるとおりで、1)の場合は「何が」に適用されています。
1)政府は、何がやりたいのかわかりません。
という文における
「政府は何がやりたいのか」は従属節です。
しかし、
「政府は何がやりたいのか」という文は単文であり、それ自体に従属節は存在しません。
つまり「政府は」であってもまったく問題はない。
>②「私は」を補って考える
もう少し単純に考えて、「私ハ」を補ってみる。考え方として①と同じって気もする。
3)私ハ、政府ガ何をやりたいのかわかりません
これだと「私ハ」「政府ガ」限定だろう。
対比ではないので、「私ハ」「政府ハ」にはしにくい。
:
3)は「私について言うならば~」という意図であり、「1)政府について言うならば」とは意図の異なる文です。
3)私ハ、政府ハ何をやりたいのかわかりません。
という文は単に主題の重箱提示であり『「私ハ」「政府ガ」限定』とは言えない。
(イ)
> どちらも間違いではないけど、通常の文脈なら「政府ガ」のほうが自然ってこと。
うんと特殊な文脈を考えれば別かもしれないが。
:
まったくそのとおりであり、それなら何の食い違いも発生しないかと。
大事なことは、どうせ特殊な文脈なんだから不自然だとして排除して良いとか、無かったことにして良いといった思考回路に逃げ込まないよう注意することだろうと思われます。
>「政府ガ」になるなら、「何ヲ」のほうが自然だろう。
別に「政府ガ何ガやりたいのかわかりません」でも間違いではないが、わざわざガを重複させる必要はない。
「何ガ」と「何ヲ」の違いにこだわると、こういう当たり前の工夫がしにくくなる。
:
「何ガ」と「何ヲ」には違いがあるとお考えのようですが、それはどのような違いだと思われますか?
《「政府ガ何ガやりたいのかわかりません」でも間違いではない》
と言っているのですから、その違いを明記しないまま
《わざわざガを重複させる必要はない。》
と断定するのは筋が通らないように思われます。
>という文は単に主題の重箱提示であり『「私ハ」「政府ガ」限定』とは言えない
「重箱提示」というのですね。勉強になります。
意味を説明しているサイトとかありますか?
>《わざわざガを重複させる必要はない。》
>と断定するのは筋が通らないように思われます。
気になるなら、後ろに「と思います」をつけてください。
No.5でOKATさんも〈同じ助詞を重ねて使わない日本語文の自然な成り行きです〉と書いています。
当方も何十年もフツーにやっていることなでの、断定調にしただけです。
No.8
- 回答日時:
副助詞「は」は特殊性の認識を表し、格助詞「が」は個別性の認識を表します。
1)政府は、何がやりたいのかわかりません。いよる
この場合、党、民間等との対比による政府という特殊性を取り上げています。
2)政府が(、)何をやりたいのかわかりません。
ここでは、政府という個別の対象を取り上げています。
どちらが自然かは文脈に基づく話者の使用法の問題であり、文自体はどちらも自然な表現です。
場面、前提、文脈なしにどちらが感覚的に自然かを問うのは無意味です。■
コメントありがとうございます。
>副助詞「は」は特殊性の認識を表し、格助詞「が」は個別性の認識を表します。
そういうSF文法はやめてください。疲れるだけです。一般的な文法書や辞典で、そのようなことを書いているものがあるのでしょうか。
>どちらが自然かは文脈に基づく話者の使用法の問題であり、文自体はどちらも自然な表現です。
>場面、前提、文脈なしにどちらが感覚的に自然かを問うのは無意味です。
たとえばどんな場面、前提、文脈なら〈1)政府は、何がやりたいのかわかりません。〉が自然になるのでしょうか。
下記の質問のときにも同じようなコメントをいただき、当方は下記のように書きました。
【「近くの」と「近い」の違いは何ですか? その2】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12441303.html
===========引用開始
具体的に、
①「私の〔好きな歌〕」になる文脈と、
②「〔私の好きな〕歌」になる文脈を教えてください。
それがわからないと何もわかりません。
===========引用終了
返事はいただけていません。当方は、それで文脈を予想できるような超能力はもっていません。
たとえば、No.6のかたは、それぞれが成り立つ文脈を提示してくれました。
これならまだ話し合いになる可能性がありますが……。
No.7
- 回答日時:
>何か対策を考えなければ……」のような表現は成立すると思いますが。
?!、当たり前「か」でしょう、格助詞は「が」濁点がありますよ。
論理的云々呆れます。
言葉足らずでしたか?
当方は
>何をする、目的語の「何」は具体的に表現可能なものに限られます、それが不可能な、知らないもの、葉目的足りえません。
>何がする、するのは「何」自体?、当たるか当たらないかは鉄砲の玉に聞いてくれ。
に対して、具体的なものでなくても、〈「何か対策を考えなければ……」のような表現は成立すると思います〉と書いたのですが。
No.6
- 回答日時:
シチュエーション次第でどちらも自然な表現です。
1)政府は、何がやりたいのかわかりません。
政府が主題提示されている。
「政府について」言いたい。
(ニュアンス)
・政府について言いたいことがあるのですが・・・(それは)何がやりたいのかわかりません(ということ)。
発言後、主に政府について話題を展開したい場合の表現。
(例)
・(人流を減らせと言いながら人流が増えるような政策を打ち出す。このような真逆なことをやる)政府は、何がやりたいのかわかりません。
2)政府が(、)何をやりたいのかわかりません。
「政府が(、)何をやりたいのか」という従属節において、政府は「やりたい」の主格。
文全体としては、
・政府が(、)何をやりたいのか [ が ] わかりません。
という構造で、
「わかりません」ということを言いたい。
何がわからないのかというとそれは「政府が何をやりたいのか」ということが。
(ニュアンス)
・政府が何をやりたいのか・・・(それが)わかりません。
発言後、主に政府がやるべき内容について話題を展開したい場合の表現。
(例)
・(人流を減らせと言いながら一向に何の対策も打ち出さない。まったく)政府が何をやりたいのかわかりません。
※
「何が」は、「何」が「やりたい」という動作の対象として強調的に示されている。
「何が!???やりたいのか」というようなニュアンス。
「何を」は、「何」が「やりたい」という動作の対象として単純に(冷静に)示されている。
どちらを使うかは話者の意図次第で置き換え可能。
コメントありがとうございます。
>(例)
>・(人流を減らせと言いながら人流が増えるような政策を打ち出す。このような真逆なことをやる)政府は、何がやりたいのかわかりません。
この例ですと、「政府ハ」のほうが自然ですかね。ビミョーです。
当方はやはり「政府ガ」のほうが自然に感じます。
理由はNo.5へのお礼のリンク先をご確認ください。
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