No.2ベストアンサー
- 回答日時:
当時は中央集権国家に組み直すことが必要だった。
だから将軍慶喜も大政奉還を決断した。
江戸幕府側も幕府を解散し、話し合いで新しい政体を創ろうとしたわけだ。
しかしそこで薩長は主導権を旧幕府勢力から奪い取るために武力による倒幕を決断し、成功させた。
武力倒幕のメリットは、主として大久保利通による急進的な革命で諸改革を迅速に進められたということだろう。
デメリットは、急速な改革に奥州戦争や西南戦争など国内に激しい騒乱と国内に大きな禍根を残したことだろう。
慶喜型の話し合い政体の場合、革命スピードは遅かっただろう。
その反面、国内の争乱はかなり抑えられただろう。また、後の太平洋戦争につながるような国体にはならなかった可能性も大久保型よりは高そうに思う。
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