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「俺の性格が悪いのは遺伝と環境のせいだ。環境の方が性格への影響は大きいから、悪いのは性格の悪い人間を作り出した社会や環境であって、俺はそんなに悪くない」という主張にはどのような反論が出来ますか?

A 回答 (17件中1~10件)

こんにちは、



確かに赤ちゃんは悪くないですよね、
育てられ方、教育によって
その子のアイデンティティーは
形成される部分はあります、

ただ、
残念なことにもって生まれたものはどうしようもなく有りまして、こればかりは神のみぞ知るの領域でごさいます。ハイ

あえて、
反論せず、全てを受け入れて
全力で受け止めましょう(^-^)/
かしこ
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じゃあ、死ぬまでその


性格なんだね。
と、あきらめて
離れていきましょう。
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そこまで分かっていてるのなら対策とらんかいと


そじゃないと人間社会で人として生きてゆく価値無いよという
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どのような反論が出来ますか?


  ↑
性格が遺伝と環境で決まる、という
科学的根拠を要求します。

尚。
現代では、性格は遺伝と環境に影響
されながらも、主体的に形成される
と解されています。


また、その人から金を借りて返さない
というのはどうでしょう。
遺伝と環境で決まっているんだから
俺は悪くない。

殴っても良いですね。
殴るのは遺伝と環境のセイなんだから
俺は悪くない。

反論なら、じゃあ殴っても文句は言わないな。


無知の涙、で有名になった死刑囚「永山則夫」
は、生育環境の劣悪さをあげて、減刑を
要求しました。

しかし、同じ環境で育った兄弟はまともだ
とはねつけられました。
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性格が悪いと自覚しておきながら性格を直す努力をしないあなたが悪い。

あなたの努力放棄だ

はどうでしょうか。これくらいしか思いつきません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。「性格を直す努力をしたいと思わせることが出来ない環境に問題がある」と返されました。

お礼日時:2021/10/11 12:42

この主張じたい



悪いってな言葉を
賢いって言葉にしても通る
正しいにしても通る

てなことでね

人の評価や、その評価に伴う責任などを環境や状況に求めたところで

まったく意味が無いですよ

悪いのは責任がない
てな話よりも

悪いてな評価も
責任てな話も

まったく意味が無いのが

環境や状況てな話ですもんね

環境や状況がどうであれ

人の評価を気にするのは人ってな話と

人の責任問題も、人が話し合って決めてるだけですもんね
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原因がなんであろうと、「俺が悪くない」であろうと、


「俺の性格が悪い」のは事実なので、この先の人生で損をします。
言えるのはそれだけ。
「俺」に性格を直そうという気があるならいいけど、直さないならこの先の人生で損をします。
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具体的な思考や環境を分析して論点を明らかにしないと、論争にならないでしょうね。


だけど、「そんなに悪くない」という主張もなくはないと思います。

>社会や環境
まったく、恐ろしいですよね。人を残酷な方向へ追い込むこともある。
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追記失礼します。



例えば、
あなたは野球の試合中、外野を守っているとします。バッターがボールを打ち上げて、そのボールがあなたのところにやってきました。
通常であれば絶対に取れるそのボールを落としてしまったとします。

では、なぜ通常なら落とすはずもないそのボールを落としてしまったのですか?
「なぜ」を5回以上繰り返してみてください。

実際に、トヨタの新人研修の中で出される問題です。

ここで言いたいのは、
例えば「向こうの空に気球が見えて目がそれた」とか「太陽が眩しかったから」「グローブが悪かった」「試合前に監督から怒られたから」などと、外に原因を作ってしまうと「なぜ」がそこで止まってしまって、本当の原因追求、問題解決ができなくなってしまい、次もそのまま試合に出る事になります。

本当の原因は、自分の中にあるもので、その要因として環境や人といった外の世界があるわけです。上の例題の原因を自分の中に求めていくと最終的に、現実的な問題の改善策が見えてきて、次の練習、次の試合になればなるほど自分が成長していく環境が整ってきます。

もちろん外の世界は変えられない事が多いですが、それを知った上で自分をコントロールしていくことは出来ます。

時代、国、地域、家庭、経済状況、人、道具、時間、経験…これらが決して原因にはならない理由は、
自分という船を舵取りをしているのは、あくまで自分自身だから。

何事も選択肢を考えて決断しているのは、自分以外にはいません。
例え、親が先生が上司が、自分の人生の選択肢について「これを選択しろ!」と強く言ったところで、最終的な判断をするのは自分以外にはありません。

その舵取りを放棄して、他人のせいにしていれば、自分という船はあらぬ方向に向かって時に座礁するのは、むしろ当然な話で、その行動の連続がその人の人生であり、その姿が性格として現れます。

そもそも何をもって性格の良し悪しを判断するか…にもよりますが、質問者さんの考え方には、外の要因のことはあっても自分を舵取りしている「己」という存在が抜けているように思います。
長くなりましたが、
性格が自分を作るのではなく、己の姿が性格として現れる…言い換えれば性格とは、鏡に写った自身の像。本体である己自身次第で性格も変わります。ここに外の要因は全く関係ありません。と、わたしは考えています。
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>「俺は全く悪くない」と言った場合は反論できますか?


出来ますが、反論の必要性を感じませんし、「俺」を知らないのでその反論は空虚です。
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