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司馬遼太郎は、日本史の流れの中で三つの大きな美的もしくは美的倫理感情があった、と書いています。
まず、源氏物語で表せる"ものあわれ"。
次に、平家物語における坂東武者たちの"名こそ惜しけれ"。
最後に、<明治の悲しみという日本文明史のうえで最大の感情といえるのを忘れては、日本人は情緒欠陥人間になってしまう。>と書いています。
この悲しみの説明に、西洋に派遣された夏目漱石たちが味わった、日本と西洋との文化の格差による失落感を例にとっています。

質問は、明治期、日本は、西洋との文化の格差により、”悲しみ”という美的もしくは美的倫理感情を抱いていたのでしょうか?

A 回答 (3件)

立場によると思いますよ。

 
まず恥遼太郎さんか言う悲しみというのは
当事者が美的感覚を感じていると言うより、距離や時間をおいて私たちが眺めたときに感じる感覚ではないでしょうか。

明治開花期の日本人は、列強に追いつくのに必死な時期で、いつの間にか西洋は優れていて日本は劣っているという意識が日本人の中に色濃く流れてましたね。

その中で,
西洋に派遣された人たちの中で、①西洋文明に接したと言うことを、彼らの感覚では劣っている日本に戻って自慢にしている人たち、②科学力や技術力に圧倒されて劣等感を抱いて帰ってきた人たち
それから、
③日本国内にいて、新しい文明の流入で顧みられなくなった、浮世絵など古い文化の担い手たち

①は私たちから見て哀れな感じ、②と③は挫折感に共感を覚えます。でも、彼らが抱いた感情は素直で、真面目に人生と向き合って生きたからこそ感じた感覚じゃないですか。
人生や運命と真剣に向き合ったという点で、今の私たちは彼らに美的倫理感情を感じると言うことでは無いですかね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<彼らが抱いた感情は素直で、真面目に人生と向き合って生きたからこそ感じた感覚>が悲しみなのですね。
お言葉を返すようですが、上記の感覚を持った人たちは、洋行帰りとか直接海外と取引をしている人たち(先進的な人)だけだろう、と思いますが。大多数の一般の庶民(まだ国民とはいいづらい)は、今までの社会・世間にとっぷり浸っていて(それはそれで結構なことですが)悲しみを感ずることはなった、思っています。

お礼日時:2021/10/18 15:00

司馬遼太郎のポエムを真に受けてどうすんねん。

日本は個人ではないし、百人の村でもない。明治時代というと八甲田山雪中行軍遭難事件だ。防寒技術もないのに、楽観的すぎるリーダーに引き連れられた悲劇。強大な露と戦うための予行演習であった。これに悲しみを覚えない日本人がいるのか。
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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2021/10/18 16:51

軍事的な武器の格差は現実を見て、愕然とショックを受けましたね。


文化面では、儒学を学んでいないとして、下げすんでいまし、
パリ万国博の後では、西欧に、ジャポニズムが興っています。
夏目漱石は日本の良さを認識したのでは、彼の小説では「悲しみ」と
やらは無く、言文一致の先陣をきった、生き生きした物ばかりとしか
感じられませんが。

司馬遼太郎は小説家で有るが、歴史家でも哲学者でも、無いです。
彼の発言をして、全体像と、するのは、如何なものでしょう、
一個人の意見として、参考の程度に留めるのが宜しいかと。
彼の蔵書の多さからは、物凄い知識の巨人で有る事は解りますが。
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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2021/10/18 14:44

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