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▲ (『人間の尊厳について』) ~~~~~~~~~~~~~
1. 我ら(神)は、決まった棲み家も、特定の顔も、固有の才能も与えなかった。アダムよ、どんな棲み家を、どんな顔を、どんな才能を、お前が望んだとしても、おまえの望み通りにおまえの考えに従って、おまえがそれを手に入れ所有するためである。

2. 他の生物すべてには定義された性質があり、我らによって与えられた定めに縛られている。

3. お前は、しかし、そんな縛りに囚われてはいず、我らがお前に委ねたお前の自由意志によって、お前自身の性質を作り上げるのだ。

4. 神はお前を世界の中心にすえた。だから、世界のありとあらゆるものの周りを見わたせる。

5. お前は天のものでなく、地のものでなく、死すべきものでもなく、不死のものでもなく,我らによって創られた。お前が,自由意志を持つ名誉ある造形家として,お前の好きな姿に変わることができるようにだ。

6. お前は,劣った獣へと退化することもできる。また、優れた聖なる存在へと、お前の魂の判断によっては、生まれ変わることもできるのだ。

( Pico della Mirandola : Oratio de hominis dignitate 
『人間の尊厳について』田井中善夫訳)
http://tainaka.sakura.ne.jp/%E3%83%94%E3%83%BC%E …
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

7. ニーチェあるいはそのエピゴーネンらのキリスト教批判は このピーコの見解を考慮に入れるなら ほとんどすべて成り立たないのではないだろうか?

8. ここでの神を 《無い神 あるいは シューニャター(空)》と言いかえれば その無神論派の見解と何ら変わりない――ということになるのではないか?

A 回答 (8件)

賛成です。

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この回答へのお礼

承りました。

お礼日時:2021/11/11 21:16

僕にとって仏陀は参考になってません。

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この回答へのお礼

あっ そうでしたか。

でも でしたら 批判すべきは明らかにしておくことも 大事かと。

お礼日時:2021/11/11 21:14

世を後にして、世を捨て去ったら覚醒ではないですね。

我々。状況内存在ですから。これが我々の事実だからです。そんなこと、サルトルやヤスパースも言ってましたね。
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この回答へのお礼

蛇の章のつづきです。

▲ スッタニパータ 
2 池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。 ──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

☆ 困りましたね。そうですよね。

お礼日時:2021/11/11 20:38

覚醒し続けます。

勝手にします。笑
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この回答へのお礼

▲ ・・・この世とかの世とをともに捨て去る。
☆ こんなふうに:
★ 覚醒し続け
☆ るのですか?



なお ミランドラは ミランドラ地方では ラにアクセントを置くらしいですよ。

▼ ( Wikip. Mirandola )地域での発音: La Miràndla
https://en.wikipedia.org/wiki/Mirandola

お礼日時:2021/11/11 20:16

創造主としての神は、地球上に生き物を出現させた。


その“生”には楽と苦が伴うなんて、たぶん、神は思いもよらないこと、だったのだろう。

でも、動物の苦楽をみて反省したのか、神は人間に、その苦楽から逃れるための手段として“理性”という能力を与えた。

自身では救う事が出来ないから。

要は、勝手にしろ、と云う事。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。お久しぶりですね。


★ 創造主としての神は、地球上に生き物を出現させた。
その“生”には楽と苦が伴うなんて、たぶん、神は思いもよらないこと、だったのだろう。
☆ うーん。ううーん。――知ってたよ。

だって われら(=神)の言いつけにさからうようになると――つまり人間たちは 自由意志の自由度をへんなふうにも使うようになると――分かっていたよ。そういうふうに 自由意志をそなえさせてやったんぢゃわい。あっはっは。

自由意志と言っても 相対的な自由ぢゃからな。すべてが思うように行くとは 限らない。手が届かないところ・知恵が回らない部分が出て来るというものぢゃわい。《ドゥッカ》と言うんぢゃろ。・・・



★ でも、動物の苦楽をみて反省したのか、神は人間に、その苦楽から逃れるための手段として“理性”という能力を与えた。
☆ 身と心 身体と精神。精神には いまの自由意志とともに 基礎の記憶とならんで ものごとを認識し明らかに見る知解力をさづけてやった。身の感性に対しては 理性と呼んでいるようぢゃの。


★ 自身では救う事が出来ないから。
☆ ほんぢゃけんど わしの独り子を送ってやったぢゃろ? きみたちは寄ってたかってあいつに石を投げつけ張り付けにしよったが。その結果は きみたちで考えてみてくれ。


★ 要は、勝手にしろ、と云う事。
☆ イエスという名の男のことを ちっとは考えてくれて そのあと そうしてくれたまえ。あっはっは。

お礼日時:2021/11/11 20:11

仏陀にとって、存在するとは、無限に覚醒すること、飛び越えること。

ニーチェとここで交わると思います。ニーチェ研究家のお坊さんがニーチェに好意を持つのは、この点だと思います。superhumanというよりは、ハイデガーも自著で記したbeyond humanism.これってニーチェの超-人のことだと思います。「人は常に今の自分を越えられるべき存在」サルトルのex -sistence脱存ですよね。ソクラテスの「良く生きる」の言い換えだと思います。笑
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この回答へのお礼

★ 仏陀にとって、存在するとは、無限に覚醒すること、飛び越えること。
☆ 初期のころ こう説いていたそうです。

▼ (スッタニパータ・中村 元訳) ~~~
1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
~~~
☆ 《飛び越え》すぎぢゃないですか? ややこしいでしょ?


★ ニーチェとここで交わると思います。
☆ ふむ。

★ ニーチェ研究家のお坊さんがニーチェに好意を持つのは、この点だと思います。superhumanというよりは、ハイデガーも自著で記したbeyond humanism.これってニーチェの超-人のことだと思います。
☆ 《飛び越える》点では そうなんでしょうね。


★ 「人は常に今の自分を越えられるべき存在」サルトルのex -sistence脱存ですよね。ソクラテスの「良く生きる」の言い換えだと思います。笑
☆ ううーん。ソクラテスは 常識的ぢゃないですかねぇ。

実存の《脱自》は 確かに自己を《投企》すると思いますが。


すみません。ニーチェは まだはっきりしません。

お礼日時:2021/11/11 14:21

この3~4次元において、高次元体は、確かに、シューニューター。

高次元体と当人との綿密なはなしあいで個人的な設計、ロードマップを決定してきたという意味で、現象3~4次元の背後の高次元世界は、否定できないでしょうね。これがサルトルでもニーチェでも、彼らにとってどうでも良い、と。サルトルは超越後見人がいようがいまいが、自分のちから、意志でいかさせてもらうよ、「実存」が本音です。ニーチェにとって、人は常に越えられるべきもの、超人=beyond humanism. で、この点で、サルトルや仏陀に近い位置にいますね。
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この回答へのお礼

★ この3~4次元において、高次元体は、確かに、シューニューター。
☆ ですね。そして 同等に《有る神》説も。


★ 高次元体と当人との綿密なはなしあいで個人的な設計、ロードマップを決定してきたという意味で、現象3~4次元の背後の高次元世界は、否定できないでしょうね。
☆ この《神とわれとのタテの関係――つまり 信仰――》は その両者のあいだのつながりが どうなっているか。これは ひとによってまちまちだと思います。

単純に言えば 有ると無いとのふたつに分かれる。

有るも 人から話しかけることができる場合と つながりは飽くまで超経験の側からの一方的なハタラキカケのみだとする場合に分かれましょう。

モーセは 神と顔と顔とを合わせて語り合ったと書いてありますが 何とも評しがたいように思います。



★ これがサルトルでもニーチェでも、彼らにとってどうでも良い、と。
☆ そういうことですね。大前提の神が 《無い神》ですから。


★ サルトルは超越後見人がいようがいまいが、自分のちから、意志でいかさせてもらうよ、「実存」が本音です。
☆ ただし 《有る神》派にしても 経験行為については 人間の努力を最大限に重んじると思います。

絶対他力を神観とする場合でも 経験世界のことは 自力で生きます。


★ ニーチェにとって、人は常に越えられるべきもの、超人=beyond humanism. で、この点で、サルトルや仏陀に近い位置にいますね。
☆ そのズーパーメンシュが 曲者ではないですか? 初めは 《大地・大河・大自然》だと言っていなかったですか?


ブッダは ややこしいですね。

お礼日時:2021/11/11 12:50

ミランドーラ。

当時そして今にも通じるスピリチャリストですね。さすが、新プラトン派ですね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


ですね。或る程度は 言えますね。ルネサンス期において。


アクセントは ドにあるんですか。ミラのラかと思っていました。

お礼日時:2021/11/11 12:23

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