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ラフマニノフが共産主義革命が成立してからアメリカに亡命したことは周知の事実ですが、もう少し詳しい理由をご存知、または彼の人物像や政治的立場から推察できる方がいたら、ぜひお教えください。

現時点で私が思いつく限りでは、共産主義革命の成立後に亡命する理由としては、以下が考えられます。何となく1が最大の理由のような気がしますが、よく分かりません。

1)ロシアが内乱続きになって、音楽活動に専念できなくなる
2)共産主義者の言動から、旧体制側(芸術家も含む?)の人間が吊し上げられる懸念があった
3)共産主義に対する嫌悪感
4)ロシア皇室への愛情・忠誠心

A 回答 (2件)

御両親共に貴族の家系です。

ですから、ロマノフ王朝の方たちですね。共産主義革命1917年以降、共産主義のテロから逃げるように貴族の方たちは海外に亡命されてます。日本にも多くいます。東京のロシア正教会もそのレガシィです。どうやらラフマニノフは1917年ロシア革命時にパリ亡命。後にアメリカのビバリーヒルズで逝去されてますね。
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この回答へのお礼

なるほど、納得しました。ご回答ありがとうございます。

出自ゆえに命の危険があるため、断腸の思いで故郷を去ったということですね・・・。お墓がどこにあるのか知りませんが、魂は故国に帰っていると信じたいです。

日本にも多数のロシア人が亡命してきたというのは初耳ですが、思えば日本人はロマノフ王朝側に同情的な世論だったと思うので、当然かもしれませんね。

お礼日時:2021/11/18 20:35

ラフマニノフは、いわゆるロシア帝国の貴族階級の出身であり、親の代にはかなり没落して土地を失っていたとはいえ地主でした。


それが、革命によって自分自身の土地や財産が没収されるとともに、音楽活動を行う舞台であった上流階級の社交界が消滅し、活動の場やスポンサー・支援者(パトロン)がいなくなって、生計を立てる目処が立たなくなったのでしょう。
革命直後に、家族とともに演奏旅行として西ヨーロッパ・アメリカに出て、そこでピアノ演奏家として食べていく目処が立ったので、ロシアには戻らない決心をしたようです。

当時のアメリカは、第1次大戦の戦場になったヨーロッパに代わって世界経済を先導し、自動車・鉄鋼産業で世界を席巻し、マンハッタンの摩天楼に象徴されるように経済的に繁栄していました。
そんな中、アメリカは自前の「文化、伝統」を持たなかったため、経済力でヨーロッパの文化を積極的に輸入しました。
指揮者のクーセヴィツキーやストコフスキー、トスカニーニ、ピアニストのホロヴィッツ、ヴァイオリンのハイフェッツなども高額の契約でアメリカに招かれて定住しました。(トスカニーニの場合には、ファシスト政権のイタリアを嫌ったという政治的理由もありますが)
ラフマニノフもそんな音楽家の一人だったわけです。

ということで、「政治的」というよりは、明らかに「経済的」な理由だと思います。

最初はアメリカで活動しましたが、1931年にスイスのルツェルン湖畔に家を建てて定住しました。しかし、ヨーロッパにナチスが勢力を伸ばし戦争が激しくなると、1942年にアメリカに渡りカリフォルニアのビバリーヒルズに居を構えるも、翌1943年に他界しました。
なお、ヨーロッパ、アメリカでは、お金を稼ぐために「ピアニスト」の活動が中心となり、ほとんど作曲しなくなりました。
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この回答へのお礼

なるほど、よく分かりました。ご回答ありがとうございます。また、お礼が遅れて申し訳ありません。

確かに、どこの国であれ、100年前となれば、生活保護のような受け皿はほとんどなかったでしょうし、極寒のロシアで極貧となると、あっという間に命がなくなりそうですね・・・。

お礼日時:2021/11/24 18:54

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