これが怖いの自分だけ?というものありますか?

宗教によって不治の病から命を救われた人の話を聞くことがありますが、本当に救われるのでしようか?詳しい方、人生経験の豊かな方、教えてください。

A 回答 (5件)

科学医学的治療と日光浴や散歩したりし自然治癒力高める治療しか無いかと


日光浴はセロトニンの分泌促し別名幸福ホルモンと呼ばれるらしいです
鬱や他の病気の予防改善またストレス軽減に良いらしいです
病は気からと言うように大自然に心身自由解放し自然と戯れれば雑念は消え心身休養できまたプラス思考で前向きに歩めたりするかといわゆる自然に癒され気持ち落ち着き楽になり結果的に自然治癒力高める治療になるかと
アニメ小説漫画等非現実世界だけの話です実在し楽しめるのは
幽霊あの世輪廻転生悪魔天使等を信じたり居れば良いのにと信じ願ったりするのは精神がある意味子供のように純粋なのでしょう
神や仏等は人間が心の救いの拠り所として想像上に作り出された存在でしか無いかと
苦難に立たされた時に気持ちが救われ前向きに考え易くなったり輪廻転生を信じてたりあると良いのにと願ってたら死に対して恐怖や不安が軽減され気持ち楽になり生きやすくなるかと
精神や心は魂を指してそれは脳の機能が働いて喜怒哀楽や物事を考えられたりします死ねば脳の機能は停止し肉体が残りますその肉体を自然界なら肉食動物が食べ食べられなければ微生物に分解され土に還り無だけになるだけかと
生まれ変わりはありません。幼い子供が亡くなった有名人の誰の生まれ変わりでと本人で無いと語れないような話をします。この兵器を使うと加害者がターゲットの脳をハイジャクし都合の良いように動かす事が可能です
テクノロジー犯罪被害でしか無からあり得ません生まれ変わりやあの世や幽霊の類も
一つあげられる可能性は世の中の混乱や困惑等の反応を見たり個人の恐怖や不安を思考盗聴して鬼畜欲を満たしてるに過ぎないかと
以下の兵器を使えば幽霊や昏睡状態の患者が三途の川や亡くなった身内と再開したり臨時体験から本人意識無いからその間何も出来ないはずだが何が何処にあって誰が居てどんな会話してとかの出来事さえも目が覚めたら指摘する事も可能です
夢を加害者の都合良くドラマ仕立てに起承転結できるくらい表情も全て繊細に見せたり音声送れたりできます。夢なのか現実なのか自分は何歳の自分かも微調整に加害者は調整できます
因みに私は小学4年頃白装束を着た若い黒髪の長い女性が台所で野菜か何か切る音をたてながら居ました
幽霊?あり得ないけどと察しながら瞬きをしっかり何度もワザとしたがハッキリとその姿があり映像が変わらず消えないでした
見間違いか勘違いと思い込み片付けしましたが少し恐怖心と不安にかられ寒気はしました。
子供の頃死んだ大切な身内がお盆に還ってきて欲しいトンボとかに姿変えてきてくれてたら良いのにと純粋に願う気持ちも完全消滅し尚更現実的に物事を捉えるようになり馬鹿らしく感じてきました。

アメーバは事実被害証言です見えない殺人ビームはあります
https://ameblo.jp/nekochan45/entry-12715729564.h …
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神様、と言っても僕は2種類いると思います。


宗教的な神と科学的な神です。
宗教的な神は人が信じることで存在し、宗教の一体感などから、精神的な安定をもたらしてくれます。
科学的な神はこの世界の生みの親のような存在です。無から有など本当に最初をつくった存在です。でも人なんてそこら辺の石と同じ勝手にできたカスだと思ってて興味も示さないので別に心らしきものもないはずです。僕らじゃ一生知り得ない存在と思われます。
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宗教、または信仰というのは、進行することイコール信じられる対象があることによって精神が救われるのが最大のご利益なのであって、病気を治したり富を築いたりというのは神様の仕事ではありません。

私の知り合いの実業家は多額のお布施をしすぎて事業を失敗しました。
うちの宗教では「病気は病院にいけ。寿命は各々で、それは運命なのですか変えられん」と正直に言うので、そんなに信者さんは増えません(笑)
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この回答へのお礼

その宗教は普通のことだけを言っているだけです。そんなものは宗教でもご利益でも何でも無く、凡人の言うことです。奇跡が起きないと誰も信じません。当たり前のことです。

お礼日時:2022/01/04 20:05

宗教やってる奴はみんな、



その宗教を始めてからいいことがあると、当然、神様のおかげ!と言う。でも、その宗教を始めてから悪いことが起きると、神様のおかげで、この程度ですんだ!とか言う。

なので。宗教は全て、気休めでしかありません。

実際、宗教やってる奴らは、コロナにかかっていなければ、神様のおかげ!とか言ってるだろうな、と思います。なんでもこじつけて、神様のおかげ!だということにする。

不治の病…そりゃ、不治のはずの病にかかっても、奇跡的に助かった人って、世の中には、いるといえばまあいるんだろうな。と思うけど。そんなの宗教関係ないでしょ。
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神の存在は、人間が信じているから存在するのは事実なので、それ以外の方法での存在についての説得力がある方法をしりません。



それと同様に、信じる者は救われるという、ことわざとも、慣用句とも言えない言葉がありますが、昔、「救い」のプロセスを整理した書籍を読んだ記憶があります。

不治の病ほど深刻ではない救われた例としては、通勤電車で腹痛がしてきて、なんとか電車内のトイレや、駅構内にあるトイレにかけこんで、事なきを得ても、やっぱり「救われた」と思うというのがありました。

人が全知全能でないのは、絶対的真実ですが、人の存在を越える存在を信じることができるのは、どうも今のところは、「人」だけみたいですね。

医療は万能でないし、その診断や治療のエビデンスは、あくまで、推論が証明されたという時事の積み重ねなので、たまには奇跡とか呼ばれる現象が治療の現場でも起こるし、それ以外の場面でも、救われたと思う当事者が救われたと、思い込めば思い込むんでしょうね。


たくさんの医師や医療に見放された患者がいるのは事実で、その中の信仰がある人が、たまたま助かると奇跡とよんで信仰をありがたがるのは、当然ですよね。なんせ救われたのですから。(厳密には救われたと思い、自分の信仰の結果だと思うことなんですが・・・。


本当に救われたかどうかではなく、たまたま信仰を持っている人が、医療に見放されたのに、助かってしまうと、何か人間以上の特別な存在を感じてしまうみたいですね。

救済の論理はとても単純で難しいことでもあります。

信仰をしていないから、医療にみなされた時の信仰への依存度が低くいと、病気が治らないというはどうなんでしょうね。

神とかはそんなに偏屈ではないと思いますがね。
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