先行質問で竹林氏の論文を紹介してもらいました。
非常に有用な内容と思います。
https://www.bus.nihon-u.ac.jp/wp-content/themes/ …
この中で尾上圭介氏は、
《三上のような「主語」規定では「言語というものを大きくつかむ上で大切なものを落としてしまうことになろう」》と述べ、
《(主語とは)「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」》
という見解を示しています。
認知言語学のラネカーによる、
《主語とは「描写対象としての事態の解釈において中心的な地位を与えられる要素》
という見解なども非常に興味深く感じました。
一方、三浦としては主語とて補語にすぎないのであり、そのような「特別扱い」をすると「述語一本建て」である日本語の本質に対する誤解につながる、という意図で主語無用論を主張したようです。
たとえば、
「源太が平次に本を貸した。」という文においては、
「源太が」
「平次に」
「本を」
すべて「貸した」という述部を修飾する補語と認識すべきだ、ということ。
しかし、尾上氏の見解にあるように、この文においては、
「この文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」として「源太が」と認定することのほうが《言語というものを大きくつかむ上で大切》だという気がするのですが、みなさんはどう思われますか?
実際、三浦にしても、
《ただし,「主格が動作のイニシアチヴを取る」ことから,「が」格項目が「首席補語」だ》
と述べているわけで、つまり「源太が」という主格補語を「特別扱い」している点に何ら変わりはないわけです。
「首席補語」を主語と言い換えることで、それほど重大な誤謬が日本語理解に生じるとは思えないのですが、みなさんのご見解をご教示くだされたく。
A 回答 (15件中1~10件)
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No.1
- 回答日時:
「源太が平次に本を貸した。
」で「源太が」が中核にあるとは思えません。「平次に」の位置付けが低いとは断定できないでしょう。実際、「源太が本を貸した。」でも、「平次に本を貸した。」でも、文は成立します。
ご回答ありがとうございます。
>「源太が平次に本を貸した。」で「源太が」が中核にあるとは思えません。「平次に」の位置付けが低いとは断定できないでしょう。
:
貴重なご見解をありがとうございます。
当方としては、「貸した」という《述語と二項対立をなす主格項目》であるところの「源太」が主語であるという立場ですが、見解の相違ということになるでしょうね。
因みに、これは日本語の「述語一本建て」を主張する三上にとっても、実は、肯定すべき論理ではないかと思うのですがね。
「貸した」という述語の主格に最重点をおいていることになりますから。
しかし、三上は、そんなの厚かましいわい。せめて「主席補語」で我慢しておけ、というスタンスのようですが、この意味で「平次に」という補語と同等に見ているわけではなさそうです。
No.2
- 回答日時:
>>一方、三浦としては
三上の誤りですね??
尾上の、「【言語というもの】を大きくつかむ上」の【言語というもの】が何であるかが不明で、「つかむ上」というのは話者ではなく聞き手の側の問題で、表現としての言語という言語本質が理解されていません。
ラネカーも同様に、「描写対象としての事態の【解釈】において」と【解釈】、つまり聞き手の側を問題にしています。ラネカーは、
『認知文法論序説 Cognitive Grammar: A Basic Introduction 』(研究社:2011/5/25)
で、「意味は、言語表現によって表された内容を人がどのように解釈しているかという概念化の問題に関与している。」と意味を受け手の側の問題にしています。
(語彙と意味を混同した機能主義言語論の限界
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2P …
参照)
こうした、機能主義的な発想では全く対象と話者の認識の関係を捉えることができず、主語の問題を扱うことはできません。
三上の修飾、補語というのも機能主義的な解釈に過ぎず、重大な誤謬が日本語理解に生じることになります。
この質問には、
対象→認識→表現の過程的な構造を捉えた言語過程説を「部分的、且つ大雑把にではありますが、素人なりに以下のように解釈しています。」というのが全くの勘違いに過ぎないことが白日の下に晒されていますが、どのように考えられますか????
この程度の理解で、三上や、尾上、ラネカーを判ったつもりというのも笑止と言う他ありませんが???■
ご回答ありがとうございます。
>尾上の、「【言語というもの】を大きくつかむ上」の【言語というもの】が何であるかが不明で、
:
極めて簡単なことでして、
たとえば、
「源太が平次に本を貸した。」
という文を正しく理解する、といった意味に解釈しましょう。
>「つかむ上」というのは話者ではなく聞き手の側の問題で、表現としての言語という言語本質が理解されていません。
:
そうですか。
とりあえず現段階では「(表現されたあとの)聞き手の側の問題」でよろしいんじゃないでしょうか。
「源太が」が主語か主格補語かというだけの問題ですから。
>で、「意味は、言語表現によって表された内容を人がどのように解釈しているかという概念化の問題に関与している。」と意味を受け手の側の問題にしています。
:
そういうことはまた場所を替えてゆっくり教えていただきましょう。
>こうした、機能主義的な発想では全く対象と話者の認識の関係を捉えることができず、主語の問題を扱うことはできません。
>この質問には、
対象→認識→表現の過程的な構造を捉えた言語過程説を「部分的、且つ大雑把にではありますが、素人なりに以下のように解釈しています。」というのが全くの勘違いに過ぎないことが白日の下に晒されていますが、どのように考えられますか????
:
その論理がよくわかりませんなあ。
「対象と話者の認識の関係を捉えることができず」とは具体的にどういうことを言っているのですか?
「対象→認識→表現の過程的な構造を捉え」てなければ、主語の問題を論ずる場合に、どういった齟齬が生じるのですか?
「源太が平次に本を貸した。」を例に解説してみてください。
それが本物の「回答者」でしょ?
本当に理解しているなら解説できますよね???
できないなら、
「三浦のつまみぐいはしたけど、本当に理解はしていない」というのが君の実態だと解釈せざるを得なくなりますよ?
>この程度の理解で、三上や、尾上、ラネカーを判ったつもりというのも笑止と言う他ありませんが???
:
《この程度の理解》というのは、おそらく君自身のことなんだろうね?(笑)
本当に理解しているなら、こんな御託を並べている暇に、論理的で明晰な解説を実行しているはずだからね。
それができないからといって八つ当たりするのは勘弁してもらえまいか?(笑)
No.3
- 回答日時:
「犬が噛んだ」「人が噛まれた」のように、行為の主体かどうかによって、実際の文の形に影響するのだから、文法的に考慮するのは当然です。
ただ、そのような文法における区別と、「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」とは違います。「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」としては、「源太が」が中核にあり、「平次に」の位置付けが低いとは断定できないでしょう。
別の質問で主語の定義についてやかましくおっしゃっていますので、定義はちゃんと厳密に扱いましょう。
ご回答ありがとうございます。
>「犬が噛んだ」「人が噛まれた」のように、行為の主体かどうかによって、実際の文の形に影響するのだから、文法的に考慮するのは当然です。
ただ、そのような文法における区別と、「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」とは違います。
:
犬や人は「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」ではない、というご見解だという意味ですか?
>「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」としては、「源太が」が中核にあり、「平次に」の位置付けが低いとは断定できないでしょう。
:
はい、そういうご見解があっても一向に構わないと思います。
ただ、三浦は「中核」とまでは言ってないが、「平次に」がヒラの補語であるのに対して「源太が」には首席補語という名称を与えており、明らかに高い位置付けを与えています、ということを申し上げただけです。
>別の質問で主語の定義についてやかましくおっしゃっていますので、定義はちゃんと厳密に扱いましょう。
:
《なお、私の投稿ではあなたの主語定義に基づいています。》
とおっしゃっておられましたので、
《(主語とは)一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの》(尾上圭介)
という点で一致しているのだと思います。
No.4
- 回答日時:
「鼻が長い」とは言えますが、「象は長い」とは言えません。
だから、「象は 鼻が長い」という構造になっています。つまり、「長い」と直接に結び付いているのは「鼻が」です。「犬が噛んだ」「人が噛まれた」における「犬が」「人が」に対応するのは「鼻が」です。ところが、あなたの見解によると、「象」が主語になることもある。したがって、動詞と直接に結び付いてる部分と主語は対応しません。「犬が噛んだ」「人が噛まれた」のように、行為の主体かどうかによって、実際の文の形に影響するのだから、文法的に考慮するのは当然であり、それは認めるからといって、主語を認めることにはなりません。そして、「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」というのが曖昧であることは既に指摘しました。そのような曖昧な基準に土台を置いてしまっては、曖昧な文法論にならざるを得ません。
ご回答ありがとうございます。
>そして、「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」というのが曖昧であることは既に指摘しました。
:
すみません。
《なお、私の投稿ではあなたの主語定義に基づいています。》
とおっしゃっておられましたので、
《(主語とは)一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの》(尾上圭介)
という点で一致しているのだと思っていましたが、これは私の勘違いでしたか?
因みに「象は哺乳類だ」という文で「象」は主語になりますか?
>ところが、あなたの見解によると、「象」が主語になることもある。したがって、動詞と直接に結び付いてる部分と主語は対応しません。「犬が噛んだ」「人が噛まれた」のように、行為の主体かどうかによって、実際の文の形に影響するのだから、文法的に考慮するのは当然であり、それは認めるからといって、主語を認めることにはなりません。
:
いや、申し訳ない。
この記述の意味がよくわかりませんでした。
No.5
- 回答日時:
長いは形容詞なので動詞ではありません。
そこだけ訂正。述語と直接に結び付いてる部分と主語は対応しません。
No.6
- 回答日時:
No.2 のお礼に応えて
>>「源太が平次に本を貸した。」
という文を正しく理解する、といった意味に解釈しましょう。
君の曖昧な理解が露呈しています。
「【言語というもの】を大きくつかむ上」の【言語というもの】が「文を正しく理解する」などと言ってみても何の意味もありません。そもそも「正しく」などと主観的なことを言っても始まりません。
他の回答にもあるように、
>>「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」というのが曖昧であることは既に指摘しました。そのような曖昧な基準に土台を置いてしまっては、曖昧な文法論にならざるを得ません。
ということです。
>>「(表現されたあとの)聞き手の側の問題」でよろしいんじゃないでしょうか。
いいえ。
表現の意味、構文を問題にしているのに、「聞き手の側の問題」を論じるというのは根本的な誤りです。このため、「認識の中核として存在するもの」などという曖昧な理解、表現になるということで、他の回答にもある当然な指摘です。
>>「対象→認識→表現の過程的な構造を捉え」てなければ、主語の問題を論ずる場合に、どういった齟齬が生じるのですか?
「源太が平次に本を貸した。」を例に解説してみてください。
聞き手の側の「事態の中で認識の中核として存在する」などという曖昧な評価、判断では、「源太」「平次」「本を貸した」の中の「何が認識の中核として存在する」のかは聞き手の恣意的な解釈、判断でしかないということです。
本当に理解しているなら、こんな主観的な曖昧な解説はできませんよね???
「三浦と三上を取り違え、つまみぐいはしたけど、本当には全く理解はしていない」というのが君の実態であることを露呈しています。!!!
本当に理解しているなら、こんな御託を並べている暇に、論理的で明晰な解説を実行しているはずだからね。
それができないからといって八つ当たりするのは勘弁してもらえまいか?(笑)
まずは論理的な推論、思考とは何かから理解しなければお話しになりません。
他の回答者の指摘も良く噛みしめましょう!!!■
ご回答ありがとうございます。
1.
>表現の意味、構文を問題にしているのに、「聞き手の側の問題」を論じるというのは根本的な誤りです。
:
こういう短絡的な解釈しかできないようでは本質的な問題について論じることはできません。
「源太が平次に本を貸した。」
は我々が普通に話者として発話するし、聞き手としても聞くわけです。
話者としてどういう意図の発話であるのか、あるいは、聞き手としてどういう意図として受け止めるのか、ということは、どちらも重要なことです。
《表現の意味、構文を問題にしている》のであれば、それがどのように受け取られるかという点も併せて問題にすることで、何か齟齬が生じるわけではない。
君が話者の立場に拘るのは、言語過程説の対象⇒認識⇒表現という過程をアホのひとつ覚えのように言い散らかしたいだけであり、主語云々と直接的な関係はない、ということに気が付き給え。
みっともないですぞ?(笑)
2.
そのような短絡思考、近視眼的な見方よりできないから、
>聞き手の側の「事態の中で認識の中核として存在する」などという曖昧な評価、判断では、「源太」「平次」「本を貸した」の中の「何が認識の中核として存在する」のかは聞き手の恣意的な解釈、判断でしかないということです。
:
などという頓珍漢な言いがかりをつけて満足するしかなくなるわけ。
いいかね?
「事態の中で認識の中核として存在する」というのは、文自体についてのことであり、話者なのか聞き手なのかという点は、何の関係もないのだよ。
3.
>「三浦と三上を取り違え、つまみぐいはしたけど、本当には全く理解はしていない」というのが君の実態であることを露呈しています。!!!
本当に理解しているなら、こんな御託を並べている暇に、論理的で明晰な解説を実行しているはずだからね。
:
大笑い!(笑)(笑)(笑)
自分のことを自分で評価できるのは偉いよ。(笑)(笑)(笑)
わからんから質問している、という当たり前のことすら認識できないようでは、君終わってるんじゃないかね?(笑)(笑)(笑)
No.7
- 回答日時:
No.6 のお礼に応えて
こら!
君な!!!
この文の「こら」が主語か???
《(主語とは)「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」》という見解を示しています。
であれば、「こら」は主語だよな!!!
どうなのじゃ!!!
馬鹿も安み安みにしなさい!!!
■
ご回答ありがとうございます。
1.
>こら!
君な!!!
この文の「こら」が主語か???
:
こら!
サラダ菜!
この文の「こら」を主語と考えるのは認識違いだろうね。
2.
>《(主語とは)「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」》という見解を示しています。
であれば、「こら」は主語だよな!!!
:
尾上氏に聞いてみないとわからんが、たぶん、日本語には必ず主語がある、と言ってるわけじゃなかろう。
《であれば、》という順接既定の接続詞を使うのは、君のひとりよがりにすぎん、というこっちゃよ。
「こら」は辞であり、君の主観を表わす主体的表現だろ?
「(こら!)お前!」という客体的表現としての詞が省略されているわけだ。
「ワシは《こら!》と言いたいほどお前に怒りを覚えておるぞ」という意味で「ワシ」を主語と捉えることもできなくはないだろうが、零記号は零記号のままで捉え、無理やり主語として特定する必要はないと思うがな。
No.8
- 回答日時:
No.7 のお礼に応えて
>>尾上氏に聞いてみないとわからんが、たぶん、日本語には必ず主語がある、と言ってるわけじゃなかろう。
彼は、
『文法II (朝倉日本語講座6) 』(北原 保雄 (監修), 尾上 圭介 (編集); 2004/6/1』で、主語、述語について詳述し、結論は出ておらんのじゃ。
彼には、『文法と意味I 』( 2001/6/15)という主著があるので、まずこれを読み、どのような言語観、文法観かを理解することが第一じゃ。
それを他人の孫引きで適当な解釈をしているからメチャクチャな論理になっておるのじゃ。
発話が語だなどというピン呆けの寝言をほざいているようでは主語など箸にも棒にもかからんということじゃ。
主語のある文と無い文があるというのであれば、まずは語、文、文章という単位の相違と関連、そしてそれに基づく主語の定義を明確にしない限り議論は発散、混迷、雲散霧消するしかないのじゃ。
その程度の理解もなしに、三上も三浦も区別出来んような奴素人のオッサンがぐだぐだ言うこと自体ナンセンスなのじゃ!!!
まあ、質問は歓迎じゃが、勘違いの無意味な寝言は芳子さんじゃ!■
ご回答ありがとうございます。
>彼には、『文法と意味I 』( 2001/6/15)という主著があるので、まずこれを読み、どのような言語観、文法観かを理解することが第一じゃ。
:
彼は結論を出しておらんのじゃろ?
であれば、《日本語には必ず主語がある、と言ってるわけじゃなかろう。》と言ったとおりであり、つまり、こら! にも主語が有ると言っている、という君の発言は撤回すべきではないのかね?
>その程度の理解もなしに、三上も三浦も区別出来んような奴素人のオッサンがぐだぐだ言うこと自体ナンセンスなのじゃ!!!
:
大笑い!!!(笑)
まだ言うとるわい。
どうでもよいタイプミスに、ようそこまで拘れるもんじゃのお?(笑)(笑)
肝心な点に関してはスルーか詭弁で誤魔化すのがポリシーの君だが、こんなことにのみ嬉々としてこだわり続ける。
恥ずかしくないのかね???????(笑)
No.9
- 回答日時:
No.7 のお礼に応えて(補足)
>>この文の「こら」を主語と考えるのは認識違いだろうね。
君の、〔《(主語とは)「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」》という見解〕と矛盾していますが???
どの点の認識が違うのですか????
君の得意な具体的な回答が要求されます。
君の見解では、
「こら!」と言う文の、「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」とは何ですか????
>>「こら」は辞であり、君の主観を表わす主体的表現だろ?
主体的表現は、「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」にはならないのですか???
君は、辞は主観(認識)だと言っていましたが、それこそ「事態の中で認識の中核として存在するもの」ではないのですか???
前提と言っていることが全く矛盾しているのですが????
■
ご回答ありがとうございます。
>「こら!」と言う文の、「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」とは何ですか????
:
何を読んでおるのかね?君は?
#7お礼欄を読み直したまえ。
呆けとんのか?(笑)
>主体的表現は、「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」にはならないのですか???
:
はあ???
「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」とは客体を意味するに決まっておるだろうが???
日本語は~をまじめに読み直したまえ。
他人に強制している場合じゃないぞ?(笑)
No.10
- 回答日時:
No.9 の補足です
そもそも、主語は「源太」なのか「源太が」なのかを明確にする必要があります。学校文法では「源太が」を主語としています。
「一つの文が語る事態の中で認識の中核として存在するもの」などという曖昧な意味不明な認識では全く問題になりません。
時枝が主語をどのように規定しているかを確認しましょう。■
ご回答ありがとうございます。
>そもそも、主語は「源太」なのか「源太が」なのかを明確にする必要があります。学校文法では「源太が」を主語としています。
:
そうかね?
当方の情報では、両方があると聞いておるがな。
>時枝が主語をどのように規定しているかを確認しましょう。
:
しょうもないことを勿体ぶっておらんで、ちょこっと書けばよかろう???
自分のオリジナルでもないくせに、偉そうに、何様のつもりなんだね、君は?
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