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なぜ千島列島、全てを返還しろと言う議員が出てこないのだろうか?
「千島列島を放棄したから」と言う人がほとんどだと思うが、それだったら北方四島も同じ。
日本の固有領土なのだから返還を求めるのが筋では無いか?

A 回答 (14件中1~10件)

それ言ったら、方法論を聞かれるからでしょ。


そんなの答えられる奴いねーんだから、
耳障りのいいこと言ってるだけ、
人気取り?で言ってるだけなんてことになって、
失脚するだけだろ。

さすがにそんなノープランで、
軽口叩く議員は、いないよ。www
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以前青山繁晴が言ってたよ

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最近は聞かないけど、共産党は10年位前まで全千島返還を言っていた。



https://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-04-30/2 …
「なぜ千島列島、全てを返還しろと言う議員が」の回答画像3
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日本人が住んでいた、統治していたという実績が無いからです

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今は4島じゃなくて2島だよ。

「固有領土」という表現も避けてほしい。
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>「千島列島を放棄したから」と言う人がほとんどだと…



幕末期の安政元年 (1885) に「日露和親条約」で、択捉島とウルップ島の間を日露国境と決めました。
このとき樺太は所属が定まらず、日露両属のように形でした。

明治に入り、「樺太・千島交換条約」で樺太をロシア領とする代わり、ウルップ島以北の千島列島をが日本領となりました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%A4%AA …

明治37、38年の日露戦争で樺太の南半分が日本領となります。

昭和20年(1945)、太平洋戦争で日本は敗北し、昭和27年の「サンフランシスコ平和条約」で、日本は南樺太も千島列島も放棄することが確定したのです。
「千島列島を放棄した」というのも、あながち間違いではありません。

>それだったら北方四島も同じ。日本の固有領土…

「日露和親条約」を根拠として、択捉島以南を日本の固有領土とするのが、日本政府の立場です。
ウルップ島以北は、誰も日本の固有領土とは言っていません。

>なぜ千島列島、全てを返還しろと言う議員が出てこない…

共産党はそのように発言していますね。
https://www.jcp.or.jp/web_tokusyu/2012/08/post-5 …

しかし、多くの国民は択捉島以南だけが日本の固有領土と考えています。
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> なぜ千島列島、全てを返還しろと言う議員が出てこないのだろうか?



勇ましいだけで、多分「相手にされないから」と思うなぁ。

> それだったら北方四島も同じ。

それがロシア側の主張。
一方の日本側は、「同じではない」と言う主張なんだけど?
たとえば歯舞は、日本側は「歯舞群島」と呼称し、千島列島と区別しているわけで。

あるいは、少なくとも日露間には、全千島列島の返還と言う議論は存在しないし。
日本国内にも、まともなのは「四島」「二島」と、「三島:二島+国後」の論争しかないと思う。

さすがにそれ以上となると、「サンフランシスコ条約放棄」に近づき、ロシア以外も敵に回しかねない、北方領土問題から逸脱した考え方なので。
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今ならウクライナ戦争が起こますので



ウクライナ戦争が終わって

ロシア経済がボロボロになってからでもチャンスが有ります!!
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>なぜ千島列島、全てを返還しろと言う議員が出てこないのだろうか?


現実的ではないし、その論理が使えるなら、ロシア側も「北海道全土を返還しろ」「対馬をよこせ」と主張できるからです。

日本の幕末は、西洋の大航海時代の終わり、植民地主義が発展し始めた時期になります。
 大航海時代はスペイン・ポルトガルの世界2分割に始まり、そこにイギリスやフランスなどが割り込んで世界を分割統治していった時代なわけですが、新しい土地をめぐってけんかにならないように国際法で取り決めがありました。

その取り決めの重要なルールは
①無主の土地(明確な君主や政府がない土地)は自国領土に編入していい
②その際、正確な緯度経度や地勢を学会に発表すること
です。

で、幕末にこのルールを知った日本というか幕府は、当時すでに北海道付近にロシアが来ていることを知って、日本地図を作って対抗できるようにすることを考えました。

これが伊能忠敬と間宮林蔵などによる日本地図の作成になるわけです。

で、日本はそれ以前に北海道の松前に陣屋を置き、アイヌなどと取引を始めていたのですが、冬が厳しすぎるので北海道の北のほうには日本人(和人)がほとんど入っていませんでした。

ロシアは逆に冬にめっぽう強く、シベリアを東進したロシアはカムチャツカ半島にペトロパブロフスク‐カムチャツキーという街を建設し、オホーツク海を南下してきていました。

そして、1804年には根室に有った松前藩の運上所にロシア皇帝から幕府に宛てて通航の親書が届けられます。幕府はこれを無視するわけですが、それがのちの文化露寇につながり、日露双方の拉致事件や各地の侵入事件につながっていくのです。

これは黒船に先立つこと50年で、実は日本は黒船以前からロシアと領土問題を抱えていたわけです。

で、1804年ぐらいの時期の北海道や千島列島・樺太というのは、まさに①の「無主の地」で統制された政府はなく、幕府も北海道の太平洋側の東端である根室に拠点を作ったのが1790年で、まだ藩として成立させていなかった時代なのです。

つまりロシアが本気で北海道に軍隊を送ってきて領土を主張したら、北海道全土が日本じゃなかったかもしれない、のです。

結局、間宮林蔵などの努力で日本は北海道全土の地図を作り、そこに樺太と千島列島を入れることに成功します。ただし、千島列島は択捉島に「日本の領土」という標識を立てるところまでしか行けず、逆に樺太は「大陸とつながっていない」ということを間宮林蔵が発見したぐらい「最初に見つけたのは日本人」という状態だったわけです。

この史実があったからこそ日露修好通商条約で択捉島までの4島が日本の領土として認められるわけです。このとき樺太は「どちらの土地でもない、今後決めよう」としたのです。

なので、国際的なルールからいえば日本は択捉島までしか「固有の土地」ではありません。

 なので日露戦争で獲得した千島列島全土を「返せ」というなら、ロシア側も「太平洋戦争で勝って占領した北方四島も樺太も返す必要はないし、なんなら北海道の領有を見直すこともできる。さらにいえば1861年に対馬を占領した(ポサドニック号事件)史実があるから、対馬をロシア領にもらう主張もできる、ということになるわけです。

これらは全部①②のルールに基づいているからです。

だから日本の固有の領土というのは日露修好通商条約が起点であって、それを超える主張をするなら、ロシア側も日露修好通商条約を守る必要がない、ということになるのです。

ようするに「もう一度戦争して、領土を決めてもいいんだぜ」というのがロシアの、というか世界の常識ですから「千島列島全部」なんて根拠のない主張をすべきではないです。
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「北方領土は千島列島ではない(∴占拠は不当)」と言うのが日本側の主張です。

千島列島は公式に放棄してしまっているわけですから、これを返せと言うのは韓国が合意をひっくり返すのと変わりない事になります。
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