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なぜ湯川秀樹は核物理学の研究していながら、マンハッタン・プロジェクトのこと、原爆のこと報告しなかったん?
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A 回答 (2件)

ご質問者は勘違いなさっていると思います。

その写真は戦後に撮られたものですよ。と申しますのは、湯川がかなり禿げてますね。1943年に文化勲章をもらった時の写真では、明らかにもっと毛がありました。
湯川がアインシュタインと初めて会ったのは1939年です。しかし同年、第二次世界大戦が勃発したため交流も連絡もまったく途絶え、再会したのは戦後の1947、8年ごろです(湯川はプリンストンへ招かれアインシュタインと同僚になる)。

1939年、湯川はソルベー会議というのに招待されて渡欧したのですが、風雲急を告げる現地情勢のため、会議は直前に中止が決まりました。当時のこととて、飛行機ではなくヨーロッパから延々と船に乗って帰ってきたのですが、スエズ運河を通るんじゃなくて、逆方向にニューヨークへ、そして太平洋を渡って帰国しました。
その帰路の途上で彼は、短い日数ですがアメリカに上陸し、プリンストンでアインシュタインに会っています。ユダヤ系のアインシュタインは、当時ナチスの魔の手を逃れアメリカに亡命し、高等研究所(Institute for Advanced Study)にいました。高等研究所はプリンストン大学の付属機関ではないが、大学の隣にあります。

それはアインシュタインが、大統領あてのあの有名な手紙を出した直後に当たりますが、初対面の湯川にそんな打ち明け話をするはずがありません(手紙が有名になったのは戦後のこと)。しかも、マンハッタン計画が開始されたのは1941年で、アインシュタインの手紙と直結してないんです。
なぜ39年から41年まで2年も間が空いたかというと、アインシュタインがアメリカ当局から今いち信用されてなかったからでしょう。ある意味、変人でした。
さかのぼると、人類がまだ世界大戦の恐ろしさを知らなかったころ、彼は戦争が嫌なあまり、ドイツ国籍を捨ててスイス国籍を取っています(スイスにも徴兵はあるが戦争はしなくて済む)。しかも、それがスムーズに行かなくて、一時は無国籍でした。
そのあと第一次大戦が起きて、極度の惨状が知れ渡って(日本ではピンと来なかったが、英仏などは戦勝国でありながら第二次より第一次の方が死傷者が多い)、厭戦気分と宥和主義が広まると、アインシュタインはまたもや逆らって、ナチスドイツに対抗する原爆開発を進言しました。
さらにそのあと、第二次大戦後にエリートたちが冷戦思考(核の均衡、相互確証破壊)に傾倒すると、彼はそれに靡(なび)かず、核兵器反対・世界平和を唱えました。言うたら、生涯反体制ですよ。学問上も、先行の古典力学に反対して相対性理論を樹立し、かつ、後行の量子力学にまで反対してました。
そんなわけで、FBIにはアインシュタインを監視し続けたファイル(書類綴り)が残されているそうです。つまり、「アインシュタインの言うことならアメリカ大統領でも聞く」ではなくて、その逆に、危険人物として監視対象だったのです(彼自身はおとなしい性格で過激派とは違うが、大勢(マス)に順応する人ではなかった。少数派だった。一方アメリカは、反ファシズムの国とは言え、マッカーシズムなどマス・ヒステリアの傾向があった。体制派・多数派の狂気がうごめいていた)。

話を戻しまして、39年のアインシュタインの進言は大統領に届くことは届いて、小規模な委員会が発足しました。しかし、彼自身はその委員会に呼ばれず、原爆開発にも参加していません(前述したように信用されてなかったせいもある)。
しかも、その委員会は活発なものではなく、開発は没(ぼつ)になりかけたそうです。ところがそのとき、イギリスから「原爆は有望かも」という情報がアメリカにもたらされ、マンハッタン計画という巨大プロジェクトが発足したわけです。
と言いますのは、イギリスはキャベンディッシュ研究所(ノーベル賞受賞者を輩出)などで核物理学が盛んだったし、伝統的にアメリカとイギリスは結びつきが深かったから、その情報が信用されたのでしょう。だいたい、アインシュタインはドイツ出身だし、核物理学が専門でもないし。

以上、湯川はアインシュタインと1939年に初めて(ちょっとだけ)会って、それから戦後までパッタリ交流も連絡も途絶えていたので、このご質問はまったく成立しないと思います。マンハッタン計画は1941年からで、極秘のうちに進められました(いわゆる縦割りの秘密管理)。
アメリカ副大統領でさえ、逐一知らされなかったそうです。45年4月ルーズベルト大統領の病死で跡を継いだトルーマンは、原爆の詳細を急に説明されて困りました。その後まもなく、原爆投下の決定という重大事で、トルーマン新大統領は主導権を取れずじまいだったようです。軍や、計画をずっと知っていた政治家たちが、投下を主導しました。
ましてや、湯川がマンハッタン計画の詳細を戦中に知るわけがありません。
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放射能の衝突が、 DNA・遺伝子を、破壊する。

 そんな報告発見の、前後左右、そんなのかもしれない。



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この回答へのお礼

気に入りました。

お礼日時:2022/02/02 08:29

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