アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

よろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

おかしくはないと思う。

内科も医者だし、ある程度の理解はあると思いたい。しかし私は、症状を言ったときに、バカにされるように内科医に言われたことがあるので、そういう医者もいるのは事実です。あと、周りにもしも問診の声が聞こえたら嫌なので書かないかな。心配なら書いてもいいと思いますが、あくまでも学校の問診なので…。学校に提出するものも書くのはちょっと抵抗ありますね。私は先生に信用がないので、誰かに見られやしないかとヒヤヒヤします。心配事を相談したり。精神的症状の話をしたりはすることはありますが…。
    • good
    • 2

貴方と同じ年代の頃、貴方と同じように考えて精神科を訪ねた事がありました。

今から58年も前の時代です。

ノイローゼになったという意味でしたが、日本語では死に対する恐怖症です。処が神経症に対して或は、心を病むという事に付いては、今も昔も余り変わっていない様です。

ノイローゼと云っても神経症と云っても幾ら精密な検査をした処で、異常が無い事が特徴です。

又今の精神科医達と云っても、人間の心が如何して苦しくなるのかとか、心が癒されるという事の意味でさえも学ぶ機会が無かったのではないのかとさえも思っています。

その理由は医師の科目の中で精神科医の自殺率が一番高く推移している事が何を意味しているのかと思います。

神経症の死に対する恐怖症を克服する事が、32歳の時に出来ましたが、その結果仏教の中の禅を学ぶ事が有効だった事を書いてみたいと思います。

仏教の中で人間の苦しみは『無明の故』と書いてあるようです。人間の苦しみの原因は『自分自身の中に存在している。』という意味です。

その原因を解き明かした人が、釈迦であった事です。人間の全ての苦悩の原因が苦悩している本人の中に存在していた事を突き止めて、その解決方法まで解き明かした事です。

言い替えるなら『全ての人間を苦しみから救う、癒しの心理学を開発した。』という意味になります。

現代精神医学に於いて、原因でさえも解明出来ていない、人間の心は如何して苦しくなるのか?はたまた如何したら癒されるのか?という事柄が『禅』の中で明らかになっています。

例えば死に付いての恐怖症という事であるなら、高所恐怖症も同じ原因です。脳の中に恐いと思わせる者が存在しています。この者の存在が分からない事を『無明』と云っています。

そうしてその者を知る事を『見性=自性を知る=悟りを開く』としています。

今の貴方は理解出来ないかも知れませんが、神経症と禅を学んで下さい。

神経症を克服したいなら、鈴木知準先生の著作集を学ぶ事で、叶うと思います。又自性を徹見したいと思うなら、鈴木大拙博士の著作集を学ぶ事が大変有効と思います。

質問があるなら聞いて下さい。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!