プロが教えるわが家の防犯対策術!

創価学会員の人も、なんか自分達っておかしいかもしれないなって思うことありますか?

A 回答 (2件)

洗脳されてるからない‼️( ̄b ̄)

    • good
    • 1

質問者さんを初め、


すべての人が汝自信を問い正す事は必要なのです
特に哲学や宗教を保つ人は、「自己を求める」事には心得ています

釈迦は「汝自身を省みたずねるが良い」と言います
ソクラテスは「汝自身を知れ」と言います

ウエストミンスター寺院に
ある聖職者の墓碑に刻まれた言葉がありますので紹介します
「若き日には、世界や国を変えたいと大きな夢を抱き
晩年には、せめて家族を変えたいと努力した、が、
結局何も変えられなかった。
いよいよ人生の幕を閉じるにあたり気付いた事は
先ず自らを変えることができていれば、
周囲を変える事も出来たのではないだろうか」、と
つまり
社会を変えるには、自らの家族から
家族を変えるのは、自らを変える
一生かかって、それが分かったのですね
しかし
その先はおのずと答えが出てきます
自身を変える事は、先ず自身を知らなければならない、と言う事です

 自分とは一体何であろうか。自己とは何か、
自己というものをどうとらえるのか、
どう求めていくか、毎日をどう生きていくか。
これは、人類永遠の課題であります

で、質問者:sgjaさんは、どうなの?。



ここからは、暇なら読んで。

仏典に喩え話があります、
「自己を求めよ」ということを一番適切に説いた、面白い物語で示していることがあります。
 それは釈迦がベナレスで教えを説いて、かつて悟りを開いたブッダガヤーの方へ歩いて行った。
途中に林があり。そこで三十人の男性がいた、それぞれ自分の奥さんを連れて来て、楽しんでいた。遠足のようなものだろうと思うんですが。
 ところがその三十人のうちで一人だけ妻がいなかったというんです。
その人だけ寂しくて可哀想だというんで、遊女を連れて来て、それで仲良く楽しんでいた。
 そうしたら気が付いてみたら、その遊女がその相手の人の大事なものを盗んで、こっそりと逃げてしまった。
 ああ、大変だと騒ぎ、みんながあの女はどこへ行ったかと捜していて、ガヤガヤしていた。
 そこへお釈迦様が通りすがって、「どうしたんだ」と。「いや、これこれの次第です」と。
すると、釈尊は、「何だ。君たちはそんなことで騒いでいるのか。
婦女を求めるよりは自己を求めよ。
 お前たちは自己を忘れているじゃないか」と言われた。
そこでみんなはハッと気付いて、それで釈尊に帰依するようになったという、物語があるんです。
 
 品物が無くなると、私ども一生懸命捜します。
十円銅貨を落としても捜し求めるくせに、
自分自身を捜し求めるということはなかなかしない。
 そういういろんなエピソードがあり、その中から一体自分て何か、ということを求めていくわけです、

 いろいろ哲学とか宗教の中に非常に難しい形で自己を求めるということがよくある事ですが、
そうした哲学的なというか、非常に高度の修行が必要なような自己ではなくて、もっと生活の中に自己を求めていくということをブッダの教えの中にあると思います、
 つまり非常に生活実践の中で自己を求めていくという、
そういう生き方を説いたのが釈尊であったと、と言えます。

続きはここ
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage8.html                
 
・・・・・・又ね。
    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す